◇タバラン攻防戦 Ⅷ
「他の人も無事みたいだね。良かった〜」
次々と起き上がるタバラン防衛志願者達の姿を見て、フィリップは安堵した様子でほっと胸を撫で下ろす。
「へぇ……。確かに、あれだけ威力ある攻撃をまともに食らっておきながら普通に動けるなんて、意外とタフかも」
「聖騎士かぶれに、元拳闘士……。どいつもこいつも曰く付きの奴ばかりだ。ちっとやそっとじゃ倒れねぇぞ?」
腕組みし、誇らしげに胸を張るバーンに、その割には魔族に一撃で倒されてたけどとフランが茶々を入れながら互いに笑い合う。
「まっ、店どころか街まで元に戻ったんだ。折角、一時休戦なんだしよ、今のうちに大いに飲もうじゃねぇか!」
「いや、こういう時だからこそ逆に羽目を外しちゃいけないと思うんですけど……」
バーンは、細かいことは気にするなと大笑いしながらフィリップの背中をバシバシ叩き、大股で厨房へと入って行く。
その隙を見計らい、防衛志願者の一人が音もなくリリスの背後へ回り、フィリップ、フラン、ルーナの三人の死角になる位置から緊張で上擦った声でリリスに声をかけながら肩を叩いた。
「おっ、おい、お前……」
「はい?」
振り向き様にリリスの細く白い首に白銀のナイフが当てがわれる。突然のことでナイフは視認出来なかったが、肌から伝わってくる冷たい刃の感触からリリスは現状を理解した。
「リーズっ!」
「ちょっと、あんた、一体何のつもり!?」
異変に気付いたルーナとフランが近寄ろうとすると、男は緊張で引き攣った顔を歪め、まるで子供が駄々をこねるように床を踏み鳴らして暴れると、ナイフを更にリリスの首に食い込ませた。
「う、うるさいっ!黙れ!いいから離れろ!離れろよぉぉぉぉっ!!」
苦悶の表情を浮かべるリリスに、フランは目を白黒させているフィリップに目配せして、ゆっくりと男から距離を取る。
万が一リリスが逃げないよう、男はリリスの長いダークブラウンの髪をもう片方の手に巻き付け、リリスを強引に引き寄せると体を密着させる。荒い吐息と異常なまでの発汗が首筋から伝わり、血走った眼が至近距離から横顔を覗き込まれるのを、リリスは背筋が凍る思いで耐え忍んだ。やがて男はカチカチと歯を鳴らしながらヒステリックな声でがなりたてる。
「や、やっぱり……!おっ、お前の瞳、赤っ……魔族だ、こいつは魔族だぞ!」
「なに、本当か!?」
男の奇行を止めもせず、ただ傍観しているだけだった他の志願者達は魔族という言葉に、目の色を変えて酒場にいる全員がリリスを睨む。
「ま、待って下さい!リリスは確かに魔族だけれど、あいつ等とは関係……」
「黙れ黙れ黙れッ!人間のくせに、お前は魔族に荷担するのか!?」
「そ、それは……」
突然の出来事とただならぬ雰囲気にフィリップはあたふたしながら男に向かって弁明するも、気迫に圧されて尻込みする。口ごもるフィリップを押し退け、フランが一歩前に出た。
「ちょっと!それが助けてくれた恩人に対する態度なわけ!?」
「こいつも魔族の手先だ!さっきこいつ等が酒場で一緒に居るのを見たぞ!」
「あのガキも妙な技を使う!きっと魔族に違いないっ!」
フランの言葉に耳を貸そうともせず、皆一様に獣のように荒い息を吐き、血走った眼でフィリップ達を見ながらその周りを取り囲む。
「この人達、変……」
「あはは……。色々ありすぎて正気を失うほど気が動転してるとか?――そんな訳ないよね…」
「ホントに何なの、こいつら。結構打ち所悪かったんじゃない?」
リリスが危機的状況にある以上、下手に相手を興奮させたり、何か手出しすればタダじゃすまない。フランはぐしゃぐしゃと自身の頭を掻きむしりながら腹立たしげに床を踏み鳴らした。
「――一体、何の騒ぎだ?」
