#035「野外演習」
野外演習は生徒たちの体力向上の成果と、集団行動の巧みさを競うイベントである。
軍で支給される両刃の片手剣、大盾、三日分の食糧と水、つるはし、杭、テントを張るための天幕を担ぎ、クラスごとに隊を組んで行軍する。荷物の重さは二十キロ、距離は十五キロにおよぶ。
「……で、あるかして、諸君らの日々の精進の成果に期待するところ大である。
そして諸君らの……」
演習が始まる前、校長の挨拶が挟まれたのだが、これがまた長い。入学式やその他の行事でも必ず挨拶に立つ校長の話は、いつも異様に長かった。どこの世界、どこの国でも、校長の話が長いというのは共通らしい。
この校長の挨拶の間も、俺たちは荷物を背負っているのだ。まだ始まってもいないのだが、体力的に辛い。
校長の挨拶が終わると、いよいよ野外演習が始まる。
スタート地点は帝都の西門前。ここから、北西の位置にある都の外港まで街道を使って目指す。
この国を網目のように走る街道は、元々は軍用道路だった。兵や騎馬の行軍を楽にするため、できる限り平坦でまっすぐに引かれている。平たい石によって舗装され、水はけがよく、道の左右には側溝まで作られていた。
こうした街道の事情は知っていた。だから、俺はヴェスリーの提案に反対したのだ。
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「近道を使います」
昨日の放課後、ヴェスリーはクラス全員を招集した。場所は放課後となると人も疎らになる軍事教練場の隅だった。
いつもは彼女に無視されている俺まで呼び出されたので、何事かと思ったが、なるほど、野外演習はクラスごとの速さを競うものだ。野外演習に限っては、クラスの一員である俺を無視するわけにはいかないのだろう。
俺とヴェスリーは非常にドライな関係だ。婚約者だったし、いつぞや、図らずしも彼女をガラの悪い男から助けてやったこともある。しかし、だからといって彼女との関係は何も変わらなかった。
「特別な地図を入手したのですわ」
ヴェスリーは大きな地図を広げる。帝都周辺の地図のようだ。
そこには朱線と、同じ色の丸印が何個か書き込まれていた。
「この赤い線は、近道ですわ。
そして、赤い丸印は教官が立っている場所。
この赤い線どおりに進めば、教官に見つかることなく、四キロほど距離を短縮することができるのです!」
正規のルートは、帝都の西門からまっすぐ西へ進み、その後北に折れて、海岸線まで達したら再び西へ進む。
一方、朱線は門から西へまっすぐ進むところまでは同じだが、北へ折れた後すぐに左手の森へ入っていた。森を直進すれば、目的地である外港の南に出るようだ。森の出口から外港まで五百メートルもないように見える。
「さすがヴェスリー様!」「我々は勝ったも同然です!」などと、取り巻きのリア充グループが騒ぎ立てる。非リア充グループも、辛い行軍を少しでも短縮できると期待に満ちた顔色をしていた。
「反対だ」
反対したのは俺一人だけだった。最初、ヴェスリーは俺を無視した。騒いでいた周りは黙ってしまった。
「何か意見がある人は?」
「私は反対だ」
「いませんか?」
「無視するな、私は反対だ」
俺は頑なに反対を言い続けた。無視することを諦めたヴェスリーが、イラついた顔でこちらを見てくる。
「私の提案だから反対ですの?」
「そんなことはない」
そんなことはある。ヴェスリーの提案に、素直に乗るのは癪に障る。だが、他にもヴェスリーの提案に反対すべき理由があった。
「野外演習の行軍ルートは毎年同じだ。
本当にそんな近道があるならもっと有名になっているはずだし、教官たちも警戒するはずだ。
だいたい、教官たちが立っているなら、どのクラスが通過したか確認するのではないか?」
「それはありません。
地図を見ればわかるとおり、教官は街道の分岐点に立っています。
あくまで誘導のために立っているだけで、確認まではしないという情報を得ています」
本当だろうか。そんな情報、いったいどこから手に入れたのだ。そもそも、地図の出所はどこなのだろう。
彼女は表情はいつもどおり強気で、態度は自信に満ち溢れたものだ。そして俺へ敵意を向けている。どうせ、情報の出所を聞いても教えてくれないだろうな。
