#076「激突・中編」
あわや乱闘騒ぎにまで発展するかに思えた会議も、一部の勇気ある仲裁者たちのおかげで事なきを得た。
モブは上官に対する非礼を詫び、ゴルツはモブの更迭発言を撤回した。
しかし、二人はあくまで矛を収めたに過ぎない。双方とも納得の上で和解したわけではなかった。矛を収めはしたが、握手をしたわけでは決してなかった。
両者の対立について、双方が双方の言い分を認めるという形で妥協が図られた。
つまり、モブは自らの軍団のみで奇襲を行うが、少数での作戦遂行になるため、司令部は過大な戦果を期待するな、という妥協である。
もし、他の軍団も巻き込む形で奇襲部隊の戦力を増強すれば、それに比例して大きな戦果を挙げることができるであろう。
だが、ゴルツがそれを許さなかった。
おそらく、モブが他の軍団の兵士たちを指揮し戦果を挙げるという実績を作らせたくなかったのだろう。
ゴルツは、モブの影響力伸張を警戒しているのだろうが、敵の大攻勢を前にして味方の足を引っ張るような行為は、馬鹿げているとしか思えない。
問題はそれだけではなかった。
双方の妥協の産物として、シトレイ・ハイラールを奇襲作戦に連れて行くというモブの主張が通ってしまったのだ。お偉いさん方の喧嘩を、対岸の火事と言わんばかりに、どこか他人事のように眺めていた俺にとっては、足下から煙が出たような思いだった。
「一番厄介な問題だ。
私が参加したところで、たいして役に立たないだろうに」
「役に立たないどころか、どう考えても足手まとい……」
軍人である以上、危険な任務だからといって拒否することはできない。今回はモブ将軍自らが馬に跨り城壁外へ打って出るというのだ。拒否することはできないし、俺自身、拒否する気もない。
問題は、騎兵のみを選抜した、いわば精鋭部隊に参加することだった。俺の馬術の腕からして、お荷物になるであろうことは目に見えている。俺が恐れを抱くのは、城壁外へ打って出ることではなく、皆の足手まといになることだった。
「私が足手まといだと?
そのとおりだ。
傷つくから、もっとオブラートに包んで言って下さい」
「ごめん、ごめん。
ってかさ、今からでもモブ将軍に任務から外してもらうよう言ってみればいいんじゃない?
シトレイの乗馬の腕前を余すことなく披露してさ。
……あー、ってか、そろそろしんどい。代わって」
「あいよ」
役割交代だ。
俺はフォキアからノコギリを受け取る。代わって、フォキアが今度は押さえ役となる。
「今更、というか最初から無理だよ。
モブ将軍は私を連れて行くことに意固地になっているからね。
私が役立とうが、お荷物になろうが、そんなこと彼にとっては関係ないのだろうさ」
「すごかったんだってね、会議。
あたしも見たかったよ」
「武勲を積んで出世すれば、見物できるよ」
と言いつつ、フォキアが大隊長にまで昇進する頃には、ゴルツは今の地位から追われているのではないかと思った。それはあくまで、俺や祖父の思惑どおりに事が運べば、の話になるが。
「いずれにせよ、だ。
出陣するとなった以上、ゴルツ司令官とモブ将軍の対立にほくそ笑んでいる余裕がなくなった」
年貢の納め時だ。
もう馬から逃げ続けているわけにはいかない。
「敵が攻めてくるまで日がないけど、毎日乗馬訓練をするしかないね」
「ああ。
少なくとも、皆の速度についていけるようにならなきゃ話にならない。
そこで、巧みな馬術の持ち主であるフォキアさんにコツをご教授頂きたいのですが……」
「うんー、ウマはトモダチ、ですかねー」
「至言だな」
「精神論みたいに聞こえるだろうけど、馬は生き物だからね。
ずっしり腰を落ち着けて馬と一体化して、あとは馬を信じれば勝手に走ってくれるよ」
と、そろそろノコギリの歯が末端まで行きそうだ。
「しっかり押さえてて」
「うん」
