◇暴君勇者と偽魔王 Ⅰ
「お帰りなさいませ、お嬢様」
颯爽と、烈しくも慎ましやかな深紅のドレスの裾を翻して帰ってきた主を出迎えた執事が恭しく一礼して出迎える。
「国からの御呼び立てとは、一体どのようなご用件だったのですか?」
「勇者が近々この村にやって来るだろうとのことで、私に倒せと……」
リリスは悩ましげに首を緩く振った。執事はほぅっと驚いたように目を見張ると、静かに問う。
「左様でございますか。それで如何なさるおつもりで?」
「……その時に考えます。それより、今日のおやつは何ですか?」
「ははっ。お嬢様の大好きなベルゴ特製アップルパイでございます」
結局、王の頼みも、ガーナ王国の城が勇者により壊されたという知らせもリリスの耳に入ることはなく、一ヶ月が経過した。
「あいつ等が来てからというものの、息子がすっかりぐれちまって……」
「ウチの子も畑仕事をほっぽって砦に引き篭っているみたいなんです」
「奴からの要求は日を追うごとにエスカレートしていく一方……。無理難題ばかりを押し付けやがって! もう我慢の限界だ!」
村の農婦、または農夫が口々に漏らす愚痴に適当な相槌を打ちながらリリスは内心溜め息を吐いていた。
早くしないとおやつのスコーンが冷めてしまう。
皿の上に山盛りに盛られたスコーンを一瞥しながらリリスは、そわそわと村人達の愚痴が終わるのを待つ。
「どうか、勇者を倒して下さい、リリス様っ!」
「え?」
目眩にも似た強い既視感を感じ、リリスは引き攣った笑みを浮かべる。
「いや、その……。確かに私は魔王……」
「何とぞよろしくお願いします!」
床に平伏した村人達は押し売り商人の如くリリスに断る隙を与えなかった。
はいとも嫌だとも言えず、苦笑を浮かべながらリリスは皿の上のスコーンに手を伸ばし、一口かじる。
「……と、とりあえず、スコーン食べます?」
****
リリスにとって大抵のことはいつも執事のベルゴに任せっきりなので、領主として働くのはこれが初めてである。
日暮れ。寒さに身を震わせながら、リリスは勇者達が占拠しているという屋敷近くの砦に向かっていた。
「こういうのは、勇者の方から出向くべきだと思うのですが……」
深いため息を吐きながら自分が押しに弱いということを自覚することもなく、リリスの嘆きはまだ見ぬ勇者へと向けられる。
勇者が出向くべきだというのも一理あるように思えたが、来られたところで正直困る。奇襲を仕掛けるのは卑怯に思うが、奇襲を受けたくなければこちらが先手を打たなければ。戦闘経験などろくにないのだから、少しでも優位に立たなければ倒されるのは自分自身だ。
そんなことを思案しているうちに、いつの間にか砦の前に着いていた。
――ヴェノーザ砦。
田舎の景色に不釣り合いな人工の建造物は、遥か昔、種族戦争の際に築かれた鉄壁の防御を誇る難攻不落の砦として、百年経った今も尚その存在を固持し続けている。
至る所に焚かれた松明の炎のおかげで砦内は程よく暖かい。
魔族故に人間よりも数倍に優れた五感のおかげで、暗夜でも目は利くので移動に困ることはないが、問題は勇者が何処にいるかである。聴覚が如何に優れていても不特定多数の、人気のある所を探すというならまだしも、特定の人を見付けるというのは中々難しい。
幸い、彼等は一カ所に集まっているようなので、わざわざ虱潰しに各階ごとの部屋を散策する必要もなく、リリスは迷いなく音のする方へと歩を進めた。
砦の最上階。
床には酒瓶や何処からか持ち込んできたのであろう椅子などの家具が散らばっている。
