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異世界でも現実は厳しい  作者: 懐中電灯
西部方面軍編
76/79

#075「激突・前編」

 コルベルンは人間が知りうる世界の最西端に位置する。西の果て、世界の外れと言ってもいい土地だ。しかし、人間の手があまり入っていない辺鄙(へんぴ)な土地かと問われれば、答えは否である。


 コルベルンは古くから実り豊かな土地として知られており、広い国土には八百万を越す人間が住んでいると言われていた。

 東部から北部へ貫く大河周辺には肥沃な耕作地が広がり、南部の乾燥地帯では豊富な鉱物資源にも恵まれていた。

 多くの人間が暮らしていけるだけの広さと資源を持つコルベルンは、一つの完結した世界を築いていたのだ。


 この、ドミナ教圏の中心部から隔絶した地であるコルベルンも、かつては帝国の統治下に置かれていた。

 コルベルンが帝国の版図に収まったのは古く、第二代皇帝レラジェ一世の治世にまでさかのぼる。そして、その征服を主導したのは、我が国で最も著名な軍人であるサイファ公爵家の祖ベリアル・サイファであった。


『恵みの地を神の子へ捧げよ。

 彼の地は神の恩寵により、我々に約束された果実である。

 この果実を手にすることこそが神の御意志であり、今は亡き太祖の御遺志である』


 常のごとく、経済および国際関係上の対立や富への野心によって引き起こされた戦争を、帝国は宗教的正義の遂行へと結びつけ、大義を主張した。


 一方、開戦を主導したベリアル・サイファは、そんな国家の本音や建前とは別の個人的な思惑も抱いていた。

 彼は若い時分より太祖の腹心として将兵を率い、太祖亡き後も軍事を総覧し、老いてなお現役にあった。己の全てを亡き友人の大志に捧げてきた彼は、自らの人生の最後に相応しい(いくさ)相手を求めていたのだ。


 だが、彼の願いは叶わなかった。

 老齢を押して出陣した彼は、越冬の際に病を得て、そのまま最前線で陣没したのである。


 ベリアル・サイファに代わり遠征軍司令官として後を継いだのは、同じベリアルという名を持つ若者だった。

 ベリアル・アンデルシアは皇帝レラジェ一世の弟である。

 当時はフレッジア王の称号を名乗っており、また、晩年には甥アガレス二世の後を受けて帝位に登っている。


 太祖アガレスは次男に友人の名前を与え、なおかつ、その友人を後見人に指名した。

 後見人の影響からか、長じて軍人となったベリアル・アンデルシアは、父になかった軍才を開花させた。実績も人望も申し分なく、しかもベリアル・サイファの娘を娶っていた彼は、義父の後を継いで軍を率いてしかるべきと衆目が一致するところであったのだ。


 義父が没して三年後。

 ベリアル・アンデルシアは見事コルベルン全土の征服を果たした。

 実父の志を受け継ぎ、義父の無念を晴らしたベリアル・アンデルシアの成功は、愛国者たちが好む逸話となっている。


 ところが。

 コルベルンの征服が美談で飾られる一方、その離脱は、愛国者たちにとって唾棄すべき悪夢となった。


『悪しき教えが辺境の地にて広まった。

 異端者たちはドミナ様への信仰を唱えているが、それはまやかしだ。

 彼らは帝室が神の子孫であるという事実を否定している。

 不法と悪徳がコルベルンを覆っていった。

 秩序と正義への愚かな挑戦を思いとどまるだけの良心が、彼らには残っていなかった』


 我が国が主張するところによれば、異端の教えに染まったコルベルンの民が、帝国に対し独立戦争を仕掛けた、ということになっている。


 しかし、主観を排し、歴史的事実のみを拾っていけば、いささか異なる事情が見えてくる。

 どうも、国の公式見解とは順序が逆なのだ。

 つまり、異端思想を持ったためにコルベルンの民が独立運動を始めたのではなく、コルベルンが独立した後に、我が国が異端と断ずる主張を唱え始めたのである。

 コルベルンの民は帝国の圧政から逃れるために反旗を翻し、独立を勝ち取った後、自らの結束を固めるために帝国との完全な決別――アンデルシア一門の否定を宣言したのだ。


 ベリアル・アンデルシアの征服より二世紀にわたり、帝国はコルベルンに苛酷な統治を敷いた。

 帝国は、コルベルンを資源の供給地としてしか見ておらず、その富を吸収するばかりで還元することをしなかった。

 コルベルンでは常に民衆の蜂起が絶えず、やがて帝国中央が帝位継承争いに没頭している隙をついて独立を達成した。その後、現地の有力者の一人をコルベルン王として擁立し、帝室を否定し、ドミナ教本来の教えに立ち戻ることを宣言したのだった。


