#048「剣と魔法」
※この話では最後の方に汚い表現が出てきます。
ご注意下さい。
幼年学校の剣の授業は、一心不乱に素振りすることが基本だった。まずは型を覚えること、それが授業の方針だったのだ。
ところが、士官学校の剣の授業は違った。
幼年学校の授業で覚えるにしろ、各自の稽古の成果にしろ、十五歳までに剣の扱いを一通り学んでいることが前提とされ、最初の授業でいきなり教習試合をさせられたのだ。相手は剣術の教官である。この教習試合は、教官自身が生徒の能力を把握するためのものでもあった。
「六十二点」
何発か生徒の打ち込みを受けた後、剣術の教官は一発だけ反撃し、生徒を倒していった。その後、一言、生徒の剣の腕前であろう点数をつけていく。
「五十点」
試験入学組の平均点は、内部進学組に対して低めだった。フォキアだけは八十点と高得点をたたき出したのだが、それ以外の試験入学組は五十点前後が平均だった。一方、内部進学組は平均が六十点を上回っている。
バチン!
革の手甲に教官の木刀が当たる。あまりの痛さに、俺は自分の木刀を落としてしまった。
「五十八点」
「えっ」
てっきり最下位だと思っていたのだが、結果的にはクラスの真ん中ぐらいの点数である。納得がいかない。
教習試合の後、あまった時間は各自素振りを行うことになった。
俺はフォキアの横にポジションを取り、素振りを行いながら話しかける。
「なぁ、私が五十八点っておかしくないか?」
「なんで?」
「私の剣の腕前は君だって知っているだろう」
「昔の腕前はね。
シトレイも成長したってことじゃん?
少なくとも、教官と試合しているときのシトレイはへっぴり腰じゃなくなってた」
しかし、幼年学校ではクラスの中で一番弱かったのだ。万年最下位が俺の指定席であるはずだ。
「ダーリン殿は自分を過小評価しすぎですわ」
気づくと、ヴェスリーが俺の横で素振りしていた。
「三年間、プロの軍人の下で剣の授業を受けたのですよ?
同じ幼年学校の生徒同士では劣って見えていたかもしれませんが、世間一般で言えば、ダーリン殿は人並みの腕前を持っています」
「私の剣の腕が人並み……信じられない」
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放課後、俺とフォキアは剣の稽古を行った。
普段なら、放課後になったらすぐに帰宅している。宿題をこなし、食事をとり、入浴し、そして眠るのだ。じゃないと、体がもたない。
だが、剣の腕が上達しているという可能性は俺を興奮させた。興奮してるから、とても眠れそうになかった。
稽古は試合形式で行った。
フォキアはいとも簡単そうに俺の打ち込みを受け流していく。最後には俺の木刀がはじかれ、落とされてしまった。まるで、教官を相手にしているような実力差を感じる。
「ああ、ダメだ。
全然、勝てる気がしない」
「確かに、シトレイは動きが読みやすいし、狙いの付け方もブレてるね。
でも、体重移動は上手くなったし、何より一撃が重かった」
「本当か?
そのわりには、涼しい顔して受け流していたじゃないか」
「あたし、勝負の最中はポーカーフェイスを心がけてるから。
本当は、攻撃を受けるたびに手首が痛かったよ。
シトレイのくせに体重乗せるのが上手いじゃん、って思った」
剣術の教官が、有力者の子弟である俺に遠慮して高得点をつけてくれたではないかとも思った。だが、フォキアはわざわざ俺をヨイショする必要がない。
「へっぴり腰だった頃とは別人みたいだよ。
もっと頑張れば、もっと上達すると思う」
その日の夜、興奮しっぱなしだった俺は、夕食後に素振りを三百回行った。
上達が見えると気持ちがいい。今までの努力は無駄ではなかったのだ。フォキアは上達していると言ってくれた。ヴェスリーは人並みの腕前を持っていると言ってくれた。
頑張れば上達するのだ。
術は威力が「下」と言われている。俺には剣しかない。
とにかく、今は素振りだ。頑張れば頑張った分だけ上達する。
翌朝、俺は体が動かず、自力で起き上がることができなかった。
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これまで努力を積み重ねてきた剣とは違い、術の訓練は成人後が本番である。
「明日から三日間、このクラスは休みになる」
朝のホームルーム。
そこで聞いたマークベス教官の話によれば、今日の四時限目と五時限目を使って術の実技授業が行われるらしい。
術を発動すると、消耗のため失神し、数日間眠り続けてしまう。そのための休みなのだそうだ。
術の実技は都の郊外で行われた。
