#064「初陣・後編」
俺たちは士官学校の生徒だ。
実戦経験は、比較的弱いとされる害獣、怪物トードを相手にした戦いのみである。
それでも侮ることなかれ、俺たちは善戦した。
一対一の戦いを制したマークベス教官には及ばないが、二手に分かれた俺たちは連携と統率の取れた動きを見せ、特に負傷者もなく二人の蛮族を倒すことができた。
「あまり調子に乗るなよ。
四~五人で一人を、しかも疲弊した相手を囲めば、勝てるのは当然だ」
そう戒めるマークベス教官の顔には、どこか嬉しそうな表情をしているように見える。
しかし、完勝できたのは、初めのうちだけだった。
前方で戦う兵士たちのおこぼれにあずかる形で、俺たちは幾人かの蛮族を仕留めていったのだが、次第に生徒たちの動きが鈍ってくる。
まず、スティラードが太ももを負傷した。もも当ての隙間から剣を突き刺されたのだ。命に別状はなかったが、スティラードは戦いを続けることが不可能になってしまった。
スティラードが戦線から離脱した直後、今度はカールセンが負傷した。蛮族の大男が振り下ろした戦斧から逃れることが出来ず、咄嗟に盾で身を守ったのだが、その盾が真っ二つに割られてしまったのだ。戦斧は、カールセンの兜ではじかれたが、彼は直後に卒倒してしまった。目だった外傷もなく、息もあったから、おそらく脳震盪を起こしたのだろう。
こうして、戦死者は出ないにしても、一人、二人と戦線を離脱していった。気づけば、立っていたのは俺、マークベス教官、フォキア、アスタルテの四人にまで減っている。
「術はまだか」
焦りが声に出てしまう。
前方の自軍は善戦している。敵が城壁を登ってきた直後は混乱していたが、今では整然と隊列を組み、来る敵来る敵を薙ぎ倒している。
だが、城壁外へ敵を押し戻すまでには至っていない。そして城壁外の敵は、無限に湧いてくるのではないかと思うぐらいの数だ。
「伯爵様!
我が軍の術反応が一人減りました!」
「何故だ!
まだ、術は発動されていないだろう!」
見ると、術士が篭っている砦備え付けの、固定式の祭壇塔に敵が投石を行っていた。投石の衝撃で集中力が乱されてしまったのだろうか。
「馬鹿か!
何故、白兵戦が行われているすぐ側で儀式を行っているのだ!」
声に出して批難しつつも、仕方ないことだと思う。
本来の防衛線の外、河の対岸からであれば、今攻撃を受けている祭壇塔は弓矢や投石の射程範囲外だ。
ところが、敵は防衛線の内側なのだ。しかも、投石を行っているのは城壁を登ってきた蛮族たちである。
本来想定していない城壁の内側から攻撃を受けている。それが、不測の事態というやつだ。
術士が直接攻撃を受けていることに気づいた我が軍が、すぐさま投石を行っている蛮族の一群へ攻撃を仕掛けた。しかし、既に術の発動はキャンセルされている。
「遅いよ、もう!」
心に余裕がなくなっているのが自分でもわかる。だが、わかっていても焦りが消えることはない。
「伯爵様!
さらに二人、術反応が消えました!」
ゴールが遠のいていく。
俺たちが蛮族相手に戦ってこれたのは、自軍の術発動までしのげばいいという希望があったからだ。それは、前方で戦う軍団兵たちとて同様だろう。
だが、放たれるべき術が、敵の妨害によって確実に数を減らしている。
「シトレイ!
来たよ!」
フォキアの叫び声に反応し、再び前方に視線を移すと、蛮族が二人やってきた。
「小官が右、貴様らが左だ」
マークベス教官が短く指示を出す。
俺は余裕がないまま、剣を構えた。
「伯爵様!
さらに一人……」
「ああ!
わかった、いちいち不愉快な報告をするな!」
怒りに任せた俺の剣が、蛮族の男を貫いた。
「くっそ、死にたくないぞ」
勢いあまって、頭を抱えてしまいそうだ。ゴールが見えない。
「シトレイ!
