#008「アンコ勝負」
街の子供たちと出会って一年たったある休日。
その日は、マルコとフォキアの提案でチャンバラで遊んでいた。子供たちが元気よく外でチャンバラ。なるほど、聞くだけなら微笑ましい光景かもしれない。だが、やってる本人たちは真剣だった。正確に言えば、マルコとフォキアが木の棒を使って殴り合いの喧嘩をするところを、俺たちが見守っていたのだ。
マルコとフォキアはよく喧嘩をした。いつも些細な事で言い争いになり、口喧嘩になり、最後はこぶしが行き交う。
今日はプレボーという、野球にゴルフとゲートボールを足したような遊びをしていた。プレボーをするために、皆木の棒を持っていたのだが、これが喧嘩を始めた二人にとって恰好の武器となったのだ。
いつものように、発端は些細な言い争いだった。
「だからよ、果実水なら林檎が一番だろ?林檎が一番甘くてうまい」
「はぁ?
果実水ならレモンでしょ。
口がスーッてなって、スッキリするし。レモンが一番で決定」
「そんなにスッキリしたいなら、
池に顔つっこんでろよ。冷たいし、スッキリすんぞ」
「意味不明。マルコがやったら?
てか、甘くてうまいとか、お子ちゃますぎて笑える」
「あ?
何大人ぶってんだよ、チビ」
「うっさいな、野蛮人」
二人は木の棒をお互いに突き出し、「決闘だ!」と宣言した。マルコとフォキアの喧嘩は何度も目撃している。だが、今回は両者ともに武器を携えている。まずいんじゃないだろうか。
「大丈夫ですよ」
深刻そうな俺の顔を察して、ロノウェが言った。
「今までも、棒を使った決闘をやっていますが、大怪我したことはありませんよ」
ロノウェもヴィーネも、心配するどころか、うんざりした顔をしていた。またか、と言わんばかりの表情である。アギレットだけは不安そうな顔をし、オロオロしていたが、気弱なこの子は、棒を使わない喧嘩でも、ただの口喧嘩でも、いつも同じ反応をしていた。
「頭に一撃叩き込んでやるよ、チビ。
もっとチビにしてやる」
「チビっていうな。野蛮人。
ボコボコにするぞ」
「やれるもんならやってみろ、チビ!」
「チビって言うなつってんだろ!」
決闘が始まった。
子供にしてはガタイの良いマルコと、子供にしても女にしても背が小さいフォキア。両者はしばし睨みあっていたが、すぐに痺れを切らしたマルコが、フォキアに一撃を入れた。マルコは宣言どおりにフォキアの頭を目掛けて棒を叩き込んだのだが、反応の早いフォキアが棒で受け止める。
「マルコもフォキアも実力が拮抗していますからね。
大怪我しない代わりに勝負もつきづらいんです。
多分、今日も引き分けですよ」
冷静に解説するロノウェ。彼もよくマルコと口喧嘩をしていたが、フォキアと違って手を出すことは決してなかった。負けることがわかっていたからである。
ロノウェによれば、マルコに喧嘩で勝てるのはフォキアだけとのことだ。
決闘は続く。
マルコが一方的に攻め、フォキアがそれを受け止めていた。いや、よく見ると、受け止めているというより受け流しているようだ。頭上に降ってくる棒をそらすようにはじき、同時にそらした側と反対方向に体を動かしている。体重移動を行っているようだ。
「フォキア、凄いな」
「さすがシトレイ様。やはりお分かりですか。
一見、ガンガン攻撃を繰り出すマルコの方が強く見えますが、
綺麗に受け流すフォキアの方が腕は達者です」
とその時、マルコの攻撃を受け流したフォキアが、体重移動から大きく斜め前に踏み込み、マルコのわき腹に棒を叩き込んだ。パシッと大きな音が響く。クリーンヒットだ。
「いってえぇ!」
「勝負あったね、野蛮人。
さぁ、惨めに這いつくばって命乞いをしな」
「なんだと、チビ……」
ロノウェの予想とは反して、今日はフォキアの勝ちだろうか。いや、一度地面に膝をつけたマルコが、わき腹をさすりながらも立ち上がる。勝負はまだまだ続きそうだ。
だが、決闘は予想外の外野の乱入で中断となった。
「なんだ、マルコ、お前、女に負けてるのか」
聞きなれない声がした。声がした方に振り返ると、十人前後の少年たちが立っている。
「兄貴」
声の主はマルコの兄のようだ。マルコは五人兄弟の真ん中で、上に二人の兄がいると聞く。声の主はその二人いる兄のどちらかのようだが、大柄なマルコに対して背は低く、とてもマルコの兄とは思えなかった。
「兄上」
マルコの兄だけではなかった。突然乱入してきた集団の中には、俺の兄アーモンの姿もあったのである。よく見れば、少年たちの中には兄の小姓たちもいた。この少年たちは、兄の友人たちなのであろう。
「シトレイか。
ここで何をやってるんだ?」
「決闘を。いや、最初はプレボーをしていました」
街の北側に位置する空き地。プレボーをするにはうってつけの広さを持っていた。広さだけで見るなら、いつも集合場所にしている街の中央広場も適しているが、あそこは池があってボールを飛ばし合うには心もとない。立ち並ぶ商店の店員からも良い顔はされない。
だから、プレボーをするなら、この空き地こそが絶好のグラウンドとなる。兄たちも棒を持っていた。考えることは同じらしい。
「俺たちも、プレボーをするんだ。
喧嘩するならここじゃなくてもいいだろう?