 もちろん、主観を排した事実と言っても、これだって全て書物を読みこんだ結果得た情報である。

 コルベルンの独立より二百年近く経った現在では、当時の事実を知る(すべ)は存在しない。


 現在まで続いている事実は、このコルベルン独立という事件以来、不毛な戦争が続き、ドミナ教圏において二人のコルベルン王が並び立っているということである。


 コルベルン王を名乗る二人の人物のうち、一方は我が祖父だ。

 今上皇帝の弟で、宰相の要職にあって国政を掌握し、並ぶ者のいない権勢を誇っている。

 だが、ことコルベルン王位争いにおいて祖父は、というよりも帝国側は分が悪い。何せ、コルベルンと呼ばれる地域を二百年近くも実効支配しているのは、紛れもなく相手方なのである。


 コルベルン王を名乗るもう一方の人物こそ、客観的に見ればホンモノのコルベルン王だった。

 我が国としては、その客観的事実を認めるわけにはいかない。それゆえ、「コルベルン王位僭称者」とか「コルベルン偽王」と呼んでいる。

 この王位僭称者率いる異端者の賊徒集団こそが、我らが西部方面軍の主敵であった。




============




 七月。

 サミンフィア城塞の大会議室にて緊急の軍事会議が開催された。

 参加者はサミンフィアに駐屯する三個軍団の司令部と大隊長以上の上級将校の全員、そして西部方面軍の最高幹部である方面軍司令部のお歴々である。

 総勢五十名以上が集う、まさに大会議だ。


「邪悪な異端者どもの牙城レーニュへ潜入させている諜報員より、重大な情報がもたらされました。

 異端者どもはレーニュに十個軍団、総勢五万の大兵力を集結させ、おそらく今月末までには進発する可能性が極めて高いとのことです

 しかも、コルベルン王を僭称する異端者どもの首魁が、自ら指揮を執っているとの報告もございます。

 我らが神聖な祖国を侵さんとする不逞な意図は明らかです。

 忠勇なる帝国軍人は、この暴虐に対し敢然として立ち向かわねばなりません。

 国家への献身を以って皇帝陛下の恩顧に報い、邪悪な異端者どもに正義の鉄槌を下すのです」


 報告する二十代後半と思しき若い参謀は、俺と同様春先に西部へ赴任してきたばかりだと聞いている。

 新任地での、初の大きな仕事に気合が入っているのだろう。それは結構なことだが、どうも気合が入りすぎている感が否めない。


 前述のとおり、我が国は敵が自称するところの「コルベルン王国」や「コルベルン王」の名称を認めていない立場にある。だから、公式の会議ではいささか面倒な言い回しになるのは仕方ない。

 それでも、随分と言葉を飾りすぎているように思える。

 これでは報告ではなく演説だ。


「君、気合が入っているわネ。

 可愛いワ。

 でも、それでは疲れてしまうでしょう?

