#045「ロノウェ・前編」
「問22の答えは……3番!
ロノウェは?」
「僕も3番だよ」
つい先日、僕とフォキアは士官学校の入試を受けた。場所はアスフェンの軍出張所だ。
内容は国語、数学、歴史の一般教養から、軍事、術などの専門科目など多岐にわたる。また実技試験もあり、剣術と体力測定が行われた。
「問23も3番でしょ?」
「そこは2番だよ」
フォキアと違い、僕は剣術も体力も人並みだ。試験に受かるためには、せめて筆記試験は完璧でなくてはならない。
「ロノウェ殿が正解ですな。
そこは2番です」
僕とフォキアの答え合わせでは、時々解答が分かれたのだが、その度にヴロア先生が正解を教えてくれた。こうして自分で採点していくと、どうやら僕の方が、正解が多いみたいだ。
「やった、軍事も完璧だ」
筆記試験は、どの科目も満点に近かった。フォキアも、僕よりは点数が下がるが、充分に合格ラインに達しているとのことだ。
「この分ですと、筆記試験は問題ないようですな。
あとは実技試験の方ですが……」
「ヴロア先生!
あたしは問題ないです。
試験官の人に『今すぐ前線へ来ないか』って誘われたぐらいですから」
昔から運動神経の良かったフォキア。特に剣技において、彼女は既に大人顔負けの腕前を誇っていた。ログレットさんに言わせれば、ハイラール領内で五指に入るとのことだ。ログレットさんは従士筆頭と言っていい立場にあるが、フォキアが望めば、いずれその地位を譲ると公言している。
「ロノウェ殿はどうだったのですかな?」
「僕は……とりあえずは、最後まで受けることができました」
剣の実技も、体力測定も、著しく劣っていると見なされれば、最後まで試験を受けることができないと聞いている。
「なら、大丈夫。
実技は筆記の点数で横並びの者が多かった場合の足切り材料ですからな。
筆記、特に軍事と術が満点に近いのならば、ロノウェ殿は合格したも同然ですよ」
「本当ですか、ヴロア先生」
「ええ。
同時に、この点数ならフォキア殿も合格したと考えていい」
「ありがとうございます、ヴロア先生。
僕も、フォキアも、これだけの点数を取れたのはヴロア先生のおかげです」
シトレイ様が都へ行く際、ヴロア先生を引き止めたらしい。僕やアギレットの家庭教師を続けてくれと頼んだのだ。ヴロア先生はその話を断った。
だけど、断っておきながら、僕の家に雇われる形で家庭教師を続けている。
疑問に思った僕は「なぜシトレイ様の申し出を断ったのですか」とヴロア先生に質問した。僕の家が払う謝礼よりも、領主家から支払われる給金の方が高いはずだ。
僕の疑問に、ヴロア先生は「不相応なお金を得ることはリスクにしかならない」と答えてくれた。お金はたくさん貰えたほうがいいに決まっていると思うのだが、ヴロア先生の言いたいこともなんとなくわかる。
「よし、シトレイ様に手紙を書こう」
「えー、いきなり行って驚かせたほうが面白くない?」
「それじゃあシトレイ様にご迷惑がかかるかもしれないだろう。
僕はともかく、フォキアはハイラール家の家臣じゃないんだ。
いきなり住み込みで仕えますと言っても、追い返されるかもしれないよ」
「シトレイがそんなことするわけないじゃん」
フォキアの言うとおり、シトレイ様なら僕たちを受け入れてくれると思う。いや、フォキアのことは絶対に受け入れてくれるだろう。
だけど、僕のことは受け入れてくれるだろうか。
幼年学校へ一緒に行くことを蹴ったのは僕だ。
我が主なら、以前どおりの怖い笑顔で受け入れてくれるだろう。そう思う一方、頭から不安を追い出すことができないでいた。
もし、いきなり会いに行って拒絶されたら、僕は立ち直れない。だから、事前に手紙で知らせ、お伺いを立てておこうと思う。
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「お兄様、何を書いているの?」
「手紙だよ。
シトレイ様に」
あの事件の直後、憔悴していた様子のアギレットも、今ではすっかり立ち直っている。
きっかけはシトレイ様が訪ねてきてくれたことだ。
