#051「決意」
春。俺は二年に進級した。
士官学校では、成績が悪いと留年する可能性がある。学科、特に一般教養の成績が芳しくないフォキアは顔を青くしていたが、彼女も無事進級することができた。
我が三組の生徒は、皆、今年も同じメンバーで学ぶことができるのである。……一名を除いて。
「ヴェスリー・サイファは術士クラスへ移ることになった」
二年になって最初のホームルーム。マークベス教官は一つだけ空いている机を見ながら言った。
一年の時に三度行われた術の実技では、ヴェスリーは常に威力「上」の雷術をぶっ放していた。
そして今朝、ヴェスリーは教室に姿を見せなかった。生徒たちの間には、もしかしてという空気が流れていたのである。マークベス教官の言葉から確証を得ると、教室がざわめきに包まれた。
「静かにしろ」
マークベス教官が一喝すると、途端に生徒たちは静かになった。
「術士は攻撃の要である。
術士の育成は軍にとって重要なことだ。
ヴェスリー・サイファは選ばれたのだ。彼女にとっても、このクラスにとっても、非常に名誉なことである」
「しかし、我がクラス、我が十人隊は一人欠けることになります」
俺は珍しく、教官に噛みついてみせた。どこか納得いかない気持ちがあったのかもしれない。
「戦場では日常茶飯事だ。
欠員の補充は、すぐには行われない。
負傷した者や戦死した者の代わりは、すぐには来ないのだ」
ヴェスリーは戦死扱いか。
「……すまない、今のは例えが悪かったな。
いずれにせよ、既に決まったことだ。
これは学校の、軍の決定である」
術士クラスの教室は、同じ士官学校の敷地内であっても、別の建物にあった。
また、俺たち士官を目指すクラスとは別に、術士になるための特別なカリキュラムが組まれるという。
学外での授業も多く、俺たちが術の実技に使った郊外の訓練場や、術学院へ出向くことも多いらしい。そして何より、術の発動後は数日間眠り続けることになる。だから、学校に来る日数からして少ないのだ。
学内でヴェスリーと顔を合わせる機会はほとんどないだろう。
ヴェスリーは大丈夫だろうか。
あのとおり気が強いから、俺や取り巻きたちと離れても平気だろうが、機嫌は悪くなっているだろうな。
機を見て、彼女と会ってみようか。
============
機嫌が悪くなっているどころの話ではなかった。
二年になって一週間ほど経った頃、ヴェスリーのことが噂になっていたのだ。彼女は、不登校になっているらしい。
「どうしましょう、ハイラール伯爵」
噂を聞きつけたヴェスリーの取り巻き連中が、俺に相談してきた。
「ヴェスリー様はああ見えて結構繊細なんです。
いきなり一人だけ別のクラスに移されて……しかも、術士クラスですから、ほとんど転校させれたようなものです。
きっと、心細くて、悔しかったのでしょう」
そうだった。
ヴェスリーは、普段は気が強そうで、物事に動じないような印象を受ける。だけど、弱気になった姿も、それこそ、泣き顔だって何度も見ていた。彼女は、普通の、十六歳の少女なのだ。
「私が様子を見に行くよ。
ヴェスリーの家には、以前行ったことがある」
放課後、一度都の屋敷に戻った後、俺はすぐに馬車を用意させた。目的地はサイファ公爵邸である。
============
「ご令嬢にお会いしたい」
「え、あ、はい。
少々お待ち下さい」
俺が突然訪問したことで、サイファ家のメイドは困惑しているようだ。自分では手に余ると判断したのだろう。彼女は、上役にあたる家臣を呼んできた。
「これはこれは、ハイラール伯爵様。
本日はどのようなご用件でございましょうか」
「ご令嬢にお会いしたい」
「申し訳ございませんが、お嬢様は臥せっておいででございます。
誰ともお会いになることができません」
サイファ家の家臣は丁寧な口調だが、目つきが怖かった。俺を睨み、敵意を隠さないでいる。俺は宰相の孫だ。歓迎せざる客なのだろう。
「ヴェスリーがそう言っているのか?
それとも、貴方の考えか?
