#060「天使・中編」
「最悪、拉致する」
言葉どおり、俺は彼女を拉致した。
最悪、なんて言いつつも、どうせその方法をとることになるだろうと最初からわかっていたのだ。
都の南門付近を歩いていたアスタルテに追いついた俺は、送っていくよ、と言葉巧みに馬車へと招きいれ、彼女の家とは反対方向にある我が家の都の屋敷へ向かったのだった。
暴力的な方法に訴えることはしなかったが、騙したことに変わりはなかった。
「で、どうして私は貴方の屋敷にいるのかしら」
都の屋敷二階の応接間。
俺は彼女を上座に座らせると、お茶を出した。
普段、俺やフォキアが使っている木彫りのコップではなく、陶磁器のティーカップに淹れたものだ。スプーンは当然銀製で、お茶の横に置かれたティースタンドには、一人では食べきれないであろうケーキやスコーンなどが用意されていた。
「……女を家に連れ込むような度胸があるとは思わなかったわ」
「……」
彼女は無表情だが、語気はいつもより強かった。
「シトレイ君。
貴方の人相は最悪だけど、それでも、良いところもあると思っていたのよ。
貴方は皇族で、何より権力者の息子だわ」
「孫です」
「ああ、そう、孫だったわね。
で、そんな立場にある貴方は、自分のことをまったくひけらかさなかったわ。
人当たりも悪くないし、気配りも、まぁ、そこそこできる男だと思っていたの」
「ありがとうございます」
彼女は親や教師のような目線で、俺を評した。
彼女は余裕だ。脚を組み、時節、紅茶に口をつけながらくつろいでる。一方、俺も座ってはいたが、背筋を伸ばし、手を握り、膝の頭に置いていた。まるで、何かの式典や面談に臨むかのごとき姿勢である。
「でも、今、貴方がやっていることは犯罪よ。
この犯罪も、貴方の力ならもみ消せるのでしょうね」
「……」
「貴方が権力を笠に着る行為をするなんて、思わなかったわ。
それで、私はどうなるのかしら?
貴方の慰み者にでもなるのかしら?」
「そんなこと!」
気づけば、俺は立ち上がっていた。
「そんなこと、絶対にしない。
それは最も恥ずべき行いだ」
「……冗談よ。
そんなに、興奮しないで」
アスタルテに嗜められ、俺は席についた。自然と顔が下がる。
「で、こんなことをした理由は?」
「ベルエット・ミヒールが人を殺し、姿をくらませた」
「……人を殺した?
誰を殺したというの?」
「ミヒールを監視していた者だ」
「そう」
特に驚いた様子もなく、抑揚のない口調で返事をする彼女は、一見無関心のように見える。だけど、この反応はいつものことだ。
「……ということは、私にも監視がついていたのかしら」
「それは……」
「拉致監禁もそうだけど、ストーカー行為も立派な犯罪よ」
「返す言葉もございません」
アスタルテを拉致した理由は二つ。
一つは、彼女が犯人――ミヒールと同じ考えを持っていた場合、行方をくらませたミヒールとの合流を阻止するためだ。
もう一つは、アスタルテとミヒールが考えを異にしていた場合。その場合、アスタルテの協力を取り付けることができれば心強いし、最悪でも中立でいてくれれば、あとはミヒールとの対決にのみ専念することができる。
どちらに転んだとしても、アスタルテの身柄を確保することは、デメリットよりもメリットの方が大きいはずだ。
「……でもね、シトレイ君。
貴方が私を拉致した一つ目の理由、私がミヒールの共犯者だった場合を考えたら、貴方は随分と甘いと思う。
私を拉致したまではいいけど、私は手足の自由を奪われないまま、貴方の目の前に座らされているわ。
仮に、貴方が言う特別な術の力を私が持っていたとして、その私が貴方を焼き殺そうとしたらどうするの?」
「もちろん、用心はしてるよ。
部屋の外には感知術士が待機しているし、フォキアや家臣たちも武装したまま控えている」
「祈りや儀式を必要とせず、目で見ただけで術を発動できるとしたら?」
未知の力だ。何があっても不思議ではない。
だが、伯父が殺されたときの状況を考えれば、高速発動といっても、瞬時に術を放つことはできないだろう。
「そこまではできないと踏んでいる。
だが、もし、そこまでできるとすれば、もうお手上げだ。
私は殺される。私の家族も、なす術もなく殺されるだろう」
「そう」
「それに、私は君に対し、お願いする立場だ。
強引な形で屋敷まで連れてきたことについては謝る。
だけど、ミヒールが姿をくらまし、私は厳しい状況に置かれている。
できれば、君に協力してほしい」
俺はソファから立ち上がると、床に片膝をつき、頭をたれた。
跪ずく姿勢は、この世界でいうところの土下座スタイルである。
「助けてくれ。
私は殺されたくない。
私の家族が殺されるところも見たくない」
「……」
アスタルテは再び紅茶に口をつけた。頭を下げていたから確認したわけではないが、紅茶をすする静かな音と、陶器のティーカップを受け皿に置く音が聞こえてきた。
「……目で見ただけで、というのは、例えばの話よ。
大丈夫、そこまではできないから」
「他は、できるのか」
俺は頭を上げた。彼女の無表情な顔が視界へ飛び込んでくる。
「特殊な術の力、認めるのか」
「……もう、シラを切ることはできないでしょ」
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「殺された現場は水浸しだったそうだ」
「そう。
……ミヒールで間違いないわ。
彼女は、水術の素質があるから」
もう、疑う余地はない。
監視を頼んだ人間は、ミヒールによって殺された。
「皇宮で伯父が殺されたときと状況が似ている。
ミヒールが犯人で間違いないな」
「……あら、貴方の伯父さんが殺されたと、貴方の口から言ってもいいの?