食事も喉を通らず、部屋に篭りきりだったアギレットも、シトレイ様が訪ねてきてからご飯を食べ、外に出るようになった。
それでも、男の人を前にするとパニックに陥ったのだが、今ではそれも克服している。最近では、ログレットさんとも普通に話せるようになった。
「僕とフォキアは、おそらく士官学校に入学できると思う。
四月から都へ行くんだ。
アギレットはどうする?」
返事はわかっていた。
アギレットは立ち直ってから、色んなことに挑戦し、そして覚えた。料理を覚え、掃除や洗濯をこなし、そして剣を振るうようになった。
全部、シトレイ様に家臣として仕えるためである。
「もちろん、私も行く」
アギレットは髪を伸ばしている。妹の黒髪はこの三年間で随分と長くなった。長い髪を、白いリボンで束ねている。
髪を伸ばす理由を聞くと、フェニキア様の髪が長かったから、という。同時に、フェニキア様のように自分が金髪だったら、と嘆いていた。
僕は「確かにフェニキア様は素敵な方だったけど、シトレイ様の好みがフェニキア様のような方とは限らない」と言うと、妹は怒った。だけど、「シトレイ様の好み」の部分を妹は否定しなかった。
シトレイ様と別れる際、アギレットへの好意を告白されたのだが、僕もフォキアもヴィーネも、アギレット本人には黙っている。
主君であり大切な友人であるシトレイ様とアギレットの関係は大いに興味がある。だけど、それは本人たちが決め、進める問題でもあった。
それに、シトレイ様は歴とした貴族であり領主様だ。一方、妹は平民である。シトレイ様の気持ちが変わっていなかったとしても、アギレットを正妻として迎えることは難しいだろう。そしてシトレイ様の性格を考えれば、側室や妾を持つことに抵抗を覚えるのではないか。
とにかく、外野が口を挟んでいいとは思えなかった。
「じゃあ、そのことも手紙に書いておくよ。
僕とフォキアとアギレットを都の屋敷に住まわせてもらえるようお願いしてみる」
「うん、ありがとう」
妹は笑う。
妹の笑顔を見ると、立ち直ってくれたことを実感する。シトレイ様にもこの笑顔を見せてあげたいものだ。
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手紙を出した僕は、その後お屋敷へと向かった。
試験の手ごたえを祖父に報告するためだが、それは祖父が帰宅してからでもよかった。もう一人、別の人物にも話しておきたかったのだ。
「ログレットさん。
今日、試験の答え合わせをしたんですが、中々の手ごたえでした。
おそらく、士官学校に入学できると思います」
「そうなると、お前も四月から都へ行くのか」
「はい」
事務処理をしていたログレットさんを捕まえ、試験の手ごたえを報告する。
「そうか。
めでたいことだけど、ヴィーネが悲しむな」
「彼女とは、既に話し合っています」
シトレイ様が旅立った後、僕はヴィーネに告白した。
告白には一生分の勇気を使ったと思う。
彼女とは仲が良かったし、他に好きな人がいるという話も聞いたことがない。彼女と話しているときに、彼女が僕の方を向いて笑ってくれると、もしかしたらヴィーネも僕のことが好きなんじゃないかと期待してしまう。
だけど、やっぱり断られたときのことを考えると不安は大きかった。
僕とヴィーネは釣り合っていない。特に身長が。
僕は男にしては背が低かった。一方、ヴィーネは背が高い。二人で並んでみると、ヴィーネの方がわずかに高かった。
不安は大きかったのだが、そんな僕が告白に踏み切れたのは、これまたシトレイ様のおかげかもしれない。シトレイ様の告白が、恋を身近に感じさせてくれた。彼の言葉がヴィーネとの関係を、仲の良い友人から恋人に進める決意を促したのだ。
結局、フタを開ければヴィーネも僕のことが好きだったらしい。
話を聞くと、彼女も彼女で僕と釣り合わないと悩んでいたという。僕は背の低さにコンプレックスを持っていたが、彼女も背の高さに悩んでいた。
でも、僕と彼女は相思相愛だった。本当に、下らないことで悩んでいたと思う。
「ロノウェ、お前ならきっと立派な軍人になれると思う」
「はい。ありがとうございます」
