#007「絶望」
ある日の授業での一幕。俺はヴロア先生に気になっていたことを質問した。
「術を使って人間に害をなす生物というのは、いるのでしょうか?」
ずっと気になっていた。俺は読書を始めたこの二年間で、五十冊以上の本を読んでいる。動物図鑑も、何冊か読破した。だが、俺が探している動物の記述はなかった。
人間に害をなす生物――魔物の存在だ。
一言に魔物といっても、その定義は難しい。あえて定義付けるなら、悪意と魔性を持ち、人間に害をなす生物、といったところか。だが、言葉でコミュニケーションが取れない以上、悪意を持っているかなんてわからないし、魔性なんて、それこそ定義できない。
よって、俺は魔法――術の力を以って人間に害を成す生物を魔物と考えた。
「ふむ。
前にもお教えいたしましたが、術の発動は複雑な儀式を必要とします。
今のところ、その儀式を行うだけの知能を持つ生物は人間だけです。
ですから、術を使って人間に害をなす生物は存在しない、
というのが、ご質問への回答になりますな」
術の詳細を聞いたときほどのショックはなかった。
もうひとつ疑問に思っていたことがある。
「術を使わないにしても、
人間に害をなす生物というのはいるのでしょうか」
「もちろん、それはたくさんいます。
このハイラール領にも、街から離れれば、凶暴な動物が群れをなしています。
例えば、森に入ればホワイトウルフや野生化したユニコーンが。
沼地に行けばトード属の類が。これらは、人間にとって大変危険です」
知ってて質問した。
全部動物図鑑に載っていたものである。この世界には、犬猫など見知った動物に加え、前世では想像上の生物とされていた動物が多数いる。鋭い角を持つユニコーンや、人の背丈よりも巨大なトードなど。
だが、これらの生物は危険だが、術を使えるわけでも魔性を帯びているわけでもなかった。
これらの生物が人間を襲ってくるのは、あくまで人間から身を守るためである。ナワバリに踏み込んだ時、人間から狙われた時など、生存本能に従って襲ってくるのだ。
これらは決して魔物ではない。ただの動物だ。前世の世界だって、腹を空かせた野生のライオンや熊に出くわせば、食い殺されるだろう。それらの動物と何ら変わらない。
そういった知識は既に持っていたから、だから本題は次の質問である。
「では、そういった生物の討伐を専門にしている職業というものはあるのでしょうか?
例えば、ハンターとか……」
冒険者とか。
森や平原を旅し、ダンジョンに潜り、魔物を狩る。狩った魔物から牙や毛皮を剥ぎ取り、それを売って生活の糧を得る。そういった職業はあるのか。
「希少な毛皮等を狙うハンターはいますが、少数ですね。
害獣駆除のための討伐は基本的に軍や領主の仕事ですから」
「そうですか。
わかりました、ありがとうございます」
ヴロア先生への質問を最後に、この世界への疑問が大体解けた。
魔法。
魔法は存在する。だが、魔法――術は使用のための条件が厳しく、戦争規模の集団戦でしか活躍の場がない。
魔物。
そんなものはいない。危険な動物はいる。しかし、それは前世にもたくさんいた。この屋敷にこもっていたり、街へ遊びに行く程度では、出くわすこともないだろう。
冒険者。
そんなものはいない。危険な生物への対処は軍や領主が定期的に駆除を行うことで成される。そういえば、父アガレスも、たまに兵を率いて出て行くことがあったな。
どうして、こういったファンタジーな要素に憧れるかと言えば、俺TUEEEEしたいからだ。
魔法や剣の才能溢れる俺は、魔物をバンバン倒す冒険者になる。それで生計を立て、時には出会いあり、別れあり。やがて功績が認められ、俺は一目置かれる冒険者になる。
薬草図鑑や動物図鑑を翻訳している時、俺はよくそんな妄想を繰り返していた。
神を名乗る面接官の話を信じるなら、俺はこの世界に「戻ってきた」ことになる。だが、前世の記憶を持つ俺は、どうしても物事を前世の基準で考えてしまう。
せっかく「異世界」に「来た」のだ。憧れるくらいはいいだろう。
しかし、現実は厳しい。
この世界の言語を身につけた俺は、前世での記憶を使った結果、天才児と騒がれている。
では、このまま勉学に励めばどうだ。
父が言うように、大学教授でも目指すか。そういえば、前世の父も大学教授だった。
あるいは、母が言うように、官僚を目指すか。だが、俺は天才児などと言われているが、俺の学力には伸び代が少ない。新たに学んでいるというより、復習をしているからだ。官僚の仕事なんて、俺にできるのだろうか。
もちろん、前世のままアルバイトの塾講師を続けていたら、官僚も大学教授も、とても手の届く職業ではないだろう。
だが、魔法使いや冒険者と違ってこれらの職業は、あまり、夢を見る余地がないように思える。
「結局は、私の我侭か」
「何か仰いましたか、シトレイ様」
「なんでもありません、ヴロア先生」
貴族の息子に生まれたのだ。
俺が望む前に、神を名乗る面接官の話によれば、最初から決まっていたことらしいが。それで良しとしよう。上を見ればきりがない。
あ!
