◇タバラン攻防戦 Ⅵ
炎が揺らぎ、その壁の向こうから浮かび上がるいくつもの影が近付くにつれ、甲冑を纏った時に鳴る特有の足音が不気味に響き渡る。やがて炎を壁を通り抜け姿を現したのは、オーガ、ゴブリン、エルフ――俗に魔族と呼ばれる異形の集団だった。
「魔族…!?」
何でこんなところに、という疑問は彼等の纏う鎧で氷解する。皆一様にストラの青みがかった銀の鎧を纏って立っているのだ。二人が知る由もないが、ストラ軍の纏う銀の鎧は魔力を含む特殊な金属と銀の合成材で作られた魔法防御に特化した代物である。故に鎧は青みを帯び、その美しさから別名『竜の鱗』と呼ばれていた。
シンとフランは彼等の姿を認めると、即座に互いに背中を合わせて武器を構え、相手の様子を窺う。ふと背中越しにじわりと生暖かいものが広がっていく感触に、フランは思わずシンの方を振り向いた。シンの背中は燃えるように熱く、額からは汗がだくだくと流れ落ちている。それが周りの温度によるものだけでないのは明らかで、それでもシンは負傷を感じさせないほどに平然と振る舞っているが、本当は立つことはおろか、剣を構えるのもやっとなのだ。水音をたてて地面に滴り落ちる血がそれを雄弁に物語っている。
ボクがもっと早く加勢に入っていればこうはならなかったかもしれないのにとフランは底知れぬ焦燥感と後悔に歯を食いしばった。
「ノエル指揮官殿。後衛第一班から六班、ただ今到着致しました」
二人の脇をすり抜け、鎧に白のマントを金の留具で留めた利発そうな銀髪のエルフがノエルの前まで歩み寄ると恭しく一礼する。
「ご苦労様です。…現状は?」
「第七班が正門付近、反抗勢力の一派と交戦中。些か到着が遅れるとのことです」
――町民C達のことか。
そう思い、シンは内心舌打ちしていた。援軍が来ることは予想していたが、人間相手ならまだしも、魔族相手、それも複数となればリリスや手練れの防衛志願者が束になってかかったったとしても街から追い出すことはおろか、店から追い出すことすら難しいだろう。早く加勢に行かないと押し負けるな。ともあれ、まずはこの状況を何とかするより他ないか。
「別に操られてるって訳でもなさそうだけど、魔族が人間に与するなんて…」
「世間一般では神聖ストラ共和国の共和は共和制という風に解釈されていますが、それは全くの誤り。種族や過去の因縁の垣根を越え、共に和平を築く…。それが神聖ストラ共和国の理念であり、在り方なのです。これでお分かりいただけましたか?」
「要するに内輪で仲良しごっこって訳か」
「貴様、まだそのような減らず口を…!」
飼い犬が、とシンは鼻で笑いながらシルバを一蹴した。シルバが憤怒の形相を浮かべ、シンに斬り掛かろうとすると、ノエルがそれを片手で制し止めさせる。シンは周りの様子を窺いながら口を開いた。
「黙れ、ぞっこん野郎。お前は斬りかかるしか脳がないのか?おっかねぇなぁ。仮にも和平だなんだとほざくなら言葉で返せってんだ、片腹痛てぇ。和平が築かれているのはお前等の国の中だけだろ。この有様の何処に和平が築かれようとしているのか是非ともご高説いただきたいね」
「前にも言ったでしょう。この街を焼き払うことこそが、何れこの大陸の平和に繋がるのです」
「分からねーな。種族や過去の因縁の垣根を越えるだのほざいてる割には悪人を殺すのか。それ、立派な差別だぜ?」
「分かりませんね。貴方は何故そうも悪を擁護するのです?」
問われてシンはきょとんと心底不思議そうな顔をした。そして困ったように頭を掻く。
「…そりゃあ、俺等が悪だからだろ。どんな理由であれ、この手を血に染めた奴は悪だ。人を殺しておいて自分が善人だなんて言える奴はマジで勇者だよ。アンタはその口か?」
「いいえ。貴方の考えでいうなら、おっしゃる通りこの手は既に血に染まっています。私達神聖ストラ十字軍も何れ、教祖様が忌むべき悪として何れ裁きを受けることでしょう」
なら、どうしてと言葉を募ろうとしたフランを遮り、しかしとノエルは二の句を次いだ。
