#047「さわやかな三組」
士官学校は十五歳から入学することができる。就学の期間は三年間だ。
生徒の年齢だけを見れば、前世の高校に相当する。だが、この世界の成人は十五歳だ。士官学校も、前世の高校のような後期中等教育の機関というよりも、専門学校のような位置づけだった。
士官学校の生徒は、卒業後、軍の十人隊長に就任する。
戦場での経験がない若者がいきなり九人の部下を持つのだ。士官学校の卒業生には、兵士たちを納得させるだけの能力が求められていた。そして、求められる能力を身に付けるため、厳しいカリキュラムが課せられているのであった。
朝八時に登校し、朝のホームルームの後、すぐに授業が始まる。
まずは学科で、午前中のうちに三時限の授業を受ける。内容は数学、国語、歴史、自然地理、人文地理、戦略、戦術、倫理、術、軍組織(帝国軍の組織そのものについての授業)だ。
午後は実技となり、二時限の授業を受ける。体育、剣術、槍術、体術、馬術、そして術(神聖術)である。実技は学科に比べて一時限の時間が長く、二コマ終わる頃には既に夕方の六時を回っている。
また、通学する生徒にも寮で生活する生徒にも、帰宅後に三時間の自習が義務づけられていた。実際、それだけの時間を費やさなくては終わらない量の宿題が毎日出されている。
これら通常の学校生活とは別に、二週間に一度ぐらいの割合で夜営訓練が入ってくる。
学校の軍事教練場にテントを張り、夜営を行うのだ。一回の期間は三日間。教官の監視の目と、深夜の歩哨任務さえなければ、林間学校のように楽しいものかもしれない。
このスケジュールをハードと感じるか否かは人それぞれだろう。
通学が許されていたし、寮での生活も、スティラードの話によれば、自習が強制されること以外は幼年学校のものとさほど変わらないらしい。週に一日、休日もあった。
周りを見ても、苦に感じていない様子の生徒が多い。そんな中にも、辛そうにしている生徒は確かにいた。俺は後者に属する。こんなストイックな生活は、前世でも今生でも経験した試しがない。
「貴族が軍人になるなら、皆、士官学校に入るって聞いたんだ。
だから、こんなに辛い生活が待っているとは思わなかった」
「楽に生きたい貴族なら、そもそも軍人など目指しませんわ。
でも、私は軍人こそ貴族に相応しい仕事だと思っていますの。
高貴なる者は、それ相応の責任を果たすべきですから」
ヴェスリーは親と仲が悪い。サイファ公爵家を強く意識していることは、親との関係から目を逸らすためで、本心ではないと言っていた。
だが、彼女の口から出てきた言葉は、ノブリスオブリージュの精神そのものである。前世で庶民をやっていた俺とは違い、彼女は真に貴族として生まれ、貴族としての精神を持って育ったのだろう。
「確かに、幼年学校よりキツイですよね。
でも、これに耐えれば十人隊長になれるんですよ?
キツイけど、学校にいるうちは戦死する危険もないですしね」
スティラードの言うとおり、辛い学生生活に耐えれば十人隊長になることができる。それだけではない。十人隊長も通過点なのだ。現在、軍の中枢を占める将軍たちは、そのほとんどが士官学校のOBである。一兵卒からの叩き上げは少ない。出世を目指すなら、士官学校を卒業することが必要だった。
「確かにキツイよね。
特に勉強がキツイ。
覚えることが多すぎて、頭が痛くなる」
「私は体力的に辛いよ。
皆、こんな生活してて平気なのかと思う」
「あー、シトレイは昔から体力がなかったもんね。
あたしは体力的な話だったら全然平気だけど」
普段の授業中もそうだ。学科の時間、フォキアはずっとしかめっ面をしている。屋敷に帰った後、一緒に宿題をするのだが、そのときもしかめっ面は変わらない。
一方、実技の授業では、彼女は活き活きとしていた。本当に、楽しそうに授業を受けているのだ。最近は馬術の授業が楽しみらしい。
周りがこれだけ頑張っていると、自分ばかり弱音を吐いていられなくなる。
幼年学校では色々あったが、最後まで脱落せずに卒業できたのだ。今さら、ここまで来て落ちこぼれるわけにはいかない。
みんなの意見を聞いてから、俺は弱音を吐くことをやめた。そして、士官学校の生活についていくことを第一に考えるようになった。
だが、気合を入れ直したわけではない。根性だけでは絶対に乗り切れない。精神論だけでは絶対に破綻する。どうせ、根つめてもいつか限界が来るのだ。
だから、俺はカリキュラムをこなしながら、どこなら力を抜けるかを考えた。考えて、実行した。
結果、俺はどんな場所、どんな場面でも眠ることのできる体になったのである。
まずは授業の合間。
授業と授業の合間は十分。十分でも貴重な時間だ。俺は机に座り、目を瞑った瞬間、三秒以内で眠りに落ちることができるようになった。
次に学科の授業。
俺はノートをとり、教官の話に頷きながら眠る技を取得した。目を開けながら眠ることのできる人はそれなりにいるだろう。しかし、ノートをとり(とるフリをし)、なおかつ、ナイスタイミングで頷きながら眠ることのできる人間など、おそらく俺しかいないのではないだろうか。我ながら誇れる技術だと思う。