いずれにせよ、彼女の話が本当だとしても、やっぱり反対だ。
教官が確認するか否かはおいておくにしても、近道の話自体、マルコやフリックの情報網に引っかからないはずがない。
「やはり反対だ。
仮に、距離を短縮できるとしても、街道を行くより困難が予想される。
楽に距離を稼げるなら、元々そっちの方に街道が引かれているはずだ」
街道は、できる限り平坦にまっすぐ引かれる。
帝都から外港までは直線距離ならば十キロもないだろう。なのに、街道はわざわざ森を北に迂回しており、結果的に十五キロの距離に伸びてしまっている。
きっと、まっすぐな街道を通すことが難しいぐらい、地形が険しいのだ。そんなところに足を踏み入れては、距離は短縮できても時間は短縮できない。
だから、俺はヴェスリーの提案に反対だった。
俺の反対意見を聞いて、ヴェスリーはしばし考え込んだ。だが、再び口を開くと、近道をすることを再度主張した。
「これは、信頼できる情報筋から得たものです。
貴方の意見より、よっぽど信憑性のある情報ですわ」
なんだ、君こそ「俺の」意見だから信憑性がないとか言っているじゃないか。
「それに、もしかして、貴方は卑怯なやり方だから反対とでも仰るのですか?」
卑怯、卑怯じゃないという論議は、俺は無関心だった。俺は結果を得るためには、人の道に外れない限りどんな選択肢でも排除すべきではないと思っている。
思えば、ヴェスリーのイジメに反撃した際も、とても全うな方法ではなかった。
大勢の人数で取り囲んだのはほとんど脅迫だったし、その大勢の生徒たちを集めたのはマルコだった。そして、後始末をしてくれたのはセエレ先輩である。
彼女への反撃は全うな方法ではなかった。俺が努力した結果とも言いがたい。卑怯か卑怯ではないかと問われれば、卑怯な方法だったかもしれない。
だが、その後は比較的平穏な学生生活を送ることができた。
「私だって、方法よりも結果が大事だとは思っている」
「なら、文句はありませんわね?」
「いや、だから反対理由はさっき言っただろう」
俺とヴェスリーの議論は堂々巡りを繰り返した。
やがて、ヴェスリーの提案で近道をするか否かが多数決にかけられた。賛成四名、反対一名。言うまでもなく、賛成はヴェスリーを含むリア充グループの面々。反対は俺一人。
しかし、驚いたことに非リア充グループの四名は揃いも揃って棄権した。理由を問いただすと、「ハイラール伯爵の意見も一理ある」とのことだ。彼らはヴェスリーの前で棄権し、そして理由を言ったのである。彼らの勇気のある行動に、俺は少し感動してしまった。上から目線も甚だしいが、彼らはしっかり成長してると思う。
俺は、どちらの意見も過半数に達していないから多数決は無効だと主張した。ヴェスリーは賛成のほうが反対よりも多いから決定だと言い張る。
ここで再び言い争いになったのだが、最後に、ヴェスリーは自分たちだけでも近道を使うと主張を押し通してきた。
ヴェスリーの我侭は、歳相応のものだ。まったく、発育具合に騙されそうになる。
しかし、困ったことになった。
俺は反対だ、とクラスから離れて単独行動しても、それはそれで発見されれば教官に怒られてしまうのだ。
では教官に密告するか。
だが、それだって怒られるのは同じだ。十人隊を模したクラスという単位が学校生活の基本となる。幼年学校で大きな不祥事や校則違反が表ざたになると、クラス全員で連帯責任を取らされるのが常であった。小さなことなら当事者の懲罰室行きで済むが、クラス九人中四人が加担していたとなると、クラス単位で罰せられるだろう。そもそも、十人隊が二つに分裂すること自体、罰の対象になる。
理不尽極まりないが、それが軍隊、組織というものだった。
あるいは、密告者は助けられるかもしれない。だが、その場合でも残りの生徒が罰せられるのは免れないだろう。ヴェスリーたちは罰を受けて当然だと思うが、非リア充グループの四人を巻き込むことになる。
罰を回避するためには、彼女の提案に乗るしかなかった。声の大きい者が得をする。これまた理不尽極まりなかった。
