#046「再会」
「久しぶり!」
三年ぶりに再会したフォキアは、最後に見たときとあまり変わっていなかった。
赤毛と青い瞳を持つ彼女は、小さい頃から小柄だったが、十五歳で成人した今でも小柄なままだ。パッと見ても、150センチあるか微妙なくらいの背の高さである。
「お久しぶりです、シトレイ様」
アギレットは随分と変わった。
白い肌と二重の大きな瞳はそのままだが、身長が伸び、ストレートの黒髪も長くなった。座敷童子のようだ、という印象を抱くことはもうないだろう。
「ハイラールからの遠路、ご苦労であった」
起立している彼女たちに対し、俺は椅子に座っている。足を組んで座ったまま、俺は一声だけ言葉をかけた。
俺の尊大な態度を受け、二人の表情が暗くなっていく。
「伯爵様はとても寛大なお方である。
アギレット・リュメール、お前は小姓でありながら半ば役目を放棄していた。
そして、フォキア・フィッツブニト、お前はそもそも家臣ですらない。
そんなお前たちにお目通りを許してくださった伯爵様への感謝を忘れぬことだ」
「ありがとう、ございます」
「ありがとうございます」
家臣の男に促され、二人は畏まって頭を下げた。
重臣の孫とはいえ、アギレットは一家臣、それも小姓だ。家臣団の中における小姓の序列は低い。そして、フォキアは大事な友人ではあるが、ただの領民でもある。
都の屋敷につめる家臣が、俺と彼女たちとの間に立っていた。
「アギレット・リュメール、お前は士官学校の生徒ではない。
学校に通われる伯爵様の側に侍ることができぬ以上、日中は屋敷の雑務を行うように」
「わかりました」
アギレットは頭を下げたまま答えた。
三年間離れていたが、アギレットは俺の小姓である。アギレットの処遇はすぐに決まった。
「伯爵様。
フォキア・フィッツブニトの扱いはいかがいたしましょうか」
「彼女は私と同じく士官学校に入学する。
既に成人だし、剣の腕前はログレットのお墨付きだ。
私の護衛としては適任であろう。
従士として召抱えるがよい」
「は……。
しかし、以前にも申し上げましたが、すぐに召抱えるには……」
また金の話か。
いや、それとも、家臣たちの間における力関係かもしれない。
我がハイラール伯爵家の家臣団は分裂こそしてないものの、上方の家臣たちと国元の家臣たちは、お互いに競争意識を持っているようだった。
国元の家臣であるログレットと懇意のフォキアを、上方が給金を払って召抱える。あまり歓迎はできないのだろう。
これではだめだ。全員が全員仲良くしろ、とは言わない。だが、変な派閥意識を持ってもらっても困る。いずれ、家臣たちの大幅な配置換えが必要になるかもしれない。
「あたしは、シトレイの屋敷に住まわせてもらえるなら何でもいいよ」
フォキアは頭を挙げ、俺や家臣の男に向かって行った。
それを家臣の男が睨むと、フォキア慌てて再び頭を下げる。
「ならば、フォキアは当分食客として遇そう。
ただし、将来は従士として我が家に仕えてもらう。
フォキアを家臣の列に加える準備をしておけ」
「は……」
「将来、士官学校を卒業した後の話だ。
三年はある。
いいな、三年だ。
猶予は与えた。
文句は言わせぬぞ」
「かしこまりました」
アギレットとフォキアの処遇が決まると、家臣の男は退室した。
それと同時に、俺は側に控えるメイドたちにも退室を命じる。部屋の中には、俺とアギレットとフォキアの三人だけが残った。
「はぁー……」
長いため息の後、俺は二人に笑ってみせた。
「ごめん、家臣の手前もあってね。
メイドたちだけなら、ここまでしてみせる必要もないんだけど」
俺の笑顔を見て、二人の神妙な面持ちが氷解する。
「ビックリしたよ、シトレイ。
領主様なんだから、ああいう風にしなきゃいけないのはわかるんだけどさ。
人が変わっちゃったんじゃないかって思った」
「三年ぶりだぞ。
さっきの態度はともかくとしても、私だって変わった。成長したさ。
そうだろう?」
俺は目を瞑り、自分が一番だと思う笑顔を見せてやった。
目を開けると、フォキアが顔をしかめている。
「うん、前よりもひどくなった」
言われると思った。
たまに鏡を見ると、自分の顔にうんざりする。
目つきは相変わらず悪いままで、かつ、目の下のクマは見るたびに濃くなっていた。しっかりと睡眠をとっているのだが、改善の兆しは見られない。