本当ならヴィーネも連れて行きたい。だけど、僕はまだ半人前である。ヴィーネと一緒に暮らすのは、僕が一人前になって自分で金を稼げるようになってからじゃないとダメだ。
「ログレットさん。
正式な軍人になって戻ってきたら、お義父さんと呼んでいいですか」
「う……。
まぁ、それは、そのときに話そう」
やっぱり、娘を嫁に出す父親の心情は複雑なのだろうか。
僕とヴィーネは、将来一緒になることを約束していた。
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二月初め、シトレイ様から手紙の返事が来た。
返事の内容は短かった。
『ロノウェへ。
士官学校へ来てくれることを大変嬉しく思います。
話したいことがたくさんあります。
君やフォキアやアギレットとの再会を楽しみにしています。
シトレイ 』
「なんか、本当に行っちゃうんだって実感する」
手紙を見たヴィーネは嬉しそうな、寂しそうな顔で答えた。
「仕方ないよ。
僕はシトレイ様の家臣だからね」
目指すものが軍人でなかったとしても、シトレイ様はハイラールを出て行ったと思う。彼はハイラールの領主で満足するような器ではない。
「そうだね。
なら、決まってることは置いといて、決まってないことの話をしよう」
「決まってないこと?」
「うん。
例えば、私とロノウェが結婚した後、どこに住むかとか」
軍人は妻帯を許されている。兵卒の場合は、前線の街に家を持ち、家庭を営んでいることが多い。だが、異動の多い仕官は故郷か都に家庭を持つのが一般的だった。
「ハイラールか、もしくは都に家を持つか、かな」
「都かぁ……。
人の多いところは苦手だな」
「じゃあ、ハイラールにしとく?」
「ううん。
結局は慣れだと思うし、私の我侭でロノウェを縛りたくない」
士官学校を卒業して、最初のうちはシトレイ様と離れるかもしれない。だけど、シトレイ様は皇族だ。軍での昇進も早いだろう。シトレイ様がある程度人事に口を出せるだけの地位まで昇進すれば、僕はシトレイ様の配下の将校となる。
本当は、従士として軍に入れば、ずっとシトレイ様の側で仕えることができる。しかし、それではダメなのだ。僕はシトレイ様の護衛ではなく副将になることを望んでいる。僕自身の出世欲もあった。
いずれにせよ、主と離れるにせよ、主の配下につくにせよ、結局シトレイ様次第である。
「当分はハイラールで大丈夫だと思う。
けど、シトレイ様が都に住むかハイラールに戻るかで将来は変わってくるかな」
「じゃあ、都に出るときのことだけ考えとくね」
「うん」
僕自身は、住む場所はどこでもいい。ヴィーネと一緒に住むことが大事だった。
「ねえ、ロノウェ。
私たち、結構長い間離れるよね?」
「そうだね……毎日、手紙を書くよ」
「うん。待ってる。
浮気しないでね」
「浮気?
僕には無理だ」
そんなこと、恐ろしくてできない。
「ロノウェ、信じてるよ」
「わざわざ言わなくてもわかってるさ。
僕も信じてる。
三年経ったら一緒に住めるから、それまでの辛抱だよ」
ヴィーネと一緒に住むのは当分先だ。
だけど、僕は四月から都に行く。まずは荷造りをしなくてはならない。
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「ロノウェ!
合格したよ!!」
休日の昼間。
広場でヴィーネやアギレットとしゃべっていると、フォキアが走ってやってきた。彼女は手に紙切れを持っている。
「おお、本当だ」
合格通知にはフォキアの名前と、士官学校入学を許可する旨が記してあった。
「さっき配達のおじさんが来たんだ。
ロノウェの家にもそろそろ届いているんじゃない?」
「本当か!
僕、ちょっと家に戻ってみる」
家に向かおうとしたが、その必要はなかった。僕の家の使用人が広場まで合格通知を届けてくれたのである。
「ロノウェ様、通知が来ましたよ!」
「ありがとう」
恰幅のいい使用人のおばさんから封筒を受け取る。フォキアが合格したのだから、僕も合格で間違いないだろう。
「これで僕も軍人かぁ」
「お兄様、軍人になるのは学校を卒業してからだよ?