「しかし、教祖様は紛うことなき善人であらせられます。教祖様の為なら私達は悪に手を…魂を染めることすら厭いません」
「そーかよ。カワイソウな奴らだよな。相反すると分かっていても信念のためにやむを得ずってか?それを理解しちまう自分が嫌になるぜ」
頭を掻きながらため息を吐くシンにノエルは意外そうな表情を浮かべ、やがて顔を綻ばせる。隣でノエルの横顔をちらちらと盗み見ていたシルバは顔を真っ赤にしながらそっぽを向き、悔しそうにシンを睨みつけた。
「堅物だからあんな表情みせたことねぇんだろうな。見ろよ、あいつ妬んでるぜ?」
「うわ〜、負け犬…」
ひそひそと小声でやり取りを交わしていると、ノエルは地面に落ちた甲を拾って小脇に抱え、笑っているんだか泣いているんだか分からないような曖昧な表情を浮かべながらシン達の一歩手前まで歩み寄る。戦意や敵意は微塵も感じられず、その様はまるで迷子のようだ。
「――貴方にも、身命を賭してでも守りたいと思える主君が、そして貫きたい信念があるのですね」
「…あぁ。まぁ、そこまで言うほど大仰じゃないがな。徳があるんだかないんだか、アンタ等んとこの教祖と比べればカリスマ性は皆無だが、善人だろうが悪人だろうが受け入れる寛容さだけが取り柄の奴だ。聖人だ、教祖だかなんだか知らねけど和平だなんだと立派なご高説垂れるなら、善人だろうが悪人だろうが纏めて救ってやるくらいの懐のデカさをみせてみろってんだ」
「………そんなのは世迷言です」
淡々としているが、覇気がない。シンはニヤリと笑い、ノエルを見据えた。
「上等だ。人の上に立つなんざ、そんな戯れ言を実現させてこそその資格があると思わねぇか?確かにあんたの…いや、あんた等のやり方はその正義とか慈愛とかの精神から見れば間違っちゃいるんだろうが、一番合理的だ。
俺の仮主君はよ、くそ頼りねぇし、戦えない…ましてや人なんか殺したことも、その術も心得てねぇ絶滅危惧種だが、人の上に立つのは、国を統べる王は、そういう奴にこそ相応しいんじゃねぇの。俺はそう思うからそいつの代わりに剣を振るってる。でもそれはそいつの主義に反する行為だが、必要なことだ。だが、そいつが出来ないから、俺が肩代わりしているというだけに過ぎねぇ。口先の理想を本気で信じて、いくら平和や命の尊さを説いてもよ、暗殺者なんかが来たら殺すか殺さないかしか道はねぇだろ?話し合いで解決すんなら戦争はおろか殺傷力の高い武器なんてのはこの世に存在しないだろうからな。
だから、きっと全部自己満足なんだろう。…あんたもそうじゃねぇのか?」
「わ、私は…」
――ノエル、この哀れな信徒を救ってやりなさい。……殺すのです。
あからさまに動揺を表し目線をさ迷わせ、違う、違いますと呟くノエルを、フランは篭の鳥なんだなと呟きながら哀れむようにノエルを見る。シンは畳み掛けるように更に言葉を続けた。
「それだけじゃねぇ、俺の周りにいる奴全員、そしてこの世の善悪関わらず全ての美人を俺は守りたい。それは他の誰の為でも、命令でもなく、俺自身の為にな。それが俺の信念だ」
「…では、我々は相容れぬ同志なのですね。美人のくだりを除いて」
「一緒くたにされたかねぇが、平たく言えばそうなんだろうよ」
そうですか、とやはり喜んでいるのか悲しんでいるのか分からない曖昧な表情でノエルは微笑んだ。そして小脇に抱えた甲を被り、シンの方に向き直る。
「…今一度名乗る機会を与えましょう」
「だーかーら、フライド・マッシュポテトだって言ってんだろうが」
「私は神聖ストラ共和国創始者ルーク・シャリマの娘ノエル・シャリマ。…名乗りなさい、暴君勇者」
「帝国直属二代目勇者、シン・キリタニだ」
互いの視線が交差する。やがてノエルは踵を返し、シンに背を向ける。そして首を少し傾けて鎧の隙間から横目でシンを見据え、言い放った。
「貴方のその肩書きに免じて一旦此処は退きましょう。次、相まみえる時は共に死力を尽くし剣を交えることとなるでしょう。それまで精々腕を磨いておきなさい。…行きましょう」