最後のあたり、ゆっくりとノコを引く。
「よし、できた」
欠けることなく、まっすぐ綺麗に切断できた。あとはヤスリをかけて断面を整えれば完璧だ。
「あーあ、可愛そうなアーテル。
主が不甲斐ないばっかりに、大事な角を折られるなんて」
「ちょっと、そういう言い方は勘弁してくれよ。
心が痛む」
俺たちは二人がかりでアーテルの角を切断した。
騎兵として出陣するにあたり、俺の乗馬の下手さと並んで問題となっている、アーテルがユニコーンであるが故にめちゃくちゃ目立ってしまうという点。これに対し、俺はアーテルの外見を変えるという手段で解決を図ったのだ。
「冗談だって。
猛々しい角だとか、富裕の象徴だとか、全部人間の勝手な思い込みだから」
ユニコーンの角の粉末は貴重な燃料になったから、その角を採取しようと切断すること自体は珍しくない作業だった。いわば、羊の毛を刈るような作業と同じである。
しかし、燃料になると同時に、ユニコーンの角は――長く立派な角は富の象徴とされていた。血統書によれば、我が家のアーテルはこれまで一度も角を切断したことがないらしい。その、名誉ある伯爵家のユニコーンが、俺の代になって角を折られることになったのだ。
「売り家と唐様で書く三代目、か」
「カラヨウ? 何それ」
「初代が苦労して築いた財産も、孫の世代になると遊びふけって金に困り、家さえ手放すって例えだよ」
アーテルは父が軍人になった際、祖父から贈られたユニコーンだという。
戦場の勇者だった父を背に乗せていた頃は、まさかその息子に角を折られるなんて、アーテルも考えはしなかっただろう。
「私の場合は金よりも、自分の能力の無さに困って名誉を売った、ってところか」
「ちょっと、ネガティブすぎでしょ。
さっきも言ったけど、名誉だ何だってのは人間の勝手な思い入れだから。
ほら、本人は喜んでいるみたいだし」
「アーテルが喜んでいる?
フォキアは馬の気持ちがわかるのか?」
「様子を見れば想像はできるでしょ」
これまで大人しくしゃがんでいたアーテルは立ち上がると、頭を前後左右に揺らしブルルと息を吐いた。
言われてみれば「頭が軽くなった!」と喜んでいるように見えなくもない。
「あたしたちがノコギリを引いている間も大人しかったしね」
「それは角に神経が通っていないからだろう。
痛さを感じなければ暴れはしないさ」
「違う、そういう話をしてるんじゃないの。
ユニコーン全般の話じゃなくて、アーテルの話をしているの。
痛さを感じなくても、何されるかわからないような状況で、アーテルはずっと大人しく身を委ねていたんだよ?
シトレイを信頼してるってことでしょ」
「そうなのかな」
フォキアは呆れた表情を俺に向けた。
「ダメだこりゃ。
これじゃあ、馬にそっぽを向かれるのも当然だわ」
「ごめん」
「あたしに謝らなくていいよ。
謝るならアーテルに……いや、謝らなくていいから、アーテルにおいしいもの食べさせなよ。
ほら、お金も入ってくるんだしさ」
フォキアから先ほど切り落としたアーテルの角を受け取る。
角はずっしりと重かった。
火にくべると高温になるユニコーンの角の粉末は、特に製鉄業において必須となる貴重な燃料だ。この一本で、おそらく金貨二百枚以上の価値を持っている。
「馬が喜ぶ食べ物って何かな」
「え、知らないの?」
「うん……士官学校では、乗馬は習ったけど、飼育までは習わなかったからさ」
「じゃあ、今日から覚えて。
馬は結構甘いものが好きだから、林檎とかあげると喜ぶよ。
ああ、でも、喜ぶからってたくさんあげすぎないでね」
「わかった。
ありがとう」
その後、作戦が始まるまでの一週間。
俺はアーテルと寝食を共にした。
ウマはトモダチ、まずはそこからだ。
