#044「士官学校へ」
セエレとの決着をつけてからは、とても平和だった。
相変わらず、ヴェスリーは俺のことを所構わずダーリン殿と呼び、いたるところで婚約者アピールをしてくる。
そんな俺とヴェスリーは十五歳を向かえ、成人になった。
ヴェスリーには公爵家の令嬢として男爵夫人の称号が与えられた。
この国は男女平等ではない。女性への所領分割は禁じられていた。それゆえ、領地の名を持たないただの男爵夫人であり、待遇を示す称号以外の何物でもなかった。
そもそも、公爵家の相続人には伯爵の儀礼称号が与えられる。しかし、彼女は長子であっても長男ではなく、相続人では決してなかった。
そのため、一段低い男爵の爵位なのだ。
「どうせ、ダーリン殿と結婚すれば伯爵夫人ですわ。
男爵夫人という称号は、ただの腰かけです」
馬車の中で俺の対面に座る彼女は、まったく気にしていない様子である。
彼女は白いドレスを着ていた。肌の露出が少ないドレスであり、全体的には清楚な感じがするのだが、胸部の大きな膨らみだけは異質に感じる。
俺とヴェスリーは誕生日が同じ月だった。
そのため、月に一度まとめて行われる成人の儀にも、同じ日に参加することになっていたのだ。
今、俺たちは馬車に揺られ、成人の儀が行われる帝都大聖堂へ向かっている。
神の子孫にしては、俺は敬虔とは言いがたい。
恥ずかしながら、三年弱も都に住んでいて、帝都大聖堂を見るのは今日が初めてだった。休日の度に教会へ通いつめる敬虔な信徒から後ろ指をさされるかもしれない。
「うーん」
何とも言えなかった。
帝都大聖堂は確かに大きく立派なのだが、それだけだ。どうしても、ドミニア大聖堂の威容と比べてしまう。
成人の儀は神父の立会いの下、専門の術士を相手に行われる。
内容は新成人の術の適性を計ることだ。確かに大きな節目の儀式ではあったが、やることはそれだけだ。夜には盛大な祝宴が催される予定だったが、成人の儀自体は、ものの十数分で終わったしまった。
「ううむ、見えます、見えますぞ」
普通は神父が立ち会うのだが、俺とヴェスリーは有力者の縁戚だったためか、帝都大聖堂のトップである枢機卿が立ち会ってくれた。
枢機卿は俺の遠い親戚に当たる。
彼はコルベルン王家と同じ四王家の一つであるクラウンス王家の相続人である。年齢は四十代。四白眼の持ち主ではなかった。
「んっ!見えた!
ハイラール伯爵殿は……うん?氷?
そう、氷ですな」
いかにも枢機卿本人が適性を計っているように見えるが、実際に計っているのは専門の術士である。
俺は術士に言われたとおり術道具を並べ、言われたとおりに供物を捧げ、言われたとおりに祈りを捧げ、そして集中した。
術士も同じく供物を捧げ、俺が口にしたものとは別の文言で祈りを捧げる。それで俺の術の適性がわかるらしい。
後から知った話では、相手を攻撃する術のほか、術の発動を感知する術、というものがあるらしい。
術の発動元やその威力、発動先を感知する術だ。それを応用し、こうして術の適性を計ることができると言うのだ。
当然、術の発動に変わりはないから、大変な集中力と体力を使うことになる。
実際の戦場で、何百メートルも離れた相手の術を感知しようとすると、やはり一回で失神してしまうという。こうして術の適性を計る作業も、一日に何人も相手することはできないとのことだ。
「ハイラール伯爵殿は氷です。
訓練を積めば氷系統の術を使うことがでいますぞ」
苦労して適性を計る術士の手柄を、さも自分の手柄のように枢機卿は語る。
「威力は……うん?下?うむ。
まぁ、威力も訓練次第ということで」
どうやら、俺は術士向きではないらしい。
剣もだめ、体力もない。おまけに術も不向きだそうだ。この先やっていけるのだろうか。
帰り道の馬車の中でヴェスリー本人から聞いた話では、彼女は雷の術の適性があり、なおかつ威力は上だそうだ。
彼女は、剣技に優れ、体力を持っていることは野外演習で証明している。術にも適性があるらしい。
俺は軍人として、あらゆる面で彼女に負けていた。
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学校でも、俺とヴェスリーの心地良い関係は続いていた。そして、ヴェスリーの態度に慣れた取り巻きたちとも、俺は自然と話せるようになっていた。
「いやぁ、シトレイ様は本当に優秀ですね。
さすがはコルベルン王家のご令息です」
「そりゃ、どうも」
「それにシトレイ様の、この目つき。
価値のわからぬ者には理解できないでしょうが、このカールセンにはわかります。
これは猛々しい兵の目です。
シトレイ様には勇将の器がある」
「そりゃ、どうも」
俺たちが実のない話に興じていると、ヴェスリーがやってきた。
手にはノートを持っている。
「ダーリン殿、この前、ダーリン殿の同郷の者が士官学校に入ると仰ってましたよね?」
「うん」
「名前を教えて下さらないかしら?」
一ヶ月ほど前に手紙がきた。差出人はロノウェである。
ロノウェの手紙によれば、ロノウェとフォキアが士官学校の入学試験を受けたらしい。難しい試験だったが、二人とも手ごたえを感じたという。今は合否の判定待ちだが、きっと合格するから都の屋敷に住まわせてくれと言ってきたのだ。アギレットも立ち直り、二人についてくると書いてあった。
「ロノウェ・リュメールとフォキア・フィッツブニト」
「えーっと、ロノウェ・リュメールと……
フォキア……フォキア?
