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異世界でも現実は厳しい  作者: 懐中電灯
西部方面軍編
78/79

#077「死にたがり」

7月23日投稿分 1/2


~前回までのあらすじ~

命令を無視した部下を追うロゼ。

それを追うシトレイ。

気づけばサミンフィアへの撤退に失敗し、森の中で息を潜めるはめになってしまった。

 鬱蒼(うっそう)と生い茂る木々。

 夜の森の中、俺たちは火も焚かずに息を潜めていた。

 頼りになるのは木々の間から差すわずかな月明かりと、遠くに見える松明(たいまつ)の群れだけだ。

 あとは真っ暗で、数メートル先はまるで別世界へ通じているかのように黒く、深い。


 遠くに見える松明の灯りは、一つひとつは小さな点だったが、数は多かった。

 その灯りの群れが随分と暖かそうに感じる。

 そう感じるのは――今、自分が身を置く夜の森が冷たく感じるのは、おそらく気温のせいだけではない。


 正式な軍人になり、西部国境に配属されて四ヶ月と少し。

 コルベルンとの初戦闘において、俺は四人の部下を失うことになった。




============




 先頭を行くロゼに追いついた我が隊は、そこで十倍以上の敵と既に討ち取られた四人の部下たちに出くわした。


 俺たちは(いくさ)をしている。

 一人の犠牲も出さずに勝てるとは思っていない。むしろ、死者が出て当たり前の行為に身を投じているのだ。そんなこと、軍人になる前からわかっていたことだ。


 しかし、いざ味方の死を目の当たりにして、ショックを感じずにはいられなかった。戦死したのは俺への悪態を隠さない反抗的な部下だ。正直に言えば、嫌な奴らだった。それでもショックは大きい。