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国境線から唯一コルベルン側へ抜けるサミンフィアの西門を出て、その左手。
南側には広大な森が延々と続いている。
あるものと言えば木々だけで、森の深いところは害獣の住処になっている。その害獣の住処を抜けて、さらに奥を目指しても、待っているのは険しい山岳地帯だった。戦略的価値のない、人間にとっては無用の地である。
サミンフィアから西へ一キロ。
今、その森に第六軍団から選抜された騎兵部隊七百が息を潜めていた。
……大丈夫、準備は万全だ。
この一週間を通してアーテルとの絆は深くなった。
「戦場を駆ける」ことが成功するか否かは、正直言って五分五分だ。
一週間の訓練の最中、アーテルが俺の意思に応えて走ってくれたこともあった。しかし、逆に走ってくれなかった時もあった。だから、五分五分。
馬は乗り物ではなく生き物、パートナーだ。人事は尽くした。あとは、アーテルを信じるしかない。
装備に関しては完璧だ。
武具も防具も、手入れにぬかりはない。
それと火薬。
硝石と木炭から作り直した火薬は何度も試した。
鞄から手製の爆弾を一つ手にとってみる。
もったいないと思いつつも、爆弾にしたものも何発か試験してみたのだが、結果は全て満足のいくものだった。
使う機会があるかわからないが、皇帝狼討伐の時のような失態を犯すことはないだろう。
「また、火薬かい」
すぐ左手から、嘲笑の混じった声がした。
呆れと嘲りと挑発が混ざったような表情で、ロゼがこちらを見てくる。
「アンタも懲りないねぇ」
「そうかもな。
私は諦めが悪いのかもしれない」
「悪いのは諦めだけじゃないと思うけどねぇ。
隊長殿は警戒心が無さ過ぎるよ。
考えなかったのかい?
これから打って出るのは混沌とした戦場だ。無秩序の中に、アンタは私を伴って飛び込むんだ。
さて、前からやられるのが先か、後ろからやられるのが先か」
俺を後ろから刺す。
その宣言以来、ロゼは事あるごとに挑発してきた。
しかし、挑発だけだ。
実際、サミンフィア城塞内や街中において、一対一で鉢合わせする場面――彼女がやろうと思えば殺れる場面が幾度かあったにもかかわらず、彼女が直接的な手段に訴えてくることはなかった。
ロノウェが指摘したとおり、そして俺が考え直したとおり、ロゼが俺を本気で排除しようとは考えていないように思える。
「一体、何のことかな。
勇猛を以って知られるロゼ隊長の傍にいれば、それだけ生き残れる可能性も高まると思うのだが。
君の言うように、私には色々と足りないものがあるかもしれないが、だが、生き残ることに対しては本気だよ」
「ああ、そうかい。
いざって時も、そうやって余裕をかましていられるか見物だけどね」
フンと鼻を鳴らし捨て台詞を吐いてロゼは離れていった。
うーん、しかし、わかりやすい挑発だ。わかりやすすぎて、悪役感というか、小物感が漂ってくる。一体、俺を挑発して彼女に何の利益があるのだろうか。謎だ。
「……苦労しているわね」
ロゼに代わって、右手から抑揚のない静かな声がした。
無表情で、俺のことなど関心なさそうで、それでいてどこか笑みの混じった表情で声の主が話しかけてくる。
「西部に来てから苦労ばかりだよ」
同じ第六軍団の、同じロノウェの大隊に同僚として配属されたアスタルテ。
ゴルツからの直接命令を受け、慌しく任務をこなしているうちに、俺は昇進して自分の大隊を持ち、彼女とはお別れになってしまった。
と思ったのだが案の定というべきか、彼女はいつの間にか俺の大隊へ異動してきたのだ。
「……端から見る分には面白いけどね」
「ひどいな。
ロゼとのことは、結構真剣に悩んでいるんだよ。
彼女とは色々あってね」
「ええ、知っているわ。
ロゼ隊長がシトレイ君を刺すって宣言したことも、それを聞いたシトレイ君が無様に取り乱した様子も」
あれ?