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クラスの謀議から解放された後、俺は例の近道について情報を集めた。しかし、野外演習は明日に迫っていたし、学内で話せる人間はマルコ、フリック、セエレ先輩、スティラード、そして我が家の家臣である先輩方しかいなかった。情報収集と言っても、その彼らに話しを聞いただけである。
寮住まいのマルコ、フリック、スティラード、そして家臣団と違い、セエレ先輩は学外の東宮から通っている。既に放課後に入ってからだいぶ時間がたっていたため、俺はセエレ先輩から話を聞くことを諦めていた。だが、軍事教練場から寮へ向かう際、昇降口前の広場でセエレ先輩と偶然出くわし、彼に話を聞くことができた。
「ヴェスリー・サイファが近道を記した地図を持っていたのですが、
セエレ先輩は近道の存在を聞いたことがありますか?」
「さて、吾輩も初耳ですね。
本当にそんなものがあるなら、もっと有名になっていると思うのですが」
セエレ先輩は俺と同じ見解を述べた。
「私もそう思います。
しかし、私は反対したのですが、結局はヴェスリー・サイファに押し切られてしまいました。
その近道を使うことが決定してしまったのです」
「う~ん、森と言っても、都のすぐそばですから、それほど危険があるとも思えませんが……。
いずれにせよ、用心して下さい」
セエレ先輩と別れた俺は、今度はマルコとフリック、そして俺の家臣である先輩方を捕まえて話を聞いた。彼らの意見も、セエレ先輩のものと同じだった。
「街道の横の森か。
去年の野外演習の時に見たけど、すごい深そうな森だった。
とても二十キロの荷物を背負って探検しようとは思わなかったな。
本当にあそこを突っ切るのか。気をつけろよ」
「まぁ、でもいいこと聞いたでゲス。
もしシトレイ君たちが近道に成功したら、私たちも使わせてもらうでゲス」
三年の野外演習は、二年生の後に行われる。俺はマルコから忠告を受けると同時に、フリックから斥候の役目を頼まれてしまった。
既に近道を使うことは、クラスの決定事項だ。先輩たちが言う通り、用心していこう。
上級生たちから話を聞いた俺は、最後に同居人スティラードに相談した。結局、先輩方からは有益な情報が得られなかったが、スティラードの話はそれ以下だった。
「シトレイ様、じゃないシトレイ!
ぜひ、自分にも近道を教えて下さい!」
彼は目を輝かせている。だめだ、話にならない。
とにかく、本番は明日だ。
ヴェスリーたちと、和気藹々とおしゃべりしながらハイキングなんてできないだろう。非リア充グループの面々とは楽しくやれるかもしれないが、何より俺の体力が持たないと思う。
それならば、後ろからついていこう。
どうせ、先頭はヴェスリーたちが行くのだ。彼女たちリア充グループこそ近道推進派だった。
先頭をリア充グループ、その次が非リア充グループ、そして最後に俺。クラスの立ち位置的にも、体力的にも、この順番が一番しっくりくる。
後方から観察し、何か危険なことがあったら真っ先に逃げてやる。非リア充グループには危険があったら知らせてやろう。ヴェスリーと取り巻きたちのことは知らん。
床に就いた俺は、そう考えながら眠りに落ちた。
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街道を西に進み、北へ折れるところに森の入口がある。ここには教官が立っていた。俺たち一組は教官に敬礼した後、北へ進む。
森を左手に進む際、何度か看板に出くわした。
『森の中は大変危険です。
無許可での立ち入りを禁じます。
内務府森林局』
看板を見た生徒たちに動揺が走る。
「ヴェスリー様、森に入っても大丈夫でしょうか……?」
「国有林への立ち入りを制限するための脅し文句ですわ。
地図どおりに行けば、なにも問題ありません」
ヴェスリーが自説を曲げることはなかった。
街道を北に折れて三百メートルぐらい進んだところで左手の森へと入る。
この時点で、俺は体力の限界に達していた。
後方から観察とか、そんな余裕はまったくない。俺は剣を杖にしながら、息も切れ切れに足を引きずっていた。
「ちょっと……、休憩、休憩だ」
非リア充グループも苦しそうな表情を浮かべながら休憩に同意する。しかし、先頭を行くヴェスリーは俺たちの声を無視した。
「おい!休憩だ!