もうひとつあった。
「先生、奴隷制度というものがあると、本で読んだことがあるのですが、
私は奴隷というものを見たことがありません。
先生は見たことがありますか?」
本でも読んだことがあるが、正確には、神を名乗る面接官から聞いた話だ。術は存在し、獣人は存在していなかった。神の話は、今のところ嘘がない。ハイラール家に仕えるメイドや従士は皆自由民だ。給金が払われ、街に家を持つ者も多い。
だが、奴隷は存在している。神が、いると断言していた。
美少女奴隷。俺の最後の希望。
「制度自体は残っていますが、奴隷自体の数はとても少ないですね。
昔は中流の家庭でも奴隷を持っているのが一般的だったようですが、
征服戦争が減って、奴隷の供給が落ちてから、どんどん数を減らしていったのです。
今では、奴隷の値段が高くて貴族でもなかなか手が出せません。
大体は国が買い上げて、特殊な技能を持つ奴隷には仕事を与え、
そのほかの奴隷は戦奴として戦わせるのが主です」
俺の最後の希望は、無残にも四散した。
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「シトレイ様、何をやっているのですか?」
別の日。休日の午前。ロノウェの紹介によって遊び仲間ができてから、休日はいつも街へ出かけたのだが、その日は屋敷の庭である実験を行っていた。リュメール兄妹には、前日のうちに「明日は用事があるから遊べない」と断っていたのだが、その「用事」に興味を持った兄の方が、休日にも関わらず俺を訪ねてきたのだ。
「火薬を作るのだ」
「カヤク?」
異世界に来て俺TUEEEEする場合、だいたい二つのパターンが考えられる。
一つ目は、最初からTUEEEEできる要素が備わっていたパターン。「勇者として召喚」「異世界から召喚された人間は特別な力を持っている」「王として転生する」等々。しかし、残念ながら俺は勇者ではなかったし、王として転生したわけでもなかった。地方領主の息子だからおしいと言えばおしいが。また、特別な力を持っているとも思えなかった。確認する術もなかった。となれば、一つ目のパターンは却下するしかない。
二つ目は、前の世界での知識を活かして大活躍するパターン。これは異世界だけではなく、タイムスリップした場合にも当てはめることができる王道パターンだ。画期的な発明品であったり、大幅な増産が見込まれる農業改革であったり、タイムスリップものであれば、結果のわかる戦争や賭け事で上手く立ち回ってみたり。様々なケースが考えられる。
しかし、一見中近世の風俗が主流のこの世界だが、技術面は意外に進歩している。
例えば建築物。古代ローマ並みの上下水道技術が発達しており、各所に巨大な水道橋が建てられていた。また、都には雲を突くような巨大な塔が無数に建っているらしい。それらの建築物には、火山灰を使用したセメントコンクリートが建材に用いられていた。
製鉄技術も発達していた。それには、この世界に生息するユニコーンが一役買っていた。ユニコーンの角は、万能薬にはならなかったが、粉末にして火に投入すると、非常に高温で燃えるのである。これが利用され、この世界の製鉄分野の発展に力を貸したのであった。
農業の技術も高かった。三圃式農業どころか、輪栽式農業まで行われている。街の郊外にある畑に、クローバーが植えられていたのを見たことがあった。肥料や農薬の改良も盛んで、少なくとも俺のような素人が入り込める隙がなかった。
また、歴史が好きだった俺は「そうだ、ジャガイモだ!」とも思ったのだが、既にジャガイモの栽培は確立されていた。ハイラール領では少なかったが、もっと北の方では、盛んに作られているらしい。
そんな中、俺は「火薬」と「蒸気機関」に目を付けた。この二つは、本を読んでも、ヴロア先生や両親たちに聞いても、存在していないようだったのだ。
最初に注目したのは、蒸気機関である。ご存知、産業革命をもたらした大発明だ。これを実用化できれば、俺は大金持ちになれる。
そして、注目してすぐに、俺は諦めた。
蒸気の圧力を機械的なエネルギーに変換し、物を動かす。言葉なら知ってる。では、どうやってやるのか。それはわからない。
そもそも、俺は文系人間なのだ。蒸気の力を使ってピストンを動かすとか、タービンを回すとか、前世では蒸気機関の詳しい仕組みを知らなくとも生きていけたのだ。
蒸気機関を諦めた俺が、次に注目したのが火薬だった。火薬の製造法ならわかる。前世で歴史の本を読んでいたとき、あれは確か日本に鉄砲が伝来した時の話だったかと思うが、火薬の作り方がコラムで載っていた。俺はその知識を元に、実際に火薬を作ってみることにしたのだった。
