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異世界でも現実は厳しい  作者: 懐中電灯
士官学校編
51/79

#050「兄の結婚」

 新年早々、兄アーモンの結婚が決まった。

 その結婚披露宴に参加するため、今、俺は祖父の屋敷にいる。


 結婚式自体は兄の希望どおり、聖地ドミニアで行われる予定だ。

 だが、都から聖地まで往復するのに一ヶ月以上はかかってしまう。俺は軍属だった。新婦の父親も都で軍務に服している。軍務中は冠婚葬祭を理由に任地から離れることが許されていない。

 以前参列した皇太孫の結婚式は公式行事のようなものだったが、皇族とはいえ傍系である兄の結婚式は私事に当たる。ゆえに、聖地ドミニアまで行くことができなかった。


 俺の心情としては、まともに話したこともない皇太孫の結婚式に参列するよりも、兄の結婚式にこそしっかりと参列し、祝福したい。

 だが、俺は士官学校の生徒だ。我侭は言えなかった。


 しかし、幸いなことに、結婚式は聖地で挙式される予定だったが、披露宴はこうして帝都で行われている。

 新婦の父親が軍人をやっていることも関係あるのだろう。だけど、兄のことだから、俺の心情を察してくれたのではないかとも思う。


「おめでとうございます、兄上、メルビナさん」

「ありがとう、シトレイ」


 結局、兄は四人目の婚約者と結婚することになった。一番気が合いそうで、そして母に似ていると言っていた相手だ。確かに、兄嫁メルビナは明るくて長い金髪と、色白で丸っこい顔の持ち主だった。花嫁の容姿は、我が母フェニキアに似ている。


「ありがとうございます、ハイラール伯爵」

「メルビナさんは我が家の一員となるのです。

 どうぞ、シトレイと呼んで下さい」

「ふふ、ありがとう、シトレイ君。

 では、私のこともお義姉さんと呼んで下さいね」


 メルビナの実家エレオニー公爵家は建国から続く名門である。その歴史はサイファ公爵家と似ており、家祖は軍人として太祖に仕え、その子孫たちも代々軍人として活躍してきた。

 現当主であるメルビナの父親は近衛軍の司令官であり、穏健派に属する。つまり、我が家と同様、サイファ公爵家とは対立する立場にある貴族だった。

 祖父にとって、エレオニー公爵と手を結ぶことは、穏健派との連携を深め、実戦力を手に入れることに繋がっていた。

 俺とヴェスリーの婚約とは違い、兄とメルビナの婚約は、本当に成婚を目指したものだったのだ。


 俺たち兄弟から離れた席で、恰幅の良い老人と、これまた恰幅の良い中年が談笑している。祖父とエレオニー公爵だ。

 エレオニー公爵は、目の前にいる花嫁とは似ても似つかない、脂ぎった邪悪な笑顔で祖父に話しかけている。祖父も、いつもどおりの笑顔に見える無表情で応えていた。悪代官と越後屋にしか見えない。


 どう見ても悪だくみをしているようにしか見えない親族たちと違い、俺と兄夫婦を包む雰囲気は和やかなものだ。

 俺と話をしている間も、新郎新婦はしっかりと腕を組んでいる。兄は随分とデレデレしていた。


「シトレイ」

「何ですか、兄上」

「うらやましいだろう?」


 確かにうらやましい。

 俺は今生でも前世でも結婚の経験がなかった。だから、実際に結婚する人間の気持ちはわからない。でも、兄は本当に、幸せそうに見える。


 十代で両親を亡くしてしまった俺たち兄弟のうち、兄は新しい家族を手に入れたのだ。そのうち子供を授かれば、今度は兄が親という立場になる。

 俺は家族がうらやましかった。




============




 前世では、友人が結婚すると聞いて、無性に恋人が欲しくなった経験がある。そういう気持ちが湧いてくるのは、この世界にいても、中身の年齢で考えれば四十代になっても、変わらないらしい。


 前世では縁がなかったが、この世界におけるシトレイ・ハイラールは、おそらく結婚することができるだろう。

 ならば、俺が結婚する相手は誰になるだろうか。


 ハイラールにいた頃は、アギレットのことが好きだった。それは今でも変わらない。変わらない彼女の笑顔を見て、アギレットに好かれたいという気持ちが強くよみがえってきていた。


 一方、現在俺と婚約しているヴェスリーに対する気持ちも、確かにある。

 最初はヴェスリーと結婚することなど、絶対にありえないと思っていた。だが、彼女と和解し、一緒にセエレと対決する過程を経て、彼女の存在は大きくなっていた。

 今の心地よい関係が、ずっと続いて欲しい。

 ヴェスリーが他の男の手に渡ることなど、考えたくなかった。


 なんてことだ。

 なんて、恋多き男なのだ、シトレイ・ハイラール。


 前世では、まともな恋人なんてできなかった。その俺が、二人の女性を独占したいと考えているのだ。こんな考え、抱くだけでも罰が当たりそうである。


「アスフェン伯爵様も、お妃様も、素敵ですね」


 横からアギレットが声をかけてきた。彼女は俺のお供である。

 アギレットは俺の小姓として小さい頃からハイラールの屋敷に出入りしており、兄とは顔見知りだった。いつか、空き地を巡って兄とアンコ勝負したときも顔を合わせている。どうせお供を連れて行くのなら、兄の知っている人間を連れて行ったほうがいいと思ったのだ。