まずいんじゃないかしら。
皇宮の騒ぎは水道の故障、貴方の伯父さんは病死なんでしょう?」
「ここは、私の屋敷だ。
学校と違って、誰に聞かれる心配もない」
「そう」
アスタルテは一見無関心そうなまま、ケーキを口へ運んだ。既に時刻は九時を回っている。夕食時はとっくに過ぎていた。
「……身の安全や保身にだけは気が回るのね。
似ているわ。
本当に、よく似ている」
「誰に?」
「アガレス」
術が登場してから、約九百年。
アスタルテやミヒールが使える特殊な術の力は、九百年間一度も表に出ていないものだ。
「確認のため聞くが、君の言うアガレスとは、私の父や皇太孫、まして今上皇帝のことではないのだろうな」
「ええ」
術の力を人間に与えたのは女神ドミナだ。
彼女は最初の降臨で、人間に術を伝えた。二度目の降臨で、さらに威力が強く、発動効率の良い術を教え、それが帝国建国の一助となった。
「まさか……あなたが神か?」
「いいえ」
即答された。
「……私がドミナ様だったら、今までの私の態度は自画自賛になってしまうじゃないの」
「確かに」
「……私は天使よ。
自己紹介で言ったでしょう」
術の由来と、未知の術の力。
彼女が、もしかしたらドミナと特別なつながりを持つ者なのではないか。その考えは確かにあった。
だが、いざ目の前で肯定されると、戸惑いを感じる。
「この話は、そうね。
長くなるから、私たちが生き残れたら話しましょう。
まずは、ミヒールにどう対するか、よ」
気になるが、今は彼女の言うとおりだ。
まずは、身の安全を守り、そして犯人を拘束することを考えるべきだろう。
「仮にミヒールが襲ってきても、二階のこの部屋まで浸水してくることはないよ。
窓にはカーテンも引いてあるから、外からも見えない」
「……そう」
「ああ。
だから、問題は、ミヒールをどうやって捕まえるか、だ。
ここにいる以上は安全だが、それは、あくまでここに篭っていればの話でもある」
と俺が安全宣言を出したときだった。
窓ガラスが割れ、黒くて大きな塊が投げ込まれる。毛むくじゃらの黒い塊は、何かの生物のようだった。
その塊を確認する間もなく、今度は笛の音が響く。
感知術士が、術の発動を感知した合図の笛だ。
次の瞬間、毛むくじゃらの黒い塊の上に水玉が出現したかと思うと、水玉は一気に膨れ上がり、そしてはじけた。応接間を激流が襲う。
「天使さ……!」
声をかける暇もなく、俺とアスタルテと黒い毛玉は激流に飲み込まれた。
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大量の水は、応接間のドアを打ち破り、部屋の外へと流れていった。
部屋はめちゃくちゃだ。
水が引き息ができるようになると、今度は背中に痛みを感じる。水圧と壁に挟まれた際、背中を壁に強く打ち付けてしまったらしい。
「天使さん、大丈夫か」
見ると、アスタルテはソファのクッションを首に当てながらうずくまっていた。
「……平気よ。
ずぶ濡れだけど」
クッションを投げ捨てると、彼女はすぐに立ち上がった。クッションは、頭や首を守るために当てていたのだろう。あの状況で、よく冷静な判断が下せるものだ。
「ハッ、ハッ、ハッ」
もう一人、いやもう一匹も無事だった。
毛むくじゃらの塊――黒いトイプードルが、残っている水溜りに舌を出し、喉を潤している。
「犬が無事でよかった」
窓の方から声がした。
アスタルテの声に随分と似ている。それでも、アスタルテに比べれば少しばかり抑揚のついた、しっかりとした口調だ。
窓からヌッと顔を出したのは、アスタルテの姉のようなもの、ミヒールだった。
「犠牲は最小限にとどめたいですから」
これまで散々人を殺しておきながら、どの口が言うか。
ミヒールは窓から室内へと入ってくる。ここは二階だ。
本当に、常識が通用しない相手らしい。
「ハイラール伯爵。
貴方、士官学校の生徒ですよね?