いずれにせよ、玄関先で追い返すことが、サイファ公爵家の婚約相手に対する態度らしいな。
そういうことであれば、出直そう」
「お待ち下さい!」
俺が帰ろうとすると、家臣は焦った様子で、ヴェスリーに取り次ぐと言って奥へ引っ込んでしまった。
そうだ。意地悪なんかしないで、最初からそうすればいいのだ。こんなところで時間を食いたくない。
「お嬢様がお会いになるそうです。
どうぞ、こちらへ」
ヴェスリーの言伝を伝えに来たのは、先ほどの家臣ではなくメイドだった。
既に時刻は夜七時を回っている。
サイファ公爵の帰宅が何時になるのかはわからないが、できれば公爵が帰ってくる前にヴェスリーとの話を済ませてしまいたい。
公爵とは、セエレの一件以来顔を合わせていなかった。
============
応接間に通されると、そこには既にヴェスリーが座っていた。メイドがお茶を出し、退出すると、さっそく本題に入る。
「どうしたんだ、ヴェスリー」
「ダーリン殿こそ、本日はどうなさったのですか?」
「心配になって、様子を見に来たんだ。
一週間も学校に来てないそうじゃないか。
三組の連中も心配してたよ」
「それは……」
彼女は、テーブルの上に置かれた紅茶をじっと見つめている。
「やはり、術士クラスに移ったことが理由かい?」
「ええ、確かに、それが理由ですわね……」
入学時と同様、ヴェスリーは親の名前を使って術士クラスへ移ることを回避しようとしたらしい。だが、今回は上手くいかなかった。
「お父様にバレていたのです。
『軍務次官閣下から、娘の我侭に応える必要はない、と言われている』
そう、校長は仰っていました」
「それは……お父上に話を通しておかなかったのはまずかったかもしれないね。
だけど、術士は給料がいいし、軍団付きの術士にまで出世すれば、男爵に叙されるんだ。
今、君が持っている称号だけの爵位じゃない。
領地が貰えるんだ。
ヴェスリーくらい術の才能があるば、きっと上に行ける」
「私は術士になるのが嫌なのではありません!
三組から離れることが嫌なのです!」
ヴェスリーが父親の名前を勝手に使っていたことは事実だ。それに、術士の待遇が良いのも事実である。
だけど、事実を列挙することを、ヴェスリーが望んでいないのはわかる。俺はどうして、もっといい言葉をかけることができないのだ。どうして言葉が浮かんでこないのだ。中身はいい歳の大人だというのに。
「私は嫌なのです。
あの小姓は、屋敷では四六時中ダーリン殿の側にいるのでしょう?
私は学校でさえ、貴方と会うことができないというのに!」
「アギレット?
なぜ、ここでアギレットが出てくるんだ」
「ダーリン殿は、あの小姓に好意を持っているではありませんか」
「……」
ここは、否定すべきか。
でも、それは嘘をつくことになる。いや、嘘をついても構わない状況ではないのか。ヴェスリーは、俺の、否定の言葉を待っているのではないか。
しかし、嘘がバレたらどうする。嘘だと、ヴェスリーが感じ取ったらどうする。
「……私は、君と婚約してる」
「それだって、いつかは破棄されるのでしょう?」
「どうして、それを……」
「私だって、馬鹿ではありませんわ!
お父様と宰相は和解などしてません。
この婚約は、ただの、和解のポーズです。
あるいは、我が一門をかき回すための政略ですわ。
貴方だって、知っていたのでしょう!?」
目を背けていた問題だ。
元々、この婚約の目的は時間稼ぎである。祖父が軍への影響力を伸張させる間だけの、破棄予定の婚約なのだ。
祖父の考えでは、俺の伴侶となるのは女神ドミナだという。祖父にとって、それはずっと前から持っていた考えなのだろう。
兄は幼い頃から政情の変化によって何度も婚約相手を変えてきた。一方、兄と同じ政略結婚の駒であるはずの俺は、ヴェスリーと破棄予定の婚約を結ぶまで、一度も婚約させられたことがないのだ。
俺はヴェスリーを手に入れたいと思い始めて、同時にそれが祖父の考えに真っ向から反対することになると気づいた。
ヴェスリーを失いたくないが、祖父と対立もしたくない。そう考え、足踏みしてるうちに、状況は悪くなっている。
「私は君と結婚するつもりだ」
「……いいのですか。
宰相と対立することになるかもしれないのですよ」
「お爺様と対立するのは嫌だ。
でも、上手くやってみせる。
絶対に、結婚する。
私は君が好きだ」
俺の言葉を聞き、ヴェスリーは泣いてしまった。
本当に、よく泣く子だ。彼女の涙を見るのは、これで何度目だろうか。
「初めて、私のことを好きと言って下さいましたね」
「ヴェスリー……」
俺は席を立ち、ヴェスリーの側に行こうとした。
と、ここでトントンとノックの音が響く。
「お嬢様」
「何ですの!