剣を肩に担いだシンが辺りを見回しながら首を捻り、怪訝な表情なのか単なる仏頂面なのか判別出来ないような渋面を浮かべ、かつ不機嫌な声色で言い放つとフィリップ達の方へズカズカと歩いて来る。フィリップ達を取り囲む志願者達は高圧的なその声色と態度を恐れてか、シンを警戒しながらも道を開けた。
シンはさも当然だとばかりの余裕しゃくしゃくの表情で片手を上げて、よっとフィリップ達に笑いかけ、合流する。
「お前等、無事で何よりと言いたいが、この状況を見るに一人無事じゃねぇ奴がいるな。……お前等、何やってんだ」
「ご、ごめんなさい。油断しました……」
えへへと頭を掻きながら謝るフィリップに、シンは呆れ顔でため息を吐きながらリリスの首に刃物を突き付けている男を見た。
「お、おいっ!確かお前、この女共を連れていたな。そ、そうか!お前が奴らをこの街に……」
「あー……、それなー」
志願者の一人がシンを指差し、勝手な自己解釈を述べるのを尻目に、シンは間延びした声で緊張感なく差し障りない曖昧な返事をする。そのまま流れるような自然な動作で剣を鞘に収めると、シンはさりげなく男に近寄り、素早くその手首を掴むと武器を払い落とした。更に手刀で男のうなじを叩き昏倒させると、リリスの手を掴み、もう片方の手で剣を鞘から抜き放つと、そのまま横薙ぎに振るうと発生した衝撃波が囲んでいた志願者達を吹っ飛ばした。
「ずらかるぞ!」
五人は脇目も振らず一目散に宿屋から飛び出した。
「金輪際、この街に入って来るんじゃねぇッ!」
後方から野次と石が容赦なく飛んでくる。シンは舌打ちしながら膝が笑って上手く走れないリリスが転ばないよう歩幅を緩め、後方を走るフィリップ達を先に行かせる。
「ったく、恩を仇で返しやがって…」
「こっちって正門でしょ?まだあいつ等がいるかもよ!?」
「んなの承知の上だ!そん時は腹括れ!」
「だったら、ボクらを先行させないでよ!」
「いざとなったら町民Cを盾にしろ。何も出来ないが、それくらいの役には立つ」
「む、無茶言わないでよ〜!」
「それ、無茶って言わない……」
など軽口を叩きながら五人は眼前に迫る正門に向かって疾走する。
「ごめんなさい、私のせいで……」
「何しけた面してんだ、馬鹿。口を動かす暇があるならさっさと足動かせ。置いて行くぞ」
シンは前を向いたままリリスから手を離すと、背中を軽く叩く。それから先を行くフランと肩を並べると、目配せして先にシンが剣の衝撃波で扉を破壊し、フランが外へ飛び出す。幸い、ストラ軍は態勢を立て直す為か別の場所に撤退しているようで正門付近にその姿はなかった。
追っ手は外まで来なかったが、念のため正門が見えなくなるまで走り、一旦立ち止まって呼吸を整える。
「はぁ、はぁ、はぁ……。た、タバランは魔族に故郷を追われて仕方なく此処を居場所とした人々の集まりだからね……。当然の反応といえばそうなんだけど、異常というか……」
「あんな奴らのことなんか考えるだけ時間の無駄だって。そんなことより、宿屋に荷物置いて来ちゃったけど、どうする?取りに戻る訳にもいかないでしょ」
息も絶え絶えに腑に落ちないとばかりの表情を浮かべ、遠くに見えるタバランの正門とその囲いを眺めるフィリップに、フランは抱えていたルーナを地面に下ろし、吐き捨てように言って滴る汗を腕で拭う。
「それならルゥが取りに……」
「止めとけ、殺されるぞ。時には諦めも肝心だ。幸い金は無事だから、さっさと次の街か国かに行くぞ。正門を突破出来たのが不幸中の幸いだな」
ぴょこぴょこ跳ねるルーナの頭をがしがしと乱暴に撫でてシンは深いため息を吐く。フィリップは困ったように微笑みながら、先を急ごうとするシンをまぁまぁとなだめた。
「満身創痍の状態で次の所に行こうだなんていくらなんでも無茶だよ。よくよく考えたら一睡も……僕はしてるけど皆徹夜だったんだ。少しは仮眠をとりたいし、手当てもしなくちゃならない。一旦、休憩にしよう?」