 俺は指揮官だ。彼らの死が彼ら自身の判断に拠るところが大きかったとしても、最終的な責任は俺に帰される。

 どこかで指揮を間違わなかったか。命令の徹底を心がけるべきではなかったか。後悔が押し寄せてくる。


「……皆殺しにしてやる」


 仲が悪かった俺ですらショックを覚えたのだ。戦死した十人隊長たちと親しかったロゼは、ショックと同時に怒りを感じたのだろう。

 槍を構え、今にも馬に鞭を入れそうな勢いである。


「待て、突っ込んだら死ぬぞ。ここは引け」

「かまわないさ!」

「君が突っ込めば、君を慕う兵たちも後に続くだろう。

 たとえ君が一人で突撃すると言ってもだ。

 そうしたら、皆死ぬ。

 私がわかることを、君がわからないわけじゃないだろう!?」

「……クッソ」


 歯軋りをし、血走った目でロゼは敵を睨む。


「青地に黒蛇の紋章、白文字でⅣ。

 覚えたよ!」


 睨み、敵の大隊旗を確認したロゼは吐き捨てるように(つぶや)いた。


「撤退だ!」


 いかにこちらが機動力に勝る騎兵であろうとも、十倍の数を擁する敵を相手にしては勝負にならない。

 ロゼを抑えた俺たちは、戦友の遺体を収容することも叶わないまま、即座に反転しサミンフィアを目指した。




============





 味方の犠牲が、先ほど暴食獣(ベヘモス)を殺しつくし、意気揚々としていた俺たちの気持ちをどん底に突き落とした。

 それでも状況が、感傷に浸る余地を与えてくれなかった。


 まずはサミンフィアへ撤退することが何よりも優先される。

 そして、その後に繰り広げられるであろう篭城戦を耐え抜く。

 現状の、三十騎程度の戦力では話にならない。サミンフィアへ撤退し友軍と合流することこそ肝要だ。

 生きて戦い抜けば、弔い合戦に臨む機会も持てるだろう。俺たちは何としてでも、サミンフィアへ戻らねばならないのだ。


 しかし、一度悪いことが起きると、一つボタンを掛け違うと、次から次へと悪いことが起こるのが世の常である。


 サミンフィアへ向かって東へ逃げる途中、俺たちはすぐに敵の別部隊と出くわした。

 目算だが、今度も十倍以上の敵だった。

 当然、戦っても勝ち目はない。

 俺たちは敵を避け、迂回して撤退行を続けた。


 悪いことは次々と起こり、状況はどんどん悪化していく。


 撤退行を続ける俺たちは、何度も同じように敵の大部隊と出会い、その都度戦闘を避けて迂回した。

 敵の展開は思ったよりも速いようだ。


 同じような場面が続き、俺は自分の見通しの甘さを思い知り、また後悔した。

 サミンフィアまでわずか一キロ程度の距離だというのに、俺たちは戦闘を避けてぐるぐると戦場を右往左往し、終いには数時間かけて元いた森の中へと逃げ込んだのである。




============




「伯爵様」


 静かな森の中。

 ふと、すぐ後ろから声がした。

 声がした方を見ると、先ほどまでは無人だったはずの後方に女が一人現れ、(ひざまず)いて(こうべ)を垂れていた。


「ご苦労様。

 どうだった?」

「前方に見える敵の数はおおよそ五百人です。

 宿営陣を築いていますが、簡易的なものに見受けられました。

 おそらく、敵はあの場に恒久的な陣地を築く意図はないと思われます」


 敵陣に探りを入れてきたのは、我が家の隠密である。

 アギレットの下に付いている三人のくノ一たちの一人だ。


「ということはやはり、あそこにいる連中の目的は私たちか」


 十中八九そうだろうと思っていたのだが、あらためて確証を得ることができた。

 森の外、暖かそうな松明の下で野営を行っている敵軍は、たまたま居合わせたわけではなく、俺たちを仕留めるためにやってきた一団ということだ。

 敵はサミンフィア攻城を行うにあたり、背後の憂いを断つために、我々のような小部隊であっても見逃すつもりがないらしい。


「しかし、灯りが見えるのはあの一帯だけだ。

 囲まれているわけではないのだな?」

「はい。

 周囲に伏兵等もいませんでした。

 あそこにいる五百人以外は、全てサミンフィアの前に陣を敷いているようです」


 どうやら、敵は俺たちが森の中へ逃げ込んだことは把握しているようだが、俺たちが森のどこに潜んでいるかまでは知らないらしい。

 五百人で広い森を包囲することは不可能である。

 だから、敵は俺たちの夜襲に備え、固まって陣を敷いているのだ。


「朝までは安全だな」


 彼らが俺たちを血祭りにあげるため森に入ってくるのは、日が昇ってからになるだろう。

 闇夜に、敵が潜む森の中へ兵を進めるほど愚かではないはずだ。


 逆に、俺たちの命は日が昇るまで、とも言える。


「伯爵様」


 もう一人、女が現れた。

 我が家のNINJA三人衆のうちの二人目である彼女には、サミンフィア周辺の状況を探ってもらっていた。


「サミンフィア城壁前の敵は、まだ包囲陣を完成させていません。

 おおよそ四万人以上の大兵力が集結していますが、各々が野営を行っているようで、秩序だった動きができているとは言いがたい様子でした」

「どういうことだ?

 普通ならば夜通しで塹壕と木柵を築くものだが」

「各々の隊旗はコルベルン王国正規軍のものでしたが、兵装にバラつきがありました。

 おそらく、敵は傭兵を用いて数を揃えてきたのではないかと思います」


 ふうむ。

 我が軍は八年前の戦いで多くの人員を失ったが、それは敵も同様であるということか。うちは万年人手不足だが、向こうも事情は似たようなものなのだろう。

 それなら、わざわざ無理して攻め込んでこなくてもいいだろうに。


 我が軍も傭兵を用いることがあるが、それは補助兵という形での採用だった。

 傭兵を用いることがあっても、主戦力に据えることは決してない。

 その理由は指揮系統の統一や兵の練度が保てないためである。


「それで、森の出口は?」

「森の出口付近にも敵が野営していましたが、やはり、まだ柵は築いていませんでした」

「そうか」


 報告を聞いて気が楽になった。

 余裕が生まれた。


 この森はサミンフィアから見て左手、南方を覆うように広がっている。森の出口――サミンフィアに一番近い森の東端は封鎖されていない。であれば、森の中を進んでサミンフィアまで近づくことができる。


「敵は馬鹿だな」


 もし、敵の全部隊が正規兵で構成されており、経験豊富な士官なり兵士なりが森の出口付近に割り当てられていたら、こんな隙は生まれなかったであろう。

 包囲陣の完成を何よりも優先し、森の出口はとっくに封鎖されていたに違いない。


 しかし、こちらにとっては幸いながら、敵部隊の中身は傭兵である。

 傭兵は戦闘参加と、敵の首級を挙げることによって報酬を貰う。夜通しで包囲陣を築いたところで、報酬が上がるわけではないのだ。カネにならない仕事を、寝る間も惜しんでやる人間などいるはずがない。


 傭兵は、個々人の戦闘能力や、小隊規模の部隊運用には長けているかもしれないが、全体を見渡す視点と連携には欠けているように見える。


 敵は傭兵を使うデメリットよりも数を揃えることを優先してきた。

 そのことが、俺たちにはプラスに働く。


「もしかしたら、あそこにいる五百兵を我々の討伐に向かわせて安心しているのではないでしょうか」

「ああ、そっか」


 おっと、いけない。

 調子に乗ってはダメだ。


 三十騎の小部隊を追うのに五百の兵を出してきたのだ。

 普通ならそれで安心する。逆の立場だったら、俺でも安心するだろう。


 こうやって余裕を感じ敵を馬鹿にできるのは、森の出口が封鎖されていないという情報を得たからだ。

 彼女たちの情報収集能力が高いのであって、俺が優れているわけではない。まだ油断してはならない。


「……情報というものは、本当に重要だな。

 君たちの仕事ぶりには感心しているよ。

 今後、もっと君たちを頼りにするだろう」

「恐れ入ります」


 とその時、再び背後に人の気配を感じた。


「伯爵様」


 最後に現れたのはNINJAたちのリーダー格であるトンプソン氏。

 彼女の登場が遅れたのは、一番遠いサミンフィア城塞内へ使いとして送り出したためだった。彼女もまた、(ひざまず)き、頭を下げたまま現れた。シュっと引き締まった体を持ち、シュっと引き締まった動作をする人だった。

