#039「転生者」
オリアス・アンデルシア。
先帝ヴァレヒル四世の長男。今上皇帝アガレス七世やコルベルン王アーモンの長兄にあたる。
801年生まれ。今上皇帝の七つ年上、我が祖父の九つ年上だ。彼は生前、皇太子、アルカエスト専制公の地位にあった。
彼は幼い頃から優秀で、大人顔負けの博識ぶりを誇っていたらしい。知識欲旺盛で、周囲の家臣たちへの気遣いもできる好人物だった。父帝ヴァレヒル四世や重臣たちは英邁な皇太子に期待した。我が祖父アーモンも小さい頃から頭が良かったから、オリアスとは仲が良かったらしい。
そんな周囲の期待を一身に集めたオリアスも、即位することなく亡くなった。
死因は暗殺。
820年、彼は東宮の一室で殺された。享年十八歳。あと半月もすれば、十九歳の誕生日を迎える予定だった。
『……暗殺者はオリアス殿下と弟君アーモン殿下を標的としていた。
オリアス殿下は幼いアーモン殿下を庇うため、暗殺者に立ち向かい、その凶刃の前に倒れた。
衛兵が現場に駆けつけたときには、既に暗殺者の姿はなく、オリアス殿下の亡骸と泣き叫ぶアーモン殿下のみが残されていたという。
将来を嘱望された皇太子殿下の若き死は、父帝ヴァレヒル陛下をはじめ、貴族、民衆を問わず帝国全土を深い悲しみの中に落とした。
とりわけ、兄君の死を目の当たりにしたアーモン殿下は深い心の傷を負われた。
それでも、アーモン殿下は兄の仇をとるべく気丈に振舞われ、進んで捜査に協力なされた。
アーモン殿下の証言により、容疑者五十名が逮捕された。
ヴァレヒル陛下は容疑者五十名を処刑し、亡き皇太子殿下の霊を慰められた。
なお、当時の東宮侍従長および侍従武官は、事件の責任を問われ死を賜った』
「……ふう」
俺は分厚い本を閉じた。
幼年学校は十二、十三~十五歳の子供が通う学校であり、前世の中学校に相当する。その中学校のものには思えないほど、幼年学校の図書室は蔵書が豊富だった。おおよそ、中学生向けとは思えない専門書が何冊も置いてある。
俺が読んでいたのは、先帝ヴァレヒル四世時代の出来事を記した歴史書だった。この世界においては近現代史の区分を扱うシリーズ物の一冊である。
オリアス・アンデルシアのことを調べるため、昔の紳士録や皇族を扱った本を読み漁っていたのだが、いずれも早世した皇太子について簡単な事跡しか触れていなかった。そんな中で、この歴史書だけは彼の人生について詳細なところまで記されていたのだ。
「よくわからないな」
オリアスは殺された。現場には祖父もいたらしい。
事件も事件、大事件ではあったが、半世紀も前の話だ。オリアス・アンデルシアは既に歴史上の人物になっている。
一体、こんな昔話と、セエレが俺に害意を抱いていたことに何の関係があるのだろうか。
俺は再び歴史書を開くと、パラパラとページをめくった。
しかし、我が曽祖父は暴君だったのだろうか。
いかに期待していた息子が殺されたとはいえ、犯人ではなく『容疑者』を五十人も処刑したのだ。皇帝批判に当たるためか明確には書かれていなかったが、おそらく正式な裁判などしなかったのだろう。いかに専制国家と言えども、こんな極端なやり方には到底賛成できない。
ページをめくっていた俺は、ふと一つの挿絵に目を奪われた。
挿絵はヴァレヒル四世とその家族を描いたものだった。祖父らしき、目の細い幼児が写されている。祖父が五歳ぐらいのときのものだろうか。
祖父の隣には、十五歳ぐらいの少年が写っていた。
少年は俺とセエレを足して二で割ったような容姿をしている。銀髪で中肉中背。
そして、四白眼。
「……ひどい目つきだ」
いつか、祖父が語ったオカルト話を思い出す。
彼は四白眼を、俺やセエレが太祖アガレスの生まれ変わりである根拠においていた。なぜ太祖の生まれ変わりが二人もいるのか、と祖父の主張を否定したものだ。
しかし、俺は太祖アガレスの生まれ変わりで間違いない。そして、同じ四白眼を持つセエレも、自ら転生者であると言っている。
殺されたオリアス・アンデルシアは、俺やセエレと同じ瞳を持っていた。
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「何かわかりましたか」
放課後、俺はセエレを再び例の林へと呼び出した。
「オリアス・アンデルシアは四白眼を持っていました。
彼は優秀で期待されていました。しかし暗殺されました」
「ええ。
そして、その殺害現場にはコルベルン王がいました」
祖父が現場に居合わせた。
祖父の証言によって容疑者五十人が捕まえられたが犯人は特定されなかった。結局、容疑者を全て処刑して事件の幕引きが図られた。
「祖父が殺したとでも言いたいのですか。
しかし、祖父は当時十歳の子供でした。
十歳の子供に人を殺すことができるでしょうか?