「わーったよ。だが、此処は危険だ。開けてるし人目につきやすい。休憩はもう少し身を隠せそうな場所まで移動してからにしようぜ。この中で聴覚に自信ある奴挙手!」
「は、はい」
リリスが怖ず怖ずと控えめに手を挙げると、シンは一つ頷いて、
「木の葉が擦れる音を聞き取れ。今日は風があるし、音のする方に歩けばそれらしい所に行けるだろ」
丸投げした。
歩き続けること一時間。道なりに進んだり、途中、横道に逸れたりしながらリリスの聴覚を頼りに進んでいく。
「そうそう。わりぃ、町民C。敵将にゲロっちまった」
不意に、フィリップと肩を並べて歩いていたシンが何か思い出したように柏手を叩き、そのようなことを大して悪びれもせずに平然と言ってのける。付き合いの長いフィリップは、そんなシンのいつもと変わらぬ唐突な行動に苦笑しながらずり落ちた眼鏡を押し上げ、尋ねた。
「どちらにせよ何れ分かることだからいいよ。……強かった?」
「おう。手も足も出ねぇわ。本場の軍人はやっぱ格が違うな。見逃された。俺が勇者って分かった時点で、向こうもただ単に巻き込まれただけだって分かっただろうし、下手に手ぇ出して壊滅的被害被るより一旦態勢を立て直して挑んだ方が確実と踏んだんだろ。まっ、俺等がいようがいなかろうが結果は同じだろうが」
「本場の軍人って……。グランバルトだって立派な軍国なんだよ?寧ろストラの方が軍人もどきなんだから」
フィリップの言葉に、シンはボリボリと頭を掻きながら分かってるよとため息を吐く。
「軍国は大した魔法使えねぇし、何より質が違う。あっちは武器に重点を置いて中身はからきしだが、ストラはその逆だ」
先の戦闘を思い返しているのか、渋面を浮かべながらシンは道端に転がっていた石を思いっきり蹴る。それを横目で見ながらフィリップは視線を落として思索に耽る。
魔族の存在といい、軍国以上の力量といい、神聖国に何か不穏な動きがあるのは確かだ。タバランは国境線。そこを制圧することが本当にストラの目的なのだろうか?何はともあれ、ストラの動向には注意しておいた方が良いだろう。
「帝国の脅威となりそう?」
「何れはな。だが、帝国より脆い。まさに砂上の楼閣だ」
「うん、そうだね。シンの話を聞く限り、付け入る隙はいくらでもありそうだ」
「二人とも遅〜いっ!早く早く〜!」
二人の五メートルばかり先を行く女子三人は、後からとぼとぼと歩いて来るシン達を見兼ねてその場に立ち止まり、呼びかけ、手を振って催促する。
「おいおい、まだ休憩場所が見つかった訳じゃねぇんだし、んな急ぐことねぇだろ」
「此処から先へ行った所に林があるみたいです。うっすらと木々が見えてきましたよ」
リリスの言う通り、歩いているとやがて林道が見えてきた。吹き抜ける風と木々の間から差し込む木漏れ日が何とも心地好い。
「よし、此処いらでいいか。休む前に先に治癒魔法でフランの足治してやってくれ。鞄ねぇから包帯とかの処置は出来ないが、魔法ならある程度回復させられるんだろ?」
シンは辺りを見回し一つ頷くと、近くの木に寄り掛かりながらフランの方を見た。シンの申し出にフランは苦虫を噛み潰したような表情で舌打ちする。
「ちぇっ、シンのばーか。別にこんなの大したことないのに……」
「駄目ですよ!あぁ、こんなに腫れて…。もしかしたら骨にヒビが入っているかも……。治癒魔法と言っても、精々止血や痛み止めが限界なのですから無理はしないで下さい」
「あれ?ヒビ程度で済んだ?てっきり折れてるかと思った」
その場にぺたりと座り、リリスの治癒魔法を受けながらフランは自身の赤く腫れた両足を見て不思議そうに小首を傾げた。それを聞いたシンは呆れながら苦笑する。