 少し落ち着きなさいな」

「は、はい」


 ゴルツは若い参謀を見つめながら笑っていた。

 なるほど、あの参謀、中々顔立ちが整っている。ゴルツのお眼鏡に叶ったのであろう。


「そうそう、そうヨ。

 肩の力を抜いて、ネ?」


 笑顔で参謀を見つめたまま、ゴルツは舌なめずりをした。

 今日も、気持ち悪さが絶好調だ。


「今、報告にあったように、コルベルン王国による大規模な軍事攻勢が確実視されているワ。

 敵は大兵力で、しかもコルベルン王自らが率いる軍勢ヨ。

 当然、士気も高いでしょうネェ」


 公式な会議だというのに、ゴルツは平然と「コルベルン王」「コルベルン王国」の語を口にした。


「司令官閣下、議事録に残ってしまいますが」

「あら、議事録なんて書き換えればいいのヨ。

 いいわネ?」


 ゴルツが目配せすると、脇に控えていた書記官が無言でうなづいた。


「だいだい、コルベルン王なんて称号を名乗る男どもは、どちらも敵なのだから、遠慮する必要なんてないのヨ」


 ゴルツの冗談、半ば本気であろう発言に対し、軍務次官派と見られる将校たちから笑いが起こった。

 俺も、表向き軍務次官派ということになっていたから、彼らの調子に合わせて笑っておく。


「さて、敵の兵力は五万人という話だけど、言うまでもなく、これは私たち西部方面軍の全軍を凌ぐ数ヨ」


 かつて、西部方面軍は九個軍団四万五千の正規兵と、二万人前後の補助兵、合わせて六万五千の大兵力を誇っていた。東部方面軍という例外を除けば、間違いなく国内最大規模の部隊であった。

 しかし、それも八年前までの話である。

 現在の西部方面軍は六個軍団、しかも定員を大幅に割っており、実兵力は二万五千を切っている。補助兵に至ってはまとまった数を確保できず、年がら年中募集をかけている有様だ。

 西部方面軍は、よその方面軍から兵員をかき集め、補助兵を正規兵に取り立て、兵士をクビにすることができない故に多少の軍律違反は黙認するなど、涙ぐましい努力を続けているにも関わらず、往年の勢いを取り戻せずにいた。


「多勢に無勢。

 こちらが篭城する側とはいえ、まともにぶつかったら厳しいでしょうネ」


 敵は五万兵。

 数だけ聞けば、東部方面軍が受け止めた二十万の蛮族に見劣りするだろう。

 しかし、相手は異教徒ではなく異端者だ。

 アンデルシア一門の神性を否定していても、ドミナへの信仰自体は守っている連中なのだ。ということはつまり、ドミナへの祈りが必要な術を使うことができる敵である。


 伝統的な部隊編成に則れば、十個軍団五万兵に従う術士は百人に達する。

 敵がどれだけ術士を揃えてくるかは定かではないが、コルベルン王自らが出馬してくるとなると、定数よりも少ないなんてことはないだろう。


「司令官閣下、敵が全兵力を以ってサミンフィア攻略にかかってくるとすれば、サミンフィア駐屯の三個軍団だけでは到底勝ち目がありません。

 国境に分散配置している残りの三個軍団をサミンフィアに集結させるべきではありませんか」

「兵数の少ない方がバラバラに陣取っている。

 確かに愚かしいことかもしれないけど、ダメヨ。

 どこか一か所でも国境が破られてしまったら、私たちには後がないワ」

「それではやはり、本国へ援軍を要請されてはいかがでしょうか」


 八年前の失敗を思い起こせば、その提案はごく自然なものだ。

 敵の罠によって二個軍団を失った当時の司令官は、その時点で本国へ援軍を要請することこそ上策だったというのに、己の名誉を守るために手持ちの軍勢で勝負に出てしまった。

 結果的に、二個軍団の損失という惨事は、サミンフィアの陥落という大惨事につながってしまったのだ。


「ダメヨ。

 私の力量が疑われてしまうじゃないの」


 なんてこった。

 ゴルツは先人と同じ轍を踏むつもりだろうか。


「それにネ、中央方面軍を動かすことはできないワ。

 今の軍務次官閣下のお立場を考えなさい」


 そりゃあ、我らが尊敬する軍務次官殿の立場からすれば、自らの力の源泉たる兵士たちを辺境に持っていかれては(たま)らないだろう。

 しかし、事は国家間の武力による対決なのだ。国内における派閥次元の利益を優先すべき話ではない。


 ……ああ、なるほど。

 中央方面軍は兵員も少ないし、戦闘を行う機会も少ないため、精鋭とは言いがたい組織だ。その中央方面軍がサイファ公爵の一番の力となっている理由は、本国に駐屯しているという一事に限る。