アスタルテには俺とロゼの対立関係を話した覚えがない。
「ロゼから聞いたのか?
それとも、ロノウェから?」
「ロゼ隊長とは挨拶ぐらいしかしたことがないわ。
それに、イケメン君からだって何も聞いていない。
誰かからの伝聞ではなく、自分で直接見知っただけよ」
アスタルテの口ぶりからして、俺とロノウェがロゼと対峙したあの場に彼女も居合わせたということだろうか。場所はサミンフィアの城塞内、軍籍にある者なら、あの場にいたとしてもおかしくはない。
しかし、あの時は他の人間の気配を感じなかった。アスタルテは気配を消す能力でも持っているのだろうか。
まったく、俺の周りには、どうしてこうも人間離れした能力を持つ女性ばかり集まっているのだろうか。
「ハイラール大隊長殿、モブ将軍閣下より伝令です!
『敵が一キロ先まで迫っているとの報告有り。作戦どおり、各大隊は敵をやり過ごした後、速やかに行動へ出よ。なお、重ねて申し伝えておくが、目標を違えることなきように』
以上であります!」
「わかった。ご苦労様」
敵は間近に迫っている。
「聞いてのとおりだ。そろそろ作戦が始まる。
作戦内容に変更はない。
我々は家畜を一匹でも多く殺し、しかる後、サミンフィアへ撤退する。
何度も言うが目標は家畜だ。モブ将軍の厳命でもある。
他のものには目をくれるな」
命令を静かに伝えると、兵士たちもまた静かに頷いた。
ロゼやロゼと親しい十人隊長たちも、一応頷いてくれた。
「頼むぞ、アーテル」
心拍数が上がっていくの感じた。
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「すごいぞ、アーテル!」
今、俺は走っている。
アーテルに乗って戦場を駆けている。
「すごい、すごいぞ!
私は風だ! 風になっている!」
すごい一体感を感じる。今までにない何か熱い一体感を。
「シトレイ様、舌を噛みますよ」
アギレットの忠告で我に返る。
馬を駆ることに成功したものだから、少しばかりテンションがあがってしまったようだ。
実際、それほど速度は出ていない。
当然ながらスピードメーターなんてついていないから体感になるが、おそらく時速二十キロ程度であろう。
大声を出せば隣を走るアギレットと話ができるし、幾人かの騎兵たちが手に持っている火矢の種火用の松明も、風に負けることなく火を保っていた。
それでも、俺はアーテルに乗って戦場を駆けている。
抑えようもない、言い知れぬ感動がこみ上げてくるのだ。
「アーテル、いいぞ、私は嬉しいぞ」
手綱にしがみつきながら、大声でアーテルに話かける。
それに応えるかのように、アーテルがヒヒンと短く嘶いた。
アーテルに乗って走れるかどうかは五分五分の賭けだった。俺はその賭けに勝ったのだ。
一週間の特訓のうち、走れた場面もあれば、どんなに声をかけても、時には鞭を入れても走ってくれない場面もあった。
今にして思えば、成功したときは、フォキアやアギレットが乗馬訓練に付き合ってくれたときだった。他の馬が一緒に走ってくれたときは成功していたのだ。
馬は群れを作る生き物だ。他の馬が走っていて、自分も走らなくてはいけないと感じる場面だからこそ、アーテルは応えてくれたのかもしれない。
「……うん?