もしかしたら、成長するにつれてクマがとれるのではないか、と根拠のない期待を抱いたこともある。しかし、今のところ結果は逆だ。
おそらく、このクマとは生涯付き合っていくことになるのだろう。
「あたしも変わったでしょう?」
改めてフォキアを見る。
彼女は髪と同じ色の赤いチュニックを着ていた。派手だが、露出の少ない、深い色合いのチュニックは、随分と大人びた服装だ。
しかし、彼女自身の容姿に変化は見られない。
背は伸びているのだろうが、同じく成長期を経た俺と比べれば、小柄なことに変わりなかった。服装は大人びているが、どうも無理をしているというか、服に着せられている感があった。体形もお子様のまま……あ、いや、膨らんでしかるべき所は、膨らんでいるように見える。彼女は大人だ。
「うん、変わったね。
立派な、大人の女性だよ、フォキア」
「でしょ!でしょ!」
「あの、シトレイ様。
私はどうですか」
フォキアと違い、アギレットは変わった。
体形は変わっていないが、身長は伸びた。フォキアをとうに越している。胸部は引っかかりのない水平線を保っていたが、この際、そんなものはどうでもいい。
彼女は可愛いから美人になった。
スレンダーな体形は、カッコイイ美人さんという印象を受ける。
アギレットの容姿と、自分の容姿と比べ、気後れしてしまいそうだ。もし、アギレットと初対面だったら、近寄りがたい印象を持ったかもしれない。彼女の外見は、愛でられるというよりは信仰される類のものに変わっていた。
「アギレットは、その、すごい綺麗になった」
「本当ですか!」
アギレットは笑う。
笑顔は昔のままだ。
「アギレット、よく来てくれた。
……あの時は、本当に済まなかった」
「いええ、シトレイ様。
私こそ、本当にごめんなさい」
俺は父の件と、その後突然訪ねて怖がらせてしまった件について謝った。
それに対し、彼女も謝罪の言葉を口にする。一体、何のことだろうか。彼女に謝られるようなことをされた覚えはない。
「それと、本当にありがとうございます、シトレイ様」
彼女はそれ以上言葉を続けなかった。フォキアが同席していたからかもしれない。あの事件のことは、やはり今でもデリケートな話題だった。
でも、焦る必要はない。再会を果たし、我が家で暮らす以上、当分別れることはないのだ。
それに、余裕もあった。アギレットの長い髪を束ねる白いリボンが、俺の送ったリボンだと気づいていたからだ。彼女は、許してくれている。詳しい話を聞くのは、もっと落ち着いてからでもいい。
「そういえば、ロノウェは?
一緒に来るんじゃなかったのか?」
「お兄様は……」
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士官学校入学当日。
アギレットに見送られた俺とフォキアは、歩いて士官学校へと向かった。
幼年学校と都の屋敷は3キロほど離れていたが、士官学校はさらに近い。徒歩十分以内に着いてしまう距離だ。この距離を馬車で行くのは気が引ける。それに、女子と一緒に歩いて登校することは気分が良かった。
歩いている間、フォキアはずっと辺りを見回している。
なるほど、彼女はおのぼりさんだ。騒ぎ立てるようなことはしなかったが、キョロキョロと周りの通行人や大きな建物を見回し、背の高い塔を見上げていた。
「都に来てから一週間経つけど、何度見ても凄いね」
「うん、ハイラールに比べたらね。
私も最初は慣れなかったよ」
帝都の人口は公称百万人。実際には八十万前後の人間が住んでいると聞いている。俺は、前世でその何倍もの人口を抱える大都市に住んでいた。だが、今生では人口千人の田舎町ハイラールに生を受け、育ったのだ。俺が都に出てきた当初は、今のフォキアと同じ反応をし、同じ感想を抱いたものである。
そうこうしているうちに、士官学校へと到着してしまった。
家から近いに越したことはないのだが、もう少し女子生徒との登校を楽しみたかった気持ちもある。
士官学校は幼年学校に比べてかなり立派な校舎だった。
田舎の古い小学校のような、木造校舎の幼年学校とは違い、士官学校の校舎は石材とコンクリートで出来ている。
その立派な校舎の昇降口前に掲示板があり、俺たちはそこでクラス分けを知ることができた。
「あ!