 もちろん、アギレットと一緒に出かけたかった気持ちもある。


「そうだね。

 でも、アギレットも随分と御粧(おめか)ししてるね。

 花嫁に負けないぐらいだよ」


 今日の彼女は、ワインレッドのドレスを着ていた。


「ありがとうございます。

 いつものメイド服を着てくるわけにはいきませんから、ドレスを買ってみたんです。

 今のところ、このドレスが私の一張羅です」


 彼女は普段、屋敷の雑務を行う際にメイド服を着ている。それはそれで中々そそるものがあるのだが、ドレス姿はドレス姿で、こう、色々とこみ上げてくるものを感じる。


 気を抜くと、ゲスなニヤけ面が顔に出てしまいそうだ。


「ダーリン殿」


 アギレットと話していると、俺が独占したいと思う、もう一人の女性が話しかけてきた。


 ヴェスリーは俺の婚約者として招かれている。

 我が家と敵対するサイファ公爵家の人間ではあるが、新郎の弟の婚約者であり、コルベルン王家の賓客として相応しい身分の女性でもある。

 彼女は、いずれ親戚関係になる(と表向きは言われている)サイファ公爵の名代でもあった。父親であるサイファ公爵本人は、軍務で多忙とのことだ。絶対に祖父の屋敷へ来たくないのだろう。


「やあ、ヴェスリー」

「ダーリン殿、その方はどちら様ですの?」


 ヴェスリーは目が据わっていた。最近、彼女のこういう表情をよく見かける。特に、俺がフォキアやアスタルテと話しているとき、彼女は不機嫌そうな表情を浮かべるのだ。


「彼女はアギレット。

 私の小姓だよ」

「小姓……」


 フォキアと初めて会ったときと同様、ヴェスリーは腕を組みながら、アギレットを舐めまわす様に見つめた。

 そして、自分の胸元にあるメロンのような膨らみと、アギレットの何もない胸部を見比べ、フォキアのとき以上に余裕に満ちた笑みを浮かべた。


 と思いきや、視線がアギレットの胸から顔に移ると、再び不機嫌そうな表情に戻ってしまった。


「チッ」


 久しぶりに彼女の舌打ちを聞いた気がする。


「随分と綺麗なお嬢さんですわね。

 ダーリン殿はこういう子が趣味ですの?」

「趣味?」

「ええ。

 こういう子をわざわざ小姓に選んで、側に置いているのですか、と聞いているのです」

「アギレットは幼い頃から私に仕えてくれているのだ。

 アギレットと、その兄も小姓なのだが、選んだの私の父親だ。

 まぁ、アギレットはいい子だから、自分でも選んだと思うけど」


 アギレットの前で、親が選んだから小姓にしている、なんて言い方はしたくなかった。まるで、嫌々側に置いているように聞こえてしまうからだ。変な誤解は生みたくない。

 だが、そのフォローがヴェスリーに火をつけてしまったようだ。


「ダーリン殿は貴族の、伯爵家の当主です。

 妾を持つなとは言いませんわ。

 ですが、正室は(わたくし)です。

 最初は(わたくし)のものです」

「一体何の話だい?ヴェスリー。

 そんなに怒っていては、可愛い顔が台無しだよ」

「話を逸らさないで下さい!」


 あれっ。

 いつもなら「可愛い顔だなんて……」と恥ずかしがるはずだ。上機嫌になった彼女との言い合いはうやむやになるはずだ。なぜ、通用しないのだ。


「ダーリン殿がアギレットさんに話しかける表情、語感、しぐさ。

 フォキアさんや天使さんに話しかけるときとは違う感じがしますわ」

「えっ」

(わたくし)の目を節穴だとでも思っているのですか?」


 ヴェスリーは俺にうんと顔を近づけ、恫喝するような低い声で言った。

 背筋が凍る思いだ。彼女と対立していたときだって、こんなに怖いと思ったことはなかった。


 俺への恫喝が終わると、ヴェスリーはアギレットに向き直る。


「自己紹介がまだでしたわね。

 (わたくし)はヴェスリー・サイファ。

 シトレイ・ハイラール殿の婚約者ですわ」

「アギレット・リュメールです」

「いいかしら、アギレットさん。

 (わたくし)がダーリン殿と結婚したあかつきには、貴方はダーリン殿の家臣であると同時に(わたくし)の家臣にもなるのです。

 家臣としての分をわきまえ、出すぎた真似をしないよう、申し上げておきますわ」


 ヴェスリーのアギレットへの敵意は表に出たままだ。


「申し訳ありません。

 ご不快に思われたようでしたら、お詫びいたします」


 やはり、ヴェスリーはイジメっ子気質の持ち主なのだろうか。

 ヴェスリーの強い敵意に対し、アギレットは素直に頭を下げた。アギレットが可愛そうだ。ここは助け舟を出すべきか。しかし、そうすればヴェスリーがさらに不機嫌になるだろう。どうしたものか。