床に零れた酒を蹴散らし好き勝手に踊る者もいれば、楽器を弾き鳴らし、酒で呂律の回らなくなった舌で意味不明暸な歌を上機嫌に歌う者もいる。
肝心の勇者は何処にいるのかと、リリスは物陰から辺りをキョロキョロと見回した。
――いた。
部屋の中央。何だか見覚えのある玉座に、足を組みながら偉そうに踏ん反り返っている少年にリリスの視線は釘付けになる。
直感ではあるが、強い確信があった。
一目見た瞬間、身体に電撃が貫いたような衝撃が走り、全身の血が煮えたぎるような強い胸の高鳴りを感じた。恋慕にも似た切なく狂おしいまでの殺意が胸を満たし、締め付ける。魔王の血に刻まれし宿命がそうさせるのだろうかとリリスはぼんやりと思った。
「勇者とお見受けします」
一歩前へ踏み出す。
リリスの声に、狂乱の宴は水を打ったように一瞬にして静まり返る。その静寂を打ち破ったのは、例の勇者とおぼしき少年だった。
「見るからに勇者だが?」
自称勇者は傲慢にそう言ってリリスを一瞥し、怪訝そうに眉をひそめた。そしてリリスを品定めするようにジロジロと見つめる。好色的な視線ではないが、生理的な嫌悪感からリリスは無意識に二の腕を抱き寄せた。
「おい、町民C。噂に聞く魔王ってのは、屈強なオッサンって聞いてたが、まさかこの色気もクソもねぇ貧乳娘がそうなのか?」
貧乳。
その言葉に周りの村人達はどっと笑い出す。ぷるぷると恥辱と怒りに震えるリリスのことなどお構い無しに、勇者は踏ん反り返ったまま上目遣いに後ろを見た。
丁度松明の明かりの影になっている場所に立っているので気付かなかったが、玉座を隔てた彼の後ろには、彼と同い年くらいの、見るからに真面目そうな少年が王に仕える大臣さながらに控えていた。神官のような服を着ているからもしかすると神父なのかもしれないが、女のような丸みを帯びた輪郭や瞳のせいで学生にしか見えない。
町民Cと呼ばれた少年は、やれやれと溜め息を吐きながらズレた眼鏡を上げ、その問いに応じる。
「その呼び方、いい加減止めてよ……。魔族の特徴である赤目だし、多分、そうじゃないかな。それにしても、シン。いくら敵とはいえ、女性に対してその言い方は失礼だよ」
「はぁ? ありのままを伝えて何が悪い。どっからどー見ても貧乳だろ。それとも、お前の眼鏡にはボインに映って見えんのか?」
「いや、その、それは……ないけど……」
だろ? と勝ち誇ったように頷くシンに、町民Cは気遣わしげな視線をリリスに送る。
勇者の連れどころか村人からも憐憫の篭った視線を向けられ、リリスの怒りは頂点に達した。
「この無礼者ぉぉぉっ!!」
絶叫。否、咆哮。
甲高い音を立て、酒瓶が破裂する。放たれた魔力の衝撃波は村人を壁へと叩き付け、松明の火を掻き消した。
「ひぃいいっ!」
「……どうせなら、ナイスバディな姉ちゃんの相手がしたかったが、まっ、むさ苦しいオッサンとやり合うよりはいくらかマシか」
勇者は床に剣を突き刺して堪え、後ろで飛ばされそうになっている少年――町民Cの襟首を掴みながら不敵に笑う。
「町民C、明かり」
町民Cなる少年は一つ頷いて、裾の広い袖から一冊の分厚い書物を取り出すと、頁をめくる。
「光を司りし精霊よ。この地に宿り、我を助けよ」
少年の声に呼応して本から蛍のような小さな光が飛び出し、弾ける。すると、光源が無いにも関わらず砦内は昼間と同じ明るさになった。
「おっ、珍しく成功したな」
「光の精霊は一番優しいからね。多少、同情もあると思う……」