何だ、この臭い」
風と一体化した俺は、流れる風の中に異臭が混ざっているのに気がついた。
何というか、古い木造家屋の臭い、あるいは衣装箱から出したばかりの着物の臭いを凝縮したような感じがする。濃いおばあちゃんちの臭いというか……とにかく、そんな独特の臭いだ。
「……夏梅の香のようね。
それにしてはひどい濃さだけど」
謎の臭いの正体について、アスタルテが答えをくれた。
しかし、どうも名前だけではピンと来ない。
「夏梅?」
「あら、博識なシトレイ君でも知らないかしら。
まぁ、無理もないかもしれないわね。
うちの国じゃ、あまり流通していないから。
白い花を咲かせる植物よ」
植物図鑑か何かで名前を目にしたことがあるかもしれないが、覚えていない。
説明されてもピンと来ないのは、それだけ接点の少ない花なのだろう。
「目標発見!」
先行する騎兵の大声を聞いて、花の名前から前方へ意識を戻す。
見ると、二百メートルほど先に、茶色い大きな生物が列を作ってノソノソと歩いていた。
「あれ、牛ではないな。
牛にしてはでかすぎる」
列の外にいる牛飼いらしき敵兵の背丈と比べるに、四足歩行の茶色い生物は三メートル以上の高さを誇っていた。仮に二歩足で立たせてみれば、おそらく全長は六~七メートルに届くのではないだろうか。
「暴食獣ね。
ああ、なるほど。
夏梅の香を焚いて操っているんだわ」
アスタルテの話によれば、夏梅の香りはある種の動物に対し特殊な作用をもたらすという。何でも、その香りはネコ科の生物の、特にオスを刺激し、酩酊状態にさせる効果があるというのだ。
つまり、マタタビだった。
「普通は酩酊状態にするといっても二十~三十分がいいところなのだけど、何故か暴食獣にだけは半日近く効果が続くのよ。
暴食獣討伐ではよく使われる手だけど、まさか操るために用いるとはね。
確かに、これだけの濃さの香を焚き続ければ操れるかもしれないけど、実際にこんなことを試した人間は初めて見たわ」
暴食獣は河馬と象を足して二で割ったような外見を持つ。どう見てもネコ科の生物ではない。
その暴食獣に対しマタタビが効果てき面なのは、あるいは中身がネコなのか。それともマタタビが作用するメカニズムがネコとは違うのか。もしくは、この世界のマタタビが前世のマタタビとは違う植物なのか。
「何でもアリだな」
「何が?」
「驚きに事欠かないってことさ。
世界は広い。
まだまだ知らないことがたくさんある」
「それは結構なことね」
我らが騎兵部隊の接近に気づいた牛飼い――もとい獣使いたちは、慌てた様子で武器を手にした。一方、暴食獣の列は、間近に迫る危機に対し無関心そうにノソノソと行進を続けている。
「チャンスだ。
害獣の群れは夏梅の香で動きが鈍い。
全員、突撃用意!」
騎兵たちは速度を保ったまま、槍を構えた。
「攻撃目標は変わったが、奇襲の目的に変わりはない。
おかげで牛肉の値上がりを気にする必要もなくなった!
全員、突撃!」
「「「おう!」」」
鬨の声が上がる。
暴食獣を一匹でも多く仕留めれば仕留めるほど、後の篭城戦が楽になるのだ。兵士たちの士気は高かった。
速度が上がる中、俺も片手で手綱を握り締めながら、もう片手に槍を持った。慣れない動作に若干もたつきながらも、今のところは周りについていけている。
このまま、他の兵士たちに付いていけるか不安に思う気持ちと、現状は肩を並べることができているという高揚感の中、俺は騎兵たちの後に続いた。
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暴食獣は鋼のような皮膚と筋肉の塊を身にまとう巨大な害獣である。
河馬と象を合わせたような見た目であるにもかかわらず雑食で、草も肉も食う。人間だって簡単に丸呑みしてしまう。暴食獣は陸上における食物連鎖の頂点に君臨する生物と言われていた。
そんな害獣が相手だったため、苦戦が予想されたが、我が隊は善戦した。理由は、やはり相手が酩酊状態にあり、動きが鈍かったことにあるだろう。
暴食獣の皮膚は硬いが、弱点となりうる箇所は存在する。