まだ生きてる!」
フォキアの声に顔を上げる。
そこには倒したと思っていた蛮族が、俺を睨み、斧を振りかぶっていた。
そうだ。怒りに任せて、闇雲に剣を振り回して勝てる相手ではないのだ。蛮族は、焦りと不安に苛まれた学生が、調子に乗って簡単に殺せるような相手ではない。
俺は、ここで死ぬのか。
油断した自分が悪いとわかっていても、やっぱり死ぬのは嫌だ。
……。
そのとき。
蛮族の男が倒れた。見ると、男の足が焼け爛れている。
ハッとして後ろを振り返ると、アスタルテが白百合の花と宝石、そして胡桃を持っていた。
「シトレイ君!
剣で!
剣で止めをさして!」
「え?」
「早く!」
言われるがままに、俺は倒れた蛮族に剣を突き刺す。足を焼かれもがき苦しんでいた蛮族が、動かなくなった。
「天使さん……」
俺はアスタルテを見つめた。
「よかった」
彼女の安堵の言葉は、俺が命拾いしたことだろうか。それとも他に何か理由があるのだろうか。
「貴様ら、無事か」
もう一人の蛮族を仕留めたマークベス教官が、俺たちの安否を確認しに戻ってきた。
「ハイラール。
貴様と感知術士のやり取り、聞こえていたのだが……」
「はい。
不利な状況です」
「……」
マークベス教官は、ふぅーと息を吐くと、再び剣を構える。マークベス教官も、既にボロボロだ。その姿には悲壮感が漂っている。
「伯爵様、あの……」
再び、後ろから感知術士から声をかけられた。先ほど俺が怒鳴ってしまった術士とは別の男だ。
「次は何人だ?」
「……二人です」
「そうか。
さっきの術士は……気絶したのか」
「はい。
あの、伯爵様のご学友から術反応がありまして……」
「ああ、それは……黙っていてくれ。
報告ありがとう。
後ほど、気絶した術士が目を覚ましたら、私に伝えてくれ。
彼には、怒鳴ってしまったことを謝らなければならない」
既に放たれた術は四発。前方に落雷や火柱が発生していない以上、放たれた四発は俺たちのさらに後方、河側の敵に向けられたものだろう。
一方、キャンセルされた術は六発。
普通、一個軍団に配属される術士は十人だ。十発分、全部終わってしまった。
「教官。
お聞きのとおりです」
「ああ。
まずい状況だな。
非常にまずい。
術が期待できないとなれば……」
あとは数の勝負だ。
砦に立てこもる我が軍は四千といったところか。一方、敵軍の正確な数は不明だが、少なくとも我が軍よりは多いだろう。倒しても倒しても、新しい蛮族の兵が城壁をよじ登ってくる。
「後退するか。
いや、しかし……」
後退したところで、城壁の中を逃げ回るだけになる。
少しばかり死ぬのが遅くなるだけだ。
「教官。
まだ諦めるには早いです。
大丈夫です。
まだ、術の発動を期待できます」
そう言って、俺は後方に立つアスタルテに向き直った。
「頼む、天使さん。
いや、アスタルテさん」
俺は彼女に対し、頭を下げた。
彼女が術を使いたがらないは、己の力が周りに露見することを懸念しているのだろうか。本当の理由はわからない。
それでも、先刻、彼女は俺を蛮族から救うために術を使ってくれた。状況は絶望的だ。俺は死にたくない。彼女が嫌がることでも、生き残るためだ。彼女にすがるのは……仕方ない。
「……」
アスタルテは無言のままだ。俺は顔を上げると、アスタルテを見つめた。
彼女は、俺から視線をそらす。
「大丈夫だ。
君の力の秘密は、私が全力で守る。
フォキアが他人にしゃべることはない。感知術士は私が口をつむぐよう命じる。
教官だってわかってくれる」
「……」
「我が軍の術発動が全て終わってしまったことは、この場にいる者だけが知っていることだ。
君の術は、祭壇塔にいる術士が放ったことにすればいい。
いや、強引にでも、そうさせる」
アスタルテは、目線を合わせてくれない。
「頼む、信じてくれ。
大丈夫だ。
ここの司令官は私に媚を売っていただろう。
私が、術士の放った術だと言い張れば、大丈夫だ。
何なら、方面軍司令官とだって、私は知り合いなんだ。
君の秘密は絶対にバレない」
「……痛い」
気づけば、俺はアスタルテの肩を掴んでいた。俺は咄嗟に肩を放したが、それでも、彼女は伏し目がちなままで、俺と目を合わせてくれない。
「……違うの、そうじゃない。
バレるとかバレないとか、そういう話じゃないの」
「じゃあ、一体、何なんだ……。
君は、何を隠してる……?」
しばしの沈黙。
だが、沈黙はすぐに破られた。
城壁の方から、鬨の声が響いてくる。もしや、敵軍の大攻勢が始まったのだろうか。砦を一気に落とすべく、突撃を仕掛けてきたのだろうか。
再び俺の中で、焦りと不安が大きく息を吹き返してきた。
「頼む、アスタルテ、さん!
