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異世界でも現実は厳しい  作者: 懐中電灯
西部方面軍編
75/79

#074「敵・味方」

 結論から言おう。火薬を使った作戦は見事に失敗した。


 長盾を並べ、皇帝狼(フェンリル)たちを包囲する我が隊の兵士たち。

 その包囲網の中で、荒い息で牙をむき出し、敵意のこもった目で俺たちを睨む皇帝狼(フェンリル)の群れ。

 その群れの中央には、薄い煙を吐き出すこぶし大の玉が転がっていた。


 爆発はしていない。

 導火線の火が爆弾本体まで達した後、吸い込まれるように消えたのだ。煙は火薬が発したものではなく、導火線の火から出たものだった。


「いやいやいや……」


 待て待て待て。

 大丈夫だ、待て。焦る必要はない。まったくない。

 これは、たまたまだ。

 おそらく、爆弾の作りが甘く、火薬への着火が上手くいかなかったのだろう。

 大丈夫。

 火薬は強力な武器だが、たった一発で勝敗が決するとはハナから思っていなかった。だから、もう三個ほど爆弾を持ってきたのだ。


 俺は鞄から鋳物に導火線を取り付けた手製の爆弾を取り出すと、兵士に持たせた松明から慎重に火を移し、再び皇帝狼(フェンリル)の群れに投げつけた。


 パンッ! パパンッ!


 今度は、ちゃんと火薬に火がついたようだ。

 だが、威力は落第である。

 遠目に見て鋳物は形をとどめている。聞きなれない爆発音に皇帝狼(フェンリル)たちは顔をすくめ怖気づいていたが、その爆発音だって爆竹よりも弱い程度の大きさに聞こえた。


 本来、火薬が実験どおりの性能を出してくれれば、一発で五~十頭前後の皇帝狼(フェンリル)を吹き飛ばせるはずだ。

 しかし、俺が投げた爆弾は、害獣を一匹だって殺せていない。

 音にびっくりしていた皇帝狼(フェンリル)たちは、自分も仲間も無傷であると確認し、再び荒い息と大きな牙を俺たちに見せつけて威嚇してきた。


 もう一つ、火をつけて投げてみる。

 先ほどよりもさらに弱い破裂音が周囲に響いた。


 最後の一つも投げる。

 今度は、一発目と同様着火すらしなかった。


「何で……」


 おかしい。何故、爆発しない?