例えば目だ。
執拗に槍を突き立て、目潰しを繰り返す様は陰惨に感じられたが、ここで暴食獣の数を減らさなければ、術となって我が軍に返ってくるのだ。ここは、心を鬼にして任務を遂行しなくてはならない。
一方、残虐な戦闘行為に手を染める戦友たちを尻目に、よほどスマートに、かつ成果を挙げていたのがアスタルテである。
「……――その大いなる力をお貸し下さい」
アスタルテが祈りの言葉を言い終えると、彼女の視線の先にいた一頭の暴食獣がもがくように苦しみ、狂い、そして倒れた。
息絶えた害獣の様子を確認することもなく、彼女はすぐさま次の術を発動するための祈りに入った。そしてまた短く祈りを終えて、暴食獣に術をぶつける。その作業を、彼女は機械のようにただただ繰り返していた。
「そんな大々的に術を使って大丈夫なのか?」
相手は人間ではなく、動物だ。
だから、術を当てても魂が行方不明になることはない。アスタルテにとっては、術を放つことを躊躇う理由がなかった。
「……だから気を使っているんじゃない。
本当なら、一発大きな術をぶつければそれで終わるのに、周りに気取られないようわざわざ威力を調整しているのよ」
「うーん……」
兵士たちは夢中だ。
夢中で暴食獣へ槍を突き出し、果敢に戦っている。
そして、一頭倒して周りの様子を確認する。
すると、倒れている暴食獣の数が意外に多いことに気づき、驚いていた。驚きと同時に、困惑気味な様子も見てとれる。
「……兵士たちには後でフォローしておくわ。
夏梅の香の副作用とか、適当な理由をつけてく」
そう言うと、彼女は白百合の造花と胡桃と宝石を握りなおし、再び祈りの言葉を発した。
すぐに、前方にいた暴食獣の一頭が、口から血の混じった泡を吹き倒れこむ。その巨体を受け止めた地面が軽く揺れた。
所々で倒れている暴食獣の死体は、皆口や鼻の穴からかすかに煙を出していた。
既に三十頭近くアスタルテの術によって葬られている。
夏梅の香に混じって、肉の焼ける臭いが辺りに立ち込めてきた。
「しかし、魂が消えないとわかっていると、容赦ないね」
「……他人事のように言わないでほしいわ。
私がこんな辺境で害獣駆除をやっているのは、全部シトレイ君のせいなのよ?
貴方を無事に主の下へ導くことが私の使命なのだから」
「確かにそのとおりだけど、私のせいじゃなくて私のためって言い方に換えてくれると嬉しいかな」
「……そんなふざけていていいのかしら?
アギレットさんがずっとこちらを見ているけれど」
アスタルテが指す目線を追っていくと、アギレットと目が合った。
アギレットはずっとこっちを真顔で見つめたまま、一方で暴食獣の目へ執拗に槍を突き立てている。
「……それでは、ラプヘル百人隊長。
引き続き作戦行動に従事してくれたまえ」
軽く咳払いをし、槍を持ち直した俺はアギレットに加勢すべく、槍を持って前進した。
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戦闘開始から、わずか三十分。
俺たちの周囲に反攻してくる者はいなくなった。
敵の獣使いたちは香炉を抱えたまま死んでいる。
暴食獣の中には、倒れたままもがいているものも数頭いたが、他はほとんどが息絶えていた。
「我が隊の戦果は敵兵二十名、害獣二百頭あまり。
上々だ」
俺の大隊で馬に乗れる者は三十人。
その三十騎で二百頭の暴食獣を葬ることができたのだ。この二百頭が術何発分になるかはわからないが、軍全体に対する貢献は十分だろう。
実のところ、俺個人としては一頭も暴食獣を仕留めることができなかった。
馬に乗って駆けることと、乗馬したまま槍を振るって戦うことは、また別の話なのだ。
それでも味方に加勢し、暴食獣を後ろから突いたり、自らオトリになるなどサポートは行った。それに、暴食獣を仕留めることはできなかったが、敵の獣使いの何人かを(主にアーテルが足蹴にする形で)討ち取ることができたのだ。
あまり役に立っていないかもしれないが、足を引っ張らずに済んだと胸を張りたい。
「モブ将軍閣下より伝令です!
