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異世界でも現実は厳しい  作者: 懐中電灯
士官学校編
58/79

#057「襲撃」

 士官学校二年次も終わりに近づいた、新年。

 年明け早々、俺を含む高位爵位持ちの貴族全員が皇宮に召集されることになった。皇帝の在位四十周年記念式典に参加するためである。


 我が国は様々な問題や内部対立を抱えているが、皇帝の地位自体はおおむね安定していた。

 今上皇帝は前述どおり、めでたく在位四十年を迎えることができた。

 思い起こせば、先帝(俺の曽祖父)も、同じく四十年の在位を誇ったと歴史書に書かれている。


「玉座に座っているだけで何もせず、長生きさえすれば、どんな暗君でも浴すことのできる栄誉ですよ」


 広い馬車の中、兄は今上在位四十周年の感想を悪態つきで述べた。


「アーモン、不敬に当たるぞ。

 それに、長生きするということは、素晴らしいことだ」


 兄の悪態に対し、その養父である伯父ヴァレヒルが(たしな)める。

 何年かぶりに会った伯父は、さらに痩せ細っていた。(しわ)が濃くなり、白髪も増え、祖父よりも歳をとっているように見える。


「すいません、義父上(ちちうえ)

 私は、ただ、実際に国政を預かっているお爺様こそ顕彰されてしかるべきと思ったのです」

「そうか。

 アーモンの気持ちは理解できるが、外で口にしてはならんぞ……ゲホッ、ゲホ」

「大丈夫ですか、義父上(ちちうえ)

 屋敷へ戻りましょうか?」


 病弱な伯父は、近年、ベッドの上で過ごす日が多いという。病身ゆえ参勤交代も免除されていた。彼が上京してきたのは久方ぶりだという。


「今から屋敷に戻っては遅れてしまうだろう。

 大丈夫だ、こう見えても、最近は調子が良いのだ。

 病弱だからといって、いつも特別扱いされていては、父上のご迷惑になる。

 たまには、貴族の義務を果たさなくては……ゴホ、ゴホッ」


 そう言いながらも、伯父の咳は止まらなかった。そんな伯父の背中を、兄は心配そうにさすっている。


「ヴァレヒル、お前は皇宮に着いたら休んでいるといい。

 アーモンの言うとおり、今回の祝典は皇帝が長生きしたというだけのものだ。

 大して重要な式典ではないのだ。

 無理に参加しなくてもよい」


 祖父の気遣いに対し、伯父は咳をしながら「申し訳ございません」と頷いた。

 馬車は都の大路を直進し、皇宮前広場へと入っていく。もうすぐ、皇宮に到着するはずだ。

 馬車の振動は、病身には(こた)えるのかもしれない。まずは、一刻も早く、伯父を休ませよう。




============




 高い塔や巨大な屋敷で埋まる都の中でも、皇宮の正門は一際大きい。精密で美しいレリーフの施された石造りの門は、30メートルに届くであろう高さを誇っている。

 前世の世界にあった建造物と比較すれば、小ぶりな凱旋門(エトワール凱旋門)といったところか。


 門をくぐると、前庭が続き、やがて表宮殿の正面玄関へ到着する。


 コルベルン王一門を乗せた馬車は、正面玄関前のロータリーの一角で止まった。


 普通の貴族なら正門をくぐる前に、馬車なり馬なりから降りなくてはならない。

 玄関前のロータリーに横付けできるのは、皇族と、人臣の中でも公爵一門に限られた特権だった。


 特権を行使した我が家の馬車へ、出迎えの近衛兵がやってきた。


「手を貸してくれ、伯父上の体調が優れないのだ」

「はい。

 どうぞ、小官におつかまり下さい」


 俺が近衛兵に先導を頼むと、兵士が手を貸してくれた。伯父は兵士の手につかまり、止まない咳に難儀しながら馬車を降りていく。

 と、その時。


 伯父の体が一瞬、膨らんだように見えた。


「ん…ぐ、ブッ…ブハッ」


 次の瞬間、伯父は口から薄い赤色の液体を吐き出した。血が混ざった、大量の水だ。手を貸した兵士は顔面に赤色の水をぶちまけられ、唖然としている。


「伯父上!」


 後ろにいた俺は咄嗟に伯父の体を受け止めた。触れた背中や腕は、人間の体にしては異様に冷たい。


「んぐぐぐ……グ、ブェッ」


 苦しそうなうめき声と共に、伯父を抱える俺の顔に水しぶきが飛んできた。

 何事かと顔を上げると、今度は伯父に手を貸した兵士が、伯父と同じように赤い水をぶちまけている。

 さらに、その後ろで別の兵士も口から水を吐き出す。


 体内から、大量の水を吐き出したのだ。


 体の内側から……。


「おい、馬車を出せ!