 以前、俺は中央方面軍の懐柔こそ考えるべきだと祖父に提案したことがあった。腹案があるとして、俺の提案は退けられたが、おそらく腹案とは中央方面軍を一時的にでも本国から移動させることなのではないだろうか。

 祖父ならば、移動させる口実を作ることなど造作もないだろう。


 しかし、今回ゴルツが却下した中央方面軍を西部(こちら)への援軍として派遣することについては、宰相派(われわれ)にとっても都合が悪い。

 地方の、特に積極攻勢論者たちが前進すべき戦線と設定している西部に軍務次官派の部隊が集結することは、軍務次官派にとって別の方向への勢力の伸長につながる。戦略的にも政略的にも重要なサミンフィアに、軍務次官派の強大な戦力がまとまってしまえば、たとえ都から離したとしても、それはそれでサイファ公爵にとって心強い後ろ盾となるだろう。

 中央方面軍には、どこか別の場所に移動してもらうのが好ましい。敵は遠くにいて、なおかつバラバラの状態にあることこそ望ましいのだ。


 ……と、ここまで考えて、俺は己に対して呆れた。

 敵の大攻勢という危機的状況において、派閥次元の考えを優先するゴルツを見損ないながら、俺は俺で見損なった相手と同じ派閥次元の考えに浸っていたと気づいたのだ。


 今は、目の前の危機にこそ注意を向けなければならない。

 司令官も、居並ぶ幹部連中も、派略にばかり目がいっている。このままではまずい。


「と、ここまでの私の発言を受けて『まずい』だなんて思っている人はいるかしら?