「おいおい、尚のこと休んだ方がいいじゃねぇか」
「肩口から向こうの景色が見えそうな人に言われたくありませーん。あーあ……。ボク、どうせなら魔族に生まれたかったなぁ」
「え?」
フランの発言にきょとんとするフィリップを腹立たしげに見ながらフランはもう一度繰り返す。
「だ・か・らぁ〜、どうせなら魔族に…」
「その前。シンがどうかしたの?」
「言わなくても分かるでしょ?ボクよりシンの方が明らかに重傷じゃん」
「俺を誰だと思ってやがる。天下無双の暴君勇者様だぜ?」
勝ち誇ったような笑みを浮かべ、シンは「ほらよ、ありがとな」と纏っていた赤のマントをフランに被せる。頭の上に降ってきたマントを退かし、フランはまじまじとシンの体を見た。
氷柱で貫かれた箇所はそこの部分だけ服に穴が開いてる。負傷した際に飛び散ったと思われる血がシャツやズボンを赤黒く斑に染め上げているが、破れた箇所をいくら凝視しても傷口らしきものはなく、傷跡一つない素肌が覗いている。
「うっそ……。本当に消えてる……」
「んなジロジロ見るなよ、照れんだろ。さて、フィリップとチビは薪拾いを頼む。フランは近くにストラ軍がいないか偵察に行ってくれ。くれぐれも無理はすんなよ?」
「リーズは行かないの?」
シンの服をくいくいと引っ張り、淋しそうに言うルーナを、シンは困ったように肩を竦めて平然と言ってのけた。
「適材適所ってもんがある。この場合、こいつは町民Cより役に立たない」
「そっ、そんなことありませんよ!」
「まぁ、仕方ないよね。今までの生活からして」
「あはははっ、くれぐれも怒って燃やすなよ〜」
「よー」
三人を見送り、シンは欠伸を一つすると木の根を枕にして寝転がる。相当疲れているのだろう。顔色が悪い。リリスはシンが完全に寝入る前にそっと歩み寄り声をかけた。
「……シン。その、色々とありがとうございました」
「勘違いすんな、礼を言われる程のことは何一つしてねぇよ。魔王の代役が殺されちゃ困る。それだけだ。別に、お前のことなんざこれっぽっちも心配してねぇんだからな。まぁ、ありがたく受けとっておいてやる。精々感謝するんだな」
ハッと鼻で笑い、シンはちらりとリリスを一瞥すると深いため息を吐く。そして寝返りを打ってリリスに背を向けた。いつもならそこで何か反発の言葉を返すリリスだが、この時のシンの言葉のニュアンスがいつもと違い、毒がないことに気付き押し黙る。
リリスなりにその真意を考えに考えた結果――。
(もしかして、シン、照れてます…?)
そう思ったら、シンのぶっきらぼうな態度も可愛らしく思えてきて、リリスはにやにやと頬を緩ませたが、シンが気付いたらいけないと思い、慌てて下を向く。
リリスがそんな調子だから、いつもなら何か言い返してくるはずのリリスが黙ったままなので流石にシンも少し気になったらしい。また寝返りを打って怪訝な顔でリリスを見上げると、リリスは慌てて口元を手で押さえ、肩を震わせていた。
「何だよ、そんなビビるほど怖かったのか?まぁ、お前は度胸があるがただの大食い引きこもりだしなぁ。中にはあぁいう奴らもいる。つーか、人間の大半がそうだし、多分、魔族もそうだろう。気にすんな」
「い、いえ、そうではなくてですね、一つお尋ねしたいことがあるのですが……」
二の句を継ごうと口を開きかけたリリスを、シンは素早く跳ね起きて片手でそれを制し、木に立て掛けた剣を掴むと剣先を向かい側の茂みに向ける。
「出てこい。いるのは分かってんだよ」
ガサリと茂みの葉が擦れ、音をたてた。いつからそこに潜んでいたのか、熊のような大きな影が立ち上がり、両手を上げて茂みから出てくる。
「あ、あなたは……」
「わざわざ気配を消したってのによ。折角二人っきりだってのに邪魔したな」
