#049「霊感商法」
士官学校に入学して、もうすぐ半年が経とうとしている。
さすがに半年もハードな生活をしていると、いい加減、俺も慣れてくる。
授業の合間の十分間を睡眠に充てることはしなくなっていた。
昼休みもそうだ。たまに眠くてウトウトしてしまうことはあったが、五十分全力で眠ってやるという気持ちはない。相変わらず、数学や歴史の授業では居眠りを続けていたが、それだって、授業内容が既に覚えていることのオンパレードで、退屈していたからである。
もはや、俺は睡眠に固執していなかった。
休み時間に教室を見渡す余裕ができてくると、あることに気づいた。我がクラスに他クラスの生徒が出入りしているのだ。それも結構な数である。お目当ては、天使さんだった。
「天使さん、今日も可憐ですね」
「……そんなわかりきったこと、いちいち言わなくてもいいわ」
アスタルテの席には常に生徒が集まっていた。主に男子生徒である。他クラスの生徒の割合が多い。
「天使さん、俺のことを罵って下さい!」
「……貴方、息が臭いわね。
温泉の硫黄臭と放置した生ゴミが混ざったようなニオイがするわ。
気分が悪くなるから近づかないでくれる?」
「ありがとうございます!!」
アスタルテは、相変わらず抑揚のない棒読みのような口調で話をする。表情も変化が乏しく、無表情に見える。顔は端整だったから、無表情でも不快には思わなかった。
彼女を崇拝する男子生徒によれば、その口調や表情も彼女の神秘性を高める一助になっているという。
棒読みのような口調で自分を天使のように可憐だ、と主張してみたり、話相手を罵ったりするのだ。それが本心かはわからない。彼女が何を考えているのか、正直掴みかねている。
そんな彼女が熱心に語る話題が、一つだけある。女神ドミナへの信仰についてだ。
「……ドミナ様は仰いました。
正しい結果は正しい行動によって生まれるものである、と。
そして、正しい行動は正しい教えによって導かれるものである、と」
初めは、自分は天使であると主張する彼女の、中二病的な演出の一端かと思った。だが、女神ドミナのことを語る彼女の口調は、いつもの棒読みのようではあっても、少しばかり熱の入ったものだった。教官以外に敬語を使わない彼女が、ドミナに関することだけは敬語を使っていた。
「……ドミナ様はこれまで二度、人々の前に降臨されました。
ドミナ様が人間に何をお与えくださったのか。
貴方にはわかるかしら?カールセン君」
「え……えっと、奇跡?」
「違うわ。
秩序よ。
ドミナ様は一度目の降臨でドミナ教の教えを、二度目の降臨でこの国を、社会を、人間にお与えくださったのです」
神の子孫にしては、俺は敬虔とは言いがたい。
こういう説法を聞いているとうんざりしてしまう。
アスタルテの周りにいる男子生徒たちも同じ感想を抱いていることだろう。だが、彼らの目当てはアスタルテの話の内容ではなく、アスタルテと話をする行為そのものなのだ。
好きな女相手なら、どんなに話の内容がつまらなくても楽しく感じるものだ。
仮に、アギレットやヴェスリーが哲学や自然科学に興味を持ち、その話を延々したとする。話の内容自体は退屈で頭に入ってこないだろう。しかし、それでも、彼女たちと話をすることは楽しく感じるに違いない。
「……皆はドミナ教徒だというのに、随分と不勉強ね。
いいわ。
……今度の休日、下町の教会前広場に集まって下さい。
そこで本物の信仰をお見せしますよ」
アスタルテの提案を聞き、周りは歓喜に包まれている。男子生徒は口々に「教会デート」だの、「天使さんの私服」だの浮かれていた。
「……シトレイ君、貴方も来ない?」
「下町の教会にでも行くのか?」
「ええ」
今度の休日は、特に予定は入っていない。俺はお祈りをするためだけに教会へ行ったことがなかった。俺だってドミナ教徒だ。良い機会かもしれない。
それに、クラスメートと親睦を深めるチャンスでもある。
「わかった。行くよ」