人を殺そうなどと考えるでしょうか?」
「普通の子供なら考えないでしょう。
そう、コルベルン王が普通の子供だったのなら、ね。
……シトレイ君、君も薄々気づいているのではないですか?」
祖父は幼少の頃から頭が良かった。早熟の天才で、小さい頃から難しい本を読み、同世代の子供に比べはるかに早いペースで学習を進めていったらしい。
まるで、前世の記憶を使って優秀な子供を演じていた俺のようだ。
「……転生者は、何人もいるのですか」
「この世の人間は全て転生者ですよ。
皆、輪廻転生の輪の中にいます。死んだら、皆転生します。
前世の神様から説明は受けなかったのですか?」
「それは知っています。
私が言いたいのは、前世の記憶を持った転生者が何人もいるのかということです」
「ええ。
何人もいます。
同時に、一人しかいません」
「もう少し、わかりやすく教えては頂けませんか」
セエレを呼び出したのは、言葉遊びが目的ではない。
俺は答えを急かした。
「シトレイ君は、太祖アガレスの生まれ変わりだという自覚がありますか?」
「……はい」
「実は、吾輩も太祖の生まれ変わりなのです」
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セエレは自らの中身や、転生時の顛末を語った。
彼は地球とはまた別の世界に生れ落ち、死に、そしてこの世界へ転生したという。セエレの体験談は俺の経験したこととあまり変わらなかった。
彼は前世で死んだ後、白い部屋へ連れていかれた。そこで俺と同じく前世の神に説明を受け、その後赤ん坊として人生を再スタートさせた。
「この『吾輩』という一人称が、この世界で最初に覚えた言葉でした。
父が使っていたものですが、同時に前世の世界での一人称と発音が似ていたのです。
なぜかは知りませんが、この一人称以外を使おうとすると、体が拒否するというか、吃ってしまうのです」
俺と同様、彼も言語取得に苦労したらしい。
だが、俺とは違う部分もあった。
前世の神の説明だ。
「前世の神様に、吾輩が太祖アガレスの生まれ変わりだと断言されました。
同時に、太祖の生まれ変わりは複数いるとも聞かされました」
「私はそんな説明聞いていない……」
『四〇〇年前の貴方は、立派な人物だったらしく、
その子孫は王侯貴族として続いているようです』
神を名乗る面接官の言葉を思い出す。そもそも、俺は自分が太祖アガレスの生まれ変わりであると断言されたわけではなかった。
「いえ、貴方も太祖の生まれ変わりだと思います。
吾輩の前世の神様が太祖の転生者は複数いると言っていましたから。
しかし、言っては何ですが、シトレイ君の前世の神様は随分と不親切ではないですか」
「……」
あのときはわざわざこっちの世界まで追っかけてきて説明し直してくれたのだ。むしろ親切だと思う。しかし、セエレが受けた説明に比べ、情報が少ないのは事実だった。
「それでは、同じ魂と血を持つ者は同じ特徴を持って生まれてくる……つまり、太祖アガレスの生まれ変わりが太祖の子孫に転生したとき、四白眼を持って生まれてくるという話は?」
「初耳です」
太祖の生まれ変わりは複数いて、皆四白眼を持って生まれてくる。その前提でいけば、俺やセエレ、そしてオリアス・アンデルシアは太祖の転生者で間違いなかった。そして……
「シトレイ君、君はコルベルン王の瞳を見たことがありますか?」
祖父は開いているのか閉じているのかわからないほど目が細い。糸目というやつだ。彼の瞳を見たことはなかった。
祖父が転生者の証である四白眼を持っているか、それはわからない。転生者である証拠はない。だが、幼少時から博識だったこと、よく転生の話をしてきたことは無視できなかった。
そもそも、転生の話をすること自体怪しいのだ。この国の人間が転生という言葉を口にすることはほとんどない。
ドミナ教の教えに転生という概念はなかった。死んだら、善人は天国のドミナ様の元へ行き幸福に暮らす。悪人は地獄に落ち、悪魔の責め苦を受ける。それがドミナ教の教えだ。