城攻めのやり方、授業で習いませんでしたか?」
確かに、習ったことがある。
篭城する兵士たちは警戒して姿を見せないため、彼らを標的に術を放つことは不可能だ。だから、角に松明を括りつけて暴走させた牛などを城門に突っ込ませ、その牛を標的に術を発動させるのである。
城門に突っ込む牛に威力「上」の火術や雷術を叩き込めば、城門を崩すことができるのだ。
ひどい動物虐待、いや、それ以上の動物虐殺なのだが、戦場を舞台にした話である。動物どころか、人間の命がやり取りされる場での話だ。
「確かに習っている。
だが、頭から抜け落ちていたよ。
恥ずかしい限りだ」
「そうですか。
愚将が相手だと、こちらも助かります」
「愚将か」
この世界に転生してから、賢いと言われ慣れていたが、愚かと罵られる機会は少なかった。
俺は一瞬、怒りを感じた。
だけど、犬を投げ込んで、そこに術を当てるという発想が抜け落ちていたのは俺の方だ。ミヒールが言うように、学校の授業でヒントを貰っていた発想でもある。
「しかし、貴様とて、人様を笑える立場ではないだろう。
後先考えず、単身乗り込んでくることは、愚かではないのか?」
応接間へフォキアや家臣たちが剣を持って入ってくる。
彼女たちも激流に飲み込まれたわけだが、どうやら無事のようだ。不意討ちによる混乱をすぐさま建て直し、主の身を守るために駆けつけてくれたのだ。
俺はフォキアから剣を渡され、鞘から抜いて構えた。
「貴様も十分、愚かだろう。
さて、笑える立場にあるのはどちらかな?」
フォキアから「シトレイ、ゲスい」と突っ込まれた。確かに、女性一人を大勢で囲む、人相の悪い貴族という構図だ。この状況も、俺の台詞も、ゲスいに違いない。
「確かに、私も愚かですね。
ですが、私は自分自身の愚かさを覆せるだけの『力』を持っています。
今、屋敷にいる人間全てを葬ることが、私にはできます。
……いえ、私たち、には」
ミヒールは剣を抜く。それと同時に、手に持った白百合の花をアスタルテへ投げ渡した。
「ラプヘル!
火術の方が確実です!
この者たちを焼き殺しなさい!」
花を受け取ったアスタルテは、何も言わず花を見つめる。
「ラプヘル、もういいでしょう。
この男に固執する理由はありません!」
アスタルテは俺たちとミヒールを見比べる。
そして、ポケットから胡桃と、そして緑色の宝石を取り出した。
「天にまします母なる神ドミナよ」
早口で祈り始めるアスタルテ。
彼女がミヒールの共犯者だったとしたら、俺に連れさらわれた時点では協力するフリをし、助けを待つことこそ上策だったのだろう。
「我が捧げる贄を以って」
祈りを続けるアスタルテ。
彼女は、俺を見つめ、はっきりと笑っていた。
俺やフォキア、そして家臣たちが一斉にアスタルテに切りかかる。
しかし、アスタルテの前へ立ちはだかったミヒールが、俺たちの繰り出す剣を全てはじいていった。
フォキアですら、ミヒールの重い剣撃に耐え切れず、剣を落としてしまう。
ミヒールは、特殊な術の使い手であるばかりか、剣の腕前も相当な実力の持ち主らしい。
「全ての天使の総意です。
死になさい、シトレイ・アンデルシア」
アスタルテと同じく、笑みを浮かべたミヒールが、俺に勝利と死刑を宣言する。
トードの一件があったとはいえ、俺がアスタルテを信用したことは、安易だったかもしれない。
その信用だって、全面的なものではなかったのだ。
最初から信用せず事に当たれば、こんな危険な目にあうことがなかったのかもしれない。
あるいは、アスタルテを全面的に信用し、誠実に対応し、彼女の心を動かすことができていれば、違った結果を見ることができたのかもしれない。
目の前に迫る死は、俺の中途半端なやり方の結果だろうか。
だけど、後悔は結果がわかってからやってくるものだ。
「その大いなる力を……」
俺をじっと見つめ、笑いながら祈りを続けるアスタルテ。
その笑いは、ニヤニヤとした、嫌味に見える笑いだった。




