#053「火薬/フリックの離脱/大きくなった?」
「一箱の値段が金貨千枚。
壮観だな」
都の屋敷の空き部屋。
今、この部屋を、硝石が詰まった山積みの木箱が占拠している。
硝石は高価だ。俺が幼い頃、一度、両親にせがんで手に入れたことがある。あのときだって高価な代物だったが、現在ではさらに価格が高騰していた。
硝石は、はるか西の乾燥地帯で採れる。具体的に言えば、我が国の西隣に位置するコルベルン王国が産地だ。
コルベルン王国は、我が国とコルベルン王位を主張しあう敵国である。かの国とは正式な国交がなく、交流があるとすれば軍事衝突に限られていた。
ゆえに、我が国とコルベルン王国との間に交易ルートは存在していなかった。
そんな状態だから、硝石は入手が困難だ。だが、入手する手段は存在していた。第三国を通すのだ。
我が国の西部国境は、南半分が前線基地サミンフィアを中心とする対コルベルン戦線となる。一方、北半分は第三国エルムと国境を接していた。
このエルム王国を介することで、我が国の人間でも硝石を手に入れることができるのだ。当然、エルムの関税や中間商人を通す分だけ、硝石はさら値上がりする
さて、このエルム王国は近年政情不安にある。
元々、我が国ほど中央集権の進んでいないエルムでは、君主と地方領主が対立関係にあったのだが、そこに王位継承問題が絡み、内乱勃発寸前だというのだ。
政情不安は経済にも影響を及ぼす。
我が国とエルムの間を行き来する商人の数は減り続けており、同時に硝石を運んでくる荷馬車の数も減っていた。さらに言えば、悲惨な戦場となったサミンフィアの復興需要が高まり、商人の足がそちらに向いたことも一因かもしれない。
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俺は火薬の開発を諦めていない。
ハイラール領を相続した後、俺は硝石の収集を家臣へ命じた。
硝石を集める方法は二通りある。一つは、前述どおりエルム王国からやってくる高価な硝石を購入する方法。もう一つは、硝石(硝酸カリウム)自体を作り出す方法。
貴族のお殿様として、俺は人も金もある程度自由に動かせる身分にある。そこで、俺は二つの方法を並行して進めさせた。
一つ目の方法は困難を極めた。
エルム王国の政情はいつまで経っても安定する兆しが見えなかった。それどころか年々状況が悪くなっている始末。
硝石の値段もそれに比例して上がっていき、今ではほとんどストップ高と言ってもいい、高い位置で価格が安定している。
この高価な硝石を、領主の個人収入から買い集めるわけだが、まさか、収入のすべてを購入費に充てるわけにはいかない。特に、屋敷や馬車の維持費、装飾品の購入費を削るわけにはいかなかった。
見栄を張ることをおそろかにはできない。
俺一人が貧乏伯爵と嘲りを受けても、それは構わないのだが、俺はコルベルン王一門の人間だった。家族が恥をかくようなことは絶対に避けなくてはならない。
かと言って、購入費へ充てるために、ハイラールの領民に重税を課すなど絶対にできない相談だ。
そんなわけで、俺はよそ様に見えない部分で徹底的に倹約し、高騰する硝石を少しずつ買い集めたのである。
二つ目の方法は困難どころの話ではなかった。
だいたい、頼りになる知識が、大昔に読んだ歴史の本の、片隅に乗っていたコラムなのである。火薬の作り方はともかく、硝石の作り方については『糞尿と桑の葉を土の中で寝かせ、硝石(硝酸カリウム)を作っていた』という一文のみが頼りなのだ。
それでも成功すれば、硝石を買い集めるよりよほど効率がいいと考えて、家臣に命じて行わせたのである。しかし、すぐさま問題が発生した。この世界に桑が存在しなかったのだ。
そこで、俺は桑の葉の代わりにブラックベリーの葉を用いるよう命じた。確か、桑の実も何とかベリーと言ったはずだ。大した違いはないだろう……と思う。
問題はそれだけではなかった。土の中に寝かせる時間も不明なのだ。
土の中で寝かせるというのだから、おそらく発酵させるのだろうが、どれぐらい寝かせるかはわからなかった。
そこで、数日、数ヶ月、数年とスパンを変えて寝かせてみることにしたのだが、結果は芳しくなかった。
結局、寝かせる時間が間違っているのか、手順が間違っているのか、そもそもベリーの葉ではダメなのかわからなかったが、硝石作りを始めて四年以上経った今でも、硝石を作り出すことは成功していない。
そうこうしてるうちに、購入という手段で硝石は少しずつだが集まっていた。そろそろ、硝石を作り出すことは諦めようかと思う。
「先ほど申し伝えた手順どおりに、異なる分量の化合物を作成するのだ。
いいか、この硝石は非常に高価だ。
細心の注意を払い、無駄にしないよう気をつけて扱うのだぞ」
家臣の一人を責任者とし、作業に従事させる。召使いたちにも、時間が空いているときに手伝うよう命じた。
俺は火薬製造を諦めていなかったが、焦ってもいない。
正式な軍人になったら実戦に投入して効果を試す。いずれ、俺が軍において高い地位に上ったあかつきには、軍の兵器として採用する。
もっと人手を増やせば、火薬開発の成功は早まるかもしれない。
だけど、急ぐ必要はない。
火薬を使うのは、もっと将来の話なのだ。いずれ、成功すればいい。そのくらいの気持ちだった。
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二年になって火薬の開発を再開したが、それは私事、プライベートでの出来事だ。
一方、公事にあたる学校生活は大過なく過ごしている。
そんな学校生活において、一つ大きな出来事が発生した。
フリックが退学したのである。
フリックは金持ちの息子だった。
彼の親は商人で、都に大きな商会を構えている。幼年学校の高い授業料も、フリックの実家にとっては特に苦労せず出せる金額だった。
フリックの親は、息子の教育に金を惜しむことがなかった。だけど、フリック本人の言によれば、親から期待されていないらしい。
フリックには兄がいる。勉強が苦手な自分と違い、優秀な人物という話だ。親の期待は兄に集まっていたという。
そんな、優秀なフリックの兄が家を出た。
「駆け落ちでゲス。
しかも、相手はアミアでゲス」
アミアとは、フリックの幼馴染の少女である。いつか、一回だけ会ったことがある。
「あの幼馴染はお前の彼女じゃなかったのか?」
「マルコシアスくんの誤解でゲス!