転生という語自体、ドミナ教ができる前の古代宗教や民間信仰の中に残っているだけである。下手に転生という言葉を口にすれば、異教徒扱いを受ける恐れもあった。ドミナ教徒が、しかも女神の子孫という立場の人間がことさら使う言葉ではなかった。
「そう、吾輩はコルベルン王が我々と同じ太祖の生まれ変わりであると考えています。
同時に、彼は他の転生者に対し敵意を持っている」
「祖父が転生者だとして、なぜ他の転生者に敵意を持っていると断言できるのですか」
「……吾輩は、コルベルン王から暗殺されかけたことがあります」
話題は、転生者についての話から、祖父とセエレの水面下での対立へと移っていった。
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セエレは転生した当初、俺と同じようなことを考えていたらしい。
彼はまずこの世界の知識を収集し、前世での知識を活かして学問を深めた。周囲は彼のことを天才児と騒ぎ立てたという。俺を含め大伯父や祖父もそうだが、転生者本人の考えも、周りの反応も一緒らしい。
セエレは学問を深めつつ、女神ドミナの降臨を待つことにした。
女神の意図はわからないが、ずっと前の前世では夫婦だったのだ。単純に、彼女と会いたいと思ったのだそうだ。
しかし、セエレには、俺が抱かなかった不安があった。
複数いるという他の転生者たちへの不安である。
他の転生者と出会ったとき、彼らは自分を自らの分身として歓迎してくれるのであろうか。それとも、女神ドミナの寵愛を競う競争相手として敵対してくるのだろうか。
セエレは不安と戦いながら、日々を過ごしていった。
「最初にコルベルン王と会ったのは、吾輩の父の葬儀でした。
そして、彼は吾輩に転生の話をしてきました」
祖父が転生者ではないかと疑ったセエレは、すぐに祖父のことを調べた。そして、オリアス・アンデルシア暗殺事件の顛末を知ったのである。
「大伯父さんを殺した犯人はコルベルン王ではないかと思いました。
ですが、証拠はありません。
そもそも、そのときはコルベルン王殿下が転生者であるという確信が持てなかった。
彼の瞳を見ることができませんでしたからね。
もしかしたら、ただのオカルト好きな老人なのではないかと」
しかし、セエレが確信を得る事件がすぐに起きた。セエレを狙った暗殺未遂事件が起きたのだ。
「犯人はコルベルン王に近い貴族でした。
コルベルン王はすぐに犯人を処刑しましたが、吾輩には失敗した者を切り捨てたようにしか見えませんでした」
命の危機を前に、セエレは祖父が自分に対し敵意を持っていると確信した。
もはや、ただのオカルト好きの老人とは思えなくなっていた。暗殺未遂も、祖父の差し金であることに疑いを抱くことはなかった。
祖父に敵意を持たれる理由は、自分が転生者であること以外思いつかない。
祖父は他の転生者に対し敵意を持っているのではないか。オリアス・アンデルシアは祖父に殺されたのではないか。そして、次に殺されるのは自分ではないか。
セエレは暗殺者の魔手から生き延びた。だが、恐怖は大きかった。彼は命の危険を感じ、怯えて暮らしたという。
「侍従に相談しても無駄でした。
コルベルン王がそのようなことをするはずがない、現に彼は犯人を処断している、とね。
よくよく考えれば、侍従も宮内府の官僚。皆政府の役人です。宰相に逆らうはずがありませんでした」
そんな中、セエレが唯一味方に思えたのが伯父にあたるサイファ公爵だったらしい。サイファ公爵は祖父と対立し、その影響力の外にいる人物だった。
セエレは十二歳になると幼年学校へ進んだ。
敵は国政を握る宰相である。セエレが生き残るためには宰相と対立するサイファ公爵を頼るしかなかった。
軍の学校に進むことは、政治的に中立と見られていた自分がサイファ公爵側の人間であるという意志表示だったらしい。
それでも、息子を軍に送り込み、孫も同じく軍人を目指していた祖父アーモンにとって、セエレは未だ政治的には中立と見られていたのだが。
セエレは、将来正式な軍人になれば、軍務次官派であることを宣言するつもりでもあった。
「そう、この学校にいるときだけは心が安らぎましたよ。
ですが、それも一年あまりで終わりを告げました」
コルベルン王の孫、そして四白眼を持った男が入学してきたのである。
