#058「手がかり」
ヴァレヒル・アンデルシア・アスフェン。位階は公爵。コルベルン王世子。
皇帝の甥にあたり、帝位継承権第四位の有力皇族だ。
彼は病弱で、ここ十年ほど自領に引きこもっていた。しかし、貴族たちから受ける評判は良かった。おそらく、若い時分、財務府の役人をやっていた頃に築いた信用だろう。
ヴァレヒルは強権的な祖父に比べ人当たりが良かった。彼の性格は周囲の人間の信頼を勝ち取った。よく、頼られることが多かったらしい。特に、公事にしろ私事にしろ、周りが諍いを起こした際など、進んで仲裁を買って出たという。
彼が持つ権力も、自己の利益よりも周囲のために使うことが多かったという話だ。
伯父の告別式。
参列者からは、故人の徳を讃える評が聞こえてくる。
死んだ人間は美化されるというが、伯父は正真正銘の善人だった。
俺はこれまで数えるほどしか会ったことがなかったが、伯父に対し悪い印象を持ったことは一度もない。
何より、伯父が亡くなってからずっと暗い兄の表情が、伯父が惜しむべき人間であることを大声で主張していた。
伯父の養子になった兄にとって、これで、父親を二人亡くしたことになる。
そして祖父。
祖父にとっては、息子二人に先立たれたのだ。
事件直後、祖父は怒りに我を忘れていた様子だった。
「……今、この場にいる者全てを捕らえ、処断すれば、ヴァレヒルの仇をとることができるやもしれぬ」
皇宮はこの国で一番警備の厳しい場所である。外部の人間が容易に入り込める場所ではない。
そして、皇宮は高い城壁に囲まれた場所でもある。皇宮の周りには警備の都合からか、あるいは皇帝の居城を見下ろすことが不敬に当たるためか、高い塔の建設が禁じられていた。敷地外から中を伺うことは不可能だろう。
犯人が皇宮内の人間である可能性は高かった。
現場となった表宮殿周辺には、役人や近衛兵、召使いなど多くの人間が詰めていたという。
容疑者は多いが、その全てを処断――殺してしまえば、なるほど、確かに伯父の仇がとれるかもしれない。
「お爺様、それは『理不尽』です」
「……」
結局、悲劇を味わった権力者が更なる悲劇を生む、という事態にはならなかった。
おそらく、俺が嗜めるようなことをせずとも、時間が経てば祖父は冷静になっていただろう。
祖父は家族愛も強いが、政治家としての自制心も強い男だ。
今現在、祖父は事件直後の激しい怒りをおさめている。
「シトレイ、お前は『以前』子供を持っていたか?」
「残念ながら、いませんでした」
「そうか。
儂も同様だ。
だから、ヴァレヒルは、儂が初めて授かった子だった」
激しい怒りがおさまっても、悲しみが消えたわけではない。
事実は変わらない。伯父は殺されたのだ。
「……犯人の手がかりは出てこない。
このままでは、ヴァレヒルに顔向けできぬ」
コルベルン王家の家臣、祖父の指示を受けた内務府や宮内府、そして縁戚関係にあるエレオニー公爵が司令官を務める近衛軍。それら各々の部署から割いた人員が総勢三百弱。
伯父が亡くなってから今日まで、三百人体制で捜査を続行している。
伯父は、おそらく術で殺された。
しかし、術を使えば痕跡が残る。術道具と失神した術士という痕跡だ。その痕跡は、今のところ発見されていなかった。
あるいは、犯人は複数人いるのだろうか。
攻撃役の術士と、後始末を行う人間だ。失神した術士と術道具を運び出せば、痕跡を消すことができる。
だが、その場合でも、術道具や術士を運び出すことは時間を食う作業だ。
そして何より、術の発動自体、時間がかかる。
捜査が行き詰っている原因はそこだった。
それだけの長時間、アリバイのなかった人間がいないのだ。
事件当時、皇宮の表宮殿周辺に詰めていた人間は二百人を超す。祖父が冷静さを取り戻してくれたおかげで、その二百人が縛り首になるような事態には陥っていない。一方で、命拾いした二百人は有力な容疑者候補でもあった。
彼らは取調べを受けることになった。
取調べの結果は、祖父の言葉どおりだ。
手がかりは出てきていない。
二百人もいれば、事件の前後アリバイがなかった人間も多い。それでも、術の発動や後始末を行うだけの、長時間アリバイがなかった者はいなかった。
捜査の進展がない。
俺だって、犯人のことなど、皆目見当がつかない。
「捜査が難航していても、諦めることはできません」
「当たり前だ。
ヴァレヒルの仇と我が家の尊厳が懸かっている。
それに、我々の安全もな」
祖父は疲れたの混じった口調で祭壇の方に顔を向けた。
荼毘に付された伯父の骨壷を前に、神父が祈りを捧げている。そして、祭壇からやや離れたところでも、一見聖職者風の格好をした男が祈りを捧げていた。
こうして見ると、さすがは権門の冠婚葬祭、祈りを捧げる坊主の数も多いのか、と思ってしまう。