思わず身構えるリリスに、バーンは嫌らしい笑みを浮かべながら亀のように首を竦ませた。
「抜かせ。何の用だ」
「んな警戒しなさんな、と言っても無理か。何、荷物を返しに来ただけだ」
ほらよ、とバーンは背中に担いでいた荷物を地面に放る。
「…わざわざ返しに来てくれたんですか?ありがとうございます」
「馬鹿か、お前は。少しは警戒心を持て」
シンは律儀ですねと感心しながらペこりと頭を下げたリリスを叩き、バーンを睨む。バーンはおっかねぇなぁと呟き肩を竦めて一歩だけ後ろに下がった。
「用が済んだなら、とっとと縄張りに帰ってほしいんだが」
「もう一つある。俺はウチの奴等が粗相を仕出かしたのを謝りにもきたんだ。…悪かったな」
「粗相ってのは、不注意やそそっかしさからなるちょっとした失敗を差すんだぜ?となると、あれか?俺等を仕留め損なったことをわざわざ謝り来たのか」
「違う。これでも本当に悪かったと思ってるんだぜ?完全に監督不行き届きだ」
監督不行き届きねぇ、とシンはバーンの言葉を反芻しながら嘲笑を浮かべた。風が木の葉を揺らし、ざわざわと木々が響めく。
互いに戦う気はないようだが、一向に警戒を解く気配はない。一歩も引かないところを見るに、何が目的か腹の内を探り合っている状況だろうか。
「正直よぉ、あれさえなきゃ、ストラが全面的に悪いなんて考えちゃいたが、少しは疑ってかかるべきだったわ。
昨夜酒場に来た時は気付かなかったが、こいつが捕まってた時、あいつ等を見回したらよ、何だか見覚えのある顔ぶれだと思った。まぁ、昨日酒場にいた奴等なんだから見覚えがあって当然だとも思ったが、よくよく見れば全員指名手配犯じゃねぇか。切り裂き魔に殺し屋、脱獄死刑囚…。んな奴等を自分が経営する宿屋に匿って麻薬で餌付け…いや、薬漬けか――手駒にするなんて考えたじゃねぇの」
「では、あ、あそこにいた人々は全員犯罪者なのですか!?」
「おうよ。全員ビラに写真付きで張り出されてたからな。覚えねぇか?因みに、お前にナイフを突き付けてた奴はあの中でも一番ザコい窃盗犯だ。良かったな、他の奴だったらもうちょっと上手くやる」
そんなこと言われたって嬉しくないですよとリリスはため息を吐く。
シンの言葉にバーンはさも悲しげに眉を寄せて肩をがっくりと落し、哀願するようにシンを見た。対してシンはニヒルな笑みを浮かべ、バーンを見下す。
「おいおい、確かに俺はこんな面だしよ、色々誤解を招きやすいが、それにしてもあんまりじゃねぇか」
「そうか?大体、ストラが攻めてくるってのを知ってて、お前等以外のタバラン住民は全員逃げたんだろ?正直よ、外部にんな情報が漏れてんならストラも奇襲なんて真似はしねぇし、わざわざお前等数十人を倒す為に魔族なんて切り札も使わねぇ。
流石に魔族は予想外だったろうが、ストラが奇襲を仕掛けてくるって情報は情報屋のお前なら掴んでたろうし、それを拡散して市民を追い出すことも可能だった。目的はともかく、ストラ軍を何とかすりゃあ、タバランを自分のものに出来るまたとない機会だ。
聞くところによれば、最近はガーナだけじゃなく、ガーナと同盟を結ぶ軍国にも色々と輸出入をしてるらしいじゃねぇか。向こうが望む情報――例えば、帝国の情報とかを握ってりゃあ薬は簡単に手に入るはずだ。
実際、軍国は帝国の王家の衣服じゃねぇ普通の服を着た町民Cを一目で見破ったし、町民Cはお前の名前は覚えちゃなかったが、過去に傭兵の一人が間者として潜み、帝王に見破られて追放されたっていう話ならしっかりと覚えてたぜ?」
「過ぎたことを持ち出すなんざ中々野暮なことをするじゃねぇか。まぁ、過去が過去だ。疑われても仕方ねぇ。薬を使ったのも認める。だが、あれはあくまで恐怖や痛みを消すための策で、使ったのも今回が初めてだ。加えてタバランを乗っ取る気もねぇ。俺はただ、魔族共に故郷を奪われた人間が人間の為に築き上げたあの街を守りてぇだけなんだ。だからあんた等には本当に感謝してる。頼む!もう一度力を貸しちゃくれねぇか?この通りだ!」