勇者は感心したように拍手すると、連れの少年はほっとしたように胸を撫で下ろし、ズレた眼鏡を押し上げながら自嘲気味に笑う。
「自ら乗り込んで来るたぁ胸がねぇ割に度胸はあるじゃねぇか。おかげで出向く手間が省けて助かったぜ。決闘の儀礼に則って、先に名乗んな、貧乳魔王」
決闘の儀礼。対戦する相手が自分と戦うに相応しい相手であった場合、両者は名を名乗る。それは互いが互いを認めた証だ。とうの昔に廃れた習わしである。
この男、粗野な割に義理堅い一面もあるようだと意外に思いながらリリスは緊張で上擦った声のまま叫ぶ。
「わっ、我が名はリリス・ローズマリア! 貴殿の名を問おう!」
「俺の名はシン。……で、こっちが連れの町民C」
「フィリップ・ローレッジです」
決闘の儀礼に則ってといいながら、勇者はシンの後に続くであろう自らの姓を名乗ることなく、連れの少年を前に引っ張り出した。町民C――フィリップは至って平凡な自己紹介を述べ、ぺこりと頭を下げると、そそくさと物陰に避難する。
名乗った以上戦闘員なのだろうが、リリスに配慮してなのかそもそも前線に立つタイプではないのかは分からないが、とにかく戦う気はないらしい。
「帝国より承りし命により、勇者の俺様が直々に手をかけてやるんだ、有り難く死ね」
「倒しちゃ駄目だってば! 連行して公開処刑って言われたでしょ!?」
シンの言葉に、吹っ飛ばされたソファーの影に隠れていたフィリップが慌てたように顔を出し、釘を刺す。
連行だの公開処刑だのと何やら不穏な単語が平凡な少年の口から発せられ、リリスはぶるりと身を震わせた。
「めんどくせぇ……。今だろうと後だろうと変わりねぇだろーが」
「それで願いを叶えてもらえなくなっても、僕、責任取らないからね」
(――……願いを叶える?)
訳が分からず首を傾げるリリスのことなど気にも留めず、シンは微動だにせず考え込んでいる。
やがてシンは、はぁ……と深いため息を吐き、剣を肩に担いだ。
「わーったよ。つーことで、精々死なないように頑張れや。町民C、村人の方は頼んだぞ。あと補助もな」
勇者を倒すというのも確かに頼まれはしたが、リリスとしては優先すべきは村人の回収と勇者の要求取下げだったのを思い出し、慌てて叫ぶ。
「た、直ちに村人を解放して下さい。親御さん達が心配しています」
「知るか。こいつ等が勝手に留まってるだけだ。連れて行きたきゃ、勝手にしな」
「お酒や家具はあなたが村人から要求した物ですか?」
「だったら何だ」
「村の人が困っています。それに、無理難題な要求ばかり押し付けられて我慢の限界だと」
シンは何も言わず、鼻で笑いながら軽蔑の視線をリリスに、というより此処にはいない村人達に向けた。
「…………。で、その村人達は若い衆を返せと?」
「畑仕事に若手が必要なのは当たり前でしょう!」
声を荒げたリリスにシンは目を見開いて驚く。まるで鳩が豆鉄砲を食らったような表情だ。やがてそれは軽蔑と怪訝の入り混じった表情になる。
「お前、本当に領主?」
「それが何か」
「いーや。村人も村人なら領主も領主だと思ってな」
「どういう意味です?」
「そのまんまの意味だ。……用件は済んだか? さっさと始めようぜ」
「勝手に始めればいいでしょう」
「じゃ、行くぜ」
シンは床に突き刺さったままの剣を引き抜き、両手で柄を掴むと下段に構え、地を蹴り駆ける。本来、刀で然るべき構えだが、これがシンの流儀なのだ。
リリスにとって、これが初めての実戦であり、不覚をとられないよう冷静に努めながら勇者を動きを注意深く分析する。