「私は、小さい頃からシトレイ様にお仕えしています。

 シトレイ様のことなら、ヴェスリー様よりも詳しいと思います。

 いずれ、私だけが知っているシトレイ様のことを、ヴェスリー様に教えて差し上げます。

 あくまでいずれ、貴方が本当にシトレイ様の奥方様になられたら、ですが」


 頭を上げたアギレットは、ヴェスリーに対し、まくし立てるような早口で言ってのけた。突然のことだったので、ヴェスリーは驚いた様子で固まっている。俺だって驚いている。


「シトレイ様。

 お邪魔しては悪いので、私は向こうで控えております。

 ところで、本日はお屋敷へお帰りになりますか?

 それとも、コルベルン王殿下のお屋敷にお泊りになられますか?」

「え、ああ。

 多分、屋敷に帰るよ」

「そうですか。

 では、今宵もお相手務めさせて頂きます。

 また今晩、寝所へお伺いいたしますので」

「はい?

 何を言っているんだ、アギレット」


 アギレットは俺の質問に答えることなく、一礼すると向こうのほうへ行ってしまった。


「ダーリン殿、まさか、もう手を出したのですか!」

「違う!誤解だ!

 私にも、何が何だか……」


 その後、ヴェスリーはしばらく機嫌が悪かった。

 どうしたら機嫌を直してくれるのか、と尋ねると、彼女は「純潔を守っていると神に誓え」と要求してきた。俺はヴェスリーの要求どおり、自分が純潔であることを女神ドミナに誓う。これで、彼女は機嫌を直してくれた。


 俺が童貞であると神に誓うだけで、ヴェスリーの機嫌が直ったのだ。安いものだ。


 ……安いものだと思いつつ、俺は言い知れぬ虚脱感を感じていた。




============




 アギレットの発言の真意を確認したのは、帰りの馬車の中である。


「さっきの話はどういうことだい?」

「寝所に伺うという話ですか?

 ……本当に、伺いましょうか?」

「からかうなよ」


 と言いつつ、俺はチラチラとアギレットを見る。


「冗談です」


 わかっていたことだ。何を期待しているのだ、俺は。


「ヴェスリー様に対抗してみたのです。

 あの方が随分と私を敵視なさるので。

 それに、私はあの方を認めたくありません。

 あの方は、シトレイ様の奥様に相応しくないです」

「うーん、そうかな?」

「そうです!

 あの方のように自己主張の激しい女性と結婚されては、シトレイ様は絶対に苦労します。

 シトレイ様の奥様には、もっと控えめで奥ゆかしい女性がなるべきです。

 三歩下がって後ろを歩くタイプの女性、旦那様をしっかりと立てることのできる女性です」

「はぁ」

「だいたい、ヴェスリー様はビジュアル的にも、シトレイ様に似合いません。

 あの方は派手すぎます。

 妙に胸ばかり大きくて、見る人が見れば商売女のように見えます。

 それに、あの金髪のクルクル頭は品がいいとは言えません。

 もっと、落ち着いた感じの、黒髪の女性などいかがでしょうか」


 黒髪の女性とは、あからさまに自分のことを指して言っているのではないだろうか。


 アギレットは子供の頃から気が弱い性格だと思っていたのだが、どうやら違うようだ。彼女の意外な一面を見ることができたと思う。しかし、その意外な一面は、彼女のヴェスリー評と被る。随分と自己主張が激しい。


 ……あれ、アギレットって、もしかして俺のことが好きなのだろうか。


 俺の周りにいる黒髪を持つ女性は、アギレットだけだ。

 改めて、対面に座るアギレットを見る。ストレートの、綺麗な黒髪の持ち主だ。長い黒髪は白いリボンで束ねられていた。


「アギレット、再会したときから聞きたかったんだけど、そのリボンは私が送ったものかい?」

「もちろんです。

 肌身離さずつけています」

「そっか」


 や、これはもう、絶対に俺のことが好きだろ……。

 もう行くところまで行こうか。


 しかし、もし違っていたらどうしよう。ただの気まぐれで、あるいは無自覚に、思わせぶりな態度をとっているだけだったとしたら、どうしよう。

 女性は、たとえ恋愛感情を持っていない相手に対しても、平気でハートマーク付きのメールを送ることができる生き物なのだ……と聞いたことがある。前世では、そんなメールもらったことないけれども。


 もし俺の勘違いで、勘違いしたままアギレットに迫ったらどうなるか。

 俺は領主だ。アギレットの立場を考えれば、たとえ俺への好意を持っていないとしても、受け入れるしかない。

 でも、そんなことになっては、絶対にだめだ。権力を笠に着るような行為は、絶対に許されない。そんなことになったら、俺が尊敬する父親の、嫌な部分を真似ることになる。


「使ってくれて、嬉しいよ」


 それだけ言うと、俺は黙った。

 我ながら、相当なヘタレである。でも、仕方ない。恋愛経験の乏しい俺は、自分の背中を押すだけの勇気を持ち合わせていなかったのだ。

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