当然、授業の内容は頭に入ってこない。この技を使うのは、数学や歴史など、既に持っている知識で通用する教科の授業に限られていた。
そして昼休み。
昼休みは六十分。授業の合間とは比べ物にならないほど尊い時間である。五分以内で昼食をとり、実技の授業を受けるための移動に三分かかるとして、五十分以上睡眠をとることができるのだ。
昼休みの喧騒の中でも、俺は絶対に目を覚ますことがなかった。
最後に実技の授業。
体育で寝ることなんて不可能だろう、と思うのは素人だ。
教官のありがたい話の最中や、剣術や槍術の教習試合での待ち時間など、眠る隙はいくらでもある。その隙を突いて、直立不動で目を開けたまま眠るのだ。
もちろん、実際に剣を振るう場面や、馬に跨っている最中は真剣だ。それに、教官の話の中でも、根性論や軍を賞賛する演説の最中は意識を飛ばしていた俺だが、技術面のこととなると、真摯に耳を傾けた。力を入れるべきところと、抜いても大丈夫なところの、取捨選択が重要となる。
俺の頭には、軍人として必要な知識、技術を身に付けることと、何よりも眠ることだけが全てを占めていた。
俺は年齢から言えば高校生である。青春を無駄にしているという自覚は確かにある。だが、まずはハードな士官学校生活についていくいため、貴重な体力を温存することを第一に考えなければならないのだ。
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「オーランド君は歴史の造詣が深いね。
私も歴史は好きなんだけど、オーランド君の知識にはとてもじゃないが及ばないよ。
尊敬する」
「俺はハイラール伯爵がうらやましいですよ。
先祖が有名人ばかりでしょう?
本を読んでいても楽しいんじゃないですか?」
入学してから、俺はクラスから仲間はずれを作らないよう、努めて新顔たちに話しかけた。たまに授業の合間の睡眠時間を削り、こうして交流を持ったのだ。
士官学校の一クラスは十人。幼年学校とは違い、生徒のみで十人隊を構成する。我がクラスは、その十人中六人までが幼年学校の出身者であり、顔見知りだった。さらに、フォキアは俺と同郷である。残る三人がハブられないよう、注意しなくてはならない。
「シムズ君は軍事に詳しいね。
先ほどの戦術の授業での受け答え、凄かったよ。
やっぱり、軍人を目指すからには、シムズ君くらい詳しい知識を持たないとだめだね」
「いやいや、そんな褒められたもんじゃないッスよ。
自分は所謂軍オタってやつですから」
厳しい受験戦争に勝ったと思いきや、知り合いのいない教室に放り込まれたのだ。その教室の中では、入学前から既に仲良しグループが出来上がっていたのである。居心地がいいはずがない。
偽善に思われるかもしれないが、俺は孤立した生徒を見たくなかった。
新顔三人のうち、男子二人とはすぐに仲良くなることができた。
初めのうちは身分の違いを遠慮してか、あるいは俺の目つきを怖がってか、壁を感じたのだが、共通の話題を振ると、すぐに話に乗ってきてくれたのだ。
一方、残るもう一人の女子とは、仲良くなれているのかわからなかった。
「……そんなに私と話したいの?
仕方ないわね」
「うん、そうだよ、天使さん。
私たちは三年間同じクラスだしね。
仲良くしたいよ」
初日に自分のことを「天使のように可憐」と称してから、アスタルテ・ラプヘルは周りから天使さんと呼ばれていた。
その呼びかけには尊敬であったり、崇拝であったり、あるいは皮肉が込められていたのだが、本人は天使という呼ばれ方を嫌がっていない様子である。
だから、俺も周り合わせて天使さんと呼んでいた。
「そう。
……まぁ、貴方の気持ちは理解できるわ。
私のような美少女とお近づきになりたいと思うのは、自然な欲求でしょうね」
あるいは、俺が彼女に苦手意識を持っているのかもしれない。
彼女はいつも抑揚のない、棒読みのような口調で話す。表情の変化も乏しい。どこまで本心で言っているのかわからない。彼女はつかみどころがなかった。
「……貴方のことを教えて」
アスタルテと話をする時は、彼女は必ず俺のことを聞いてきた。アスタルテは自称するように、確かに美人だ。その美少女が俺のことを知りたいというのだから、悪い気はしない。だが、俺のことを知りたいと言うわりに、彼女の反応は芳しくなかった。
「私の生まれ育ったハイラールは、ここから馬車で二十日ほどのところにあるんだ。
都に比べれば凄い田舎だけど、のどかでいいところだよ」
「そう」
「アーテルという黒いユニコーンを飼っていてね。
授業で馬術を身に付けて、アーテルを乗りこなしたいと思っているんだ。
いずれは戦場にも連れて行く予定さ。
と言っても、黒いユニコーンになんて乗っていたら格好の的になるから、十人隊長や百人隊長のうちは無理だと思うけどね」
「そう」
俺の話に頷くわけでもなく、彼女は口だけで無関心そうに相槌を繰り返す。しかし、話題を変えようとすると「もっと貴方の話をして」とせがんでくるのだ。それで、再び俺のことを話すのだが、反応は変わらなかった。
「なぁ、天使さん。
私の話に興味あるのか?」
「ええ」
「本当に?