今いいところだから、邪魔しないで下さい!」
「申し訳ございません。
あの、お館様がご帰宅なされましたので」
俺やヴェスリーの許可を待つことなく、応接間の扉が開いた。
立っていたのは、この家の主、サイファ公爵である。
============
サイファ公爵の眼光は、いつ見ても鋭い。
その強く、鋭い眼光で、俺とヴェスリーを見つめる。
「お取り込み中だったかな」
先ほどまで、俺が上座、ヴェスリーが下座に座っていたのだが、俺は席を移動し、ヴェスリーの横に座った。
メイドが俺とヴェスリーのお茶を下げ、あらためて公爵を含めた三人分の紅茶を出す。
メイドの退室を待って、サイファ公爵が口を開いた。
「本日は、当家にどのようなご用件かな、ハイラール伯爵」
「言うまでもありません。
婚約者に会いに来ました」
「婚約者、か」
サイファ公爵は軽いため息のような笑いを浮かべると、紅茶に口をつけた。
俺は緊張している。
サイファ公爵と会うのは、セエレの一件以来だ。彼と最後に話したのは、セエレの同志として訪ねたときである。
隣にいるヴェスリーも緊張している様子だ。
彼女も、セエレの一件以来、父親とはまともに口をきいていないという。
「公爵閣下。
ご令嬢が閣下のお名前を勝手に使ったことは、彼女に非があります。
ですが、許してあげてはいただけませんか。
彼女は、術士ではなく、士官を目指して学校へ進んだのです。
武門の名流サイファ公爵家の令嬢に恥じぬ、立派な士官を目指していたのです」
「君はおかしなことを言うな、伯爵。
娘が私の名前を使ったのは、今回が初めてではない。
最初は、入学時のクラス分けで便宜をはかってもらうために使ったのだ」
また、サイファ公爵はため息のような笑いを浮かべる。それでも、眼光は鋭いままだ。俺は自然と背筋が伸びる。
「これはお仕置きだ、ヴェスリー。
勝手なことばかりして、いつも許されると思われては困るのだ。
セエレ殿下のときのようにな」
俺と公爵が会話している間、ヴェスリーは緊張した様子でずっとうつむいていた。だが、公爵の矛先が自分へ向かうと、彼女はすぐさま反論した。
「セエレお兄様の件は、既に陛下のご裁断が下されていますわ。
セエレお兄様は反逆者です。
私は、反逆者と戦いました。
ハイラール伯爵も同様です」
「そうだったな」
彼はセエレを実の息子のように思い、期待していたのだ。そのセエレの追い落としに娘が加担した。彼の言いたいこと、彼の心情は理解できる。……理解できるからといって賛同はしないが。
「ヴェスリー、お前はハイラール伯爵のことを本当に思慕しているのだな。
クラス分けの件も、ハイラール伯爵と同じクラスになるためなのだろう?
だが、伯爵本人がいる前であえて言うが、お前の気持ちは叶わない。
不幸な結果が待っているだけだ。
……そうであろう?伯爵」
もうひとつ、公爵の心情をうかがい知ることができた。
彼は、やはりヴェスリーの父親なのだ。ヴェスリーの言うように、実の娘と甥を比べれば、甥へに向ける愛情の方が強かったのかもしれない。
それでも、ヴェスリーへの愛情がないわけではないのだ。
彼は、どうせ成婚しないであろう婚約相手への気持ちを捨てろと娘に言っている。ヴェスリーが行おうとした工作を妨害したのも、そのまま娘を術士クラスへ異動させ、俺から引き離すためなのかもしれない。
だが、俺は既に決意していた。その決意を、既にヴェスリーへ聞かせている。
「不幸な結果は待っていません。
祖父の考えはともかく、私はご令嬢を嫁に迎えるつもりです」
サイファ公爵は、表情はそのままだったが、わずかに目を見開いた。
「ほう。
それはそれは……」
公爵はしばし黙った。何か考えごとをしているようだ。だが、沈黙は短かった。
「ハイラール伯爵。
いつか君が語ってくれた、軍の方針の話。
君の真意を聞きたい」
「祖父と考えを異にしている、という話ですか」
「そうだ。
あれは私やセエレ殿下を欺くための嘘だったのか。
それとも、あの話の内容に関しては、本心だったのか」
正直に言えば、どっちでもいい。
祖父の話を聞けば、我が国には外へ討って出るだけの余力がないように思える。財政は黒字と言っても、毎年ギリギリの額だ。大規模な軍事行動を起こすとなると、税金が湯水のように消えていく。もし失敗したら、国境の防衛線が空になる。積極攻勢に反対する理由はたくさんあった。
一方、軍の学校に入ってから積極攻勢論者の話を聞く機会が何度かあったのだが、彼らの話にも頷ける。兵士たちの士気は高いし、張り巡らされた街道や城塞化されている前線の街を通しての兵站は完璧である。敵国を征服できれば、税収も上がるし、防衛線が縮まるから将来的には軍事費削減にも繋がる。
