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異世界でも現実は厳しい  作者: 懐中電灯
士官学校編
56/79

#055「姉?」

 応接間に入ると、祖父ともう一人、見慣れぬ男が座っていた。


 休日。

 俺は祖父の屋敷を訪れた。いつもどおり応接間に通されたため、いつもどおり祖父と二人で密談が始まると思っていたのだ。

 ところが、通された応接間には、先客がいた。思いもしないことだったので、面食らってしまう。


「ちょうどいいところに来たな。

 こちらは、ロアノン男爵だ。

 シトレイ、お前も挨拶しておきなさい」


 祖父が男を紹介すると、彼は俺を向いて立ち上がった。

 俺はとっさに敬礼する。男――ロアノンは軍服に身を包んでいたのだが、左肩の階級章が彼の高い地位を表していたのだ。金縁に黒地の階級章は、上級将軍を表す。


「ロアノンです」

「シトレイ・ハイラールです。

 士官学校の二年生であります。お初にお目にかかり光栄です、閣下」

「そこまで、あらたまる必要はありませんよ、伯爵。

 軍務の最中ならともかく、今日は休日ですから」


 学校(軍務中)以外で上官に会った際、どういう態度をとるべきか。一時期、悩んだことがある。

 サイファ公爵などは、軍の階級でも、爵位でも、俺より上位者だったから問題ない。問題は、目の前にいるロアノンのように、軍の階級は上でも、爵位は俺よりも低い人間に対する態度だった。

 結局、そういう人間は常々俺よりも年長者だった。

 だから、俺は年長者に示すべき態度をとることにしている。

 いずれ、俺が歳をとれば、再び悩むことになるかもしれない。あるいは、その頃には、軍での階級も追いついているだろうか。


「コルベルン王殿下のお力添えにより、東部方面軍司令官職を拝命いたしました。

 今日は、そのお礼言上のため、お邪魔したのです」

「ということだ。

 男爵のような良識的(・・・)な軍人には活躍してもらわねばならぬからな」


 良識的とは、つまり穏健派ということだろう。

 彼の司令官就任は、祖父の働きかけによるものだという。祖父は得意満々だ。


「それでは、殿下。

 私はこれで失礼しています」

「うむ」


 ロアノンは祖父に一礼すると、再び俺に向き直った。


「伯爵は殿下の秘蔵っ子だと伺っています。

 将来の活躍、期待していますよ」


 ロアノンはそのまま応接間から退室していった。


「これで、東部方面軍も押さえた」


 軍への影響力を伸張させる。

 祖父の工作は着々と進んでいるらしい。




============




「にわかには信じられぬ話だな」


 思わぬ先客が帰った後、俺は早速本題を切り出した。

 本題とは、トードの一件である。トードの内臓が、何故か黒焦げになっていたのだ。説明のつかない現象によって、俺は命拾いした。


「お前はどう思うのだ?」

「仰るとおり、信じがたい現象です。

 何か超常的な力が働いたとすら思えます。

 術のようにも思えますが……」


 生物を対象として発火させる。火術を使ったようにも見える。

 威力が「下」であれば、トードに火傷を負わせる程度の発火となる。「中」ならば、トード一体を丸々炎で包み、焼き殺すことができるだろう。「上」なら、四体のトードすべてを、いや、あの場にいた俺たち全員を葬るだけの火柱を発生させることができる。


 怪物(モンスター)トード一体が死んでいたわけだから、術だとすれば威力「中」と言ったところか。だが、体の内側のみを燃やすという話は、聞いたことがなかった。


「術の研究も、あくまで、戦場で役立つことを主眼に置いたものばかりだ。

 多数の敵に打撃を与えることを重点に置いている。

 だから、体の内側だけにダメージを与えるという芸当は、まだ発見されていないだけで、もしかしたら可能なのかもしれぬ」

「術の標的をトードからさらに絞って、その内臓のみを対象とするわけですか。

 確かに、そのような方法や技術は存在し、まだ発見されていないだけなのかもしれません。

 ですが、仮に術だとすれば、それを放った術士がいるはずです。

 しかし、あの場には消耗しきって倒れこんだ者はいませんでした。

 視界の悪い森の中ですから、遠く離れた所から術を発動させたとは考えられません」

「あるいは、術発動後の失神を回避する方法も……いや、可能性で論じていてはきりがないな」


 俺の三倍以上の年月を、この世界で過ごした祖父だが、そんな祖父も聞いたことがない現象らしい。


「いずれにせよ、普通では考えられない現象です。

 そう考えたとき、私の頭には女神ドミナのことが思い浮かびました。

 今日お爺様にご相談したのも、このことがドミナに関係あることかもしれないと思ったからです」


 思えば、人間に術を与えたのはドミナである。


「神は人間の運命を調整できると聞いています。

 もしかしたら、太祖の生まれ変わりである私が命を落とさぬよう、ドミナが運命を調整したのではないかと」

「その考えには賛同できぬな。

 運命の調整というのは、善行や悪行のバランスを保たせるためのことであろう?