 甘いわヨ」


 ゴルツは満面の笑みで、自信満々に会議の参加者たちを見渡した。


「私もネ、司令官に就任して以来無為に時を過ごしてきたわけではないのヨ。

 この日が来ることを考えて、勝つための布石は打ってあるワ」




============




 我が国は、神の子孫が直接統治し、この世の終わりまで正しき信仰が守られる地上の楽園である。

 しかし、そんな理想郷を謳っていても天災は起きる。夜盗や害獣が跋扈し、貧困も存在する。

 理想郷は、現実の国家なのだ。


 それと同様、無法と悪徳と暴力が支配する異端者の賊徒集団も現実にある国家だった。


 残念なことに、我が国は対外方針を巡る激しい内部対立を抱えている。

 そして、我が国と同じ現実の国家であるコルベルンもまた、我が国と似たような事情を抱えていた。


「コルベルンの現王は、八年前の戦いの責任と取って退位した前王の弟なの。

 で、その前王には王子がいるのだけど、これが現王反対派に担がれているわけネ。

 この王子が、肖像画でしか見たことがないのだけど、中々可愛い顔立ちをしているのヨ。

 何というか、こう、色々と教えたくなっちゃうような幼さが残る顔立ちというか」


 ゴルツは西部方面軍の司令官に就任した当初から、この王子一派を支援してきたという。

 八年前の戦い以来、我が軍は慢性的な兵員不足の状態にある。この弱点を補うため、敵の分裂を誘発するための方策だった。

 あくまで、軍全体の利益を考えてのことだ。

 王子が可愛いからとか、そういう理由じゃないと信じたい。


「コルベルン王自らが出馬してくるのはネ、それだけ気合が入っているのでしょうけど、理由はそれだけじゃないワ。

 彼は我々への勝利を以って、自らの王位を固めておきたいのヨ。

 コルベルン国内の強硬派からの突き上げもあるらしいしネ」


 王位が不安定なら、本当は都から離れたくないだろう。しかし、コルベルン王は政治的理由から都を出てこざるを得ない。そこに王子一派の付け入る隙が生まれるのだ。


「コルベルン王が前線まで出てくれば、王子一派は確実に蜂起するワ。

 これはもう、規定の路線と断言してもいい。

 王子一派が我慢できなくなるだけのお金と人手を、ずっと与え続けているのだからネ」


 ゴルツはこれまで行ってきた王子一派への援助の顛末を事細かに語った。

 王子一派との接触と、援助し続けることがどれだけ困難だったか。それをやり遂げた自分がどれだけ有能か。

 ゴルツの功を誇るような話しぶりには、国外にまで食指を伸ばしているという自らの力を誇示したい意図も見え隠れする。


「だからね、簡単な話なのヨ。

 コルベルン王自らが前線に出てくる時点で、私たちの勝利は約束されたも同然なの。

 私たちは時間を稼げばいい。

 都からわざわざ援軍なんて呼ばなくても、時間さえ稼げば、相手が勝手に撤退していくワ」


 勝つと断言したゴルツに対し、軍務次官派の将校たちから、おお、という感嘆の声が上がった。


「素晴らしい智謀です、閣下」

「知将とはまさに閣下のこと」

「さすがは軍神ベリアルのご一門ですな」


 将校たちのヨイショは露骨すぎて失笑しそうになったが、俺も表向きは軍務次官派の人間ということになっていたから、彼らの調子に合わせてヨイショしておく。


「ヴ、うー……おい……」


 と、その時。

 これまで会議室の隅で(おそらく二日酔いで)頭を抱えていた人物が、痰が混じったような濁った唸り声を上げて、俺や将校たちのヨイショをさえぎった。


「……お前ら、どうも論点がずれていないか。

 この会議はいかにして敵の攻勢を跳ね除けるか、その方策を考えるためのものじゃなかったのか」

「どういう意味かしら?

 モブ将軍は、私の考えに反対なの?」


 ゴルツは鼻をつまむような仕草をしながら問うた。

 ゴルツとモブの席は離れている。酒臭さが臭ってくるような距離ではないだろうから、ゴルツの仕草はおそらく嫌味でやっているのだろう。


「司令官のお示しになった方針に異議はありませんよ。

 ただ、問題はその時間稼ぎというやつです。

 敵軍五万のうち、一体どれだけの数をサミンフィア攻城に割いてくるかはわからないが、術士の数はこれまでの戦いよりも多いと考えるべきでしょうよ。

 この街の城壁もたいそう立派になったが、何十発、下手したら何百発もの術に耐えることができると楽観視することは、俺にはできなくてね」


 尤もな発言だ。

 兵力不足を謀略を以って補うというゴルツの考えは真っ当だ。しかし、それはどちらかというと戦略に属する話だった。

 敵の攻勢に耐える手段、時間を稼ぐための方策――つまり戦術については、具体的なことは何も話し合っていない。


「うん、そうネ。

 確かにそのとおりよネ。

 で、モブ将軍には何かお考えがあるのかしら?」

「一番に考えるべきは敵の術士、いや、放たれる術の数を減らすことです。

 敵の攻城準備が整う前に奇襲をかけ、標的用の家畜の数を減らす……ってあたりが妥当でしょうな。

 騎兵のみで構成した部隊を編成し、あらかじめ城壁外の森の中へ伏せておき、敵をやり過ごした後に奇襲をかける。

 後は城壁内まで一目散に撤退させるだけです。

 襲うといっても目標は家畜ですし、騎兵であれば移動速度も信頼できる。

 小さな損失で大きな効果が期待できると思いますが」


 術は生物を標的に発動される。

 そのため、篭城する側は敵の術士の視界に入らないよう徹底して身を隠す。城壁もそのことを念頭に置いて築かれており、篭城側は敵に身を晒すことなく矢を放てるようになっていた。