そうは見えないけど」
「……気のせいよ。
立てば芍薬座れば牡丹歩く姿は百合の花、を体言する存在であるとのころの私と話せることは、何ものにも代えがたい喜びのはずよ。
一体、何を不満に感じているのかしら」
彼女とまともに会話しようとすると、いつもこうだ。俺などはうんざりするのだが、これがいいという生徒(主に男子生徒)もいた。
既にクラスの内外を問わず、アステルテを崇拝する生徒(主に男子生徒)が出てきている。この調子なら、学内で孤立するようなこともないだろう。彼女とはゆっくりと、そのうち仲良くなれればいいのではないかと思う。
それに、彼女と話していると機嫌が悪くなる人物もいた。
「ダーリン殿。
何を話していらっしゃいますの?」
「他愛もない話だよ」
「そうですか」
アスタルテを睨むヴェスリーの眼光には、明らかに敵意が含まれていた。不機嫌な時のヴェスリーの強い睨みは、本当に怖い。特に取り巻き連中などは、この睨みを食らうと、いつも恐怖で青ざめていた。しかし、アスタルテはヴェスリーの睨みを受け止めながら平然としている。
「……あら、おっぱいさん。
婚約者を取られて嫉妬してるの?
……無理もないわね。
私のような舞台女優級の美貌の持ち主が相手では、太刀打ちできないものね」
「んなっ」
「……凄い顔。
そんなに怒らなくていいのよ。
私はシトレイ君を取ろうだなんて思っていないから。
……シトレイ君は私の趣味に合わないわ」
趣味に合わない……。
いや、いいんだけどさ。
俺はアスタルテとの話を切り上げ、ヴェスリーを宥めた。毎度のことだ。
「だいたい、ダーリン殿はどうしてあの女を気にかけるのですか」
「そりゃあ、クラスメートだからさ」
「クラスメートであっても、あの女と仲良くする必要を感じませんわ!」
「まぁまぁ、そんなに怒らないで。
君は私の妻として、どーんと構えていればいいんだよ」
「妻」という言葉にビックリしたヴェスリーは、途端に笑顔というか、ニヤけ面になった。「妻だなんて」と一人でつぶやきながらニコニコしている。
最近、ヴェスリーの扱い方がわかってきた気がする。
アスタルテとの仲が良くなっているのかはわからない。だが、決して悪くはなかった。
我が一年三組の出だしは上々である。
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「でっか!」
マルコを見たフォキアの、最初に放った言葉だ。
フォキアとマルコは約七年ぶりの再会となる。
二人並ぶと、身長差は歴然だ。小さい頃からフォキアは小柄だった。そしてマルコは子供の頃から体格が良かった。しかし、あの頃の身長差は、今のように50センチもなかったのである。
「ちっさ!」
マルコの言葉にフォキアが憤慨する。
彼女は昔から小さいと言われると怒った。一方、俺がフォキアのことを「大人の女性」と褒めると、彼女は上機嫌になる。私服も大人っぽいものが多い。どうやら、フォキアは立派なレディーに憧れているようだ。
「ボサボサ頭とうっすら生えてる無精髭。
マルコは昔から野蛮な性格だったけど、外見まで野蛮になったね。
今度から蛮族って呼んであげるよ」
「そりゃあ、ありがとう、フォキア。
俺はワイルドな男を目指してるんだ。
それにしても、お前は変わらないな。
チビのまんまだ」
「……マルコ、いつかの決闘の続きをしようか?」
「望むところだ」
そう言うと、二人は喧嘩を始めてしまった。
大柄なマルコがフォキアを捕まえ、拳骨をくれてやろうと構える。フォキアはそれをすり抜け、マルコの足に蹴りを加える。
マルコにとっては、腕力こそが最大の武器だった。一方、フォキアにとっては、マルコの攻撃をまともに食らったら負けである。マルコの攻撃を回避しながら、小さいダメージを与えていくことこそ有効な戦法となる。
「大丈夫なんでゲスか、アレ」
「大丈夫ですよ。
二人は何度も決闘していますが、大怪我になったことはありませんから」
二人は真剣に戦っている。だが、端から見れば、男女二人がキャッキャウフフしているようにしか見えない。
喧嘩するマルコとフォキア。それを眺める俺。
ハイラールの頃から関係は変わらない。屋敷に戻ればアギレットもいる。隣で眺めるフリックや、三組の連中のように、新しい友人もできた。
あとは、ロノウェがこの場にいてくれれば、言うことはないのだけど。