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「……祈りを聞き入れたドミナ様は、人々に力をお与え下さいました。
すなわち、神聖術の力です。
ドミナ様は人々を率い、術の力を用いて戦いました。
そして、見事、東方より来たる悪魔の軍勢を打ち破ったのです」
聖典を朗読するのは、神父である。
こういう、ドミナの事跡を伝える話ならまだいい。物語を聞くことは苦じゃない。何かしらの歴史的事実を反映しているものだろうから、そういう歴史の部分を考えるのは楽しかった。
「……つまり、この話の教訓は『自助努力を忘れてはならない』ということです。
母なる神ドミナ様は、人間を見捨てたりしません。
我々の真摯な祈りは、必ずやドミナ様の元へ届きます。
ですが、神が助けて下さるのは、努力を惜しまぬ人間だけなのです」
一方、こういった人間に教訓をたれる部分は退屈極まる。
別に、道徳や倫理を否定するつもりはない。道徳や倫理は、人間が人間でいるために必要なものだ。ただ、ことさら宗教を通して学ぶ必要はないと思う。
「それでは、お布施をして帰りましょう」
アスタルテは休日なのに、制服(軍服)を着ていた。その姿にがっかりした男子生徒も多かったようだが、学外で彼女に会うことは、やはり新鮮に感じる。
アスタルテの提案を受け、男子生徒たちは帰り際にお布施をしていった。皆、ドミヌス銅貨を一枚、銀のお盆に投げ入れていく。
俺もそれに習い、財布から銅貨を一枚取り出した。
「……シトレイ君」
「ん?」
「貴方、皇族よね?」
「うん」
「ドミナ様は、信じる神であると同時に、貴方にとっては大切なご先祖様でもあるわけでしょう。
ご先祖様への感謝の気持ちは、銅貨一枚分の価値なの?」
「……」
俺はもう三枚ほど銅貨を取り出し、銀のお盆に投げ入れた。それでも、アスタルテの顔は不満そうだ。
教会を出ると、アスタルテは持っていた革袋を開けて、中身を取り出した。
「……ここに胡桃があるわ。
ただの胡桃じゃないの。
聖地にいる司教様が祈りを捧げた、特別な胡桃よ。
これを食べれば、ドミナ様のご加護を得ることができるわ。
どう?買わない?」
値段はドミヌス銀貨一枚。
「……もし、買ってくれたら、私は嬉しい」
大きめの袋いっぱいに入った胡桃の値段がだいたいドミヌス銅貨二枚である。一方、アスタルテの提示する価格は、一粒の値段だった。銅貨百枚で銀貨一枚と等価である。随分と強気な、強気すぎる価格設定だ。彼女は市場価格の何百倍もの値段をふっかけてきたのである。
「天使さん、俺、買います!」
「俺も!俺も!」
「このカールセン、三粒買いましょうぞ!」
ああ、これは霊感商法だ。男子生徒たちにはアスタルテの歓心を買いたい気持ちもあるだろうから、デート商法とも言える。いずれにせよ、明らかな悪徳商法だった。
「……シトレイ君は買わないの?」
「お金がないよ」
「領主なのに?」
「私自身が自由に使えるお金は少ないんだ」
「……そう」
購入を断った俺は、一足先に皆と別れ、その場を後にした。
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「……」
その場を後にしたフリをして、俺は物陰に身を潜めた。
教会へ行くことを提案したのはアスタルテだ。その提案した本人が、「ご加護のある胡桃」を法外な値段で売りつけている。どうも、きな臭い。
「……これで完売よ。
皆、ありがとう。
敬虔なドミナ信徒である皆は、私の大事な、本当の友だちだわ」
アスタルテの演説が終わると、男子生徒は満足そうに帰っていく。皆、手には胡桃を持っていた。一粒銀貨一枚の、超高級胡桃である。
「……さてと」
胡桃の代わりに銀貨が一杯になった革袋を持って、アスタルテは教会へ入っていった。すかさず、俺は後を追う。
教会の扉を、慎重に、少しだけ開ける。すると、中から話し声が聞こえてきた。
「神父様、お布施です」
「おお、こんなにたくさん!