 随分と苦労したが、既に生産法は確立されている。

 それに、新しい火薬を調合したら試験をするよう家臣たちに命じてもいる。うちの家臣たちが試験を怠るような真似をするはずがない。製造した時点では完璧だったはずだ。


 投げた四つの爆弾のうち、半分は不発で、半分は破裂音こそ発したものの、威力が不十分な出来であった。

 四つの爆弾に詰めた火薬は、三ヶ月ほど前に都の屋敷(タウンハウス)で調合したものである。同じ時期に作ったものなのに、何故か威力にバラつきがある。


湿気(しけ)ってる?」


 いかに原始的な黒色火薬といえど、三ヶ月程度でダメになるとは思えない。

 だとすれば、原因は何だろうか。

 湿気ってしまったがために不発だったとして、その湿気った原因は何か。


 戦場は皇帝狼(フェンリル)の巣。場所は山の中。

 五月のこの時期は、確かに湿気が多い。

 朝靄(あさもや)のかかる森の中を行軍してきたので、その時にやられたのだろうか。


 しかし、鋳物に詰めて爆弾にしてきたものを持ってきたのだ。

 湿気の多い空気に、じかに火薬を晒したわけではない。


 あるいは、都から西部国境までの、一ヶ月に及んだ船旅に原因があるのだろうか。

 火薬が湿気に弱いのは知っていたから、対策は施してきたつもりである。

 火薬に直接触れないよう石灰を置いたり、晴れた日には甲板(デッキ)で天日干しして、湿気らないよう注意を払ってきたつもりだ。


 どちらにせよ、それらの移動を経た火薬は、不発のものに変わっていた。

 火薬の吸水性は俺の想像を上回る強さだったということだろう。


「おい!」


 大きな声がして、俺は現実に引き戻された。

 前方の皇帝狼(フェンリル)の威嚇は続いている。今は、火薬が不発に終わった原因を考察している時ではない。


 狼たちと俺の間に立つロゼが、大きな声で呼びかけてきた。


「隊長殿、カヤクはどうなったんだ」

「……失敗した」

「何だって?」


 皇帝狼(フェンリル)の群れは俺たちを、特に、大きな音を発す謎の物体を投げつけてきた俺に対し、殺意のこもった睨みを向けてきている。


 攻撃の決め手である火薬はなくなった。

 今敷いている包囲網は、敵の殲滅ではなく、敵を一箇所に追い込むためのものである。術や火薬の使用を前提とした、薄い包囲網だ。

 直接攻撃を想定していない包囲網なのだ。


「失敗だ。失敗したんだ!

 このままでは犠牲が出る。

 撤退しよう!」

「はぁ!?

 こんな、敵の真ん前で、しかも人間より素早い皇帝狼(フェンリル)を相手に撤退だって!?

 正気の沙汰じゃあないね!

 それこそ、どれだけ犠牲が出るかわからないじゃないか!

 アンタ、頭イカれてるんじゃないのかい!?」

「しかし……!」


 俺との議論は不毛だ。

 そう言わんばかりに、ロゼは俺の返事を無視し、前方へ向き直る。


「ジョーヌ、ブラン、ヴェールの隊はその場を死守!

 その辺に落ちてる枝に火をつけろ。

 絶対に後退するんじゃないよ!」


 その返事を聞いた十人隊長の一人が、すぐに俺のところへ来て松明を持っていってしまった。

 火薬に火をつけるための松明だったが、兵士たちに配るための種火に変わったのだ。


「ヴィオレ、グリ、オランジュ、ノワール、それに私の隊は前進だ!

 包囲を狭めるよ!」


 ロゼは、左手にいたフォキアをチラを見る。


「フィッツブニト、アンタはどうするんだい」

「……やる」

「じゃあ、まずはその場を守りな。

 陣形を崩しちゃいけないよ」


 短く、それでいてはっきりした指示を出すロゼ。

 一介の十人隊長であるロゼに全員へ命令を出す権限などないのだが、そんなことは、俺を含め誰も(とが)めなかった。


 命令を出した後、ロゼは皇帝狼(フェンリル)の群れへと突っ込んだ。 

 速攻で、まず群れの先頭にいた一匹が、彼女の槍の餌食となる。

 それを見て、前進の指示を受けた兵士たちが、ロゼの後に続いていった。


 害獣の群れを相手にした、激戦が始まった。




============




 火薬を使った作戦は失敗した。

 それでも、害獣討伐という目的自体は達成することができた。

 指揮官である俺は、目の前の激闘に対し、何ら成すことができなかった。だが、先陣を切るロゼの指揮の下、兵士たちが果敢に立ち向かい、見事皇帝狼(フェンリル)を一匹残さず駆除することができたのだ。


 戦死者はゼロだった。

 積極的に攻めつつ、既に出来上がっている包囲網を崩さないよう努め、前進することで包囲を狭める。包囲を狭めると同時に、包囲網自体を厚くし、兵士たちが連携して狼たちに当たれるような状況を作る。

 なるほど、ロゼは、最前列で戦う様からして猪突猛進タイプのように見えるが、一方で冷静に全体を見ることができる人物らしい。爆弾の不発という予想外の事態に狼狽し、撤退しか頭になかった俺とは違って、的確な判断を下していた。