周囲二キロを柵で囲んだ広い敷地は、士官学校の所有する土地だという。木の柵と、同じく木造の建物が疎らに建っている様子は、牧場か何かのように感じられた。
「一年次は術の実技が三回あります。
その三回を通し、皆さんに術を発動するまでの流れを体験してもらうのです。
今日はその一回目。
発動までの時間や威力には個人差がありますから、焦らず、まずは発動することのみを考えて下さい」
現場指揮官が術を発動することなどない。発動したら失神するため、部下の指揮を執るどころではなくなるためだ。
しかし、士官学校では術の学習が必修となっている。
将来、大隊長や軍団司令官まで出世すれば、必ず術士の部下をもつことになる。術の特性や発動の流れを知っておかなければ、術士を使いこなすことなどできない、と考えられていたのだ。
「なお、三回の実技を通して、術の才能が豊かであると認められた者は、二年次から術士クラスに移ってもらうことになります。
士官を目指す皆さんにとっては異論があるかもしれませんが、お国のためと思って下さい」
一度術士になれば、軍の昇進コースから外れることになる。それは出世の望みが絶たれるという意味を持っていた。
だが、術士は貴重な戦力だから待遇がいい。
国家の術士となり、前線に配属された時点で騎士に叙される。最初は大隊付きの術士となるのだが、そこから軍団付きの術士に出世すれば、男爵の地位を得ることができた。通常、軍人が男爵に叙されるのは、上級将軍まで昇進しなくてはならない。上級将軍は軍最高幹部の階級であり、事実、軍務次官の要職にあるサイファ公爵は、階級で言えば上級将軍であった。
そして、術士の給金は将軍並みの高給が保証されていた。
「まぁ、私には関係ないな。」
「あたしはもっと関係ないよ。
シトレイは氷術の素質があるんでしょう?
あたしは感知術の才能があるって言われたけど、威力が『下』だから使いものにならないってさ」
成人の際、俺の術は威力が「下」であると宣言されている。ハイラールで成人の儀を受けたフォキアもそうらしい。
確かに訓練すれば威力が上がるらしいが、最初から「上」の威力を持つ人間に追いつくことは、まずないらしい。
わざわざ才能がない人間に訓練を施すほど、軍には暇も余裕もなかった。
俺やフォキアが術士を目指すことも、それを勧められることもないだろう。
「……天にまします母なる神ドミナよ、我が捧げる贄を以って、その大いなる力の……」
一番手はヴェスリーだ。
彼女はクラスの中で唯一、術の威力が「上」と言われている生徒であった。初めに最優等生の実力を見せつけられては、他の生徒のやる気が挫かれるのではないかと思う。
だが、術の教官から言わせれば、どうせ俺たちが術士クラスに移ることなどないのだから、戦場で放たれる術に近い「上」威力の術を見て将来の参考にしろ、ということらしい。
彼女は木製の祭壇の上で術発動のための儀式を始めた。
彼女の集中を邪魔しないよう、術の教官が小声で解説する。
「実際の戦場では、祭壇塔と呼ばれるもっと背の高い、移動式の塔のような祭壇が用いられます。
今ヴェスリーさんが乗っているような木製のものではなく、鉄製の祭壇です」
術を発動する際、標的が視界に入っていなければならない。視界に入っていないと照準がズレてしまい、発動が不発に終わってしまったり、下手したら友軍に術を放ってしまうかもしれないという。
そのため、戦場では物見櫓のような高い祭壇の上で儀式を行うことになる。
ただの物見櫓では格好の標的になってしまうため、防御が完璧な、鉄製の攻城塔のような祭壇が用いられるらしい。
背の高い鉄の塊の中で、儀式を行い、敵軍に術をぶつけるのだ。
今回は木製の祭壇を用い、標的には人間ではなく害獣が用いられる。
木の柵の向こうには、赤猪と呼ばれる、鮮やかな赤い毛並みを持った、熊と猪を足して二で割ったような獣がゆっくりと闊歩していた。
「…………」
しばしの沈黙が流れる。
術の発動には大変な集中力を使うと聞いている。周りが騒ぎ、彼女の集中を邪魔してはいけない。
だが、見学しながら順番を待つ周りの生徒にとっては、正直に言えば退屈な時間となる。あるいは自分の番を前に緊張している生徒が、中にはいるかもしれない。だが、俺の順番は最後だった。何より、この時間は居眠りチャンスである。
邪魔してはいけないという口実の下、俺はいつものように、立ったまま、目を開けながら眠りに落ちていった。
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バーン!とかドカーン!とかボォン!とか、形容しがたい強烈な音によって俺の目は一瞬で覚めた。寝ぼけた頭を揺さぶる、すさまじい衝撃音だ。キーンと耳鳴りがする。