「カヤクとは何なのですか?」
「火をつけたら爆発する粉さ」
「それは術ですか?」
「術じゃないよ。道具だ」
火薬の材料は木炭、硫黄、硝石、水。必要な道具はすり鉢、木の棒、革張りの容器、綿布、鉄板。これらの材料、道具はすぐに手に入った。……硝石を除いては。
硝石はずっと西の方の乾燥地帯で取れるらしい。肉の保存のために使われるという話だが、硝石は希少かつ高価であった。そのため、硝石を使って製造されるハムは、この世界では超高級品だった。
戦国時代の日本も、硝石の確保に苦労したらしい。そこでご先祖様は、糞尿と桑の葉を土の中で寝かせ、硝石(硝酸カリウム)を作っていた、とコラムに載っていた。
農家に行けば肥料用の糞尿を分けてもらえるだろう。だが、できれば触りたくない。だから俺は両親に硝石をねだった。六歳児の欲しがる物ではないが、滅多におねだりをしない俺の頼みに両親は気をよくし、すぐに手配してくれた。実際に俺の手に届くまで時間がかかったが、それでも手に入れることができた。
これで火薬製造に必要な材料を全て揃えることができた。
材料と道具が揃った段階で、俺は固まった。作業の流れはなんとなく思い出せるが、いかんせん、分量がわからない。
俺はコラムの内容を思い出す。
『木炭をすり潰し、硫黄を加える。それを革張りの容器に移し、硝石の粉と水を加える。
よくすり潰し、綿布で包み、鉄板で挟んで圧搾する。
そうして固めたものを粒になるように破砕し、よく乾燥させて完成』
何年も前に読んだ本の知識だ。細部までは覚えていないが、こんな感じだったかと思う。
だが、しかし。
木炭と硫黄の割合はどのくらいだっただろうか。硝石の割合は?加える水の分量は?よく乾燥させるって、どのくらい?
まったく覚えていない。いや、そもそも歴史の本のコラムに載っていた話だ。細かい分量まで書いていなかったかもしれない。材料をそろえるまで、こんな肝心なことを思い出せなかったとは……。
「ロノウェ、お前はここにある木炭をひたすらすり潰せ」
「え?あ、はい」
ロノウェがすり潰した木炭に、様々な分量の硫黄を加えていく。そして、割合の違う木炭と硫黄の混合物をさらに細かく分け、その各々に別の割合で硝石の粉を混ぜていく。元々、今回は大量生産が目的ではない。まずは作ってみようと考えての実験だ。生産する火薬も少量である。爆発事故でも起こったらシャレにならない。
俺とロノウェはその日一杯を使い、買ってもらった硝石を全て使い切るまでに八十通りの火薬を試作した。
そして、その全てが失敗作だった。
試す方法は、万全が図られた。二メートルほどの長さの棒に、料理で使うおたまをくくりつけ、おたまの中にごく少量の火薬を入れる。それをたき火の中に入れて反応を見たのだが、全て芳しくない結果に終わった。まったく反応しなかったもの。水分が多すぎたのか水蒸気を出して硬くなっただけのもの。硫黄の独特の悪臭を放って燃えたもの。反応は様々だったが、俺の期待する反応を示したものはなかった。
最初のうちは、期待に胸を膨らませ「さぁはじけろ、さぁはじけろ」と火にくべていったのだが、失敗が続き、子供二人で二メートルの棒を操作する重労働もあいまって、最後の方は無言かつ無心で機械のごとく単純作業を繰り返した。
「終わった……」
最後の火薬が失敗に終わった後、俺はつぶやいた。
「あぁ、疲れた。
で、シトレイ様、カヤクは完成したのですか?」
「してないよ」
「来週もやります?」
「やらないよ」
硝石は簡単には手に入らない。俺が両親にねだってから、実際に手に入るまでに三ヶ月以上かかった。それに、具体的な値段は聞かなかったが、大変高価なものらしい。両親にもう一度頼んだとして、手に入る保障はなかった。
では、糞尿と桑の葉で硝石を作ってみるか。糞尿を扱うことには抵抗があったが、硝石の入手難易度を考えると、こちらの方が現実的かもしれない。しかし、これだって『糞尿と桑の葉を土の中で発酵させる』という程度の知識しか持ち合わせたいない。分量も、どのくらいの期間発酵させるのかもわからない。
結局、俺は火薬製造計画を当面の間凍結することにした。やるからには、硝石を買い集めるだけの金と、実験のための人手が必要だ。
……しかし、異世界ものやタイムスリップものの物語の主人公たちは凄い。
彼らなら、不屈の精神と知識を以って、火薬製造を成功させていただろう。そして物語の展開が広がるのだ。
俺には無理だ。前世ではただのアルバイトの塾講師だった。学生時代は歴史好きな文系学生だった。異世界に飛ばされて役立ちそうな知識など持ち合わせていない。
俺には無理だった。