 一方、攻める側も工夫を凝らす。

 城壁に直接術を放つことが不可能な以上、標的となる生物を用意するのだ。それが家畜だった。

 攻める側は多数の家畜を暴走させ、城壁に突っ込ませた上で、その家畜を標的にして術を放つのだ。

 家畜は、多くの場合は牛である。角に松明をくくりつけ、暴走させて突撃させるのだ。

 そのため、大規模な攻城戦の前後は牛肉の値段が高騰する。庶民にとって、戦争は直接的にも間接的にも迷惑でしかなかった。


「うん、うん。

 賛成よ、モブ将軍。

 貴方の提案を採用するワ」


 笑顔でモブの提案に乗ったゴルツに、若干戸惑いを感じる。

 両者のウマが合わないのは、西部方面軍において周知の事実だった。特に、ゴルツはモブのことをかなり嫌っている様子だった。

 それなのに、ゴルツはモブの提案を素直に受け入れている。


「ついでに、貴方を奇襲作戦の責任者に任命するワ。

 このサミンフィアに、実戦指揮で貴方の右に出る者はいないのだからネ」

「んははは、こいつはありがたい。

 ちょうど体が鈍っていたところだ。

 司令官はよくわかってらっしゃる。

 喜んで引き受けましょう」


 しかし、冷静に考えれば、そういうものなのか、と納得することもできた。

 二人とも、軍の要職にある公人なのだ。

 軍隊は仲良しクラブではない。心情的にはともかく、両者とも全体の利益を考えて発言しているのだろう。

 嫌ってはいても有用な提言を採用し、なおかつ実戦経験の豊富さを認めて任務を与えるゴルツ。それに対し、明朗な快諾の返事を送るモブ。実のところ、中々良いコンビなんじゃないかとも思えてきた。


「それじゃ、奇襲部隊の編成について話し合いますか。

 と言っても、騎兵の数は限られているから選択の余地もないがね。

 俺の軍団の騎兵大隊を中核として、第五雷光軍団、第十八常勝軍団からも騎兵を供出してもらう形で……」

「あら、ちょっと待って、モブ将軍。

 私は貴方を奇襲部隊の責任者に任命したけど、全軍の編成に口を出す権限まで与えた覚えはないわヨ?」


 モブに待ったをかけたゴルツは、笑顔のままだったが、目は笑っていなかった。

 モブはモブで、二日酔いのためか悪かった顔色を、いっそう暗くさせた。


「どういう意味ですかな? 司令官」

「今言った以上の意味はないワ。

 貴方は貴方の権限と責任において作戦を成功させなさい」

「それはつまり、俺の軍団だけで奇襲を行えってことか?」

「ええ、そうヨ」


 前言撤回だ。

 やっぱり、彼らは決定的に仲が悪い。


「第六軍団だけでやれと言われれば、やるがな、司令官。

 俺の軍団の騎兵大隊だけだと数は五百。

 軍団全体から馬に乗れる人間をかき集めても千に満たないだろう」

「あら、少数のほうが、命令が行き届きやすいわヨ?

 貴方の軍団だけなら、命令系統に混乱を招くこともないし、指揮が取りやすくなるじゃないの。

 それに、わざわざ騎兵のみで作戦を行うのは、家畜を殺すことよりも、無事に撤退することを重視しているのでしょう?

 数が少ないほうが、城門を開く時間も少なくて済むワ」

「しかし、奇襲をかける兵の数を減らしては、殺せる家畜の数もまた減るだろう。

 せっかくこちらから打って出るというのに、戦果が半減してしまう」

「そこは責任者の力量が問われるわネ、モブ将軍」


 モブはどんよりした目つきゴルツを睨んだ。


「……ああ、そうですか。

 なら、俺も最大限努力しますよ。

 ところでだ。

 司令官のご期待に応えるため、騎兵大隊だけではなく、馬に乗れる奴を根こそぎ連れて行かなきゃならなくなったわけだが、よろしいのでしょうな?

