第四話〜雪蛍編・第三章〜
懐かしい夢を見た・・・。
夢の中の映像は全てセピア色で、ご丁寧に無声映画のように映像にテロップが入ってる。
主役はどうやら小さな頃の俺らしい。
その隣には俺よりも小さな女の子がいる。
暑い夏の昼下がり・・・俺は女の子と外で遊んでいるようだ。
当然の如くゲームもパソコンも無く、目の前に広がる自然が俺達の遊び場だった。
その日、どうやら虫取りをしている・・・。
俺が捕まえたセミをオドオドと怯えながらもマジマジと見つめる女の子。
その時、セピア色の映像がまるで墨でも塗られたように暗転する。
そして目の前の暗闇にスポットライトが当たっているかのように明るくなり先程の女の子が現れた。
「ねぇ、見てよ」
そう少女は微笑み、セミを片手で掴んでこちらに見せてきた。
そこには先程までのオドオドしたような態度はどこにも無く、どこか無機質な感じがした。
すると突然少女はセミの羽を掴み・・・引きちぎった。
「可哀想・・・私と同じでどこへ飛ぶことも出来ない可哀想な子・・・可哀想な子・・・可哀想な私・・・」
そう言って少女は興味を無くしたようにセミを地面に投げ捨て、サンダルで思い切り踏みしめた。
グチャリと言う熟したトマトを潰したような音が聴神経を通らずに直に脳に響き渡る。
少女は笑みを浮かべながら何度も何度も狂ったようにセミだった物を踏みつける。
そして呪いでもかけるように『可哀想な子可哀想な子』と連呼していた。
一瞬視界が真っ白になる。あまりの眩しさに思わず目を瞑ってしまう。
再び目を開くとセピア色の景色では無く鮮明な色彩で描かれていた。
服の裾に違和感を感じる、見れば赤い何かが俺の服を掴んでいる。
赤い何か?いや・・・それはあの小さな女の子の手だ。
その女の子は返り血で真っ赤に染まりながら足元に転がってる肉塊に目もくれずに俺の目を見ていた。
「ね?簡単に壊れるんだよ?」
少女は両手を俺に向けて翳しながら。まるでマネキンのような無機質な目で俺を見つめた。
そして少女は空を仰いで口を開き何か歌い始めた。
「What is your crime?(貴方の罪はなんですか?)
I will permit all your crimes. (私が貴方の罪を全て許してあげましょう)
Is what your crime understood?(何が貴方の罪か分かりますか?)
Will you still understand the crime?(まだ罪が分かりませんか)
Only it is your crime♪ (それこそが貴方の罪なのです♪)」
歌い終えた少女は壊れた玩具を見るような目で俺の顔をジッと見た。
その目には感情が籠もっておらず、まるでハリウッド映画の殺人ロボットのような目をしていた。
そして血に染まった手を俺の首に当ててグッと締め始めた。
薄れ行く意識の中『ごめんなさい』と言う少女の声が聞こえたような気がした・・・。
「うわあああああ!!」
首が絞められるリアルな感覚に思わず俺は情けない声を上げてしまった。
目の前に広がるのは色彩あふれる山の中ではなく、屋敷の中にある自分の部屋であった。
「お、脅かすなよ!!マジで心臓に悪いぜ・・・」
隆次と恭子が驚いた格好のまま椅子に座っていた。恭子の手の中には俺のネクタイが握られていた。
どうやらうなされてる俺のためにネクタイを解いたらしい。お陰であんな夢を見たのか?