「はっ!」
「「お前も少し鍛えとけよ〜」」
「貴様等だけには言われたくないっ!」
「俺、お前が相手なら瞬殺出来るわ」
「ボクもトドメは刺せなかったけど、あと一歩というところまでいってたし」
「…〜〜ッ!!次こそは必ず殺す!」
憤慨したシルバは、ぜぇぜぇと荒い息を吐き、やがて勝ち誇ったように「今回は特別に見逃してやるんだからな」と鼻を鳴らしてノエルの後に続く。魔族の面々は何も言わず彼等の後に付き従った。
炎の向こうに去っていくその姿を見届けた後、喉の奥から搾り出すような苦悶の声を漏らし、シンは力が抜けたようにその場に崩れ落ちた。そのまま倒れそうになるのをなんとか剣を地面に突き刺して防ぎ、もたれるようにしてしばらく動かなかった。
「シンっ!大丈夫!?酷い出血じゃん!こんなことならリリスに治癒魔法習っておくべきだった…」
「大丈夫だ、見た目ほど大した傷じゃねぇし、唾つけときゃすぐ治る」
そうは言っているが、シンの顔は青白く、生気を感じられない。額にはびっしょりと脂汗をかき、さらに立ち上がれないのか、シンはずっと片膝を地面につけたままだった。そのせいで自らが作った血溜まりをズボンが吸着してどす黒く変色している。
「…どうする?裏門の加勢とやらを、ボクら一応任されてるわけだけど」
歯痒さに親指の爪を噛みながらフランは魔族達がやって来た炎の壁の向こうに垣間見える倒壊した居住区を複雑な面持ちで見つめ、振り向いてシンに尋ねた。シンは深いため息を吐いて首を横に振る。問うまでもないと言うように。
「わざわざ死体の鮮度を確認しに行く暇はねぇよ。フラン、お前は先宿に戻って町民C達の加勢に入ってくれ」
「…シンは?」
「この傷の手当て済ましたら直ぐに追いかける」
医療道具も無しに手当てをすると言っても、傷の具合からして布を巻いて止血を施せばいいという問題ではないというのはフランにも何となく分かる。
「無理だよ!そんな状態で宿屋に戻って加勢に加わったとしても、たかが知れてる。ならせめて傷が開かないようボクが抱えて、宿に着いたらリリス達に治してもらおう?それまでボクがあいつ等の注意引き付けるし、もしかしたら退却命令が既に出てて、いなくなってる可能性だってあるかもしれないじゃん。何もこんなところでどうにかしなくったって…」
「ありがとな。けど、俺の心配はいい。それよりもあいつ等の方が多分今の俺よりヤバいだろうから、早く行ってやってくれ。頼む。今の俺じゃまともな戦力にならねぇし、お荷物だ。この傷じゃ治癒魔法とやらでも治るまでに時間がかかるだろうし、向こうが撤退したからといって素直に退くかは分からねぇ。一旦、裏門を出て魔具なり魔法なり使ってさっさと表に回って反抗勢力を根絶やしにする可能性もある。お前はともかく、俺が魔法を使えないってことは多分バレたと思うからな。しかもこの傷じゃすぐには動けねぇから、潰すなら早いに越したことはないだろ?」
な?と駄々をこねる子供をあやすような優しい口調で言い聞かすシンに、フランは浮かんだ涙を腕でごしごしと拭って、着ていたフードのついた赤のマントを脱ぐと、何やってんだと狼狽するシンに強引に纏わせた。
「ボクのお気に入りなんだから、ちゃんと返してよね」
「なら要らねぇよ。別に寒くねぇし、暖炉はそこら中にあるしな。せっかくのお気に入りが血で汚れるのは間違いないんだぞ。もしかしたら燃えるかもしれねぇし…」
「別に汚れようが燃えようが構わないよ。お守りだもん。だから、ちゃんと返しに来てね。もしあまりにも酷かったらシンに買い直してもらうから」
おいおい…と呆れ顔で笑うシンの目をじっと見てからフランは安心したように微笑んだ。
「…きっと、シンを守ってくれるよ。じゃあ、先行ってるから!」
そう言ってフランは迷いを絶つように振り向きもせず、駆け出した。肩まで伸びた金髪が風を受けて後ろに流れ、炎を反射してキラキラと輝く様を遠目で確認して、シンは剣を支えに何とか立ち上がる。
「…さて、さっさと治して後追い掛けるか」