このままでは、全滅……」
そのとき、自軍兵士たちの大きな声が辺りに響いた。
「援軍だ!
第二十二軍団が来たぞ!」
俺は耳を疑い、その場で固まった。
今まで頑なに目を合わせなかったアスタルテも、両目を大きく開けて俺を見つめている。
俺たち二人は、いや、フォキアもマークベス教官も、その場にいる全員が前方へ視線を向けた。
ここからでは、城壁が邪魔になって外の様子を伺うことができない。
それでも、前方にいる兵士たちの空気が変わったと感じることができる。
兵士たちは、城壁内に残っていた蛮族をすかさず倒していった。新たに城壁を登ってくる蛮族の姿は見えない。
「隊列を組みなおせ!
援軍と呼応して、敵を追撃するぞ!」
「ドミナ様万歳!
異教徒どもを殺せ!」
「皇帝陛下万歳!」
援軍到着の知らせから、わずか十分ほど。
兵士たちは流れるような動作で城壁内の浮き足立っている蛮族を殲滅し、隊列を組み、そして城壁外へ討って出ていった。
その間、俺たちはずっと固まっていた。
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第二十二・神の雷軍団の騎馬隊が援軍に駆けつけ、形勢は逆転した。
砦を挟み撃ちにしていた蛮族が、逆に挟み撃ちにされたのだ。
術に主役を奪われていても、騎馬隊の強さは前世と変わらないらしい。援軍に来てくれた一個大隊五百の騎兵が敵の蛮族を薙ぎ倒し、砦側から出撃した兵士たちが、息の根を止めていった。
戦いの趨勢が決すれば、あとは作業だ。
援軍が到着した後の我が軍の被害は、数えるほどだったという。
「いや、ハイラール伯爵閣下が無事でよかった」
戦いが一段落つくと、俺は司令部へ招かれた。
「本来なら、すぐに伯爵閣下を安全な場所へお連れすべきでしたが、何分、不意を突かれての混戦でしてな」
「ええ。
確かに混戦でした。
実際に、戦場にいましたから、知っています」
「真に、面目ない次第です」
もしかしたら、勘違いされているのだろうか。
あんな状況であれば、身の危険に晒されて当然だ。俺は軍人なのだ。貴族のドラ息子よろしく、俺の安全を最優先に考えろ!などと喚くつもりは毛頭ない。
「将軍閣下が私に対し、謝ることなど、何もないではありませんか」
毛頭ないなどと思いつつ、それでも、死を目の前にして、俺は随分と取り乱してしまった。
誰だって死ぬのは嫌だろう。俺は嫌だ。
それでも、軍人を目指したからには、もしもの時の覚悟はできているつもりだった。自分は、もしもの時に覚悟ができる人間だと思っていた。
それがあの体たらくだ。
感知術士に怒鳴り散らし、なりふり構わずアスタルテにすがりついたのが現実だ。
今さらだが、俺は軍人に向いてないのではないだろうか。
「なんと寛大なお言葉!
そう言っていただけると、私も救われます」
「いえいえ。
それに、結果的には、私もクラスメートも皆無事だったのです。
不届きな蛮族たちも制圧できたことですし、何も問題ないじゃないですか」
そう、結果的に、俺は生き残ることができた。
初陣が一番危ない。
学校の授業だったか、それとも軍人から聞いたものだったか、そんな話を耳にしたことがある。あるいは、初陣を生き残れば、一人前だ、とも。
俺は生き残ったのだ。
他の貴族のような初陣ではない。士官学校を卒業し、平和な近衛軍や中央方面軍あたりで適当に出世し、大隊長ぐらいになって前線へ出る。そして安全な後方で指揮を取り「私は立派に初陣を飾った」などと主張する。そんなやり方とは違う。
俺は剣を振るった。蛮族を何人か、殺した。
本当に、誇っていい初陣のはずだ。
取り乱してしまったことを勘定に入れても、せめて、プラスマイナスゼロぐらいだろう。誇ることはできなくても、過度に恥じ入る必要もないはずだ。
あとは自分自身が反省すればいい。
「司令官閣下。
第二十二軍団の将校団がお見えです」
「ん?