じゃないと今すぐ街道に取って返して教官に言いつけるぞ!」
「チッ」
ヴェスリーは舌打ちすると、休憩に入るよう生徒たちに指示した。
生徒たちはその場に座り込み、水を飲み始めた。話し声は疎らだ。授業の合間のようにおしゃべりをする気力はないのだろう。
俺は水を飲むと、大きな荷物を背もたれにし、横になった。見ると、他の生徒たちも同じ姿勢で休憩をとっている。彼らも彼らで疲労困憊といった様子だった。当たり前である。まだ体の出来上がっていない十三~十四歳の少年少女が重い荷物を背負って歩くのだ。
生徒たちがだらしなく地べたに寝転がり、休憩を取る中、ヴェスリーだけはずっと立っていた。彼女は腕を組み、森の奥を見つめている。いつもどおりの、強気な表情だ。腕を組んでいるせいで、豊かな胸が強調される。休憩の間、俺はボーッと彼女の胸部を見つめていた。
休憩を切り上げ、行軍を再開する。
俺たちのクラスは、ヴェスリーの持つ地図の朱線どおりに森を直進した。
困難に直面したのは、森に入って一キロほど進んだときだった。
緑の木々ばかりだった視界が開けたと思ったら、広大な沼地が広がっていたのである。
森に街道を通さなかった理由はこれだった。軍靴はロングブーツのような仕様だったから、足元の汚れは気にならない。だが、足を取られ、重い荷物も相まって危うく転倒しそうになった生徒が幾人もいた。
「ギュエー、ギュエーッ!グロロロロロ……」
泥に悪戦苦闘する中、低い唸り声のような、何かの生物の鳴き声が聞こえた。ついで、軽い地響きを感じる。何か、大きな生物がこちらに近づいている。
動物図鑑を何冊か読破していた俺は、こういった沼地に好んで生息する、大型生物を知っていた。トード属だ。
生徒たちは沈黙し、息を殺す。
あたりが急に静かになった。もしかしたら、やり過ごすことができたのだろうか。
そう思ったのもつかの間、俺たちの前方、十メートル先に、赤茶色の物体が飛び出してきた。物体が着地した際の大きな衝撃により、沼の泥が吹き飛び、俺たちに降りかかる。
泥を振り払うと、飛び出してきた物体を確認することができた。やはりトードだ。動物図鑑で見たことがある。
怪物トード。個体差は激しいが最小でも体長は1.5メートル、最大で4メートルにもなるらしい。
目の前の物体は山のようにでかかった。冷静に見れば3メートルぐらいの大きさであろう。だが、その不気味な外見も相まって、何倍もの大きさに感じられた。
「こ、殺される!!」
最初に悲鳴を上げて逃げ出したのは、ヴェスリーの取り巻きの男だった。よくヴェスリーにおべっかを使っていた取り巻きの男。名前は忘れた。
他の生徒たちも取り巻きの男に続き、重い荷物を捨てて我先に逃げ出す。
そして俺もそれに習った。
生徒たちは皆混乱しているようだ。皆が皆、闇雲に四方八方へ逃げている。パニック状態に陥っている。
「おい!来た道を逃げるんだ!
そっちは何があるかわからないぞ!」
どこまで沼地が続いているかわからないし、トードがこの一匹だけとも限らない。一番安全性が高いのは、来た道を取って返すことだった。
非リア充グループの面々はともかく、俺を散々無視してくれた取り巻き連中の安全など気にかける必要はない。そう思ったのだが、それでも、俺は声をかけることだけはした。
そうして、再び、泥に苦戦しながらも来た道を逃げる。
逃げながら、ふと怪物トードの方を見る。よかった、追ってきてはいないようだ。
だが、同時に俺は怪物トードが一点をじっと見つめていることに気づいた。怪物トードの視線の先には、ヴェスリーがいる。彼女は逃げもせずに突っ立っていた。
アズマヒキガエルをそのまま大きくしたような怪物トードと、彼女は見つめ合っていた。ヴェスリーは目を真ん丸くし、口が半開きになっている。恐怖のあまり固まってしまっているようだ。
ざまぁ見ろ。そのまま怪物トードにやられてしまえばいい。
「おい!何をしている!」
ヴェスリーを助ける義理などない。むしろ恨みすらある。彼女がどうなろうと何とも思わない。だけど、俺は何故か逃げるのをやめ、ヴェスリーの方へ向かっていた。
本当に、ヴェスリーがどうなろうと知ったことではないのだが、ガラの悪い男に絡まれていたときと同様、何故か俺の頭から彼女の泣き顔が離れなかったのだ。
彼女は未だに固まっている。俺は捨てられていた荷物から剣と盾を拾い、構える。
動物図鑑の記述や、父やログレットから話を聞いたことがある。トード属は体こそ大きいが、皮膚は柔らかく、鋭い牙やツメを持っているわけでもない。
ナワバリに入らなければ、人間を襲うこともない。今現在は襲われているわけだが、それは俺たちが知らず知らずのうちに怪物トードのナワバリに足を踏み入れてしまったのだろう。
怪物トードは人間を食うことはない。虫を主食としている。虫を栄養源として、なぜ巨体を維持できるのか大いに疑問だが、その巨体に潰されることさえ気をつければ、簡単に仕留めることができるとのことだ。
一対一で勝負しなければ、そして武器を持っていれば、まず負けない。
ゆえに、害獣討伐でも優先度が低く、ゲームで言うところの最初の街の周辺に出現するモンスターのような扱いだった。
だが、簡単に倒せるというのは、訓練された軍人や従士たちを基準にした考えであろう。俺は子供だったし、訓練はされていたが、訓練の成果は芳しくなかった。
とりあえず、一太刀浴びせて、怯んだところを一目散に逃げる。逃げきれば勝利だ。
俺は泥を撒き散らして突進していった。だが、怪物トードはヴェスリーを睨んだまま、俺には一顧だにしない。
カエルにまで無視されるのか、俺は!