私とアミアはそんな関係じゃないでゲス。
まだ、そんな関係じゃなかったんでゲス……」
その幼馴染と、フリックの兄が駆け落ちした。そこで、フリックに後継ぎの座が転がり込んできたらしい。
それは同時に、士官学校を辞めろという、親からの命令でもあった。
「家から追い出しておいて、すごい手のひら返しでゲス」
都の出身であるにも関わらず、フリックは幼年学校時代から寮暮らしをしていた。詳しい話は聞いたことがなかったが、親と仲が悪いのかもしれない。
「親の言うことを聞くのが嫌なら、突っぱねればいいじゃないか。
俺たちはもう成人してる。
幼年学校とは違い、士官学校には授業料がないんだから、親が反対しようが関係ないぜ」
マルコの言うことはもっともだ。本当に親が嫌いなら、マルコの意見を採用するだろう。だが、マルコの提案に対し、フリックは黙ってしまった。
フリックは二人兄弟と聞いている。兄が出て行った今、彼の親に残されたのは、フリックだけなのだ。
親と馬が合わないのかもしれないが、それでも、放っておく気持ちが持てないのではないだろうか。
「親御さんのお考えはわかりませんが、家から追い出されたって話も、もしかしたら、フリックさんに独り立ちしてもらいたかったって気持ちがあるんじゃないでしょうか」
もちろん、それはフリックの親にしかわからないことだ。
もしかしたら、本当にフリックのことを邪魔に思って追い出したのかもしれない。だが、いくら金持ちとはいえ、フリックの親は幼年学校の高い授業料をしっかりと払っていた。追い出すだけなら、わざわざ軍人の道を用意してやる必要はない。
「それはわからないぞ、シトレイ。
親って言っても、色んな人間がいるんだ。
本当に子供を邪魔に思って、追い出す親だって確かにいる」
「……そうだね。
でも、結局は、フリックさん自身がどう考えるかだよ」
俺とマルコの視線がフリックに集まった。フリックの顔は暗かったが、目つきはしっかりとしている。
「私は、学校を辞める。
親の後を継ぐでゲス」
フリックの答えに対し、俺もマルコも引き止めるようなことはしなかった。俺はフリックの決心に対し、軽く頷いて応えた。マルコは、ため息を吐きながら頭をポリポリかいている。
「フリック。
商人をやるなら、出会いも多いだろう?
そのうち、俺に女を紹介してくれよ」
「おっとり天然かつドSで、床上手な生娘でしたっけ。
そんな子、軍人の世界だろうと商人の世界だろうと見つかりっこないでゲスよ」
そう言いながら、マルコとフリックは落ち着いたら遊ぼうと約束をしていた。なるほど、士官学校に残ろうが、実家へ戻ろうが、フリックの場合は、都に住み続けることには変わりないのだ。
「フリックさんのご実家は、食糧から武器、防具まで手広く扱っているんですよね?
私が出世して軍の要職に就いたら、納入業者に指定しますよ。
汚職軍人と悪徳商人ごっこをやりましょう」
「夢のある話でゲス。
軍需物資について勉強しておくでゲス」
癒着の話は冗談にしても、商人とコネができるのはいいことだった。祖父なら、この面でも強い人脈を持っているだろうが、何でもかんでも祖父を頼りにするのは、自分自身情けない。
決心したフリックは、八月の初め、士官学校を自主退学することになった。彼はあと七ヶ月もすれば、卒業を迎える予定だった。
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次にフリックと会ったのは、ひと月ほど経ったある日のことだ。
休日、俺とマルコとフォキア、そしてアギレットの四人で街へ遊びに行ったときのことである。
「おや、これはこれは」
豪華な金ぴかの馬車に、二人の女性を侍らせたフリックは、高価そうな薄手のブルゾンを羽織り、羽飾りつきの帽子を頭に乗せている。
成金という言葉を聞いて思い浮かべる姿そのままだった。
「いやぁ、毎日大忙しでゲス」
彼の話では、大きな商会の跡取り息子として、顔を売ることに忙しいという。今も、これから商人ギルドのパーティーに出席するのだそうだ。
「マルコシアスくん、今度、一緒に遊ぶでゲス。
騎馬像広場の高級菓子店でスイーツなんてどうでゲスか?」
「男同士でスイーツ?