「シトレイくん、よくやったわネ」


 ゴルツはニコニコしながら、「俺の」働きを賞賛した。


「一人の戦死者も出さなかったそうじゃない。

 命令を出しておいて、しかも終わった後に言うのも何だけど、今回の任務はとても困難なものになると思っていたのヨ。

 貴方を試したかった気持ちも、実はあったの。

 それでも、期待以上の働きだワ」


 確かに、戦死者は出さずに済んだ。

 だが、負傷者が皆無であったわけではない。むしろ、傷を負わなかった者の方が少ない。そのうちの幾人かは、軍務続行が不可能なほどの重傷者だった。

 軍務続行が不可能なほどの重症とは、つまり、手や足を狼に食い千切られてしまったということだ。


「……全て、部下たちの働きです」

「あら、そんな謙遜しなくていいのヨ。

 部下を使いこなすことこそ、指揮官に一番必要な能力じゃない」

「しかし、私は」

「閣下」


 俺の言葉を、横にいるロノウェがさえぎった。


「閣下、今回のハイラール筆頭百人隊長の功績に対し、大隊長の地位を以ってお報いになると伺っておりますが」

「ええ、そのつもりヨ。

 同じ第六獰猛軍団の、最右翼大隊に転出させるワ」

「やはり、そうですか。

 ですが、最右翼大隊は欠員が多く、定員を大幅に割っている隊でもあります。

 ハイラール大隊長(・・・)が閣下のお役に立つためには、名だけではなく実もお与えになる必要があるかと」

「もちろん、兵員の補充は考えているワ。

 名前だけの大隊長なんて、私が許さない。

 シトレイくんには地位と能力に見合うだけの働きをしてもらわなきゃ困るんだからネ。

 といっても、新兵は来年にならないと入らないから、別の隊から寄せ集めるしかないワ」

「それでは我が隊からも幾人かの兵士を……」


 ゴルツとロノウェの会話は頭に入ってこなかった。

 ただただ、俺の頭を占めていたのは、今回の任務での失敗と、その結果表面化するであろう影響についてだ。


「今シトレイくんが率いている百人隊を、そのまま新しい大隊に転属させるとして」


 新しい大隊へ兵士たちを引っ張っていく。普通なら、これまで指揮していた者たちを連れて行く。ゴルツの指示は、当たり前の内容だ。

 しかし、そうなると、今後もロゼたちを率いることになる。


 今回の一件で、いよいよ部下たちに愛想を尽かされてしまった。


 帰還の途上、兵士たちの間に漂う空気は重かった。

 負傷者の収容や帰還までの日程など、指示を出せば答えてはくれる。決して無視はされていない。だが、それまでは反発にしろ悪態にしろ、感情のこもった態度を返してきた部下たちが、極めて機械的な、感情を隠しているような反応を示してきたのだ。

 表面的には無視はされていないが、感情的には、俺は部下たちから無視されるようになった。


「それでは、失礼いたします」


 ゴルツの執務室を出た俺とロノウェは、いつもどおりモブの執務室へと向かうことになった。


「先ほどは、出すぎた真似をしてすいません」

「うん?」

「シトレイ様とゴルツ司令官のお話をさえぎったことについてです」

「ああ。

 いや、いいよ。むしろ感謝してる」


 あのまま、俺がゴルツに心情を吐露していれば、それは俺の弱味をゴルツに見せることになる。

 懺悔するとしても、その相手はゴルツではない。


「……大丈夫ですか」

「う、ん。

 いや、大丈夫じゃない。

 歯がゆいよ。

 兵士たちに申し訳が立たない」


 自分の詰めの甘さ。そして驕り。

 爆弾を投げつける直前まで、俺は成功を疑わなかった。任務が成功すれば――火薬の威力を見せ付けてやれば、ロゼだって少しはしおらしくなるだろう、とすら思っていたのだ。


 任務の前、俺はロゼたちに「信用しろ」と言った。

 「一人の犠牲者を出さずに任務を成功させる」と大見得を切った。


 結果は散々なものだ。

 ロゼたちの俺に対する評価は地に落ち、そして数名にしろ重症を負わせ、彼らの人生を狂わせてしまった。


「彼らとて、覚悟して軍務に臨んでいるはずです。

 それに、名誉の負傷による退役です。

 一時金も下賜されますし、農地も貰えるんですから、彼らが路頭に迷うわけではありませんよ」

「うん……」


 ロノウェは気を使ってくれたが、それでも俺の心は晴れなかった。


「……すいません」


 そんな俺の気持ちを感じ取ったのか、ロノウェは一言謝ると、黙ってしまった。


「よう、隊長殿」


 沈黙を破ったのは、ロゼだった。

 前方から歩いてきたロゼの表情は、一見普段と変わらないように見える。


「暗いな。

 帰還の時からずっと暗いじゃないか」


 部下たちから機械的な反応を受ける中、俺は俺でロゼを無視、というより避けていた。

 彼女に何を言われても仕方ない。そう理解しつつ、それでも怖かったのだ。

 今、俺は彼女と相対している。向こうから話しかけてきたのだから、もう避けることはできない。


ゴルツ(はげ)のとこに行ってきたんだろう?