しかし、聖職者風の男は神父ではなく術士だった。彼の前には術道具が置かれている。常時、感知術を発動して警戒しているのだ。術士の横には、おそらく交代要員であろう別の術士たちが待機していた。
今、一心不乱に感知術を発動している術士や、そばで待機している術士は、襲撃後に祖父が雇った者たちである。
彼らは祖父や兄、そして俺のそばで感知術を発動し、二十四時間体制で術による暗殺を警戒している。
「一応はああして手を打ったが……最後に襲ってきた濁流はともかく、ヴァレヒルや近衛兵を襲った未知の術まで感知できるかどうかはわからぬ。
それでも、術から身を守るなら、有効な手だとは思う。
今まで術を使った暗殺など起きなかったが、今回は実際に起きたのだ。
今後は皇宮や公官庁にも、常時、感知術士を置くべきかもしれんな」
皇宮や公官庁に感知術士を置く。それは今後の話だ。
一方、我々は今現在、警戒を怠ることはできない。
あの襲撃は、伯父だけを狙ったものではないだろう。
伯父は最初に馬車から降りた。
普通なら、一番の上位者である祖父が最初に降りる。だけど、あのときは伯父の体調が優れなかったから、彼を真っ先に降ろしたのだ。
であれば、本来の標的は祖父だろうか。それとも、コルベルン王一門全員だろうか。どちらにしても、用心の必要があった。
伯父の仇は必ずとる。
そして何より、俺たちの安全のために、犯人を捕まえることは必須だった。
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「コルベルン王殿下」
告別式の会場は祖父の屋敷である。
場所は帝都だから、貴族領主同士が領地を行き来することを禁ずる、という法にも触れなかった。
しかも故人はこの国で最大の権門であるコルベルン王家の嫡男だ。告別式に参列する人間は多い。
その多数の参列者の中に、思いがけない人物が混ざっていた。
「この度は、お悔やみ申し上げます」
「これはこれは、サイファ公爵殿。
まさか、公爵殿にお越しいただけるとは……」
サイファ公爵はいつもどおりの鋭い眼光を祖父に向けている。傍らには、ヴェスリーやその母親も立っていた。
「娘婿となるハイラール伯爵の、ご実家の葬儀ですからな。
いや、告別式でしたか」
サイファ公爵はチラリと俺を見て答えた。
俺がヴェスリーと本気で結婚するつもりだと知ったので、我が家に対する態度を改めたということだろうか。
……まさか。
あれほど祖父の屋敷に来ることを拒んだサイファ公爵だ。俺への見方がどう変わろうと、祖父が政敵であることは変わりない。祖父への憎悪が好意に変わることなど決してないだろう。
「……殿下が驚かれるのも無理はありません。
今回お伺いしたのは、アスフェン公爵殿のご逝去や、皇宮での事故の件で、当家の考えや立場をお知らせしておこうと思ったためです」
なぜサイファ公爵がやってきたか疑問に思っていたのだが、公爵本人が解答を与えてくれた。
今回の襲撃事件について、サイファ公爵家は一切関与していないぞ、と主張しにきたのだ。なるほど、仮に襲撃の黒幕だとしたら、暗殺をしくじった相手の家にノコノコやって来ることなどないだろう。
「わざわざのご足労頂き恐縮です。
ですがな、サイファ公爵殿。
そのようなお気遣いは無用ですぞ。
我々は親戚同士になるのですから」
親戚同士になるのだから告別式に来なくてもいい、と祖父は言う。普通に考えれば、おかしな話だ。
「それに、公爵殿のお考え、儂は理解しているつもりです。
公爵殿がもっと違うお考えをお持ちでしたら、我が息子だけではなく、儂も病に倒れていたかもしれませんからな。
それも、この時期ではなく、もっと早くに」
「そうですな」
相変わらず、二人は仲が悪い。
直接的な単語は避けていたが、聞けば誰でも理解できる内容だ。
祖父は無表情の笑顔だ。一方、サイファ公爵は本当に無表情である。空気がピリピリしている。胃が痛くなってきた。
「ダー……ハイラール伯爵殿。
この度はご愁傷様です。
お会いして早々申し訳ないのですが、私、あまりにも多い参列者の数に人酔いしてしまいましたの。
どこか、落ち着ける場所はないでしょうか?」
「ヴェスリー、このようなときに我侭を言うな」
サイファ公爵はヴェスリーを叱った。
だが、彼女の我侭は場の空気を読んだからこそのものであろう。彼女の発言をきっかけに、祖父とサイファ公爵の会話が終了した。
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俺はヴェスリーをテラスへと連れ出した。
テラスには、他の参列者たちもいた。おそらく、俺たちと同じように一息つくためであろう。
それでも、告別式の会場である屋敷のホールに比べれば疎らだ。
「ヴェスリー、ありがとう」
「何がですか?」
「あの重い空気を読んで発言してくれたのだろう?