 ちなみに、トンプソンという名前は偽名だという。


「ご苦労様。

 で、首尾は?」

「上々です。

 ロノウェ様より伝言(ことづて)を承ってまいりました」


 ロノウェには、トンプソンを通して重要な任務を命じていた。

 命令とは、俺たちの部隊が城門前まで辿り着くタイミングで城門を開けること、である。


「『第五軍団司令官との交渉の結果、今夜の城門哨戒任務を僕の大隊で受け持つことに成功しました。ただし、そのために金貨十枚を使ってしまいました。すいません』

 だそうです」

「十枚で済んだのか」


 金貨十枚といえば日本円でおよそ百万円ほどの価値がある。

 大金だが、将軍格の要人に対する賄賂の額とすれば安いほうだ。


「あくまで、哨戒任務を代わるための贈賄です。

 当然ながら、ロノウェ様は司令官との交渉の席で城門を開けるつもりであることを伏せていました」

「なるほど」


 敵の大軍を前にして城門を開けるなど自殺行為――ともすれば寝返りを疑われかねない行為だ。

 そのことを正直に話して交渉した場合、賄賂の額はいくらになっていたか想像がつかない。いや、いくら金を積んでも、司令官は首を縦に振らない可能性の方が高い。


「それと、もう一つ言伝(ことづて)です。

 『万が一、シトレイ様のご帰還が叶わぬ場合、僕は後を追います。僕を殉死させたくなかったら、何が何でも帰ってきて下さい』

 とのことです」

「ははは。

 ロノウェのやつ、私の奮起を促しているつもりか」


 命が懸かっているのだから言われなくとも最初から俺は必死だ。

 最初から奮起している。


「……それとも、本気で言っているのだろうか」


 だから問題は、ロノウェの発言が本気だった場合。

 ロノウェが俺へ殉じると言うと、本気に思えてしまうから怖いのだ。


「トンプソン、悪いがもう一度サミンフィアへ行ってきてくれないか。

 おそらく、我々は明け方近くに城門前へ着くだろう。

 火薬を使うだろうから種火を用意しておくように。

 そう伝えてくれ」

「はい」

「あと、これを渡して欲しい」


 俺はトンプソンに二通の手紙と小さな袋を手渡した。


「殉死は絶対に禁ずる。

 それと、私が戦死した場合、ロノウェは自分で自分の立場を守らねばならない。

 これを使って自分の身を守れ、と伝えて欲しい」


 二通の手紙のうち、一通目は命令書兼脅迫状だ。

 そこにはあらゆる手段を使って城門を開けるよう主君として命ずる、と記してあった。

 そして命令を拒否、あるいは失敗した場合、お前の妹(アギレット)を道連れに華々しく討ち死にするであろうと脅してあった。

 さらに、前線にてお前(ロノウェ)が側にいながら俺が戦死した場合、故郷のリュメール一家全員に殉死が強制されることになっている、という脅迫も追加してあった。


 二通目は火薬の調合方法と調合比率を詳しく記してものだった。

 小さな袋には火薬の現物が入っている。


「一通目は主君から脅迫まがいの命令を受けた証拠だ。

 家族を人質に取られたと言って情状酌量を訴えろ。

 それでも処分されそうになった場合は、二通目を使って軍上層部と交渉しろ。

 そう言っておいてくれ」

「かしこまりました」


 手紙と袋を受け取ったトンプソンは、俺の命令を承諾しながらしばらく動かなかった。


「どうした?」

「……伯爵様は、討ち死になさるおつもりですか」


 彼女のシュっとした視線が突き刺さる。


「伯爵様やアギレット様に万一のことがあった場合、私たちには行くあてがありません」

「謙遜だな。

 君たちほど優秀なら引く手数多(あまた)であろう」

「恐縮です。

 ですが、伯爵様やアギレット様に万一のことがあれば、そのような評価など無意味になります。

 私たちが忠誠を誓うのは、あくまでお二方に対してのみですので」

「案ずるな。

 死ぬ気はない」


 そう、死ぬ気はない。

 彼女たちのおかげで情報を得て、状況を整理できた。何より、彼女のおかげでロノウェと連絡が取れたのだ。彼女たちがいなかったら状況に絶望していたかもしれないが、今は大丈夫。余裕すら感じている。