冗談じゃねぇよ」
「もちろん、可愛い女の子を連れてくるでゲス」
「当然、ご相伴預かるに決まっているじゃないですか」
忙しそうなフリックは、マルコと遊ぶ約束を取り付けると、そのまま馬車で行ってしまった。
彼は、楽しそうだった。なによりである。
「しかし、あのフリックがあんな美女を侍らす身分になるとはな」
「うん、驚きだよなぁ」
マルコの言うとおり、フリックが侍らせていた女性は、二人とも妖艶な美女だった。あの女性とフリックの関係は不明だが、うらやましいか否かと問われれば、間違いなくうらやましい。
「特にフリックの左にいた女。
すげえ胸だったな。こぼれそうだったぞ、オイ」
「ん、うん」
俺は返事を濁した。
マルコは忘れているようだが、今、ここには女子もいるのだ。
「何、マルコはああいうのがいいの?」
案の定、フォキアが男たちの下世話な話に割って入ってきた。しかし、マルコは特に悪びれる様子もない。
「ん~?
まぁ、俺の守備範囲は広いからな。
基本的にはどんな女でも大歓迎だ。
お前みたいなお子様体形じゃなけりゃの話だが」
「は?」
マルコとフォキアが睨みあう。いつものように、喧嘩が始まるのだろう。だが、ここは都の大路のど真ん中だ。止めることは無理だろうが、せめて場所を変えるよう提案してみようか。
ところが、マルコの一言で、いつものような喧嘩にまでは発展しなかった。
「ん?
フォキア、お前、そんなに胸がでかかったか?」
マルコの一言を聞き、俺は即座にフォキアの胸部を見つめた。ヴェスリーというヘビー級の逸材を見慣れていたため、特に気にしたことがないのだが、確かにフォキアの胸はでかくなっているように見える。いや、明らかに、去年再会した当初よりもサイズアップしているようだ。
「はぁー?
ちょ、どこ見てるの、マルコ、マジできもい。きつい」
フォキアは戦意を喪失し、マルコの視線から逃げるように、俺やアギレットの影に隠れてしまった。
「なんだよ、そこまで嫌うことないじゃないか」
「いや、本当にきついんで。
しばらくあたしに近寄らないで下さい」
マルコの目が血走っている。2メートル近い長身の大男が血走った目で見てくるのだ。これは確かにきつい。
結局、フォキアとアギレットが先行し、十メートル以上後ろから俺とマルコが後を追う形で帰ることになった。俺はマルコの監視役である。
「なぁ、マルコ。
あんまりフォキアをイジメるなよ」
「別にイジメてはねーぞ。
むしろ、俺の方がひどい罵声を浴びせられたじゃねーか」
「君はその罵声を浴びたいんだろう?」
この男、少々特殊な性癖を持っている。彼の趣味趣向を否定はしない。だけど、やるなら相手のことも考えるべきだ。
「罵声を浴びたいなら、ちゃんと需要と供給が一致する、利害が一致するS女相手にやってもらうべきだ」
「……ああ、そうだな。
忠告はそのとおりだ。反省する。
後で、フォキアに謝るよ」
フォローできてよかった。
とりあえず、これでマルコとフォキアが気まずくなるようなことはないと思う。
しかし、フォローできたのはいいが、俺自身の気持ちはスッキリしていなかった。マルコの影に隠れて、俺もフォキアの胸を凝視してたからだ。それなのに、俺にはお咎めがなかった。罪悪感が湧いてくる。
「いや、フォキア本人以外にはバレバレだったぞ。
俺は気づいていたし、おそらくアギレットも気づいてる」
「えっ」
「アギレットは悲しそうな顔してた。
フォキアの胸を見つめるお前のことを悲しそうな顔で眺めてたぞ。
お前に失望してたのか、自分の胸の無さに絶望してたのかはわからないが」
俺に失望してたのなら、フォローのしようがない。フォキアの胸を凝視していたことに気づかれていたのなら、下手な言い訳は逆効果だ。今後、こういうことがないよう、気をつけるしかない。
アギレットが自分の胸の無さに思うところがあるのなら、そんなことはないと元気づけてあげたい。女性の価値は胸じゃないと、声を大にして宣言したい。
……いや、フォキアの胸を凝視してた俺が言っても説得力がないか。
結局、俺はアギレットへのフォローをしなかった。
フォキアの胸を見つめていたことを掘り返す勇気がなかった。あるいはアギレットの無い乳に対してだって、どう触れていいかわからなかったのだ。いや、そもそも触れていい話題なのか、それすら判断がつかなかった。