いつも、ありがとうございます」
「私は忠実な神の下僕です。
これぐらい、当然です」
はてさて、アスタルテと神父がグルなのか。それとも、アスタルテが神父に騙されているだけなのか。
グルだとしたら、もっと生々しい、ゲスな会話が聞こえてきてもおかしくない。それに、グルならアスタルテへ見返りがあるはずだ。
会話の内容からすると、アスタルテが見返りを受け取った様子はなかった。
なら、アスタルテは騙されているのだろうか。その信仰心を、神父に利用されているだけなのだろうか。
彼女はいつも棒読みのような抑揚のない口調で話す。表情も変化に乏しかった。彼女が何を考えているか、正直わからない。
しかし、彼女が詐欺の片棒を担ぐような悪者にも、あるいは信仰心につけこまれたりするような弱い心の持ち主にも思えなかった。
……ああ、また悪い癖が出るところだった。
自分ひとりで考え、自分の感じたことを信じ、答えを出す。セエレの一件では、それで痛い目にあったではないか。
俺は屋敷に帰ると、同じクラスメートでもあるフォキアに相談した。
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「いいこと思いついた!」
アスタルテの行いを聞いて、フォキアは何か思いついたらしい。
「あんまり、いいことだとは思えない」
「聞く前から否定しないでよ!
本当にいいこと思いついたんだって」
「どんな?」
「シトレイも胡桃を売るの」
俺は神の子孫である。俺が祈りを捧げた胡桃ならば、聖地の司祭だか司教だかが祈りを捧げた胡桃などよりもよっぽど売れ行きがいいはずだ。これがフォキアの思いついた「いいこと」だった。
「本当に、いいアイディアだね。
フォキアの言うとおりにすれば、小銭と引き換えに、我が家の評判は地に落ちるよ」
「全然いいアイディアだなんて思ってないじゃん!」
「思うわけないだろ。
誰が祈ろうが、ただの胡桃なんだから、すぐにクレームの嵐が……」
そうだ。
アスタルテの売っていた胡桃は、どう見てもインチキな、ただの胡桃である。彼女は、あの胡桃を食べれば女神ドミナの加護が得られると言っていた。そんな話、どう考えても嘘である。
いずれ、目を覚ました男子生徒たちから批難を受けるだろう。
アスタルテを崇拝する男子生徒たちは、アイドルの追っかけみたいなものだ。今は、アスタルテが勧めた胡桃だからとありがたがって食べていることだろう。
だが、目が覚めた後はどうか。騙されたと知った後はどうか。
熱心に崇拝していた分だけ、反動は大きいに違いない。
「そのうち、あの天使さんは生徒たちからつるし上げを食らうかもしれない」
「神父とグルなら同情できないけど、騙されてるなら、天使さんも被害者だよね。
う~ん……。
ね、シトレイ、まずは天使さんが騙されてるのかどうか、確認してみようよ」
「私が尋ねて、彼女が話してくれると思うか?」
尋ねてみるのは構わないが、おそらく、毒舌つきの棒読み口調でシラを切られるのがオチだ。
「シトレイは伯爵様なんだよ?
こういう時こそ権力の使いどころでしょ」
「天使さんを脅すのか?」
「ちがうちがう。
シトレイの名前を出して、神父から話を聞くんだよ」
なるほど。アスタルテよりも、あの神父の方がまだ何かしらの反応を示しそうだ。それに、あの神父が相手なら、たとえ険悪な関係に陥っても問題ない。そうなった場合、二度とあの教会に行かなければいいだけの話である。
「フォキア、いいアイディアだよ。
フォキアに相談してよかった」
「でしょう?」
翌日、学校帰りに俺とフォキアは下町の教会へ足を運ぶことになった。
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「まさか、騙すだなんて!」
教会に着くと、俺は自分の身分を明かし、その証拠であるハイラール伯爵家の紋章が入ったペンダントを見せた。ペンダントは、要するに印籠である。この紋章が目に入らぬか!というわけだ。
ペンダントを見ると、神父は素直に俺の質問に答えてくれた。
「私は、あの子が詐欺まがいの行為をしていたなんて、初めて知りました」
昔は大きな権威・権力を有した教会だが、帝国が建国されてからは、政府の下部組織に甘んじている。
「信じてください!