「死を覚悟するほど追い詰められていたら、死んだ後のことまで考える余裕はないよ。

 ただ、私は心配性でね。

 できることを全部やらないうちは、不安になって眠れない性分なんだ」

「……万一の場合は閣下とアギレット様だけでもサミンフィアへお連れするつもりでしたが、どうやら出すぎた考えだったようです。お許し下さい」

「私とアギレットを? どうやって?」

「もちろん、担いで」


 彼女たちは高い城壁をスイスイと登っていくことができると聞いている。現に、トンプソンはこうしてサミンフィア城壁の外と内を自由に行き来している。

 担いで城壁を登る、というのもあながち嘘ではないかもしれない。


「部隊全員を担いでってのは無理かな」

「さすがに、敵に見つからずというのは何往復もするのは……」

「冗談だよ。

 とにかく、手紙を頼む」

「はい」


 手紙と袋を受け取ったトンプソンは、再び闇の中へ消えていった。


「我々は伯爵様の周囲を警戒を続けます」


 他の二人も闇の中へと消えていった。


「さて……」


 混沌とした戦場で俺が下した判断。正しい判断だったか、間違った判断だったかはわからない。いずれにせよ、現在の状況は、その判断の結果だ。


 その事実は覆らない。

 だが、サミンフィアへの撤退する道筋は立った。

 あとはその道筋どおり行動し、汚名を返上するしかない。


 隠密たちが去って静けさを取り戻した夜の森。

 耳を澄ますと、後方から話し声が聞こえる。

 時折、怒号を含んだような、少し騒々しい話し声だ。 


 撤退を成功するにあたって、あと一つ、部隊内の意思統一という懸念材料が残っていた。




============




「死ぬ!

 死ぬんだよ、俺たちは!」


 森の奥で待機していた兵士たちの間に、悪い空気が渦巻いていた。怒気と悲観の空気だ。


「ちょっと静かにしてよ。敵に見つかるじゃん。

 それに、この森のもっと奥は害獣の住処だって知ってるでしょ?

 大声出して害獣が寄ってきたらどうすんの?」

「知るか!

 日が昇る前に死ぬか、昇った後に死ぬかの違いだ。

 剣で切り殺されるか、害獣に食い殺されるかの違いだ」

「何でそんなに悲観的なの?

 普通、あたしらみたいな新人が取り乱して、アンタらみたいなベテランこそ冷静なもんだと思うんだけど」


 フォキアの言うとおりだ。

 諦め、絶望しているのはベテラン連中だった。逆に、フォキアやアギレットら新兵たちは比較的冷静なように見える。アスタルテに至っては議論に参加することもなく、我関せずといった態度を取って、端っこで口をモグモグさせていた。周りの暗さゆえに確認できないが、おそらく、携帯食の乾パンか干し肉を食べているのだろう。


「軍歴を積んでいるからこそ理解しているんだよ。

 撤退に間に合わなかった兵士たちの末路をな。

 城門が閉じられたら、それでお終いだ。

 三十騎に満たない我々のために城門が開かれることは決してない」


 敵軍を前にして篭城側が城門を開くことは自殺行為である。

 決して公式記録には載らないのだが、今の俺たちよりもさらに多くの味方を、撤退に間に合わなかったという理由で見殺しにしたという話は聞いたことがあった。


「サミンフィアへ戻ることは叶わない。

 なら、あとは、戦死するしかないじゃないか……」


 助かる見込みはないというのは、ベテランの兵士たちに共通した認識だった。

 ヒヨっ子である俺たちとは違い、何年も戦場で過ごしてきた連中が皆諦めている。彼らの経験則から言えば、もう死ぬしかない状況、本当に追い詰められた状況なのだろう。


「……こんなことがあってたまるか。

 我々は、あのモブ将軍の下にいたんだぞ!

 常勝不敗の将軍についていたのに、何で、こんな惨めな状況を受け入れなきゃらないんだ!」


 暗闇の中でもはっきりとわかる。

 兵士たちの顔が、空気が、暗く沈んでいた。


「ああ、最初から最後までモブ将軍の下で戦っていれば、こんなことにはならなかっただろうな。

 俺たちがここまで酷い状況に陥っている理由は簡単だ。

 俺たちがモブ将軍から離れたからさ」


 そして、悲観に支配された暗い空気の中に、兵士の一人が一石を投じた。


「……そうだ。

 だいたい、俺たちがモブ将軍から離れてしまったのは何故だ? 

 誰のせいだ?」


 この一言に、幾人かの兵士たちが反応した。


「オランジュ隊長だ……」

「オランジュ隊長が勝手なことをしなければ……」

「そうだ、あいつらのせいで……」


 当然、この発言に対して、戦死者と親しかった者たちが黙っているはずがなかった。


「貴様!

 貴様は一介の兵卒であろう!

 あいつらとは何だ、あいつらとは。

 名誉の戦死を遂げた、しかも隊長格の人間に対し無礼ではないか!」

「でも、一番悪いのは、どう考えたって死んだオランジュ隊長たちじゃないか!