見ると、柵の向こうの草や木が真っ黒にこげており、赤猪らしき獣の焼けた死骸が転がっていた。
祭壇に視線を移すと、ヴェスリーも倒れている。
「ヴェスリー!」
俺はヴェスリーに駆け寄ろうとしたが、教官に制止されてしまった。
「大丈夫ですよ。
体力を使い果たして眠っているだけです」
術の教官は、控えていた二人の職員に合図を送る。職員は二人がかりでヴェスリーを抱き上げ、馬車に寝かせた。
「えー……彼女は、ああ、サイファ公爵家のご令嬢ですか。
寮生ではありませんね。
では、お家までお送りして下さい」
指示を受けた職員たちは、そのまま馬車を走らせていった。
「いやぁ、素晴らしい威力ですね。
彼女には是非術士クラスに来てもらいたいのですが……」
教官はヴェスリーの術の才能を絶賛した。だが、彼を唸らせたのは我がクラスの中でもヴェスリーだけだった。
当然である。彼女以外は皆威力が「下」、よくて「中」と宣言されているのだ。
クラスの十人中、俺やヴェスリーを含めた八人が、攻撃術の素質があると言われている。
八人は順番に祭壇へ登った。
「自分は地術の素質がると言われているのですが、この場で地震を起こして大丈夫なのでしょうか」
「ブルックスさんは、成人の儀で威力はどのくらいと言われたのですか?」
「自分の威力は『下』です」
なら大丈夫、という教官に促されてスティラードは儀式を始めた。一時間後、彼は倒れたのだが、特に術が発動したようには見えない。
「いえ、彼の術は発動しました。
確かに、揺れました」
震度1程度だと、気づく人は気づくが、気づかない人はまったく気づかないらしい。自軍が巻き込まれるため、戦場では使われることがないと言われている地術も、威力が「下」だとこの程度らしい。
その後も、生徒たちの実技は続いた。
皆、系統の違う様々な術を放っていくのだが、ほとんどの生徒の威力は「下」である。水術や火術といっても、赤猪の毛を少し濡らしてみせたり、ボヤ程度の火を起こしてみせただけだった。
「……次は私ね。
私は火術よ」
今度はアスタルテが祭壇に登る。
「……教官、一つ質問があるのですけど、先ほどのおっぱ……サイファさんぐらいの威力の術を放てば、二年から術士クラスに配属されるのですか?」
「そうですね。
サイファさんぐらいの威力なら、術士を目指した方がいい」
「……それは困りますね。
わかりました」
アスタルテは七人目だ。
見守る生徒は、最後の俺と、感知術の持ち主のため見学となるフォキア、カールセンの三人だけである。
これまで六人分、四時間近く立ちながら眠っていたため、いい加減眠気も覚めきっていた。だけど、退屈なのは変わらない。
俺はアスタルテが祭壇で集中している様子をボーッと眺めていた。
早い人だと、三十分で術を発動することができるのだが、遅ければ一時間以上集中しなくてはならない。ああ、これからまた長いこと黙って立っていなくてはならないのだ。もう眠気はない。退屈だ。
とそのとき、赤猪の毛に火がついていた。慌てた職員が、暴れる赤猪に水をかける。アスタルテが祭壇に登ってから十分も経っていないはずだ。
「まさか、こんな早く……」
教官は驚いた顔でアスタルテを見つめている。彼女は突っ立ったままだ。
「ラプヘルさん、貴方、立っていられるのですか!?」
教官の叫びにアスタルテは振り向いた。そして、一瞬、ハッとした顔をすると、すぐに倒れこんでしまった。あとは、いくら声をかけても動かない。吐息だけが聞こえてきた。
「教官、こんなに早く術を発動することなど、できるものなのですか?」
「絶対にできない、とは言いません。
ですが、そういうことのできる人間は百年に一人生まれるか否かというレベルの話でもあります」
ごく稀に、術の発動が異様に早い人間が生まれてくるらしい。だが、そういった人間は例外なく術の才能に恵まれていた。例外なく、威力が「上」なのである。ところが、アスタルテの放った火術は、どう見ても威力が「下」だった。
「いずれにせよ、彼女は眠りに入ってしまった。
後ほど彼女から話を聞いておきます。
さぁ、最後はハイラールさんですよ」
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祭壇に登り、クロスのかけられたテーブルの上に術道具を置いていく。銀の杯や、女神ドミナを表す百合の花(造花でもよい)、自分の誕生石(俺の場合はサファイア)などを置いていく。
そして、テーブルの真ん中に供物を置く。供物は、林檎と胡桃だ。
次に、祈りを捧げる。