信用できないなら、どうぞ、我が教会の帳簿をご覧下さい!
あの子から貰ったお布施は、ちゃんと帳簿に記して財務府に報告してるんです!
何なら、貴方のお爺様を通して財務監査官を派遣して下さい!
私は無実だ!」
神父は必死だ。
神父も、聖職者であると同時に国家公務員でもある。我が国では、汚職を犯した公務員は厳罰に処されていた。
「では、アスタルテ・ラプヘルが勝手にやったことなのですね?」
「そうです。
あの子は時々、ああして多額のお布施を置いていくのです。
私は、あの子が貴族や金持ちのお嬢さんだと思っていたのです。
お願いです、信じてください!
私には妻と子がいるんです!
今度、孫も生まれるんです!」
神父の主張は信用できる、と思う。
しかし、こうなるとますますわからない。
アスタルテが自ら詐欺まがいの行為を行い、金を集めたのだとしても、彼女はその金をそっくりそのまま教会へ寄付したのだ。目的は何なのだろうか。彼女の意図がつかめない。
「……あら、シトレイ君と、フィッツブニトさん」
神父と話していると、後ろの入口から抑揚のない静かな声が聞こえてきた。
「……平日まで教会へお祈りに来るなんて、随分と熱心なのね。
見直したわ」
唐突に現れたアスタルテに対し、真っ先に反応したのは神父だった。
「ラプヘルさん!
ハイラール伯爵から聞きましたよ!
あのお布施は、詐欺同然の行為で集めたというではありませんか!」
「詐欺?」
アスタルテは首をかしげる。神父に代わり、今度は俺が詰問した。
「あの胡桃の話だ。
あんなインチキな方法で金を集めて、でも、それを全部教会に寄付して。
君の目的は何なのだ?」
「……おかしな話ね。
実際に胡桃を買った人から文句を言われるならわかるけど、胡桃を買ったわけでも、食べたわけでもないシトレイ君からインチキだなんて言われる筋合いはないわ」
苦し紛れの開き直りだろうか。彼女の表情はいつもどおりだ。いつも、彼女の表情は口調と同様に変化が乏しかった。
「生徒たちの恨みを買うことになっても、私は知らないぞ」
「……恨みを買うことなんてしてないわ。
だから、心配しなくても大丈夫よ」
「心配などしていない!」
もう、心配などするものか。彼女は騙されていたわけではないのだ。彼女自身が考え、あの胡桃を売ったのだ。その結果がどうなると、自業自得だ。クラスメートだからといって、もう心配する必要などない。
俺は吐き捨てるように言うと、フォキアを連れて教会を後にした。
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それから一週間ほど経った、昼休みのことである。
「天使さん!
俺、この前、賭けカードやってたんだけど、二十連勝もしたんだよ!
きっと、あの胡桃のおかげだ!ありがとう!」
「天使さん!
自分は長年悩まされていた痔が治りました!」
「天使さん!
このカールセン、なんと、あの胡桃を食べた次の日に彼女ができてしまったのです!」
胡桃を買った生徒たちからの感謝の声が、アスタルテを包んだ。
「お願いです!
もっと胡桃を分けて下さい!
お金ならいくらでも払いますから!」
「……ごめんなさい。
あの胡桃は特別なもので、今は手持ちがないの。
また手に入れたら、声をかけるわ」
男子生徒たちは落胆した。
そんな生徒たちをよそに、アスタルテがこちらを向き、話しかけてくる。
「……どう?シトレイ君。
インチキなんかじゃなかったでしょう?」
普段、ほとんど無表情なアスタルテが笑っていた。不敵な笑みに見える。
本当に、あの胡桃には何か特別な力が宿っていたのだろうか。
まさか。あれはどう見てもただの胡桃だった。
だいたい、司教ごときが祈りを捧げた胡桃に特別な効果があるとは思えない。司教だって公務員だ。そんな力があったら、すぐに軍事転用されているはずだ。
しかし、実際に食べた生徒は効果を感じている。
わけがわからなかった。