 勝手に動いて死ぬのは自己責任だが、何で俺たちまで道連れにされなきゃならないんだ」


 死者の責任を巡って巻き起こった対立。

 やがて、それは生きている当事者同士の非難合戦へと発展していった。


「そもそも、オランジュ隊長たちを捜しになんて行かなければ、俺たちはこんな惨めな状況に追いやられることもなかったんだ。

 どうしてくれるんだ!

 俺はサミンフィアに妻子を残してきたんだぞ」

「我々が悪いと言うのか、貴様」

「軽率だったのは否定できないだろう!

 ハイラール大隊長殿は止めてたじゃないか。

 その制止を振り切ったのはお前らだ!

 お前らと、ロゼ隊長だ!」

「ふざけるな、貴様、ロゼ隊長を非難するか!

 絶対に許さんぞ、表へ出ろ!」


 しかし、ここは既に表――野外である。


「お前らもロゼ隊長も、親しい者を切り捨てる勇気がなかったんだ!

 そのために判断を誤ったんだ。

 普段玄人ぶってるくせして、フタを開けてみれば、結局お前らは仲良しごっこをしていただけってことだろう!」

「きっさま!!」


 いよいよ取っ組み合いの喧嘩、下手すれば剣を抜きそうになったところを、フォキアやアギレットら冷静な人間が抑えた。

 それでも、制止されながらも非難合戦は止まらない。


 ここで仲間割れしても何の特にもならないのは、おそらく全員が理解している。

 それでも、サミンフィアへの帰還が絶望視され、追い詰められたこの状況下で、冷静でいられる人間の方が少なかった。


 ……それにしても、指揮官である俺の目の前で、ここまで秩序がなくなってしまうものなのか。


 ……というか、もしかして俺がいることに気づいていないのだろうか?


 なるほど、頼りになるのは月明かりだけの暗闇の中だ。

 俺の外見、特に顔、特に目つきは特徴的で印象に残るとよく言われるが、案外はっきりと顔が認識できない暗闇の中では、俺は影が薄いのかもしれない。

 オーラがないとも言える。


「皆さん、落ち着いて下さい!

 シトレイ様は、大隊長はまだ諦めていません!

 大隊長の判断を待ちましょう」


 ナイスだ、アギレット。

 これ以上ヒートアップしてもらっては困る。

 帰還するための方策は考えているのだ。目処は立っているのだ。

 そろそろ満を持して登場し、皆に希望を与えてやろう。


「おい、少し落ち着」

「お前たち、いい加減にしな!」


 俺の言葉はロゼの一喝によってかき消された。


 大声で静かにしろと怒鳴る行為に矛盾を感じたが、確かに効果があった。ロゼに一喝され、全員が口を(つぐ)み、動くことすらやめたのだ。

 その、固まっている兵士たちの間をロゼが割って入った。


 彼女は背が高い。俺と違って存在感がある。

 暗闇の中でも、ロゼのことははっきりと認識することができた。


「おい、お前。

 この状況を招いたのは私のせいだって言ったね?」

「……はい」


 先ほどの勢いがどこへ行ったのやら、ロゼたちを非難していた兵士はか細い声で答えた。


 しかし、彼を情けないと非難することはできない。

 彼の前に立つロゼは、彼よりも大柄だった。暗くてロゼの表情まで伺うことはできないが、きっと彼を睨んでいるのだろう。暗闇の中であっても、ロゼの目は光っているように見えた。


 あんな凶暴そうな女を前に、たとえか細い声であっても、ロゼを非難した事実を否定しなかったのだ。むしろ、勇気ある人物だと思う。

 俺があの兵士と同じ立場だったら「いいえ」と答えてしまうかもしれない。


「……お前の言うとおりだよ。

 お前の言うとおり、私のせいだ。責任は私にある。

 どうも、今回の戦いで、私は浮ついていたみたいだ」

「……」

「まぁ、私の気持ちなんて言い訳にならないことはわかっている。

 そこで、お前に、いや、この場にいる全員に問いたい。

 私たちが取りうる選択肢は二つ。

 この場にいる全員で決めてもらいたい」


 そう言うと、ロゼは太刀を抜いた。


「一つは軍規に則った行動、つまり玉砕だ。

 お前たちが玉砕を選ぶのなら、私は先頭に立ち、最初に死のう」


 次にロゼは抜いた太刀を地面に突き刺した。


「もう一つは、敵に降伏すること。

 ただし、あの異端者どもがタダで降伏を許してくれるとは思えない。

 それなりの手土産が必要になる」


 そして、ロゼは地面に突き刺した太刀の前で胡坐(あぐら)をかいた。


「お前たちが降伏を選ぶのなら、私の首を手土産にしろ」


 異教徒・異端者への降伏は、ドミナ信徒として許されない行為である。故に、軍規の上では、状況に好転の見込みない場合は玉砕すべしと明記されていた。そうすれば、敬虔なドミナ教徒として、天上での安楽が約束される、と説いているのだ。