うむ、通せ」
兵士の取次ぎで、司令官との話と、俺の心の整理が終わった。
これから、司令官と援軍にきた騎馬隊の指揮官たちが会談を行うらしい。
皇族だ伯爵だといっても、俺は士官学校の一学生、階級で言えば二等兵だ。場違いだと思い、俺は司令部から出て行こうとした。
だが、ちょうどタイミング悪く、将校団が入室してくる。
先頭の男は援軍の騎馬隊を指揮する大隊長のようだ。騎馬隊の大隊長は、小柄な司令官に向かって敬礼する。
「第二十二・神の雷軍団、騎兵大隊です」
「ご苦労だった。
諸君らのおかげで助かった。
助力、感謝する」
「はっ」
退室の挨拶するタイミングを失ってしまった。
そのまま無言で出て行くのも気が引ける。結局、流れで司令官と将校団の会談に立ち会ってしまいそうだ。
俺は目立たないよう、脇へ退き、直立不動で気配を消した。
「既にお聞き及びかも知れませんが、これはカラボネソス族をはじめとする同盟部族の反乱です。
蛮族どもの恥知らずな行為に対し、懲罰を与えるべきである、というのが我が第二十二軍団の司令部と、我々兵士たちの総意です」
「それは私も、我が軍団も同様だ。
しかし、まずはシント城塞の方面軍司令部へ伺いを立てなければならぬ」
「同盟破棄は方面軍司令部の権限ですが、既に同盟関係は破綻しております。
戦時である以上、軍団司令官閣下の判断に掣肘を加えるものは、何もありません」
居並ぶ将校たちは、正に歴戦の兵といった出で立ちだ。
鋭い眼光は、戦慣れしているように見受けられる。
「わかっている。
伺いを立てるのは、更なる援軍を要請するためだ。
諸君ら第二十二軍団はほとんど無傷だろうが、我が軍団は消耗が激しいのだ。
軍団の再編成、砦の再建、そして何より遠征の準備。
そちらのほうが大切だ」
「しかし、ここは勝利の余勢を駆るべきではありませんか」
「……いいか、我が軍は蛮族どもの卑劣な裏切りにあったのだ。
やるからには、カラボネソス族を根絶やしにせねばならん。
懸かっているのは国家の威信だ。
それに、私も、我が軍団の兵士たちも気がすまない」
俺に媚を売ってきた小柄な司令官。
見誤っていたのかもしれない。彼は中々に過激で熱い男のようだ。
「失礼いたしました。
閣下のお気持ち、我々も同様です。
閣下のお考えを、急ぎ我が司令官に伝えたく思います」
「うむ。
私も、近いうちに第二十一軍団へ直接お伺いしよう。
諸君らの司令官によろしく伝えてくれ」
しかし、まぁ、恐ろしい話だ。
話を聞くに、こちらが裏切られたのだから、報復に出るのは当然だろう。だが、意見をぶつけ合った両者は、いかにして蛮族を皆殺しにするかについて議論している。
俺はただの研修生だったし、司令官の話によれば、遠征は援軍を待ってから行うつもりらしい。研修期間はもうすぐ終わる。俺が蛮族虐殺の現場に居合わせることにはならないだろう。
俺はホッとしつつ、あるいは軍人を目指す以上、悲惨な場面にも慣れる必要があるのではないかと考えていた。
初めて人を、蛮族を斬った際に葛藤を抱くことはなかったが、将来、任務とはいえ女子供を殺す必要が出てきた場合、俺は耐えることができるだろうか。
……。
考えごとをしていたとき、ふと、後ろに並ぶ将校のうちの一人に目を奪われた。
長めの、少しウェーブの入ったクセのある黒髪。青い瞳。男にしては小柄だが、その鋭い目つきは、他の将校たちに引けを取らない。左肩の階級章は、彼が百人隊長の地位にあることを示していた。
顔は、うらやましいほどに整っている。
「ロノウェ……」
俺のつぶやきが耳に入ったのか、まっすぐ司令官を見つめていた黒髪の男の視線が、俺へと向き直る。
一瞬驚いた表情の後、彼も一言のつぶやきと、笑顔を返してきた。
「シトレイ様……よかった」
アスタルテの「よかった」という言葉には、俺が無事だったことへの安堵と共に、何か別の意図が含まれているのではないかと感じられた。
だが、ロノウェの「よかった」は、100%、俺の健在に安堵してのつぶやきであろう。