 大隊長へ昇進かい?」

「……そうだ」

「なるほど、めでたいじゃないか。

 それなのに、何でそんなに暗いんだい?」


 いつもどおりの彼女の口調は、沈んだ気持ちの俺からすれば、やけに明るく感じられた。


「言わなくてもわかるだろう。

 私は失敗した。

 私のせいで、手や足を失った者もいる」

「そうさねぇ、アンタのせいかもしれないねぇ。

 でも、だからと言って、そんな辛気臭い顔をしてても、何も変わらないよ」

「ロゼ……」

「アンタの失敗を恥じる気持ちは、まぁ、悪くないよ。

 カヤクだかを使おうとしたのも、兵士たちの安全を考えてのことだろう? その動機だって悪くない」


 もしかして、彼女は俺を元気付けようとしてくれているのだろうか。


「ただねぇ、問題はそこなんだよ、隊長殿。

 アンタの善意は、正反対の結果を生んでる。

 悪意の結果よりもタチが悪いよ」

「……」


 何も言えない。

 命のやり取りをする現場だ。結果が全てなのだ。


「ロゼ隊長、少し言葉が過ぎるのではないか」

「これはこれは、すいませんね、リュメール大隊長殿。

 どうも、私は思ったことが口に出てしまう性質(たち)でね」


 ロノウェはロゼを睨んだが、ロゼはそれを平然と受け止める。


「ところで、幹部連中たちが噂話しているのを小耳に挟んだのだが、どうやら私も昇進するらしいんだ。

 アンタの下で百人隊長をすることになった」

「うん、聞いている」

「百人隊長は二度目だ。

 今更昇進なんてどうでもいいが、だけど、アンタの下につくことは悪くないと思ってね。

 アンタの近くにいりゃあ、アンタを止めることだってできる」


 ロゼの非難を受けて、地の底まで落ちた気持ちが、期待へ変わる。

 俺の近くで、俺を止める。

 俺の指揮がまずいときは止めてくれる。諫言してくれる。俺を補佐してくれる。


「止めてくれるのか? 私を」


 期待をこめて、ロゼを見据えた。

 だが、ロゼの表情から、先ほどまでの明るさが消えていた。


「止めてやるよ、隊長殿。

 アンタを背後から刺してな」

「刺す……?」

「恨むんなら、自分の無能を恨むんだな。

 善意と地位に、能力が追いついていないのが悪いんだ」


 そう言うと、ロゼは俺たちの横を通り抜けて行ってしまった。

 耳を疑い、目を丸くして沈黙する俺たちのことなど、彼女は意に介さない様子だった。




============




「ふふ……」


 しばらく沈黙した後、俺の口から漏れ出たのは笑いだった。


「私を刺すか。

 いいさ、望むところだ」

「シトレイ様?」


 もう悩まなくていい。

 ロゼや十人隊長たちに認められようとか、考えなくていいんだ。煩わしいのは終わりだ。

 全部吹っ飛んだんだ。


「聞いたか、ロノウェ。

 あの女は私を刺し殺すそうだ。

 あの女は敵だ」


 単純明快だ。

 あの女は俺の敵である。

 敵対者だとすれば、あとはどう排除するかだけを考えればいい。


「まずは、ゴルツ司令官に根回しだな」


 あの女は戦場における勇者だ。腕力では到底かなわない。

 だが、俺の武器は権力である。

 今までだって、腕力ではなく権力で勝負してきたのだ。俺自身の身分と、祖父の名前。そして金と人脈。それらを繋げて武器にし、戦ってきた。

 今回だって、何も変わらない。腕力では勝負にならないから、権力の戦場に引き出すのだ。

 ロゼは平民の出で、一介の士官に過ぎない。いかに優れた軍人だろうと、これまで敵対してきた相手に比べれば、取るに足らない人物だ。

 相手の得意分野では歯が立たないだろうが、自分の得意分野を舞台にすれば、絶対に勝てる。

 ネチネチと追い詰めてやる。俺のネチっこさを思い知らせてくれよう。


「お待ち下さい、シトレイ様」


 (きびす)を返し、ゴルツの執務室へ戻ろうとした俺を、ロノウェが止めた。


「少し、性急過ぎではありませんか?」

「性急?