『北東方向二キロ先より敵二千が接近中。北から東にかけて展開しつつあり。我らが退路を断たんとする意図は明らかなり。これ以上の長居は無用である』
以上です!」
「タイミングがいいな」
あとはサミンフィアへ一目散に撤退するだけだ。
もちろん、一キロほどあるサミンフィアへの撤退行では、敵との接触もあるだろう。奇襲によって始まった害獣駆除よりも、むしろ撤退の方が難しい。
「本番はここからだな。
よろしい。
これからサミンフィアへの撤退を開始する。
隊列を再編するぞ」
「待て」
そこで、ロゼが俺の命令に待ったをかけた。
一体何だというのだ。
この流れで俺の出した命令は真っ当なはずだろう。
「何だ、ロゼ隊長」
「……オランジュとブラン、それにグリとヴィオレがいない」
ロゼが名前を挙げたのは、彼女と親しい十人隊長たちだった。
以前は俺の百人隊に所属しており、現在ではロゼの部下となっている男たちだ。
周りを見渡すと、確かに名前の挙がった四人の姿が見えなかった。
戦死の報告は受けていない。
だが、確かに暴食獣との戦いでは苦戦したし、敵味方入り乱れての混戦でもあった。まさか、やられてしまったのだろうか。
「あいつら、敵の補給部隊を追ったままなんじゃ……」
「補給部隊?
なんだい、そりゃ」
同じくロゼと親しい十人隊長が、四人の行方に心当たりがあるような口ぶりでつぶやいた。
「はい。
戦闘開始してすぐの頃、暴食獣の列の後方で補給物資を運んでいる敵の十人隊を発見しまして。
そいつらが逃げ出したんで、オランジュたちが追っていったんですよ」
「なんだと!
そんなこと、私は聞いていないよ!」
ロゼが怒鳴りつけると、報告した十人隊長は萎縮してしまった。
「すいません、その、相手は十人で、しかも足の遅い荷馬車でしたから……。
すぐに片付けられると思いまして……」
「私はそんな言い訳が聞きたいわけじゃない!
いや、だいたい、言い訳にすらなっていない。
補給部隊が一個十人隊だけフラフラしているわけがないだろ!」
敵を追っていったら深入りし、補給部隊の本隊に出会ってしまった、といったところだろうか。
「シトレイ様、いかがいたしましょうか」
「うん……」
答えは決まっている。
……切り捨てるしかない。
上官に報告せずに追撃したのが悪い、とか、責任の所在を論じるつもりはない。
ただ、最悪戦死しているかもしれない四人との合流を優先すれば、サミンフィアへ撤退するタイミングを見失ってしまうだろう。四人のために、我が隊全員が敵中に孤立することになりかねないのだ。
「で、オランジュたちはどっちの方角へ追っていったんだい?」
「はい、西の方角です」
「そうかい」
十人隊長の指差す方角を確認すると、準備体操と言わんばかりに腕を回し、そして指を鳴らした。
「おい、ロゼ隊長。
まさかとは思うが……」
「そのまさかだ。
オランジュたちを助けに行く。
あいつらを見捨てられない」
おいおい、待ってくれ。
撤退の方が難しいのは、ロゼだって承知しているだろう。ここからが本番なんだ。ロゼは反抗的だが、この隊で一番腕が立つのは疑問の余地がない。彼女は一騎当千で、この隊の要なのだ。その要がいなくなってしまっては困る。
「ちょっと待ってくれ」
仲間を見捨てることはできない。
そう考え、助けに行くことは善意だろう。しかし、善意の結果による失敗は、悪意の結果よりもタチが悪い。そう言ったのはロゼ本人じゃないか。
「その善意がもたらす影響を、君は考えたのか」
本当は、はっきり「見捨てろ」と言いたい。
後味が悪いのはわかっている。一人の人間として、思うところもある。しかし、助けに行くことはリスクが大きすぎる。指揮官としては、ベストじゃなくてもベターな選択をしなくてはならない。冷血と非難されるかもしれないが、そう判断するしかないのだ。
しかし、「見捨てろ」と口に出すことはできなかった。
ロゼを慕う兵士は多い。行方不明の十人隊長たちは、ロゼと親しいと同時に兵士たちとも親しいのだ。その兵士たちの手前もある。
できれば、空気を読んで思いとどまってくれ。
「言ってくれるね、隊長殿。
だけどねぇ、あの言葉は部隊指揮官であるアンタに贈ったものだ。
私も百人隊長だけど、この場では一騎兵に過ぎない。
行くのは私一人だけだ」
「待て!