 ロゼは百人隊長である。そのロゼの口から、軍規の上では許されない降伏の言葉が出たのだ。兵士たちの間で、醜態とも言うべき言い争いが起こっていたのは、死に絶望していたためである。

 その場の空気が――兵士たちの気持ちが降伏に傾いていく様子が手に取るように感じられた。


「……ロゼ隊長の首を……?」

「そうだ。

 自慢じゃないが、私は有名人だ。

 敵軍じゃ『首狩り女』だとか『獰猛な雌暴食獣(メスベヘモス)』だとか言われているらしい。

 私の首にはそれなりの価値があるよ」


 ロゼは地面を座ったまま、質問してきた兵士をじっと見つめた。

 突き刺した太刀で首を()ねろ、と言わんばかり様子だ。


「それに、うちの大隊長殿だって立派な手土産になるだろう」

「待って下さい!」


 ロゼの独壇場だった暗闇の中に、アギレットの声が響く。

 暗いため、やはり表情まではうかがい知れないが、その声色は怒気が含まれていた。


「貴方が死ぬのは貴方の勝手ですが、シトレイ様の首を差し出すなど、絶対に許しません!」

「勘違いするな、お嬢ちゃん。

 私の場合は首の方が役立つが、あのお坊ちゃんの場合は生きて差し出すことに意味がある。

 じゃなきゃ、人質としての価値がなくなるだろう」

「人質?」

「そうだ。

 大隊長殿は、あんな見てくれだが一応は立派な貴族の殿様、皇族様だ。

 そんなやんごとなきご身分の人間が降伏してくれば、普通は外交交渉の手札として、あるいは身代金の引換券としての価値を期待するものだ。

 私の首を()ねて、大隊長殿に降伏するよう申し入れろ。

 私を殺しちまえば、あの優柔不断なお坊ちゃんも決心するだろうさ」

「ちょっと待て!」


 次に怒号を発したのは俺だ。

 怒りをあらわに、俺は前へと歩み出た。全員が俺を方を向いた。


「なんだ、いたのかい」

「ああ、ずっといたよ。

 君の話を最初から聞いていた。

 しかし、黙って聞いていれば随分なことを言ってくれるね。

 『あんな見てくれ』とは何だ。

 君は無礼にもほどがある。

 それと、こんな暗闇の中で剣を抜くな。

 危ないだろう」


 俺は地面に突き刺さった太刀を引き抜き、ロゼに手渡した。


「悪いね、隊長殿。

 アンタが見た目のことを気にしているとは思わなかったよ」

「実は気にしているんだ。

 だから、とても不愉快だ。

 それ以上に不愉快なのは、君の提案、いや、君の判断力の欠如だな」


 ここまで言って、今の自分が相当口が悪くなっていることを自覚した。

 もしかして、俺は「あんな見てくれ」という言葉を気にしてしまっているのだろうか。そのために口が悪くなっているのは、我ながら大人気ないな。

 そう思い、軽く咳払いをする。


「君の提案はいささか危険な賭けのように思える。

 敵が降伏を受け入れてくれるかどうかなんてわからないぞ」


 ロゼの首を受け取った敵は喜ぶだろう。

 喜んで、俺たちぐらいは生かしてやろうという余裕と慈悲の考えに至るか。それとも、あとは雑魚しか残っていないと判断し、皆殺しにかかってくるか。

 長期戦になるであろうサミンフィア攻城を控えている敵にとって、わざわざ捕虜を取るメリットは少ない。

 賭けの結果は、後者――俺たちの確実な殲滅という判断になる可能性の方が高いように思える。


「だいたい、私の身分に対し人質としての価値を見出しているか、それだってわからないぞ。

 奴らは異端者だからな」


 コルベルン王国の人間にとっては、アンデルシア一門こそが「異端」であり、憎悪の対象である。

 俺の身分を伝えれば、むしろ惨たらしく殺される可能性だってある。


「それに、もし敵の理性が感情を上回り、私に人質としての価値を見出してくれたとしても、だ。

 人質としての価値があるのは私だけであって、この場にいる全員の命まで保障されるとは限らない。

 攻城戦を控えた彼らは、食糧の節約に大きな関心を払っているだろうからな。

 むしろ、私を残して他の全員は殺される可能性の方が高いだろう。

 だから、君の提案は却下する。

 危険で、しかも条件の悪い賭けに乗るつもりはない」


 何より、この賭けに出れば確実にロゼが死ぬことになる。

 この女、戦場での向こう見ずな行動を含めて鑑みるに、どうも自分の命を軽視しているように思える。


「そこでだ。

 もっと良い条件の勝負をしないか。

 私に良い考えがあるのだが」




============




 城門の前まで行けば、必ず城門は開くこと。

 森の出口は封鎖されていないこと。

 そして夜のうちに森の中を進み、森を出たあと一気に駆け抜ければ、城門前まで辿り着ける可能性が高いであろうこと。


 俺の話を聞く兵士たちの反応は様々だ。

 ある者――アギレットやフォキア、それにロゼを非難していた兵士たちは積極的に支持してくれた。

 またある者――ロゼと親しい兵士や隊長たちの中には、ロゼの出した降伏という提案に固執する者もいたのだが、俺が強い調子で却下したものだから、他に方策はなしということで消極的な支持に回った。