 そうなると、司令官の大事な大事な『本家の婿殿』を戦場に駆り出すことになるが」


 モブの発言を受け、これまで両者の対決をどこか他人事のように眺めていた俺は、一気に現実へ引き戻された。

 そうだ、そうなのだ。

 モブ率いる第六獰猛軍団は、俺の所属する軍団だ。

 馬に乗れる人間には、俺も含まれているのだ。

 士官学校卒業生ならば、当然馬術の訓練も受けている。百人隊長以上の指揮官は馬上で兵を指揮することにもなっていた。実情はともかく、俺は「馬に乗れる人間」なのだ。


「シトレイくんの隊には城壁内で防衛任務に就いてもらうワ」

「ええ、どうぞご自由に。

 ただし、ハイラールの隊で馬に乗れる人間は全員連れて行く。

 もちろん、ハイラール大隊長本人も含めてな」

「部隊に任務を与えても、部隊指揮官がいなくちゃ話にならないじゃないの。

 シトレイくんを置いていきなさい」

「そうはいきませんな、司令官。

 こと軍団内における部隊編成は軍団司令官たる俺の権限の範疇だ。

 俺の権限と責任においてハイラールを連れて行く。

 先ほど司令官が仰られた言葉どおりにやらせてもらう」

「そうネ。

 貴方には他の軍団に口を出す権限はないわネ。

 でも、私にはある。

 私は方面軍司令官、貴方の上位者ヨ」


 ゴルツとモブの言い争いはヒートアップし、もはや手をつけられない状況になっている。


「方面軍司令官が命令できるのは、どの軍団を出撃させるか、までだ。

 どの軍団のどの大隊を出撃させるかではない。

 そんなこと、いちいち説明させないで頂きたい。

 俺の軍団から防衛任務に一個大隊割けというのなら、どの大隊を供出するかは俺が決める。

 一個大隊必要だというのなら……そうだな、リュメールを置いていこう。

 司令官のお気に入りを置いていくんだ。

 感謝してもらいたいものだな」

「あら、ありがとう。

 でも、何度も言うけど、私はシトレイくんを置いていきなさいと言っているの。

 確かに、私にはシトレイくんを指名する権利はないかもしれないけど、でも、人事権は持っているのヨ?

 命令が聞けないのなら、貴方を更迭することもできるのだけど」


 ついに、ゴルツの口から更迭(クビ)の言葉が出てしまった。

 こうなると、もはや理性は吹っ飛び、重要な軍事会議を行っていたはずの会議室が、感情と感情がぶつかり合う戦場と化す。


「ほう、俺をクビにするか。

 敵の攻勢が迫っている今この時期にか?

 やれるものならやってみろ」


 さすがに「クビ」の言葉が出ると、モブ本人は当然ながら、周りにいたモブと親しい将校たちも黙っていなかった。先ほどまで、ゴルツとモブに言い争いを静かに見守っていた彼らも立ち上がり、口々にモブを更迭することは許さないと抗議する。


「あら随分強気ネ。いいでしょう。

 この戦いが終わったら貴方たち全員をクビにしてあげるワ。

 ついでに全員、上官抗命罪で軍法会議に送ってあげるから」

「何が抗命罪だ。

 法的根拠のない命令を拒否したところで抗命罪になどなるものか。

 クビでも軍法会議でも望むところだ。

 これまでだって、俺を飛び越して部下に直接命令を下したり、無茶な人事異動で色々と引っ掻き回してくれたが、もう我慢ならん。

 そこまで言うのなら、司令官が敵国に金を流している事実を軍法会議で洗いざらいぶちまけてやる。

 めちゃくちゃに脚色した上でな。覚悟しとけよ」

「ンフフ、無駄なことを。

 法務局は私の味方をするでしょうネ」

「ああ、そうかい。

 だったら俺も生き残るため、なりふり構わず足掻くしかないな」

「足掻く?

 貴方ごときに何ができるの?」

「ただ挨拶に行くだけだ。

 都についたら軍務府に出頭する前に、コルベルン王なりエレオニー公爵なりの屋敷へな。

 お偉いさん方の勢力争いにゃ興味はないが、生き残るためには節を曲げる必要もある。

 どうだ、お前らもついてくるか?」


 モブは、自分の側に立つ将校たちに向かって問うた。モブと親しい将校たちは「おー!」と鬨の声を上げる。

 一方、不倶戴天の政敵である宰相や近衛軍司令官の名前を出され、いよいよ軍務次官派の将校たちも立ち上がった。

 参加者のほとんどは、数百人単位の兵を預かる部隊指揮官たちである。

 もはや、これは内紛に等しい。


 その後、幾人かの勇気ある会議参加者たちが仲裁に入り、舌戦が武力衝突に発展することなく、最悪の事態を回避することができた。

 冷静さと中立を保っていた人間の数が少なかったら、本当に乱闘騒ぎにまで発展していたかもしれない。


 例年にない敵の大攻勢が近づく中でのこの体たらく。

 宰相派の一員として、派閥抗争の当事者としては歓迎すべき現状だが、一軍人としては憂慮すべき現状でもある。

 これが、異教徒に対する砦サミンフィアを預かり、外敵から祖国を守護する立場にある我が軍の内情だった。

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