 このまま宮殿に突っ込むのだ!」

「え?」


 急いで伯父の体を馬車の中に引っ張り入れ、馬車のドアを閉めた後、俺は大声で御者に命じた。


「いいから、言うとおりにしてくれ!」


 御者は、御者席の小窓から俺の顔を覗くと、まるで恐ろしい怪物を見たかのように顔を歪める。

 そして、再び前を見ると、俺の命令を従ってくれた。


 今日は祝典に参列する貴族が登城するため、いつもは閉め切ってある皇宮正面玄関の大きな扉が開いている。その開かれていた扉を目がけ、御者は「どいて下さい!」と叫びながら馬に鞭を入れる。


 段差を登る際の衝撃や、馬が半開きの扉に体当たりする際の衝撃はあったが、幸い、人を()いたような鈍い衝撃はなかった。


 たくさんの調度品を破壊し、敷き詰められたカーペットをズタズタにしながら、我が家の馬車は建物内まで進み、そして止まった。


 車内を確認すると、俺も祖父も兄も無事だった。


 一方、前方の小窓から外を覗くと、御者がぐったりとうつむいている。


「おい、大丈夫か?」


 声をかけると、御者はピクッと反応した。


「ああ、なんて恐れ多いことをしてしまったんだ。

 天子様の宮殿がめちゃくちゃだ……」


 馬車が蹴散らした宮殿の調度品は、一つひとつが御者の年収よりも値が張るものであろう。

 御者は青ざめていたが、怪我は負っていないようだ。


義父上(ちちうえ)!しっかりして下さい!」


 兄は伯父を抱きかかえ、必死に揺さぶっていた。伯父は、おそらく事切れている。伯父が口から赤い水を吐き、その体を受け止めたとき、既に体は冷たかった。異様に、冷たかったのだ。


「どういうことだ、シトレイ」

「わかりません。

 わかりません、が、トードの一件を思い出したのです」


 内臓を、体の内側を標的に術を発動させる。あのときは火術のようだったが、今度は水術ということだろうか。


 しかも、伯父がやられた後、兵士たちがやられるまでに時間差があったように見えた。とすれば、術士は複数人いるのだろうか。

 いや、体の内側を標的にするという、得体の知れない術を使うような人間だ。以前祖父が口にしたように、術発動後の失神を回避することができるのかもしれない。まさかとは思うが、連続で術を放つことができるのかもしれない。


 ……いずれにせよ、敵は未知の力を持っている。

 水術を自在に放てるのだとしたら、術士の視界から隠れることができたとしても、まだ安心できない。


「お爺様、詳しい話は後です。

 上の階へ行きましょう」

「わかった」


 俺は伯父の遺体を背負うと、祖父や兄、御者と共に上の階を目指す。


 踊り場まで登ったところで、階下からバシャーンと大きな音が響いてきた。


 悪い予想が当たったようだ。

 玄関の方から、大量の水が流れ込んでくる。階段を登っていた俺たちは、間一髪、襲いくる濁流を避けることができた。


 二階まで着くと、俺は伯父を降ろし、寝かせた。


「ここまで来れば、大丈夫だと思います」

「……術か」

「はい。

 伯父上や兵士たちは、外でやられました。

 おそらく、術士は外にいます。

 ここまで来れば、術士の視界からも、水攻めからも逃れることができます」

「うむ」


 祖父は頷きつつも、別の方を向いていた。祖父の視線の先には、横たわる伯父と、その前で顔を伏せ、肩を震わせる兄が立っていた。

 その様子を見て、祖父は歯軋りする。


「おのれ……」


 伯父が殺された。

 とりあえず危機が去って落ち着いてみると、伯父が殺されたという事実が頭を占め、怒りが湧いてくる。

 そう、家族が殺されたのだ。


「トードの一件では、結果的にお前は助かった。

 だから、お前の言う現象の原因や原理については、ひとまず保留しておいてもよいと思ったのだ。

 だが、ヴァレヒルが死んだ。殺された。

 今回のことは看過できぬ」

「はい」

「トードの一件と、今回のことが関係あるのかはわからぬが……絶対に許さぬぞ」


 伯父を殺された俺よりも、息子を殺された祖父の方が、怒りは激しいのだろう。祖父の表情はいつもどおりでも、歯軋りのためか顎が震え、額には血管が浮き出ていた。


「そこのお前」


 祖父は怒りに満ちた低い声で、所在なさげにしていた御者を呼びつけた。


「急いで屋敷まで戻り、家臣に召集をかけるのだ」

「は、はい」


 まだ水が引ききっていない一階を、御者は漂流物を掻き分けて駆けていく。


「絶対に捕らえてやる。

 捕らえて、酷く、惨たらしい方法で処刑してくれよう」


 犯人が何者であるか、検討がつかない。

 祖父は敵が多いし、俺だって、セエレの一件のような例がある。伯父や兄だって、権門の後継者という地位にある。動機はわからない。


 しかし、動機が何であれ、こんなことは絶対に許されない。


 怒りに満ちた独り言を続ける祖父。横たわる伯父の亡骸。そして、その前で静かに泣いている兄。


 俺は、そんな家族の姿を一瞥した後、階段の手すりを強く殴りつけた。

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