フォキア!?
女ですの?」
「そうだよ」
ヴェスリーは眉間に皺を寄せた。
「その女はダーリン殿とどういうご関係で?」
「幼馴染だよ。
幼年学校に入る前は、よく遊んでいた」
「二人で?」
「いや、いつも他の子たちと一緒だった」
ヴェスリーの眉間の皺が消える。
「なら、いいですわ。
フォキア・フィッツブニト、と。
それとダーリン殿。
貴方の同居人、ブルックスと仰いましたっけ?
その方とは仲が良いのですか?」
「良い関係を築けていると思ってる」
「なら、その方もですわね。
えっとブルックス……名前は?スティラード?
スティラード・ブルックス、と」
彼女はノートに名前を書き込んでいる。一体何のためだろうか。
「最後に一つ。
マークベス教官のことはどう思いますの?」
「どう?
そりゃあ、いい教官だと思っているよ」
「そう。
わかりましたわ」
そう言うと、ヴェスリーは再びどこかへ行ってしまった。
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三月。卒業シーズン。
だが、幼年学校においては、ただの通過儀式である。マルコやフリックたちの卒業と同様、別れの場ではなかった。
ヴェスリーやスティラード、そしてクラスの面々と話し込んでいても、悲哀に満ちた雰囲気はまったくなかった。
ある生徒は士官学校への不安を、ある生徒は遊びに行く約束をしていた。別れの言葉は聞こえてこなかった。
しかし、確実に別れるであろう人物が一人だけいる。
マークベス教官だ。
「マークベス教官。
三年間ありがとうございました。
教官には色々と……特に二年の野外演習ではご迷惑をおかけしました」
「ハイラールか。
あのことはいい。
もう罰は与えた。
それに、三年次の野外演習では見事な成績を収めたではないか。
貴様らは反省し、成果に結びつけることができた。
失敗にも意義があったのだ」
三年の野外演習は二年のときのものと同じだった。
俺たちは近道など使わず、正規ルートで勝負した。そして、見事学年二位の順位でゴールすることができたのだ。
……俺が足を引っ張らなければ一位を取れていたかもしれない。
「ありがとうございます。
マークベス教官のご指導は厳しくもありましたが、同時に成長することができました。
今後も、後進の指導にご尽力下さい」
「ああ……、そのことなのだがな。
残念ながら小官は幼年学校を離れることになったのだ」
言葉とは裏腹に、マークベス教官の顔は明るい。
「まだ異動になるという内示だけだ。
どこに異動するかはわからぬが、おそらく前線に出ると思う」
「教官……」
「小官も軍人だ。
前線で戦うことは望むところである。
西でコルベルンと戦うか、東で蛮族どもを相手にするか……。
いずれにせよ、貴様が正式な軍人になったら、またどこかで顔を合わせるかもしれん。
そのときは戦友として会おう。
さらばだ」
マークベス教官は軽い足取りで去っていった。
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講堂を後にし、昇降口から外へ出る。
振り返ると、女神ドミナと太祖アガレスの銅像、そして国旗掲揚台の後ろに古い木造の校舎が建っていた。
左手、遠くには安アパートのような外見の寮が立ち並んでいる。
三年間過ごした幼年学校も、今日でお別れだ。
色々な出来事があったが、俺も少しは成長できたのではないだろうか。そう思いたい。
俺は、そのまま南の正門へ向かって歩き出した。
もう一度、振り返るようなことはしなかった。