「りゅ、隆次と恭子かよ・・・脅かすなよ」
隆次の呆けた顔を見ていたら何故か安心し息が整った気がした。
「それはこっちの台詞だってぇの・・・ったく」
隆次は肩をすくめて『やれやれ』というジェスチャーをしてみせた。
「それで・・・どれ位眠ってた?」
俺がテーブルの上に置かれたタバコに手を伸ばしながら聞いた。やはり寝起きに一本吸わなきゃ完全に目が覚めねぇや。
「・・・二日よ」
突然恭子の声のトーンが落ちたのを俺は見逃さなかった。明るさが売りの彼女が暗くなるなんてありえない。
「ん?なんかあったのか?」
タバコを銜えてジッポライターで火を付けようとタバコの先端を手で囲みながら聞いた。
「昨日・・・親父さんが亡くなった」
隆次の言葉に思わず瞳孔が開いた感じがした。隆次は心配そうな顔で俺を見た。
「そうか・・・あのクソ親父め・・・とうとう逝っちまったか・・・」
口ではこう言ったもののイマイチ実感が沸かなかった。あの傲慢で高飛車な親父が死ぬなんて考えもつかなかった。
人の顔を見れば罵倒していたあのクソ親父が・・・。
「水と風邪薬・・・ここにあるからね」
恭子と隆次が俺を気遣ってかテーブルの上に市販の風邪薬と水を置いて部屋から出て行ってしまった。
別に心の整理が必要な訳ではない。悲しいわけでもない。どこか憎かった。
わざわざ本州から息子を呼び戻したのはいいが、人に顔を見せないで逝ったことが悔しかった。
「まぁ・・・親父らしいと言えば親父らしい死に様かもな・・・」
俺はタバコを灰皿に押し付けてため息混じりに誰に聞かせるでもなく呟いた。
そして部屋の壁に掛けてある時計が正午を指した時に来訪者があった。
「孝兄ぃ・・・大丈夫?」
梨香がドアの隙間から心配そうな顔を覗かせて聞いてきた。その手にはお粥の入った鍋が乗せられたお盆があった。
「あぁ、大丈夫だ・・・薬を飲んだら楽になったよ」
俺は読みかけの本を閉じて梨香に微笑んだ。そして鼻腔を突くお粥のいい香りに鼻をヒクヒクと動かした。
「あの・・・お腹減ってるかな?ってお粥持ってきたんだけど・・・食べる?」
部屋に入るなり梨香がお盆をテーブルの上に置いて蓋を開けた。卵粥なのだろうかとても食欲をそそるいい香りがした。
そのいい香りに口より先に腹が返事をしてしまった。
「聞く必要も無かったみたいね・・・はい」
梨香がニコリと微笑んでお粥を小鉢に入れて手渡してくれた。後で聞いたら親父が死に俺が倒れたと聞いて慌てて飛んできたらしい。
「ん、悪いな・・・」
正直に言えば美味い。いや決して腹が減ってたから美味い訳じゃなくて素直に美味い。
「孝兄ぃは悲しくないの?」
梨香がただ無心にお粥を食い続ける俺の横顔を見ながら聞いた。その言葉に俺は思わずスプーンを止めてしまった。
「なんでだろうな・・・何故か涙も出ないし悲しくも無いんだ・・・」
俺は素直に自分の感情を話した。実の父が死んだと言うのに悲しくも無い自分を不思議に思いながら。
「そう・・・なんだ、お父様とお母様と一緒なんだね」
梨香がギュッとスカートを握り締めて唇を噛み締めながら呟いた。
「え?正弘小父さんと綾音小母さんと一緒?」
神本正弘は神本家の現在の当主であり、その妻である神本綾音のことである。
そもそも末崎家・神本家・徳宮家の御三家は代々義兄弟や義姉妹の契りを結んできたのだ。
「うん・・・さっき義和小父さんの所にお別れをしに行ったんだけどね・・・その時・・・」
末崎義和、俺の父親のことである。梨香が説明している最中に階下から怒鳴り声が聞こえてきた。
「ちっ・・・んだよ」
俺は小鉢をテーブルの上に置いて立ち上がった。不覚にも二日も眠ってたお陰か足元が思わずふらついてよろけてしまった。
「孝兄ぃ、無茶しないで・・・」
そう言いつつも梨香が俺に肩を貸してくれた。親父亡き後家長たるお袋・末崎由利だけに任せておく訳にも行かなかったのだ。
お袋は親父と正反対の性格だった、いつも怒鳴り殴ってくる親父と違い朗らかで理解のある母であった。
階段を降りて怒鳴り声の続く部屋の前へと付いた。声は親父の書斎からしているようだった。
「ありがとう・・・ちょっと込み入った話になるから部屋に戻ってなさい」
俺は梨香にお礼を述べ、部屋に戻るように促した。声の主は正弘小父に綾音小母のものであった。
まだ中学生に修羅場を体験させるわけには行かないと言う年長者の心である。
「うん・・・でも喧嘩しちゃやだよ?」
梨香が心配そうに俺の袖を掴みながら顔を見上げてきた。俺は安心させる為に梨香にニコリと微笑んでからドアをゆっくりと開けた・・・。
いよいよ次回から雪蛍編の佳境に入ります。