私も、正直居心地が悪かったんだ。
将来のことを考えれば、ああいうのにも、慣れておかなくてはいけないと思うけどね」
いずれ、サイファ公爵とは決着をつけるのだ。ヴェスリーは、自分が決着をつけると言っていた。だが、それではだめだ。
彼女の決意に水を差すつもりはないが、その決意に乗っかりっぱなしでは、男として格好がつかない。
いずれサイファ公爵と対決するなら、ああいった場にも慣れておく必要がある。「空気が重い!脱出だ!」と毎回逃げていてはダメなのだ。
それでも、今は、ヴェスリーの発言のおかげで助かった、という気持ちも確かにある。我ながら情けない。
「え……?
え、ああ。
そう、そうですの。
妻たる者、夫が何を望んでいるのか常に考えて、行動しなくてはなりませんから」
……ヴェスリーが場の空気を読んだわけではないにしても、結果的に一息つくことができたのだ。まずは、彼女に感謝しておこう。
ああいう場に慣れるのは、まぁ、追々でもいいか。
実際に結婚するのは、まだ先の話だ。
「それにしても、こう言ってはアスフェン公爵に悪いかもしれませんが、ダーリン殿が無事でよかったですわ」
伯父は病死。皇宮での騒ぎは水道の故障による事故。
公式にはそう発表されていた。
皇宮で皇族が襲撃を受け、あまつさえ暗殺されたなどと、正直に言えるはずがない。
しかし、そう発表しておいて、一方では三百人近い人間を動員し、大規模な捜査を展開しているのである。
伯父の病死と、皇宮の事故の真相は、庶民の口の端にも上っていた。
「ひとまずは無事だが、安心はできないよ。
犯人は捕まっていないんだから」
「そうですわね。
捜査の進展も芳しくないとお聞きしていますし」
「うん。
犯人の手がかりが一切出てこない状況らしくてね。
術を使ったとのだとは思うんだけど……」
もう一度整理しよう。
最後に襲われた、表宮殿の一階を飲み込んだ濁流は、水術の作用で間違いない。あれほどの激流は相当な威力の水術だろう。だが、所詮は威力「上」の術だ。常識から外れたものではない。
問題は、伯父と近衛兵二人を襲った現象。
確信は持てないにしても、起きた現象を見れば、体の内側に的を絞って水術を発動させたと考えるのが自然だ。
わざわざ体の内側に的を絞ったのは、普通の水術では威力「上」でも確実に相手の息の根をとめることができないからだろう。
大量の水をぶつけられれば、水圧に押し潰されるかもしれない。あるいは、呼吸困難に陥るかもしれない。だが、同じく威力「上」の火術や雷術に比べれば、相手を死に至らしめる確実性に劣る。
体の内側に大量の水を直接送り込めば、確実に相手を殺すことができるのだ。事実、伯父や近衛兵は、ほとんど即死に近かった。
……なるほど。
戦場においては、確実に相手を殺すため、火術や雷術を使う。軍において、水術は、地術と同様に不人気な術だった。だが、今回の事件では水術が使われた。
体内を標的にしたり、痕跡を残さない等、高度な技術や用意周到さを持ち合わせていながら、あえて水術を使ったのだ。
……水術しか使えなかったのではないだろうか。
だとすれば、術の連続発動も、現実味が帯びてくる。
術は四発発動された。
伯父や近衛兵二人を襲ったもので三発、最後の激流で一発だ。
もし、常識どおり一人の術士が一発、計四人で四発放ったのだとしたら、わざわざ水術で統一する必要などない。もっと確実性のある火術や雷術の使い手を用意すればいいのだ。
襲撃を行ったのは、少なくとも攻撃役は、水術の使い手が一人。その一人が連続で術を放った。
常識的には考えられない。
だが、状況的には、それが一番しっくりくる。
伯父は大量の水を吐き出しながら亡くなった。体内に術を発動させるという常識では考えられない出来事が、実際に起きたのである。
犯人は常識外の、未知の力を持っているのだ。
犯人は術を連続で発動することができる。