 他の者――アスタルテは、この期に及んでも口をモグモグさせている。


 反応は様々だが、強硬に反対する声は上がらなかった。


「基本的には賛同する……が、本当に城門が開くんだね?」

「その点については間違いない」

「ふぅん。

 それは、大隊長殿のご身分が成せる技かい?」

「半分は正解だな。

 城門を開けるために動いてくれているのは私の家臣だ。

 この身分に生まれたからこそ、優秀な家臣に恵まれたのだから、半分は正解。

 だけど、いかに帝室の末席に連なる者であっても、私個人は見ての通りの新米士官でしかない。

 ゴルツ司令官は私のことを特別扱いしてくれるが、まさか、敵の大軍を前に無条件で城門を開けてくれるほどの価値は、私にはないさ」


 とは言ってみたものの、冷静になって考えるとどうだろう。

 俺は皇族と言えども傍系の人間だ。だがしかし、軍の重鎮であるサイファ公爵の娘婿(予定)でもある。それ故ゴルツは俺のことをエコヒイキしてくれるのだが、ならば、そもそも何故俺は敵の大軍相手に最前線へ、しかも本番でもない前哨戦へ狩り出されているのだろうか。


 過程を見れば納得がいく。

 開戦前の幹部会議において、ゴルツとモブがやりあったとばっちりを受けたのだ。あるいは、ゴルツはモブのことを嫌っていながらも能力は認めているようだったから、モブの下につければ俺に危険はないと踏んだのかもしれない。それプラス、俺の隊には武勇誉れ高いロゼも配されている。


 だが、万が一のことは考えなかったのか。

 俺が戦死すれば、これまで俺を無理やり昇進させてきたゴルツの苦労が水泡に帰すだろう。さらにはサイファ公爵から叱責を受けるにことに成りかねない。

 現在の状況を考えれば、万が一の事態は既に起きかけているのだ。

 ゴルツはそこまで考えが及ばなかっただろうか。


「城門が開くことについては、わかった。

 だけど、一つ質問がある。

 アンタの提案には大事なことが一つ抜けている」


 ロゼから質問という言葉が出た。ゴルツのことはとりあえず頭から追い出し、ロゼに対し身構える。


「城門に辿り着いた後のことさ。

 戦場に出る前、実際にくぐったから知っているだろう?