シトレイ、あたしたち一緒のクラスだよ」
「おお、本当だ。
うん、うん。
……うん?」
俺とフォキアは一年三組だった。そして、同じ三組にはヴェスリー、ヴェスリーの取り巻きたち、そしてスティラードの名前もあった。
俺のクラスには、俺の知った顔ばかりが揃っている。こんな都合の良い話があるのだろうか。
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入学式の後、教室へと移動し、最初のホームルームとなる。この流れは幼年学校と同じものだ。
教室を見渡すと、やはり見知った顔ばかりが並んでいた。
スティラードと目が合うと、彼は笑顔を返してきた。三年間一緒に暮らした男である。幼年学校の卒業式以来だから、会わなかったのは一ヶ月弱ほどなのだが、それでも、随分と久しぶりに感じられた。
ヴェスリーの取り巻きたちは、俺の姿を認めると挨拶してきた。俺も、彼らに対し、自然に挨拶を返す。色々あったが、彼とは普通に接することができるようになった。
「ダーリン殿」
ヴェスリーの呼びかけに対し、生徒たちは様々な反応を見せる。
ヴェスリーの取り巻きたちは特に気にした素振りを見せなかった。一方、スティラードは何やら関心しているような表情を浮かべている。「ああ、本当にそう呼ばれてるんですね」とでも言いたげな表情だ。
そして、フォキアを含むヴェスリーと面識のない生徒たちはあっけにとられていた。
「ダーリン殿、また同じクラスになることができましたわね」
「うん、同じクラスだね。
君が何かしたのかい?」
「ええ。
頑張りました」
どうやら、このクラス分けは彼女が権力を行使した結果らしい。
彼女と父親の関係は、セエレ失脚以来変わっていない。だから、彼女は父親の名前を勝手に使い、学校関係者に「お願い」したというのだ。
「大丈夫なのか?」
「ダーリン殿と同じクラスになることこそ、何より優先すべきでしたので。
不退転の決意で挑みましたわ」
彼女はいつもどおり強気の表情だ。その強気な顔を見ていると、「なら大丈夫だね」と納得してしまいそうになる。
「ところで、そちらの方がフォキアさん?」
ヴェスリーはフォキアを舐めまわす様に見つめた。彼女は腕を組み、豊かなバストを突き出している。そして、フォキアの胸部を見つめ、余裕の笑みを浮かべた。ヴェスリーの顔には勝利の二文字が浮かんで見える。
「シトレイ、この人誰?」
「彼女はヴェスリー・サイファ。
幼年学校で一緒だったんだ。
私の友人だよ」
「婚約者ですわ」
婚約者の言葉に、フォキアは怪訝そうな表情を浮かべる。
「シトレイ、婚約者って……」
フォキアの言葉は、教室の扉を開ける大きな音で遮られた。担任の教官が入ってきたのだ。俺もフォキアもヴェスリーも、慌てて自分の割り当てられた席へ座った。
「小官が貴様らの担当を受け持つマークベスである」
幼年学校の卒業式の際、マークベス教官は前線に出ることを期待している様子だった。
ああ、俺がヴェスリーにマークベス教官のことを「いい教官だと思う」なんていわなければ、彼は今頃、希望どおり前線で剣を振るっていたのかもしれない。
「士官学校に入学できたからといって安心している者はいないか。
これから、貴様らは士官になるべく厳しい訓練を受けることになる。
覚悟しておけ」
マークベス教官は普段どおりだ。普段どおり、怖い。特に気落ちしている様子はなかった。彼はプロの軍人、立派な社会人なのだ。自分を律することができている。見習いたいと思う。