 そりゃあ性急にもなる。

 ロノウェだって聞いていただろう。

 ロゼは私を刺すと言ったんだぞ。

 そんなこと言われて、のんびり構えている人間なんていないよ」

「いえ、性急過ぎるのはシトレイ様だけではありません。

 ロゼ隊長も性急過ぎます」


 俺は大きな失敗を犯した。

 それは善意から発せられた結果だった。それは、悪意から発せられた結果よりもタチが悪い。

 そう、ロゼは言った。だから刺す、と。


「ロゼ隊長は今まで何度も上官と(いさか)いを起こしていますが、殴り飛ばしはしても、刺したことは一度だってありません。

 それが、今回はいきなり上官を刺す、です。

 彼女がシトレイ様の作戦指揮に疑問を持ったとしても、それがいきなり上官殺しだなんて、性急というか短縮的過ぎます。

 普通ではないですよ」

「うん。

 普通じゃないね。

 しかし、彼女は実際私を刺すと言ってきたんだ。

 これまでの彼女の言動は、兵士たちを想うが故のものだと思ってきた。

 無礼で粗野だが、かろうじて常識の範囲内に踏みとどまっているものだと思ってきたんだ。

 だけど、彼女は普通じゃない。

 実際に、私を刺すと言ってきた。

 上官を殴り飛ばすことに慣れて、考えがエスカレートしたんだろう。

 彼女自身が、普通ではない。

 もう、常識から外れている」


 猪突猛進タイプ、戦場では優秀だが、常識が無い人物。そういうタイプの人間は実在していそうで、実のところそうでもない。いかに命令には絶対服従を強いられる軍人を率いるとしても、その軍人たちも人間なのだ。あまりに常識外れな、破天荒な人物が成功することなど現実にはないのである。

 ……と思っていたのだが、例外はあったらしい。


「仮にそうだとしても、では、何故ロゼ隊長はシトレイ様本人に向かってわざわざ宣言したのでしょうか。

 彼女が本気でシトレイ様を排除するつもりなら、黙って刺してくるのではないでしょうか」


 ……。

 ……うん。確かに、宣言する必要はない。


 ロゼの人間としての常識に疑いを持ったとしても、軍人としての能力に疑いはない。


 彼女は的確な判断を下すことができる軍人だ。本気で俺の刺すというのなら、わざわざこちらの警戒心を喚起するような真似はしないだろう。

 そもそも、彼女の力を以ってすれば、宣言ではなく、この場で行動することも可能だったのだ。俺とロノウェの二人では、おそらく彼女一人に勝てないだろうから。


 背後から刺すと言われ、その言葉自体が頭を占めていたが、今一度冷静になって考えよう。


「しかし、だとしたら、何故彼女は私を刺すだなんて言ったのだろう」

「理由は何とも……ただ、本気で殺意を抱いているようには、どうしても思えません。

 そう思うにしては、疑問点が多すぎます」


 今度失敗したら刺すぞ、という脅しだろうか。それとも激励か、あるいは冗談か。

 ……そうは思えない。先ほどのロゼは、表情も視線も空気も本気だった。あの雰囲気の中、激励でした、冗談でした、なんて通用しない。


 あるいは、これも彼女の趣味――自分を不利な状況に置いて楽しむことの一環だろうか。

 俺に睨まれることを楽しんでいるのだろうか。


 だが、それにしては度を越している。

 上官に対して背後から刺すと宣言することは、実際に殴り飛ばすことよりも過激で、取り返しのつかない行為だ。度を越しているどころか、踏み外している。

 それに、不利な状況を楽しむということは、不利な状況それ自体よりも、その状況を覆す快感を楽しむことだ。

 厳しい戦闘は、生き残ってこそ悦びを感じることができる。上官との対立は、兵士たちの賞賛を受けてこそ意味を成す。


 マルコだってそうだ。女性から無視されたり、罵詈雑言を浴びせられること自体に意味を見出しているのなら、彼は現状に満足しているはずである。それでも、彼が女性との出会いを求めるのは、愛のある痛みが欲しいからだろう。

 