 人の生き死にまで自由に操作できるのだとすれば、太祖は天寿を全うしたはずだ」


 もし、人間の生き死にまで自由に操作できるとしたら、彼女が愛した太祖アガレスが、若くして死ぬこともなかっただろう。

 太祖アガレスは早死にした。死因は暗殺である。彼は腹心に裏切られて、殺されたのだった。

 祖父の言うとおり、神が自由に人間の生死を操ることができるのならば、太祖が暗殺犯の凶刃に倒れるはずがない。太祖は、女神ドミナが愛した男なのだ。


 いや、そもそも、人の生き死にを調整できるのなら、寿命だって調整できるのではないか。不死の人間を生み出すことだって、できるのではないだろうか。


 俺はドミナに会うまでは死なない、とあまり根拠のない自信を持っていたが、どうやら本当に根拠がなかったようだ。


「神の力に関することも、結局のところ、論じても推測で終わる。

 その推測は無限にできるのだ。

 やはり、きりがない」


 結論は「考えてもわからない」だ。トードの内臓が燃えていた理由は謎のままである。話は振り出しに戻ってしまった。


「神の力にしても、術にしても、情報が少ないな」

「とすれば、結局、この件もドミナの降臨まで結論を保留せざる得ないわけですね」

「うむ……いや、結論が出るかはわからぬが、情報源はもう一つ、一人いる」


 祖父の言葉に心当たりがあった。すぐに思い浮かぶ人物だ。その人物が前世の神から受けた説明は、俺や祖父が受けたものよりも情報量が多かった。


「……セエレですか。

 わかりました。

 今度、私が話を聞いてきます」

「儂も一緒に行こうか?」

「私一人で行きますよ。

 宰相ともあろう方が、何度も罪人の元に足を運んでは目立ってしまうでしょう?」


 それに、セエレが何か知っていたとしても、簡単に口を割るとは思えなかった。おそらく、無駄足になるだろう。

 セエレを訪ねるのは、あくまで他に話を聞く当てがないから、程度の考えである。


 祖父には何度も助けられている。今のところ、助けられっぱなしだ。俺だけで済む用件なら、あまり祖父の手を煩わせたくない。これぐらいの使いっぱしりは俺の役目だろう。


「そうか。

 では、任せよう。

 気をつけるのだぞ」




============




 セエレは皇宮内の一室に幽閉されている。謀反を企てた人物、しかも()皇族だ。普通は会うことなど叶わないのだが、既に根回しは済んでいる。

 俺はいつか彼に会った時と同様、菓子折りに金貨を数枚入れて持参した。


「これ、皆さんで分けて……」


 監視役の衛兵に金貨入りの菓子折りを差し出して、手が止まる。衛兵の顔に目を奪われてしまったからだ。透き通るような白い肌と、淡い銀髪。そして、端整な顔立ち。女性の衛兵は、クラスメートと驚くほど似ていた。


「私の顔に何かついていますか?

 伯爵閣下」

「あ、いえ、そういうわけではありません」


 衛兵は、二十代前半に見える。アスタルテが五歳ほど歳をとったような感じだ。


「失礼ですが、お名前は?」

「近衛軍所属のミヒールと申します。

 ベルエット・ミヒールです」

「ミヒール、さん。

 アスタルテ・ラプヘルという少女をご存知ですか?

 私の知人なのですが、貴方にとても似ている子なのです」

「ええ、存じ上げております。

 あの子は……そうですね、妹のようなものです」


 親戚か。それとも、名字が違う姉妹なのだろうか。間を空けての「妹のようなもの」という返答に、アスタルテがもしかしたら複雑な家庭環境に置かれているのではないか、と想像してしまう。


「突然、色々と質問してしまって、すいません。

 アスタルテ・ラプヘルは私と同じ学校のクラスメートなのです」

「そうですか。

 それはそれは……妹のようなものがお世話になっています」


 彼女は妹のようなもの、という表現を変えなかった。

 いずれにせよ、初対面の人間に、これ以上家庭のことを突っ込む気にはなれない。微妙な空気の中、俺は本来の用件を済ませるため、重い鉄の扉を開けた。


 部屋の中にいた男は、茶色い革製の回転椅子に座り、格子の入った窓の外を眺めていた。男は、扉の音を聞きつけたのであろう。俺が部屋に入ると、振り向きざまに誰何してくる。


「天使様ですか?

 今日は、一体どのような……」


 セエレは随分とやつれた様子だ。頬がこけ、顔色が悪い。しかし、目は死んでいなかった。口元に微笑をたたえる表情も、以前どおりだ。

 その微笑は、俺の顔を認めると、一瞬消えた。


「……悪魔の方か」

「悪魔?

 私のことですか。

 ひどい仰りようですね、殿下」


 そして、再び微笑を浮かべる。


「失礼、つい、本音が出てしまったのです。

 それに、シトレイ君だってひどい言いようではありませんか?