祈りの言葉はありきたりなものだ。「ドミナ様、供物を捧げますので、自分に術の力をお貸し下さい」といったニュアンスのものである。それを、仰々しい口調と面倒な言い回しでひたすら繰り返す。
祈りの言葉を決められた回数繰り返した後、そのまま祈りのポーズで集中する。
ここからが本番である。
『決められた手順を踏まえ、集中すると、体の内側から何かモヤモヤしたものがこみ上げてくるのを感じるはずです。
初めは体全体に感じられたモヤモヤが、集中を続けると顔の中心、眉間の辺りに集まってきます』
座学での授業を思い出す。
確かに集中していると、教官の講義どおりモヤモヤを感じ、それが眉間に集まってくるのを感じた。
『次に、目を開き標的を見据えます。
さらに集中し続ければ視界が収束し、標的以外の周りの風景が真っ暗になるはずです。
ここまできたら、ゴールは間近です。
眉間に感じるモヤモヤを、標的にぶつけるようなイメージを持ち続けて下さい」
俺は踏ん張る。
眉間に感じるモヤモヤを、柵の向こうにいる赤猪に向かって放つイメージだ。俺は氷術の素質を持っている。今からあの猪に、氷をぶつけてやるのだ。
集中し続けているうちに、頭が割れそうになってくる。ひどい頭痛を感じる。血管がはち切れそうなくらい、ドクドクと脈打っている。
と次の瞬間、ずっと感じていたモヤモヤがすっきりなくなり、視界が広がった。赤猪の赤い毛並みに、薄っすらと白い霜が降りかかっている。
それを確認した直後、俺は気を失った。
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気がつくと、俺は都の屋敷にいた。
自分の部屋のベッドに寝かされていたのだ。起き上がろうとすると、側にいたアギレットに止められてしまった。
「ああ、ダメです。
無理しないで下さい。
シトレイ様は丸二日間も眠っていたのです」
窓の外は暗い。
確かに違和感を感じた。体がなまっているようで、中々感覚を掴むことができない。頭がボーッとして、本当に起きているのか、夢の中なのか、しばらく判断がつかなかった。
「どうぞ、お水です」
頭だけ起こすと、アギレットが水を飲ませてくれる。
「起きるのも、歩くのも、ゆっくりとです。
急に行ってはいけません」
「アギレット、私は病人じゃないよ」
「それでも、急に動いては体がビックリしてしまいます。
ゆっくり、ゆっくりです」
連休だと喜んでいたが、本当に、ずっと眠ってしまっていたようだ。術発動後の動けなくなる時間は個人差があると聞いている。俺は二日で起き上がることができたが、もしかしたら明日の休みまでつぶれてしまうクラスメートもいるのではないだろうか。
「ふぅ……ん?」
上体を起こすために手をついたのだが、シーツの手触りに違和感を感じた。やけにスベスベしている。どうやら、敷かれているシーツはシルク製のようだった。
「アギレット、このシーツは?」
「ああ、このシーツは……。
実は、シトレイ様のシーツを洗おうと運んでいた際、インク壷をひっくり返してしまいまして。
このシーツは、私が代わりに用意したものです」
「そうか。
でも、シルクは高かっただろう?今度から綿でいいよ」
「大丈夫です。
私の給金から買ったので、ハイラール家の財政には影響ありません」
「いや、そこまですることないのに……」
アギレットは何をやらせても要領がいい。何でもテキパキとこなす。でも、俺が知らないところでは、結構ドジを踏んでいるのだろうか。
「ところで、シトレイ様。
どうでしたか、術は」
術発動の感想は「疲れる」につきる。ヴェスリーのように威力の高い術を放つことができるのなら、頑張ろうとも思えるのだが、俺の威力は「下」だ。訓練すれば威力が上がるというが、元々威力が「上」の人間に追いつくことはほとんど不可能に近いらしい。
それに、術を放つ感覚も好きになれない。
汚い表現になるが、あれは吐きたいのになかなか吐けないゲロや、出したいのに中々出ない大便のようなものだ。術発動のために必要な、集中するという行為は、嘔吐しようと一心不乱に便器を抱える行為に似ている。異物を体外に出すことだけに集中し、狙いが外れないよう便器と睨めっこし続ける行為と同じなのだ。
「うん、術士を尊敬する気持ちになれたよ」
「そうですか。
あ、シトレイ様を運んで下さった学校の方が、これをお渡しするようにと」
アギレットから一枚の紙切れを受け取る。紙切れには『術実技判定』と書かれていた。
「う~ん、わかりきっていたことだけど、はっきり書かれると、なんだかなぁ……」
術系統:氷、術威力:下
教官のコメントには『立派な士官を目指して下さい』と短く書かれていた。