 ……と言っても、俺はMじゃないから、全部想像である。

 真のMは、俺の想像の及ばぬ存在なのかもしれない。そこまでいってしまっては、ロゼの考えを考察することなど不可能だ。


 しかし、そもそもロゼをマルコの同類と考えられない部分もある。

 マルコの同類と断ずるには、どうも違和感を感じる。


「ふー」


 落ち着こう。

 刺すと宣言されて、敵対者と断定して考えることをやめた俺は、ストレスから解放された。それ故、ロゼは敵であるという考えに固執するところだった。

 まずは落ち着こう。

 ひとまず、断定するのはやめだ。


「こちらからロゼを処断すれば、兵士たちから恨みを買うだろうな」

「はい。

 処断することは可能でしょうが、処断した後が怖いです。

 少なくとも、こちらから排除に動くのは早計でしょう。

 もちろん、警戒はすべきですが」

「そうだな。

 警戒しつつ、相手の出方を待とうか」

「ええ。

 その上で、万が一ロゼ隊長が馬鹿げた真似を行ってきたら、返り討ちにすればいいのです。

 いくら兵士たちから広く支持を集めているといっても、上官を殺そうとした人間が支持を受け続けるとは思えませんから」

「万一の時は返り討ちにする……それこそ一番骨が折れそうだ」


 ロゼと直接剣を交えるような状況になった場合、一体何人で掛かれば彼女を仕留めることができるのであろうか。

 ロゼの言動よりも、むしろ彼女の強さにこそ常識外れな怖さを感じる。


「その点はお任せ下さい。

 ロゼ隊長に殺意はないと思いますが、そう進言しておいて間違っていた場合は取り返しがつかないですからね。

 僕が直卒している百人隊から、二十人ばかりシトレイ様の下へ異動させましょう。

 能力も人格も信頼できる兵士たちです。

 彼らでシトレイ様の周囲を固めることができるように部隊編成を考えておいて下さい。

 それと、僕からアギレットとフォキアに注意を喚起しておきます」

「うん、うん。

 ありがとう」


 どうも、最近の俺は余裕がなくなっていたようだ。

 ドミナの降臨が間近に迫っている事実だったり、軍務次官派の中に飛び込んでいるという状況だったり、西部国境という新しい環境に身を置いていたり、と緊張が続いていたからかもしれない。

 いずれにせよ、余裕がなくなったところで「これだ」と思い突っ走ってしまいそうになるのは悪い癖だ。


「助かるよ、ロノウェ。

 止めてくれてありがとう」


 今回はロノウェが止めてくれたが、いい加減自分自身で思いとどまれるようになりたい。

 冷静になりさえすれば、少しはまともに考えることもできるのだ。いい加減、自分自身で冷静になれるようになりたい。

 もう、俺の中身は壮年を終わり、中年に差し掛かっている。だというのに、一向に大人の余裕が出てくる気配がないのは何故だ。


「いえいえ。それほどのことはしていませんよ。

 ただ、僕はあまりシトレイ様に敵を作って欲しくないというか……もちろん、どうしても敵対する人間は出てくるでしょうが、はっきりしないうちは保留、ってのもアリなんじゃないかと思うんです。

 敵と味方に分けるのは簡単ですが、そうやって分けていくと敵ばかり増えて味方がちっとも増えない、なんてことが多いですからね」


 そう言うと、ロノウェは芝居がかったポーズでお辞儀してみせた。


「それに、我が主は敵を味方に変えるだけの器量をお持ちであると思っております故」

「私に器量?