こうなると、結局は主張自体よりも、主張者へ賛同できるかどうかなのだ。そう考えれば、俺は間違いなく穏健派だ。俺は宰相派である。
しかし、今は、俺の気持ちは置いておく。
今は、サイファ公爵を納得させることだけを考えるのだ。俺とヴェスリーを離そうとする、公爵の考えを改めさせることのみ考えなくてはならない。
家父長権の強いこの国では、成人であっても娘の結婚を決める権利は父親が持っていた。何も、婚約破棄が我が家の側から成されるとは限らない。結婚した後ならともかく、婚約段階では、父親の意向によって、いつでも破棄することができた。
だが、そうなっては困る。俺はヴェスリーと結婚したいのだ。
「……積極攻勢論寄りの中立、といったところでしょうか」
「どういう意味だ?」
「私の心情としては、閣下のお考えに賛同しています。
ですが、私もコルベルン王一門の人間ですので」
「そうか」
俺の答えに、サイファ公爵は軽く頷いた。
全面的に賛成したら嘘くさくて、逆に警戒心を持たれるかもしれない。そう思って返答したのだが、どう転ぶか。
「我が家の家督自体は、おそらく分家の者が継ぐことになるだろう。
だが、娘とその婿のために所領を分け与えることは不可能ではない。
君がハイラール伯爵領を召し上げられても、私は同等の領地を用意することができる」
「お父様!」
先ほどまで緊張し、かつ不機嫌そうな仏頂面だったヴェスリーが、途端に笑顔を見せた。
「どうかな?
君の立場もあるだろうし、今すぐにとは言わないが、いずれ私の側に来ないか」
勝った。後はこのまま、結婚まで逃げ切れば勝ちだ。
サイファ公爵はセエレの代わりを求めている。後はこのまま、軍務次官を支持する皇族出身の軍人として、成婚するまで猫をかぶっていればいいのだ。
「そこまで仰っていただき、断る理由がありません。
軍人として、婿として、閣下のお役に立ちたいと思います」
============
「と言うわけで、私は軍務次官派に鞍替えしました」
「本気か?」
「まさか。
私はコルベルン王家の人間ですよ」
俺はサイファ公爵邸から出ると、その足で祖父の屋敷へ向かった。そして、舌の根も乾かぬうちにサイファ公爵に語った言葉を否定してみせた。
「ですが、ヴェスリーと結婚するつもりであることは、本心です」
俺の決意を聞き、祖父は飽きれた。いや、祖父の表情はいつもと変わらない。いつもどおりの、無表情の笑顔だ。だけど、俺には祖父が飽きれた顔をしているように見えた。
「前に話しただろう。
お前の伴侶は女神ドミナだ、と」
「ええ。
そしてお爺様は仰いました。
セエレを殺すのも、兄上に転生の話を打ち明けるのも、すべては女神ドミナの意志を確認した後だ、と。
であるならば、女神の伴侶云々という話も、女神の意志を確認してからすべき話ではありませんか」
「お前、儂相手なら何でも許されると思っていないか?」
祖父の糸目がゆっくりと開く。細い目の奥には、鋭い四白眼の瞳が光っていた。
「思っています」
祖父の糸目は、再び閉じられた。
「はぁー……。
我侭な孫だ」
「許して頂けませんか」
「……許す。
許す他なかろう。
お前と対立しても、得にならぬ」
「ありがとうございます
私も、お爺様と対立したくありません」
俺は祖父との対立が怖くて、ヴェスリーとの破棄予定の婚約から目を背けていた。
だけど、一度決意したら、迷いがなくなった。迷いがなくなると、吹っ切れて、祖父は許してくれるだろうという確信が湧いてきたのだ。
その確信は、間違っていなかった。
「ふむ……しかし、こうなってくると、サイファ家の乗っ取りも現実味が帯びてくるやもしれぬな」
「それは、お爺様ご自身が欲の出しすぎだ、と仰っていたではありませんか」
「うむ、だが……」
そういうと、祖父はうつむき加減で独り言をつぶやき始めた。
「……だが、せっかく結婚させるなら……。
しかし、サイファ家は分家が多い……いや、幾人か取り込むことは可能なはずだ。
……そもそも、結婚した時点で不和が起きる……そこにつけ込めれば……あるいは……」
「お爺様、お考えが口に出ています」
「ん?ああ。
問題あるまい。
ここにはお前しかいない」
随分と信用してくれているものだ。
俺も祖父を信用している。信頼している。
「うむ、まぁ、この話はよい。
儂も考えをまとめたい。それに、情報を集める時間が必要だ。
本題に戻そう。
結婚は許す。
だが、無条件に許すわけではない。
条件を出す」
「なんでしょうか」
「将来、サイファ家の娘と結婚したとしても、軍務次官派に属すことは絶対に許さぬ」
「わかっています」
条件でも何でもない。俺は祖父を支持しているのだ。結婚にまで持ち込めれば、勝利だ。
「本当にわかっているのか?