出てってくれ」
俺も兄も、普段の一人称は「私」である。だが、兄は「俺」と言った。
「はぁ?あんた、誰?」
兄の態度に、最初に噛み付いたのはフォキアだった。
「俺は、そこにいるシトレイの兄だ」
「へぇ、ご領主様の息子様ですか。
これはこれは、失礼しましたー」
フォキアの口調は、明らかに相手を煽っている。直前までマルコと死闘を繰り広げていたためか、気が立ってるようだ。フォキアは眉をピクピクさせていた。イラついているのが見て取れた。
「でも、最初にここで遊んでいたのはあたしたちですから。
あたしたちが出て行く必要ないですよね。
もう決闘も終わりましたんで。今からプレボーやるんで、出てってくれますか?」
「そうだ。決闘は終わった。
アーモン様も、兄貴たちも、邪魔だから出てってくれよ」
マルコがフォキアに加勢した。先ほどまで決闘を続ける気満々だったマルコだが、いとも簡単に意見を翻した。フォキアを叩きのめすよりも、部外者の排除こそ優先すべきと考えたらしい。
しかし、まずい展開だ。
俺は兄アーモンとあまり仲が良くない。マルコやフォキアが、アーモンのことを気に入らないのはわかる。俺だって兄は嫌いだ。兄弟の間であまり会話がないのだが、俺のことを疎んじていることは知っている。だが、ここで衝突してもらっては困る。マルコやフォキアと違って俺は兄と毎日顔を合わせるのだ。
「俺は領主の息子だぞ」
「だから何?
領主様本人の命令なら、従うけど、あんたはただの息子じゃん。
あんたの命令を聞く義務ないし」
「無礼者め!
じゃあ、何で、お前たちはシトレイの命令を聞いているんだ?」
「シトレイの命令?」
「何でシトレイの遊び相手をやってるんだと聞いているんだ!
シトレイの命令を聞いているのなら、兄である俺の命令も聞くべきだ」
「シトレイと遊んでるのは命令されているからじゃないし!
あたしたちは、シトレイと遊びたいから遊んでるだけだし!」
どうやって彼らを止めようかと、考えあぐねていた俺だったが、フォキアの発言で態度を決めた。
「兄上。
フォキアの言行は無礼ですが、言っていることは間違っていません。
この空き地を使っていたのは、我々の方が先です。
出て行くのは兄上です」
「シトレイ……」
兄の顔が暗くなった。怒りに満ちている顔だ。俺はそんな兄を睨み返す。兄はすぐに目をそらした。俺は笑っていても怖い顔、いや怖い目つきの持ち主なのだ。こういう時こそ真価を発揮する。
このまま押し通せるかもしれない、と思ったが、その見通しは甘かった。
兄は黙ったが、その取り巻きが出しゃばってきたのだ。その筆頭はマルコの兄だった。
「おい、女、さっきからなんだ、その態度は!
アーモン様は将来の領主様だぞ!お前、この街に居られなくなるぞ!」
周りの取り巻きたちも騒ぎ立てる。多勢に無勢だ。だが、フォキアはそのことを気にする様子もなく、言い放った。
「いいよ、あたし、シトレイの家来になるから。
そこのワガママ男が領主の街で暮らすなんて、こっちがごめんだし。
シトレイがどっかの領主になったら、あたしはそれについてくから」
どうやら、フォキアの人生設計が固まったらしい。ロノウェが上から目線で「第一の側近は僕だ!」と喚いていたが、フォキアなら大歓迎だ。
「だったら、今すぐ出てけよ!
クソッ、おい、マルコ、お前はどうなんだよ!