 サミンフィアの西門はでかくて、鉄の扉は重い。

 門が閉まりきるまでに結構な時間が必要になるだろう。

 私たちが城壁内へ逃げ込んで、門が閉まるまでの間、敵が大人しく見守ってくれるとは思えないんだけどねぇ」


 身構えはしたものの、まともな質問が返ってきたので肩透かしを食らってしまった。


 ロゼの疑問は当然のものだろう。

 サミンフィア攻城のために陣を敷く敵軍の目の前を横断し、城門まで進むのである。

 馬は速いし、闇夜に紛れての行動になるが、それでも最後まで見つからない保障はどこにもない。

 むしろ、見つかる可能性の方が高い。


 見つかる可能性が高い以上、城門が閉まるまでの間、敵を受け止める方策を考えなくてはならない。

 俺たちと一緒に敵まで城壁内へゴールするような結果になれば負けだ。敵を城壁内へ招き入れる結果となれば、サミンフィアの陥落は時間の問題となる。


 あるいは城壁内の味方と呼応し、合流して敵を迎え撃つことも考えたが、その選択は諦めざるを得ない。

 城壁内から兵を繰り出せば、繰り出す兵の数に比例して城門を閉めるまでの時間も延びる。それでは本末転倒だ。

 何より、友軍が出撃すれば必ず戦闘の規模が大きくなる。

 これはあくまで撤退を目的とした作戦なのだ。

 全体としても兵力に劣る友軍を、城壁の外に引きずり出すような真似は絶対にできない。


 だから、弓等、飛び道具による援護射撃は期待できたとしても、城門前で敵を防ぐ役目は俺たちにある。

 城門が閉じきるまでの時間を最小限に抑えるため、俺たちだけで敵を受け止め、素早い撤退を図る。


「敵が殺到してきた場合、火薬を使って防ぐつもりだ」

「……結局カヤクか。

 まぁ、そんなところだろうと思ったよ」

「反対か?」

「カヤクは前回の任務でケチがついたからねぇ」


 ロゼは腰の太刀の柄をトントンと指で叩き始めた。

 先ほど、俺が返してやった太刀だ。


「ま、反対はしないよ。

 でも、信用もしない。

 さっきも言ったとおり、作戦自体には基本的に賛同する。

 だから、私は作戦を成功させるために最善の行動に出る」

「どういうことだ?」

「アンタはアンタでカヤクを使えばいい。

 私は私で、城門まで辿り着いたら、折り返して、前方へ打って出る」


 ロゼの返答に唖然とした。

 先ほど、ロゼに対し判断力が欠けていると非難し、言葉が悪すぎたと自戒したが撤回だ。


「本当に、一体、君はどうしたというのだ。

 君が前に出れば、その分だけ撤退が遅れてしまう。

 その分だけ城門が閉じるのを遅らせなくてはならなくなる。

 そんなこと、わざわざ言わなくてもわかるだろう?」

「……私は撤退しない」


 気づけば、トントンとロゼが太刀の柄を叩く音が大きくなっていた。

 大きくなり、そして止まった。


「……守りは性に合わないんだ」

「だからと言って特攻する気か?

 冗談を言っている場合ではないぞ」

「冗談じゃあないさ。

 前に出てこそ、私は自分の力を発揮できると思っている。

 アンタの作戦を成功させるため、私は自分の能力を最大限発揮する」

「火薬の性能を信用できないのは無理もないが、だが、それでも前に出る必要を認めない」

「私は必要だと思って言ってるんだ。

 いいから、さっさと許可を出せ」


 本当に、一体、何なんだ。

 今回の作戦は、撤退すれば勝ちなのだ。向かってくる敵に対し、わざわざ前に出る必要なんて微塵もない。

 あるいは、これがロゼなりのケジメのつけ方だろうか。

 この状況を招いた責任は自分にあり、その責任を取る、とロゼは言った。

 死ぬことが責任を取るということだろうか。


「……」


 押し問答にも似た議論の末、辺りを沈黙が包む。

 さて、どうやって反論すべきか。

 それとも、反論は不要か。もはや議論の時ではないのかもしれない。指揮官は俺だ。もう、有無を言わさず決定を押し通してもいい頃合だろうか。


「ロゼ隊長!

 自分もお供します!」


 議論の行方について考え込んだ時、ロゼと親しい十人隊長や兵士たちが沈黙を破った。


「俺にもやらせて下さい!」

「自分も!」


 寒い夜の森の中を、熱気が覆う。


「黙りな」


 しかし、その熱気はすぐに四散してしまった。


「お前たちがいると足手まといだよ。

 私一人でやる」


 一人でやる。

 間違いない。この女は、死ぬことで責任を取るつもりだ。


「ロゼ隊長、君はこの状況を招いた責任を、死を以って償おうとしているのではないか」

「……ああ、否定はしないよ。

 最初に言ったとおり、責任は私にある」

「ならばなおさら、許可するわけにはいかない。

 判断を誤ったことに対する責任ならば、私にもある。

 君を追うと判断したのは私だからな。

 だから責任を取るとしたら私も君に付き合わなくてはならないわけだが、しかし、君の主張する責任の取り方には反対だ。

 私は死にたくない」

「ハッ。

 誰もアンタについてきて欲しいとも、責任を取れとも言っていないさ。

 やるのは私一人だ」

「何故、そこまで(かたく)ななんだ。

 君はそんなに死にたいのか?」


 その言葉を口にしてから、気づいた。

 常に先頭に立ち、戦友の無事を気にかけながらも、自らの身は省みない戦い方。

 保身について頭から抜け落ちているかのような、上官に対する態度。


「そうか、君は死にたいのか」

「ああ、今更死ぬことなんて怖くないさ」

「違う、君は死に場所を求めているように見える」


 論拠はない。そうだと思う明確な根拠はなかった。

 でも、ロゼの言葉と行動の節々から感じられたのだ。


 俺はロゼの考えや行動が理解できなかった。

 彼女の言動にいったいどんな利益があるのかと首を傾げていた。だが、利益など端から考えていなかったとすれば、理解できなくて当然だ。


「……」


 ロゼは否定も肯定もしなかった。

 ただ、あの饒舌で覇気にあふれた彼女が、押し黙った。

 議論の最中の()とは違う。彼女は完全に黙ってしまった。


 彼女の沈黙が、俺が感じた根拠のない考えに確信を与える。


 沈黙と同時に微妙な空気が森の中に広がる。

 暗い森の中で、いったいどのくらいの時間がたったか、感覚がつかめない。


「……君の生死観に口を挟むつもりはない。

 だが、私は死にたくない。

 兵士たちだって同様のはずだ。

 火薬については、あれから反省し、新しく作り直して試験も繰り返したんだ。

 今回ばかりは自信がある。

 今回ばかりは、私は自分の判断に自信がある。

 だから、君の生死観に口出しはしないが、死ぬのは別の機会にしてくれ。

 これは指揮官としての命令だ」


 ロゼは、賛成も反対もせず、そのまま沈黙を守り続けた。


 静かな夜の森は、ゆっくりと時間が過ぎていく。

 そのまま論議は終わり、俺たちは短い休息へと移った。 

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