君が抜けると……!」
どうせ叶わないと思いつつ少しばかり抱いた期待を、ロゼは簡単に切り捨てた。
「私が抜けたぐらいで回らないようじゃあ、組織として失格だ。
あとは任せたよ、隊長殿!」
そう言うと、ロゼは馬に鞭を入れ、そのまま走り去ってしまった。
おいおいおいおい、ちょっと待て。
ふざけるな、めちゃくちゃだ。
そんな命令拒否、ダブルスタンダード、まかり通ってたまるか。
だいたい、自分一人で行くと宣言したところで、ロゼの言葉どおりにはならないのだ。
「まだ戦闘開始から三十分、望みはあるぞ!」
「ロゼ隊長に遅れを取るな!」
「仲間を見捨てられるか!」
案の定、ロゼと親しい兵士たちが、俺を無視して次々とロゼの後を追っていった。
残された我が隊の騎兵は十五騎。
戦力半減である。これでは、部隊としての体を成さない。
「……追うぞ」
「しかし、シトレイ様。
敵の大部隊が迫っています」
「うん、わかっている」
アギレットから指摘を受けるまでもない。
敵は二キロ先まで迫っている。数は二千、直接衝突するような事態になれば、どう考えても勝ち目はない。
「だけど、敵はまだ離れている。
それに足の遅い歩兵部隊だ。
そこに賭ける」
普通、歩兵の行軍速度は時速六キロ。二十分後には接触する計算だ。
ただし、それは敵が真っ直ぐこちらへやってきた場合の話である。より目立つモブ将軍の本隊が我が隊の東側で作戦行動に入っていたし、敵は展開しながら前進しているのだ。敵と接触してすぐ戦闘に入るわけでもない。三十分以上の余裕はあると見ても大丈夫だろう。
「追えば追ったでサミンフィアへの撤退が遅れるが、見捨てれば見捨てたで我々は半数での行動を強いられることになる。
どちらの場合もリスクをはらんでいる」
半減した戦力で、しかも一騎当千の実力を持つロゼを抜きにしての撤退行は困難を極めるだろう。そうした目に見えてわかる影響の他に、目に見えない影響も考えなくてはならない。
見捨てることが合理的判断だとしても、見捨てたという事実は残る。その事実は、残りの者の士気へ影響を及ぼすに違いない。
第一、半減した部隊を率いて帰還すれば、俺の力量が疑われる。
……力量が疑われる。
俺も、失策を犯した八年前の司令官や、現職のゴルツと同様、同じ穴の狢というわけだ。
「大丈夫、時間はある。
それほど絶望的な状況じゃないし、それなら、良い結果を得るために努力しよう」
「わかりました」
アギレットは頷いた。フォキアも、そして他の兵士たちも頷く。
「いざという時には天使さんもいるしね。
頼むよ」
「……ええ。
でも、わかっていると思うけど、一人ずつしか相手にできないわ。
それに、息の根を止めるのは槍でお願いね」
「もちろん承知している。
火薬だってあるんだ。
時間が惜しいし、じゃあ、行こうか」
決心した俺たちは、すぐに馬を走らせ、ロゼたちを追った。
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……後にして考えれば、ロゼではなくモブ将軍との合流を図るべきだったかもしれない。
見捨てる勇気が持てなかったのなら、見捨てた後の影響が怖かったのなら、モブに判断を委ねるという選択肢もあったはずだ。
しかし、後悔先に立たず。
その日の夜。
俺たちはサミンフィアの官舎の中で眠ることが叶わず、元いた森の中で息を潜む羽目になったのだった。