アーモン様に逆らって街から出てくか!?」
フォキアを言い負かすことを諦めたマルコの兄は、標的を自分の弟に変えた。だが、弟も弟で兄に屈するつもりはないようだ。
「俺は街からも空き地からも出ていかねーよ。
間違ってるのはそっちだろ」
「なんだと、弟のくせに。
そこのチビ女に負けてたくせに!」
「あ?」
低い声で相手を威嚇したのは、マルコではなくフォキアである。
「チビ」という言葉を聞いたフォキアは、しっかりと棒を握っていた。今にもマルコの兄目掛けて襲い掛かりそうな勢いだ。
「なんだ、やるのか?
アーモン様に逆らうのか?上等だ」
マルコの兄の言葉を合図に、兄の取り巻きたちも持っていた棒を構える。
もはや一触即発だ。
「将来の領主様であるアーモン様に逆らう奴らだ。
こいつらは反乱軍だ!戦争だ!」
兄と決定的に対立することに決めた後でも、俺はどうにかこの状況を軟着陸させることができないかと考えていた。目の前の口喧嘩をよそに、その方法を考えていた時、マルコの兄がうまいことを言ってくれた。これは「戦争だ」と。俺は、マルコの兄が放った言葉に乗っかることにした。
「どうです、兄上。
アンコで勝負しませんか?」
「アンコ?」
「そうです。兄上の友人が仰るに、これは戦争らしいので。
アンコならふさわしいでしょう?」
アンコは、中身はケイドロだが、戦争を題材とした遊びだ。
「こっちの方が人数は多い。
この人数なら、お前達をこの空き地から叩き出せる。
わざわざアンコで遊んでやるメリットがないのだが」
「メリットはあります。
アンコではなくて、乱闘なったら、兄上の身が危険です。
マルコは見てのとおり喧嘩が強いし、フォキアはそのマルコと同じぐらい強いのです。
怒り狂った二人を止めることは、私にはできません」
マルコとフォキアは棒を構え、兄たちを威嚇している。結局、いくつかのルール変更を条件に、兄は俺の提案に乗った。
============
空き地の使用権を賭けたアンコが始まった。兄がルール変更を要求してきたがために、普段のアンコとは異なるルールでの戦いとなる。
まず、泥ダンゴは使用不可。服が汚れるのは嫌だ、という兄の希望を容れてこのことだ。
人数は六対十。
普通、チーム分けは対等な人数か、もしくは一人差ぐらいまでが許容範囲だ。だが、チームを決めなおすことは、そもそもこのアンコをやる意味をなくしてしまう。これは俺たちと、兄たちの戦いなのだ。また、兄の側の人数をこちらの人数に合わせて減らすよう頼んでもみたが、兄が難色を示したため、それ以上しつこく頼むこともしなかった。
一本勝負で制限時間は三十分。
そして、こちらが「コ」で、向こうは「アン」。少ない人数で大勢に追われることとなる。「コ」である我々の方が圧倒的に不利だ。だが、この条件も飲んだ。
なぜ、ここまでの譲歩をしてでも、アンコでの勝負に拘ったか。
それは、乱闘騒ぎになってしまったら、絶対に兄が怪我すると思ったからである。兄や兄の取り巻きたちのほうが年上ではあったが、マルコやフォキアに勝てるとは思えなかった。
別に兄の身を心配しているわけではなかった。だが、兄が怪我すれば、そして、喧嘩を売ってきた方の兄が負ければ、俺たち兄弟の間に修復不可能な溝ができることは明白だった。兄に怪我を負わせれば、直接俺がやったわけじゃなくとも、父や母に怒られるのは俺になる。
アンコでの勝負なら、遊びの中での出来事で済ませられる。
「おい、勝てるのかよ、これ」
ルールを聞いてマルコが唸った。
マルコにしてみれば、こんな条件での勝負よりも、乱闘に討って出た方がいいだろう。しかし、俺だって自己保身だけでアンコに拘っているわけではない。
「勝算があるんだ」
俺は五人に、考えた作戦を伝えた。
============
三十分後。
俺たちは勝った。面白いように、俺の考えたとおりとなった。
まず、開始早々アギレットが捕まる。捕虜の見張りについたのは一人。そこへ、すぐにマルコが突進し、見張りを突き飛ばしてアギレットを救出する。突き飛ばした際に相手の体に触れはしたのだが、タッチされたわけではない。だからセーフ。
明らかな暴力だったが、アンコでの暴力禁止は俺たちのローカルルールだ。兄との条件交渉でも突き飛ばし禁止は決められていない。
突き飛ばされた見張りはマルコに抗議したが、「そんなルール知らない」と一蹴し、マルコとアギレットは逃げた。数分後、アギレットは再び捕まる。今度は見張りが二人に増えたが、一人だろうが二人だろうが、マルコの強力な突進力の前には意味を成さなかった。
結局、三度アギレットが捕まった後、警戒した兄側は見張りに三人割り当て、さらに一人をマルコ捕獲(あるいは突進を警戒しての監視)のために送り出すはめとなった。
次に、ロノウェ。