 吾輩から身分と『殿下』の敬称を奪ったのに、未だそう呼びかける。

 ひどい、皮肉だ」

「身分を失ったのは、ご自分の行動の結果でしょう。

 私が奪ったわけではありません。」


 本題に入る前からこれである。予想はしていた。やはり無駄足だったか。


 それならそれで、かまわない。


 セエレは皇子の身分と公爵の爵位を剥奪され、幽閉されている。一方、俺は士官学校へ進み、順風満帆な生活を送っているのだ。彼はこの部屋から出ることが許されないが、俺は自由に出入りできる。これが、今現在の、両者の立場だ。俺の方が圧倒的優位にあり、余裕があった。


 俺は余裕に満ちた気持ちで、セエレを尋問した。




============




「知りません。

 知っていても、貴方には教えません」


 俺の尋問は予定どおり、セエレの返答は予想どおりに終わった。

 そんな術など知らない。神の力など考えもつかない。ついでに、もう一度、前世の神から受けた説明内容を尋ねたが、これについても以前と同じ答えだった。


 本当に無駄足だったわけだが、聞かないで悶々とするよりは、無駄とわかりつつも聞いてスッキリしたかった気持ちもある。

 ドミナが降臨するまで、もしかしたら一生、セエレと会うことはないだろうと思っていたが、これで、今度こそ本当にさようならだ。


「ところで、貴方は開口一番に『天使様』がどうこうと仰っていましたが、どういう意味ですか?

 信仰にでも目覚めたのですか?」

「吾輩は元々、敬虔なドミナ信徒ですよ。

 元から目覚めています」


 幽閉の身といえば、絶望的な状況だ。神に救いを求める心境は理解できる。


「なんですか、その目は。

 まるで吾輩を憐れんでいるかのような目ですね」

「いえ、別に」

「そうやって、余裕を見せていられるのも今のうちですよ。

 吾輩は神に選ばれたのです。

 天使様がそう仰っていました。

 吾輩こそが太祖アガレスの生まれ変わりとして、ドミナ様の伴侶として、この国を統べるに相応しい人物だと。

 ドミナ様が降臨されたあかつきには、シトレイ君やコルベルン王殿下を真っ先に処刑して差し上げます。

 楽しみにしていて下さい」


 最初は、顔色は悪くても、表情や態度が以前と同じだったため、どこかホッとしていた気持ちがあった。セエレの幽閉は、対等な戦いの結果であり、後悔はない。それでも、幽閉生活で発狂でもしていたら、それはそれで目覚めが悪くなると思っていたのだ。


 セエレの微笑は、いつの間にか恍惚とした笑みに変わっていた。発狂しているのかはわからないが、彼の言動は、狂信者といえる。


 セエレの犯した殺人や、自分やヴェスリーが危険な目に合わされたことを考えれば、今のセエレの境遇は自業自得だ。正直に言えば、ざまぁ見ろ、とすら思う。

 同時に、対等な「敵」であり、同じ転生者であり、同じ太祖の生まれ変わりであるセエレの現在の姿を見て憐れにも思う。決して出られぬ牢の中で神にすがり、妄想に浸っているのだ。


「怖いですね。

 処刑される側としては、とてもではないですが、楽しみになどできません。

 どうぞ、貴方一人が楽しみに思っていて下さい。

 それでは」


 とにかく、用件は済んだ。

 今のセエレの姿や言動に同情は抱かない。だが、見ていて良い気分にも、決してなれない。俺はセエレから逃げるように、部屋を出た。




============




「伯爵閣下、用件はお済みですか」


 部屋を出ると、監視役の衛兵ミヒールに声をかけられた。無表情や、落ち着いた感じの声色は、やはりアスタルテに似ている。


「はい。

 ……ミヒールさんは、セエレの監視の任務に就いてどのくらいですか?」

「もう、一年ぐらいになります」

「では、この一年間、セエレはずっとあのような調子なのですか?」

「あのような?」

「あのようなとは、神にすがって心の平静を保っているような、という意味です」


 ミヒールの眉がピクッと動いた気がする。


「神に慈悲を求めることは、悪いことではありません」

「そうですね。

 しかし、あれは見ていて痛々しいではありませんか」


 ミヒールは、今度ははっきりと、不快そうな表情を浮かべた。


「神に救いを求める姿が、痛々しいのですか」


 ミヒールは初対面だ。俺は初対面の彼女に対し、どうしてこんなことを言ったのだろう。彼女があまりにもアスタルテに似ているから、気が緩んでしまったのだろうか。


「失言でした。

 忘れて下さい」


 監視役としては、囚人が信仰に目覚め、大人しくしているのならそれに越したことはないだろう。あるいは、ミヒール自身、強い信仰の持ち主なのかもしれない。彼女が妹のようなものというアスタルテも、本気かどうかわからないが、常日頃からドミナへの信仰を語っていた。


「では、用件は済みましたので、失礼します」


 セエレと相対したときと同様、居心地が悪くなった俺は、早々に帰ることにした。背中に視線が突き刺さるのを感じる。ミヒールは、俺の姿が見えなくなるまで、ずっとこちらを睨んでいるようだった。 

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