体内に術を発動させることもできる。
術の高速発動や、術発動後の失神回避も可能なのだろう。事件前後長時間アリバイがなかった人間と、事件後数日休んだ人間はいなかった。
そして術士は一人だ。水術の使い手である。
そういう前提で考える。
しかし、そう考え、犯人の能力についてとりあえず納得はしてみても、犯人の手がかり自体は皆無だ。
いや、犯人が常識外の力を持っているとなると、捕まえることなど不可能に思えてくる。
「どうしたのですか、ダーリン殿。
先ほどからずっと黙っていますけど」
「ああ、犯人が使ったであろう術のことを考えていたんだ。
考えはまとまるんだけど、まとまって、そのまま立ち往生さ」
俺は、犯人が特殊な水術を使ったのではないか、という仮説をヴェスリーに語った。
「ヴェスリー、術士クラスの生徒として、何か思い当たることはないかい?」
「んー、そうは仰っても、私もただの学生ですわ。
術士クラスの授業内容も、内容は専門的でも、決して常識から外れるものではないのです。
……お役に立てなくて、ごめんなさい」
「そっか。
いや、いいよ。
謝る必要はない」
政府や軍には術士がたくさんいる。専門の、プロの術士だ。その術士たちを捜査に動員してもお手上げなのだ。ヴェスリーの知恵を当てにするのは少々酷だったかもしれない。
「実践的な授業は多いので、術の威力なら少しばかり上がったと自負していますわ。
でも、本当にそれだけなのです。
もっと勉学や修練を積んでいれば、何かひらめいたかもしれないのですが……。
私の、特に知識に関しては、士官クラスにいた頃とあまり変わっていないと思います。
……ああ、そう考えると、私は、あまり成長していないのかもしれません」
成長しきった胸を突き出し、彼女は後悔を述べた。
「そんなふうに思うことはないよ。
最初から優秀な人間ほど、伸び代は小さいんだ。
君は最初から優れた術士だった。
術の実技では、一回目から凄い雷術を放っていたじゃないか」
今現在の彼女の術は、あの時赤猪を葬ったものよりも、さらに威力が上がっているという。見てみたいという好奇心と共に、若干の怖さも感じる。
「凄いといわれても、自分では確認できませんわ。
士官クラスの実技では、私は順番が最初でしたから、他の方の術も見ることができませんでしたし」
ふと、術の実技のことを思い出す。
何か、引っかかる。
……。
「ふふ、でも、後から伺った話では、待ち時間が辛かったと皆さん仰っていましたわ。
その点は、順番が最初で良かったと思っていましたの。
ダーリン殿なんて最後だったから、ずっと立っていて辛かったのではなくて?」
「いや、私は立ちながら眠ることができるのだ。
それほど苦痛ではなかったよ」
「お昼休みに眠っていたのは知っていますが、実技中まで眠るなんて……。
さすがはダーリン殿。
豪胆ですわね」
そう、術の実技では、俺の順番は最後だった。
術の発動には一人あたり三十分から一時間近く時間を要する。眠ることができたとはいえ、辛いといえば辛かった。
しかし、一回目の術の実技では、一人だけ、ものの数分で術を発動した人間がいた。俺のひとつ前に術を放った生徒だ。
最後にもうひと踏ん張り、辛くて退屈な時間を我慢しようと思っていた矢先、すぐさま術が発動された。それで、俺は肩透かしを食らったのだ。
……あれは、術の高速発動だ。
それに、思い起こせば、アスタルテは術発動後も失神していなかったように見えた。
教官が驚き混じりに立っていられるのかと問うと、途端に眠り込んでしまったのだが、今思えば指摘されて咄嗟に演技をしたようにも感じる。
「……ヴェスリー」
「なんですか?」
「ありがとう」
「え…?
ああ、豪胆と申し上げたことですか?
本当のことを言っただけですから、お礼を言われるようなことではありませんわ」
「うん、ありがとう」
どうやら、アスタルテに話を聞く必要があるようだ。