最初、逃げるそぶりを見せたロノウェだったが、三十メートルぐらい走ったところですぐに捕まってしまった。だが、妹の次に早々と捕まったロノウェだったが、彼は捕まった場所から動かなかったのである。
捕まえた少年は応援を呼び、加勢した少年と二人でロノウェを引っ張るが、ロノウェは頑として動かない。
そうこうしているうちに、ロノウェは二人の少年を煽り始め、口喧嘩が始まった。言い争いに持ち込めば、口達者なロノウェの独壇場である。二人が完璧に激昂するのを避けつつ、延々ネチネチと悪口を並べたて、気づけば三十分間、ロノウェひとりで相手二人を釘付けにすることに成功した。
次に、ヴィーネ。
彼女は普段俺たちとアンコする時もそうなのだが、足が速く滅多に捕まらない。兄側の少年と一対一で追いかけっこをしていたのだが、走れば走るほど距離を引き離す。兄側は応援を呼び、二人で、時には挟み撃ちなどを使い、ヴィーネを追い詰めるのだが、その度にヴィーネは速度を生かしてすり抜けるのだった。
やがて、兄側はヴィーネを捕まえることを諦め、他の人間を捕まえようと離れていったが、ヴィーネは自分から相手が離れると、わざと近寄り、挑発した。そして、追いかけっこが再開するのである。
ヴィーネは三十分間、一人を、時には二人を相手に逃げ続け、結局一度も捕まることがなかった。
次にフォキア。
彼女も、ヴィーネほどではないが足が速い。しかも、追いつかれそうになるとわざと足を止め相手を睨み、脅迫した。「さっきの喧嘩、あんたたちも見てたでしょ?あたし、マルコより強いんだけど」と言って、こぶしを構える。
相手が怯むとすかさず逃走し、また距離を稼ぐ。
時にヴィーネ捕獲を諦めた二人が合流し、三対一になったこともあったが、今にも襲い掛かりそうな迫真の演技で相手を威圧し、危機を切り抜けた。いや、演技ではなかったのかもしれないが。
彼女は制限時間が近くなると、意を決した兄側の少年によって捕まってしまったが、すぐにマルコの突進によって救出された。
最後は、俺。
アギレットとマルコで四人、ロノウェで二人、ヴィーネで二人、フォキアが一人(時には三人)を相手することに成功したおかげで、俺の相手は一人で済んだ。
そう、残る一人、兄アーモンである。
最初、「コ」の役割を忠実に果たしていた俺だが、俺は体力がない。五分も走り続けると途端に息を切らした。兄は、俺が息を切らしたことを確認すると、なにやら「兄より優れた弟など存在しない」と気の利いた台詞を口にし、ゆっくりと近づいてきた。
作戦どおりに進むことを何よりも優先するならば、俺は兄を釘付けにしなければならない。
俺は逃げるのをやめ、息を整えると、限界まで眉間に皺を寄せ、ガンをつけてやった。
兄は目をそらし、青い顔をしている。明らかに俺の顔に対し、恐怖している。
「な、なんだよ、その目は」
「別に。
私が生まれてからずっとこの目つきなのは、兄上もご存知でしょう」
俺は丁寧な口調を崩さなかったが、なるべく威圧するよう、ずっと兄を睨み、低い声色で答えた。
「だいたい、こんな目つきのやつなのに、
なんでお前ばかり父上や母上に褒められるのだ」
やっと兄の本音が聞けた。想像どおり、ただの嫉妬だったが、九歳の少年にとっては割り切れるような問題ではないのだろう。いや、大人になってからでも割り切れるかわからない。
前世では、優秀だった兄に比べられていた俺は、反発しつつも「兄さんは俺より出来の良い人間だから」と諦観していた。
だが、妹が公務員試験に受かったと聞いたときは、素直に受け入れることができなかった。塾講師とはいえアルバイトだった俺を尻目に、妹が成功した事実は俺のプライドをズタズタに引きちぎった。
アーモンには同情する。公正な競争の末の優劣ではないのだ。七歳児の俺――シトレイの中身は三十二歳だ。少し後ろめたい気持ちにもなる。
だが、同情があろうと、後ろめたさがあろうと、空き地を譲ってやる義理はない。兄弟としての義理はあるし、目上でもあるから、俺一人の譲歩なら考えるが、マルコやフォキアへの義理の方が、俺には大事だった。特に、フォキアは俺と一緒に遊びたいと言ってくれた。
「確かに、私ばかりが褒められているのかも知れません。
ですが、疑問を持っているのなら、父上や母上に直接伺ったらどうですか?」
「何……」
「なぜ、弟ばかり可愛がるのですか、と。
質問したらどうですか?私は疑問に思ったことはすぐに質問します」
仮に、俺が勉強できない子供だったとしても、好奇心旺盛な子供の方が、食事をしていてもほとんど黙っている子供よりも好かれるはずだ。賢くないと自覚してるなら、勉強熱心でもないのなら、せめて勉強熱心な素振りや好奇心旺盛なふりぐらいしてみせろ。さすがに、そこまでは口に出さなかったが、俺は自分の想像以上に兄のことを嫌っていることに初めて自覚を持った。
「おい、時間過ぎたぞ!