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マークベス教官の話の後、生徒たちの自己紹介に移った。これも幼年学校と同じ流れだ。
「私はヴェスリー・サイファですわ。
父は軍務次官をしておりますの。
それと、特に申し上げておきたいのですが、私は、そこにいるシトレイ・ハイラール殿の婚約者です。
ですので、ダーリン殿に余計なちょっかいを出さないよう、お願いいたしますわ」
ヴェスリーはクラスの、特に女子生徒の顔を見渡しながら言った。
クラスの女子はヴェスリーとその取り巻きの一人であるアティス、フォキア、そして試験入学してきた銀髪の少女の四人だ。ヴェスリーの強い眼光は、アティスを除く二人の女子生徒に向けられている。
「おい、サイファ。
今は自己紹介の時間だ。
そういう話は他でするように」
「あら、マークベス教官。
仰るとおり、自己紹介ですのよ?
私の立場と考えを、クラスの皆さんに知ってもらう良い機会ではありいませんか」
得意満々で答えるヴェスリーに対し、マークベス教官は普段と変わらない口調で、それでもため息を交えながら席に戻るよう促した。
ヴェスリーを除けば、他の生徒の自己紹介は淡々と、平和に進んでいった。俺もフォキアもスティラードも、当たり障りのない自己紹介を行う。
「シトレイ・ハイラールです。
皆さん、三年間どうぞよろしくお願いします」
俺の短い自己紹介に対し拍手が起こる。温かい、俺を歓迎してくれる拍手だ。
幼年学校のときと比べ、なんと希望に満ち溢れたスタートだろうか。
席に戻った俺は、他の生徒の自己紹介に対し大きな拍手を送った。特に、試験入学してきた生徒たちの自己紹介では、一段と大きな拍手を送る。
既に知り合いのいる俺とは違い、彼らは新しい生活に不安を感じていることだろう。試験入学してきた生徒たちは、ひどく緊張した様子だった。彼らとも良い関係を築き、団結力のあるクラスを作っていくのだ。
「……アスタルテ・ラプヘルです」
自己紹介の最後は、試験入学してきた銀髪の少女である。
透き通るような白い肌と、淡い銀髪を持つ少女だ。全体的に色素が薄い。だけど、それが逆に存在感を引き立てていた。
声量は小さめで、抑揚がなく、落ち着いた印象を受ける。悪く言えば、棒読みのようにも感じられた。
顔は驚くほど端整で、アギレットのように、いや、アギレット以上に、偶像として祭り上げられそうな容姿をしている。
「見てのとおり、私は可憐です」
本人が、自分を指して、可憐という。
「私は、天使のように可憐な少女です。
どうぞよろしく」
お、おう。
これで容姿が並以下だったら、痛々しい女子として、無条件に無視やからかいの対象となっていたことだろう。だけど、彼女は美しかった。
こういう人物が受ける扱いは両極端だ。
ちょっとおかしな美人として受け入れられるか、初っ端から自画自賛をぶちまけたいけ好かない奴としてハブられるか。
他の試験入学してきた生徒たちの、自己紹介での緊張した様子を思い出せば、彼らは普通の高校生に見える。性格はまだわからないが、トラブルを起こすようには見えなかった。
幼年学校から一緒の生徒たちは、基本的に善良な人間ばかりだ。
このクラスなら、ちょっとおかしな生徒がいたとしても、イジメられるようなことはないと思う。
教室を見渡していると、ヴェスリーと目が合った。
彼女は俺を見て微笑むと、前を向いてしまった。
ああ、そういえば、ヴェスリーにイジメられたこともあったな。
あの頃が、遠い昔のことに感じられる。