そう言ってバーンはその場に土下座する。シンは黙って剣を鞘に収め、冷めた目でバーンを見てから空を仰いだ。
「ぼーくん、リーズ〜」
「シーーン!見回り終ったぜ〜。あ、ハゲっ!」
ルーナを背負ったフランが木から木へと跳び移っている姿が目に入る。フランは軽やかにシンの隣に着地すると、そこで初めてバーンの存在にようやく気付いたらしく、毛を逆立てて飛び掛かろうとするのをシンが片手で制した。
「おい、町民Cはどうした?」
「途中で合流して、流石に二人は背負えないから置いてきた。そのうち来るんじゃない?」
「ふ、二人とも〜!まっ、待ってよ〜」
フランが言い終わるやいなや、遠くからフィリップが情けない声を上げながら向かって来るのが見えた。フィリップはシン達のところまで走ってくると、シンの目の前で土下座をしているバーンの姿を見て目を丸くして、口をぱくぱくと開閉させながらしきりにシンとバーンを交互に見る。やがて落ち着きを取り戻すと全てを察したように憐憫の眼差しと憫笑を浮かべ、口を開く。
「――……シン、いくらなんでも大の大人にこんな醜態を晒させるなんて流石にやり過ぎじゃない?」
「いや、違ぇし。別に俺が命令した訳じゃねぇからな?」
意外そうに目を瞬かせながらシンから事の次第を聞いたフィリップは、見る見る内に表情を曇らせた。
「投降する気は、ないんですか?」
「何だと……?」
フィリップの提案に、バーンは怒りに声を震わせながら顔を上げる。それを見たシンはフィリップを一歩下がらせ、自分は一歩前に出る。
「もう決着は着きました。正直、戦う理由はないと思うんです。それでも、投降する気はないんですか?」
「投降?投降だと?ストラにタバランを引き渡せっていうのか?人の誇りをかなぐり捨てて魔族に魂売り渡した奴等に、あの街まで壊させる気か!?」
「町民C、言うだけ無駄だ。……もう一度だけ言うぞ、用が済んだならとっとと失せろ。行くぞ」
「え、あ、はい」
踵を返し、その場から去るシンを見てフランは黙って地面に置かれた荷物を回収すると小走りでシンの隣に並んだ。ルーナとフィリップもその後を追いかける。足早に去って行くシンの背中を慌てて追いかけながらリリスは後ろ髪を引かれる思いで、気の毒そうに何度も振り向く。バーンは再び地に頭を付けたまま動こうとしなかった。握った拳がブルブルと震えている。
「……本当に、良かったのですか?」
「過去の遺産より、今を生きる命の方が貴いと俺も思うけどな。あいつがあの街を人類の遺産と言い張るまでの価値を見出だしているが、俺等は違う。価値観の相違だ」
「でも、あのままじゃ、あいつ等十中八九殺されるよ?リリスはそういう意味で聞いてるんだ」
フランにしては珍しく少し険のある声でシンに問えば、シンはグシャグシャと自身の髪を掻きむしりながら深いため息を吐き、フランから視線を逸らす。
「んなもん、言われなくとも分かってる。お前等に何と言われようと、例え恨まれようと、俺はお前の命を危険に晒してまであの街を守る価値を見出だせねぇ。全部抱えて面倒見きれるほど俺は器用じゃねぇし、強くねぇんだよ。悪かったな」
シンは吐き捨てるように言って、拳を握る。悔しさと不甲斐ない自分自身に対する怒りで震える拳は白く鬱血するほど固く握りしめられていた。
――数日後。
行商街タバランが神聖ストラ共和国により占領されたという知らせは、瞬く間に大陸全土を駆け巡った。
これを機に、ノスタジア大陸は後に第二大陸分裂期と称される領土争奪戦が水面下で動き始めていることなど知る由もなく、五人は帝国を目指し、東へと進む。