俺たちの勝ちだ!」
マルコの大声が空き地中に響いた。兄はチッと舌打ちすると、自分の取り巻きが集まっている場所へ足を向けた。
この時点で捕まっていたのはアギレットとマルコのみ。
マルコはフォキアを逃がす際の突進時に、勢いあまって豪快に転倒し、そのまま捕まったらしい。
ともかくも、六人中四人が生き残ったのだ。大勝利だ。
============
「おい、マルコ、お前の突進は絶対に反則だろ!」
勝負がついた後も、マルコの兄は弟に噛み付いた。ルール上、突進禁止と決められてはいなかったが、負けた方からすれば納得はできないだろう。
「負けたからって、吠えるなよ」
「なんだと!」
「おい、もういいよ」
マルコの兄を嗜めたのはアーモンである。先ほどの、俺との言い争いからアーモンの顔は暗い。
「どうせ、もうプレボーする時間もないし。
今日は、もういい」
そういうと、アーモンは空き地から出て行った。マルコの兄を先頭に、取り巻きたちも慌て出て行く。
「やったな、俺たちの勝ちだ」
マルコは意気揚々に勝利宣言を行った。
「まぁ、あんな雑魚に負けるはずないけどね」
フォキアも、決闘前や決闘を中断された直後の顔と違って、機嫌が良さそうだ。
「シトレイ様、見事なご采配でした」
ロノウェはいつもどおり俺を持ち上げた。アギレットも兄に同意し頷く。いつも、ロノウェ以外の連中はロノウェが俺をヨイショする時うんざりしてスルーしていたものだが、今回はロノウェに続いて俺を褒め称えた。
「確かに、あの人数相手に勝てたのはシトレイの作戦のおかげだよ。
最初にアンコした時もそうだけど、シトレイは参謀向きだね。センスがある」
フォキアに褒められた俺は嬉しくなった。マルコをはじめ、他の皆も、俺を名参謀だとはやし立てた。
「皆の得意なことは知っていたし、それを武器にできた。
皆思った以上に働いてくれたからね。
あとの人数差は単純な引き算さ。勝てたのは皆のおかげだよ」
兄との対決に奮起したのも、思えばフォキアの発言のためだ。もしかして、フォキアは俺に気があるんじゃないか。赤毛と青い瞳を持つフォキアは、小柄で可愛い。こんな外見なのに、性格がワイルドで、そういうギャップも心躍る。俺としては言うことがない。
と思ったところで、俺は兄の顔を思い出した。ガンを飛ばす俺に恐怖した兄の顔を。
また、ブサメンがちょっと褒められただけで勘違いするところだった。
危ないところだった。
============
その日以来、俺と兄との会話は今まで以上に減ってしまった。俺の提案どおりアンコでの勝負となったのだが、兄との決定的な対立を回避する、という目的は果たせなかった。
これは、もう修復できないかもしれない。
家族への情が薄いと言われればそれまでだが、俺は、前世での家族ともギクシャクし、そして家を出た。その挙句、和解できないまま事故死してしまった。しかし、後悔がないと言えば嘘になるが、仕方ないと思う気持ちの方が強い。
前世での家族とのように、今生でも、兄と和解することはできないかもしれない。それも仕方ないと思う。少なくとも、せっかく得ることのできた友情を犠牲にし、兄の機嫌を取ろうとは思わない。
仕方ない。
諦めた俺は、兄と顔を合わせることをなるべく避けるようになっていった。