気が早いと思う」
「シトレイ様と一緒なんだ。
絶対に卒業するさ」
また、主の側で仕えることができるのだ。学校に入るからといってダラダラ過ごすつもりはない。しっかりと卒業し、ハイラール伯爵の側近として、そしてヴィーネの夫として恥ずかしくない立派な軍人になるのだ。
僕は封筒を開けた。
中には一枚の紙切れが入っていた。
「…………」
「合格おめでとう、ロノウェ」
ヴィーネが祝福してくれる。
「…………」
「私も士官学校に進むべきかな。
でも、私は軍人になるよりもシトレイ様の側でお仕えしたい」
アギレットはシトレイ様よりも一つ年下だ。士官学校に進めば、一年間は必ずシトレイ様と離れることになる。そして、軍人になった後、シトレイ様と同じ部隊に配属される保証はない。
妹は剣の稽古をつけている。シトレイ様が前線勤務になり、家臣として同行が許されなくなったら、従士に転向するというのだ。
「…………」
「クラスはどうなるのかな?
やっぱり、どうせ同じ学校ならシトレイやロノウェと一緒のクラスがいい」
なるほど、僕の持つ紙切れには書いてないが、フォキアの持つ合格通知にも、クラス分けは書いてないのだろう。となれば、クラス分けが発表されるのは入学直前になってからだろうか。それとも、入学した後だろうか。
「…………」
「ロノウェ?」
僕の様子を見て、ヴィーネが心配そうに話しかけてきた。
僕は、しばらく言葉を発することができなかった。
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三月初め。
四月の入学時期に合わせるなら、この時期に出立しないと間に合わない。ハイラールから都までは馬車で二十日弱かかる。
この日、僕とアギレットとフォキアはハイラールから旅立った。ただし、僕はアギレットやフォキアと違い、別の目的地へ向かう馬車に乗り込んだ。
アギレットとフォキアが向かう先は言うまでもなく都である。都にはシトレイ様と士官学校が待っている。
一方、僕の目的地はアスフェンだ。このハイラールからは馬車で四日の距離にある。
一体、何がいけなかったのだろうか。
心配だった実技試験はしっかり最後まで行うことができたのだ。ヴロア先生の話によれば、最後までできた時点で実技試験はパスしたも同然だという。
筆記試験は完璧のはずだ。一般教養は言うに及ばず、軍事や術の専門科目だって……いや、そういえば、術の科目で回答欄が一個余ったっけ。あのときは予備だと思っていたが、他の科目の回答欄に予備はなかった。もし、一個ずれて回答していたとすれば術の科目は……。
考えるのはやめよう。
不合格が現実なのだ。
僕は今からアスフェンへ向かう。お爺様に書いてもらった紹介状を持って、シトレイ様の伯父ヴァレヒル公爵様に会う。そこで口添えをしてもらって、その後軍の出張所へ行くのだ。
来年また、士官学校の入学試験を受ける考えはなかった。
受かるかどうかもわからないし、僕は既に成人している。同年代は進学したり働いたりしているのだ。お爺様や両親は許してくれるだろうが、僕自身、浪人でいることは許せない。ヴロア先生に家庭教師をお願いするのだって、タダではないのだ。
それなら、もっと将来のことを考えよう。
僕は軍人として大成することよりも、シトレイ様の副将として、彼を支えることに目標を置いている。将来のことを考えるなら、シトレイ様より先に軍に入って、ある程度の出世を目指したほうがいい。
もともと、幼年学校の三年生に編入し、年齢どおりシトレイ様よりも二年早く軍人になることを考えていたのだ。
一年遅れでシトレイ様の後を追っかけ、主におんぶに抱っこするよりも、軍で見聞を広げた方がシトレイ様の役に立つ気がする。
もう、こうなったら、兵卒から始めるしかない。ヴァレヒル様の口添えは大きなコネだ。どんな手を使ってでも軍人になり、出世してやる。
そうしなければ、シトレイ様に合わせる顔も、ヴィーネを嫁にもらうこともできないではないか。
馬車はハイラールからアスフェンへ続く石畳の街道を進む。
遠くに森や川が見える。
森や川も、皆で遊んだことのある場所だ。ハイラールを旅立って、まだ数分しかたっていないのに、もう郷愁の想いに駆られてしまう。
シトレイ様も旅立つ際はこんな気持ちになったのだろうか。
考えるのはやめよう。
現実は変わらない。
まだ日が昇っているにも関わらず、僕は馬車の中で眠りについた。
半年後、新兵訓練を終えた僕は、東部国境の前線に配属されることになる。