 それ、本気か?」

「もちろん」

「どうしよう、すごいプレッシャーだ」


 自分で思いとどまれるようになること、それも器量ってやつかもしれない。

 今はないが、それを補う友人が周囲にいる。願わくば、友人の期待に応えるだけの器量を備えたいものだ。


「とりあえず、ロノウェが言うように、こちらからは手を出さないでおこう。

 まずは様子見だ。

 だけど、警戒はする」

「はい。

 それでは、シトレイ様の昇進と部隊編成、僕の隊から兵士を異動させることの報告も含めて、モブ将軍のご機嫌をお伺いに参りましょうか」


 様子を見て、ロゼが本気で仕掛けてきたら返り討ちにする。

 しばらく何もなければ、こちらから探りを入れてみよう。


 そう決めた後、俺たちはモブの執務室へと向かった……のだが、無駄足になってしまった。

 モブは深酒の末、大きないびきをかいていたのだ。

 その様子を見て、緊張感が一気に吹き飛んでしまった。




============




「シトレイ様」


 それから数日後。

 アギレットが俺の官舎を訪ねてきた。


「お兄様から話を聞きました。

 それで、用意をしてきました」

「用意?」

「はい」


 そう言うと、アギレットはパチンと指を鳴らした。

 その途端、三人の女が目の前に現れた。


「えっ、何」


 女たちは俺に対し跪いている。

 跪いたポーズのまま、音もなく現れたのだ。


「シトレイ様のお目に入れるのは初めてですが、彼女たちも私と同じくハイラール伯爵家にお仕えしている者です。

 諜報、撹乱、そして暗殺術に長けております」


 顔こそ隠していなかったし、服も洋装だったが、黒ずくめに剣を背負う彼女たちの姿は、ジャパニーズNINJAのそれである。


「シトレイ様に絶対の忠誠を誓う者たちです。

 ご命令をいただければ、いつでもロゼ隊長を亡き者にすることができます」

「えっ、ロゼを亡き者に?

 あの、アギレット。

 今回のこと、ロノウェから何て聞かされたんだ?」

「お兄様から、ロゼ隊長を警戒するようにと言われました。

 万が一、ロゼ隊長がシトレイ様のお命を狙うようなことがあれば、身を挺してお守りするように、と」


 ロノウェがアギレットに伝えた内容は、話し合って決めたどおりのことだ。

 だから、ロノウェの指示は問題ない。いや、アギレットが身を挺してってのはダメだな。そこは却下だ。


 いずれにせよ「ロゼを亡き者に」という部分はアギレットの判断だろうか。


「ロゼが私の命を狙うにしては、不自然な点があってね。

 まずは様子見だ。

 もちろん、向こうが仕掛けてきたら返り討ちにするつもりだが、今のところ、こちらから手を出すつもりはないよ」

「それでは甘すぎます。

 攻撃こそ最大の防御と言うではありませんか。

 危険は芽のうちに摘み取るべきです」


 アギレットの主張も理解できる。むしろ臆病者の俺としては、アギレットが主張することこそ本来真っ先に思い浮かぶ考えだ。

 しかし、今回はその考えを引っ込める。

 ロゼの不自然な宣言に、彼女が俺に殺意を抱いている確信が持てない。それに、間近に迫る可能性を排除することが、将来の確実な危険を呼び込むことにつながりかねない。


「いいかい、アギレット。

 敵、味方で分けるのは簡単だが……」


 俺はロノウェに言われたことを、そのままアギレットに言って、彼女を説得した。

 アギレットは納得しがたい様子だったが、最後は主の命令だからと承諾してくれた。むしろ、俺の説得に納得、というより感銘を受けた様子だったのは、三人のNINJAたちである。


「伯爵様、発言してもよろしいでしょうか」

「え、ああ、どうぞどうぞ」

「ありがとうございます。

 私はハイラール伯爵家家臣団の末席に連なる者、名をトンプソンと申します。

 伯爵様にお目にかかる日を心待ちにしておりました」

「え、ああ、それはどうも。

 会えて嬉しいよ」

「はい。

 私も嬉しく思い、かつそれ以上に、感嘆を禁じえません。

 伯爵様のお人柄は存じ上げていたつもりでしたが、私が思っていた以上のご器量を、伯爵様はお持ちでした。

 相手に対する余裕と、和を第一とお考えになる度量、感服いたしました。

 もしものときは、我々が命に代えても伯爵様をお守り申し上げます。

 どうぞ、ご安心下さい」

「あ、それはどうも、よろしくお願いします」


 うーん。

 全部、ロノウェの言葉なのだが。


 まずいな。

 軍才もあり、イケメンで、人間としても出来ているロノウェ。

 俺と立場を入れ替えたほうがしっくりする気がしてきた。


 ……いや、もし俺とロノウェが入れ替わったら、アギレットは俺の妹になる。

 それはダメだ。禁断の恋になってしまう。


「シトレイ様?」

「え、ああ……」


 どうやら、無意識のうちにアギレットを見つめてしまっていたらしい。


「いや、頼もしいね」

「はい。

 三人とも、腕は確かです」


 常にNINJAたちの護衛を受けていると考えれば、本当に頼もしい。

 後から知った話では、そもそも西部に赴任してきた時から、影ながら俺の護衛していたらしいが、その事実よりも、守られていると知ったことに意味がある。


 おかげで俺は、安心してロゼとの関係を考えることができるのだ。

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