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「シトレイ君のことを聞いたときは焦りました。
瞳のことを考えれば、君は間違いなく転生者。
しかも、君はコルベルン王の下でも生きながらえていた」
祖父に操られているにせよ、結託しているにせよ、セエレにとって俺は祖父の意を受けて近づいてきた人間に思えたらしい。
「吾輩は君が怖かった。
そして、君を遠ざけることを考えるようになりました」
俺とヴェスリーを対立させる。
俺が問題を起こし、退学になることを期待してのことだった。同時にヴェスリーとの婚約話が破談になれば、祖父とサイファ公爵の政争再開を誘発できる。
セエレにとって、後ろ盾であるサイファ公爵が祖父と和解することは、自分が再び危機に晒されることと同義であった。
「ですが、君はヴェスリーとの対決に決着をつけました。
その後もヴェスリーに君の悪意を吹き込んだり、噂を流してみたりしましたが、そんなことでは何にもならないと、吾輩自身わかっていたのです」
失敗はセエレを手詰まりにさせた。そして、皇太孫の結婚式での祖父の話が、セエレに危機感を抱かせた。
「君とコルベルン王のやりとりは、吾輩には白々しい演技に見えました。
吾輩の正体も考えも全て知っている、と宣言されたように聞こえたのです」
そこにきて俺とヴェスリーの婚約成立である。追い詰められたセエレは、俺の抹殺を考え始めた。それが、野外演習の一件につながったという。
「……ずいぶんと、自分の策謀や失敗を正直に話すのですね」
「正直に、包み隠さず話すことこそ誠実だと思うのです。
君には味方になってもらいたい」
「私に?」
セエレは姿勢を正し、向き直ると俺に頭を下げた。
「これまでのことは吾輩の誤解でした。
もっと早く、こうして君と話し合うべきでした。
君には味方になってほしいのです。
吾輩と一緒に、大きな敵に立ち向かってほしい」
大きな敵。祖父。
「……嫌だと言ったら?」
「言ってほしくない。
言ってほしくないですが、そのときは……君を殺すしかない」
この話をする前、セエレに『引き返せなくなる』と言われた。
事実だった。
俺は祖父とセエレの暗闘を知ってしまったのだ。祖父かセエレか、どちらの側につくか迫られている。
「……君を殺すと言っても、脅しにはならないでしょう。
君は来世の存在を知っている人間だ。死は怖くないはず。
ですが、ラングフォード君やフリック君を殺すと言ったらどうです?
彼らは来世を知らない。彼らにとって、今の人生が全てだ」
「セエレ……!」
「吾輩だって、こんなことは言いたくないのです。
ですが、よく考えて下さい。
コルベルン王は他の転生者に対し確実に敵意を持っている。
大伯父さんは殺されました。そして吾輩が殺されれば、残りはシトレイ君だけです。
君にとっても、明日は我が身のはず」
祖父に殺される。
今まで祖父には助けてもらうことが多かった。それも全て、演技なのだろうか。なるほど、俺は祖父を味方だと信じきっていた。祖父にとって、俺は御しやすい相手なのかも知れない。祖父への疑念が頭をよぎる。
「……一つお聞きしたい。
祖父を倒し、貴方は何を目指すのですか」
「吾輩は……帝位を目指します」
セエレは軽く頷いた。
「シトレイ君の前世の世界のことはわかりません。
ですが、吾輩の前世に比べ、この世界、この国はひどい有様です。
国境では常に戦乱が絶えません。時には万単位の兵や民が犠牲になっています。
そのことに責任を負うべき貴族たちは、平和な都で政争に明け暮れています。
吾輩はこの現状を変えたい」
セエレは俺に手を差し伸べる。
「吾輩は帝位につき、女神ドミナ様をお迎えします。
そして、女神ドミナ様と共に、民の幸福を目指します。
吾輩には召使はいますが、同志がいないのです。
手足となって動いてくれる人間はいますが、志を分かち合ってくれる仲間がいないのです。
シトレイ君には、その仲間になってもらいたい」
俺はセエレの手を取り、そして跪いた。
「貴方の大義に賛同します。
貴方に忠誠を誓います。セエレ殿下」
「ありがとう、シトレイ君」