サイファ家の娘が『父親を見捨てないで』と言ってきたらどうする。
お前は、惚れた女の懇願を無視することができるか?」
「……」
「あるいは、あの娘がそこまで言わなくとも、父娘の対立は絶対に起こる。
お前は自分の妻に、その対立を強いることになるのだ。
情に押しつぶされるようなことはないか?
それだけの覚悟を、お前は持てるのか?」
「私の覚悟はできています。
ヴェスリーは……そうなったら、説得します」
前途多難だ。
よく、物語では結婚こそがゴールであり、結婚した時点で、めでたしめでたしで終わることが多い。けど、現実では、結婚までの道のりは険しく、結婚後の道のりもまた険しい。
「そうか。
ならばよい。
だが、条件はもう一つある」
「……なんですか」
「女神ドミナが降臨した後、お前を伴侶に望んだら、サイファ家の娘を捨てろ」
============
一週間不登校を続けたヴェスリーも、学校に出てきた。
彼女は術士クラスへ移ることを受け入れている。
「事前の根回しよりも、決定を覆すことは何倍も難しいですわ。
今から三組に戻ることは不可能みたいです。
でも、いいのです。
私は決意しました。
私は立派な術士になって、出世してみせます」
「随分と前向きだね、ヴェスリー」
「ええ、ダーリン殿。
しっかりとした将来の展望が見えたおかげですわ。
私は出世して、軍団付きの術士になって、領地を手に入れます。
そうすれば、長男にダーリン殿の領地を継がせて、その領地を割ることなく、次男には男爵領を残すことができますわ」
彼女はしっかりした奥さんになれそうだ。
『子供の数は野球チームができるぐらい』なんてのは、言うだけなら簡単だ。だが、実際の親心としては、特に貴族の親としては、子供が食いっぱぐれることのないよう考えてしまうもである。
子供ができる前から、いや、結婚する前からここまで考えられるのだから、いい親になるだろう。そうに違いない。
結局、俺は祖父の出してきた条件を全てのんだ。
ヴェスリーとの結婚も、祖父と対立したくないという気持ちも、両方をとるなら、サイファ公爵との対決は、必ずやってくるだろう。
そのとき、ヴェスリーには辛い思いをさせることになると思う。
「ヴェスリー。
君のお父上には、支持すると言ってみせたが、あれは……」
「嘘なのでしょう?」
「わかっていたのか」
「ええ。
でも、お気になさらないで。
私がダーリン殿と同じ立場でしたら、同じように嘘をついたでしょうから」
「しかし、辛い立場に立たされるのは君だ。
君は、私とお父上との間で板ばさみになるんだぞ」
「大丈夫です。
決意しましたと先ほど申し上げたでしょう」
「だけど、本当に大丈夫なのか?
君はいつも気丈に見えるが、本当は辛いんじゃないか?」
「大丈夫ですって」
「本当か?」
「チッ」
彼女はイライラしたり、機嫌が悪くなると舌打ちをする。
「しつこいですわよ、ダーリン殿。
貴方は黙って私の夫になればいいのです。
私とお父様の問題は、私とお父様で決着をつけますわ。
私は貴方の側につきますから、貴方は安心して、結婚式のプランでも考えておいて下さい」
「結婚はまだまだ先だよ……」
妻(予定)は随分と頼もしい。
「ああ、先ほどの舌打ちですけど、あれはノーカウントですわ。
舌打ちをしてしまったのは、ダーリン殿のせいですから」
前途は多難だが、明るい。
あとは、ドミナが俺を伴侶に望まぬことを、祈るばかりだ。