しかし、この場合、無視されるのは好都合だ。
「ぇおいしゃー!」
力んだ俺は変な掛け声が出てしまったが、怪物トードの右後ろ足にバッチリ剣を叩き込んでやった。
皮膚は柔らかいと聞いている。確かに切れた。
だが、怪物トードの後ろ足は、わずかに血が流れただけだった。足を叩き落とす勢いで切ったのに……。
怪物トードは俺の方を振り返る。カエルに表情などないのだろう。怪物トードは登場した時と同じ無表情だったが、目に怒りの色を映しているように感じられる。
俺は剣を振るったときに変なところに力が入ったからか、それとも相手にあまり傷を負わせることができなかった絶望からか、力が抜け、ヘナヘナと座り込んでしまった。
怪物トード はこちらを見ている。殺される……。
その時、今度はヴェスリーが後ろから怪物トードに切りかかった。
先ほどまで固まっていた彼女は、正気を取り戻しているようだ。彼女の剣は怪物トードの左後ろ足を捉える。その瞬間、左後ろ足が裂けた。怪物トードは左後ろ足を奪われ、体勢を崩す。
「逃げますわよ!」
俺とヴェスリーは剣を持ったまま一目散に逃げた。
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泥だらけになった俺たちは、気づけば街道に出ていた。
森から出てすぐのところに教官が立っていた。その教官は西に進む街道が北へ折れる地点に立っていた教官だ。結局、俺たちは一時間以上かけて三百メートルの距離を戻っただけだった。
我が一組の不祥事はマークベス教官に伝わり、そして校長にまで伝わった。
我がクラスの生徒は一人ひとり順番に懲罰室に呼び出された。
「実際の軍隊で今回のような不祥事を起こせば、確実に鞭打ちの刑に処される。
決められた行軍ルートを逸脱したわけだから、今回の場合は命令違反が適用されるだろう。
命令違反は鞭打ち五回だ。皮膚が裂け、血で真っ赤に染まる。一週間は痛みで寝たきりになるだろうし、その痛みは一ヶ月経っても引かない」
そういうと、マークベス教官は鞭を手に取った。教鞭ではない。刑の執行に用いられる、太い鞭だった。
「今から鞭で打たれるのでしょうか……?」
「安心しろ、ここは学校だ。
よかったな、ハイラール」
鞭で打たれるようなことはなかったが、説教は何時間にも及んだ。結局、クラス全員の説教が終わるまでに三日間もかかった。
下された罰は説教だけではなかった。
原稿用紙百枚の反省文の提出と一ヶ月間の校内清掃、そして一ヶ月間昼食はブールパン一個と水のみで過ごす旨を言い渡された。
反省文も清掃もきついが、何より昼食に限るとはいえ、食事を制限されることは堪える。
実際の軍でも、失態を犯した部隊に対し、一定期間配給される食糧を減らすという罰があるらしい。人間の根本的な欲求に枷をするとは、本当に意地が悪いと思う。
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野外演習の後、一つ変わったことが起きはじめていた。ヴェスリーの態度である。
以前は、俺と話す必要がある場合、露骨に不機嫌そうな態度で接してきた。相変わらず彼女と話すことは少なく、授業中話す必要があるときも言葉は事務的で必要最低限の会話しか続かなかった。だが、その彼女の表情から不機嫌そうな感じがなくなったのだ。
しかも、彼女は時折、こちらの方を見つめてきた。睨んでいるのではなく、ただ単に見てくるのだ。彼女はなにか言いたげな表情をしていた。
なんだ、助けてもらったお礼でも言いたいのか?
今までが今までだ。言いづらいのはわかるが、どうしてもお礼を言いたいのなら、聞いてやらないこともないぞ。
実際、怪物トードにダメージを与えたのは俺ではなくヴェスリーである。あのときの状況を考えれば、俺の方が助けられたと言えなくもない。
それでも、クラス全員が逃げ出した中、俺だけが駆けつけたのだ。ヒーローは俺のはずだ。さぁ、お礼を言いに来い。
「あの、ハイラール伯爵。
少しお話があるのですけど」
「えっ!」
本当に来るとは思わなかったので、俺は少し焦ってしまった。