人間であることを鑑みてもまずまずの速さ。剣を引きずっているのも相まって減速に輪をかけている。隙のだらけの大振りの斬撃にしろ、剣に振り回されている感は否めない。加えて、あの構え自体、攻撃に向かない型なのだろう。しかし、油断は禁物だ。
「黙した生命、万物の母なるお前。我が主命に従え!」
リリスの朗々とした声とその魔力に応じ、砦内の砂が一箇所に集まる。
「"土塊"!!」
やがてそれは砂の巨人となり、形を成した。
「我を守護せよッ!」
リリスの声に、ゴーレムは声無き声を発しながらシンに突進する。
「邪魔だっつーの!」
シンは襲い掛かかってくるゴーレムに容赦なく剣を突き刺し、爆ぜろと念じる。すると、剣を中心に生まれた衝撃波が内部からゴーレムを吹っ飛ばした。
ゴーレムは内部から跡形もなくボロボロと崩れ去り、元の土に戻るが、直ぐさま復活を遂げ、再びシンに襲い掛かる。
「戻ってんじゃねーよ、バーカ!」
シンはキレながら繰り出される怒涛の拳打をかわしつつもリリスに注意を払い、その出方を窺う。
すると、物陰から戦闘の行く末を見守っていたフィリップがひょっこりと顔を覗かせ、シンに呼び掛けた。
「シン、ゴーレムは"死"を刻まない限り、いくらでも再生するんだ。何処でもいいから"死"の文字を刻めば……」
「あ!? 死を刻めだ? 死のスペルって、勿論、魔法文字だよな? ……何て書くんだ?」
「何で知らないの!?」
「学校なんて行ったことねぇし、俺は魔法使わないから覚える必要ねぇんだよ! 厭味か!?」
そんなことを二人がぎゃあぎゃあ言い合っている内に、リリスは次の手を打つ。
「全てを灰に還す業火となりて、我が敵を滅せよ。フレア・ウォー・フィア……」
「詠唱魔法!?」
詠唱と詠唱者の魔力が続く限り発動し続ける魔法で、別名"自動魔法"という。
「へっ、この土人形を盾にすりゃあそんなもの……」
「汝に安らかな死を与える」
途端、ゴーレムは掠れた音をたて、ただの砂の山と化した。
「用が済んだらポイッか。つくづく恐ろしい貧乳だな」
シンは高速で襲いかかる銃弾の如き火の玉を高速で叩き斬り、そのまま走る勢いを殺さずに体を捻って剣をぶん投げた。
「なっ……」
シンの奇をてらった行動に、リリスの詠唱する声が止まる。
リリスが弧を描きながら飛来するそれを慌てて払い落とした時には、既に勇者は攻撃が止んだその一瞬の間に一気に距離を詰めると弾き飛ばされた剣を素早く拾い上げ、剣先をリリスに向けた。
「………くぁッ!?」
剣先から放たれた衝撃波がリリスを吹っ飛ばし、壁にたたき付ける。
咳き込む間も与えず、勇者は間髪入れずに突きを繰り出した。
咄嗟にリリスは腕の魔具に触れ、瞬間移動でシンの背後に回った瞬間、
「お見通し、なんだよ!」
回し蹴りが炸裂した。
リリスは勢いよく吹っ飛び、バウンドしながら地面に倒れる。
彼女がうっすらと目を開けると、悪鬼のような形相を浮かべた勇者が、白銀に輝く剣を大きく後ろに引いた姿が映った。
「ひっ……」
後退りしようにも、ドレスの裾を踏まれているため下がることは出来ない。
リリスの首目掛けて迫って来る刃が、深紅の瞳にはゆっくりと見えた。
「お待ち下さいッ!!」
二人の間に滑り込むように誰かが割って入ってきた。首を刎ねるすんでのところで剣が止まる。
「ベルゴ!」
恐怖に引き攣った表情のままのリリスの叫びを背に浴びながら執事のベルゴは勇者の前に平伏した。
「貴方方は魔王を討伐しに来たのでしょう? ならば、この方は違います! どうか、剣をお収め下さい……!」