#032「酔っ払いの戯言」
皇太孫。今上皇帝の嫡孫。
先日、我が祖父アーモンの政治工作の結果、軍務経験が乏しいにも関わらず軍務大臣に祭り上げられた哀れな人物である。
彼はセエレ先輩の長兄でもあった。
そんな彼が結婚する。
地方領主の冠婚葬祭とは違い、帝位継承者の結婚式ともなれば、高位爵位持ちの貴族は全員が馳せ参じなければならない。
礼服に身を包んだ俺は、結婚式が行われる聖地ドミニアへと旅立った。
すっかり肌寒くなり、外出時はコートが手放せなくなった十二月のことである。
聖地ドミニアに足を踏み入れるのは、父の葬儀以来二度目だ。
白亜の城壁と、同じ色で統一された街並みは、何度見ても美しい。冬のドミニアは、その白い街並みが薄い雪化粧に覆われ、さらに神秘的な風景を作っている。
前回来たときは、とても観光などやっている暇も心の余裕もなかったが、時間が空けば街を巡ってみるのもいいだろう。
結婚式の会場は、これも父の葬儀と同じく、街の中央に位置する大聖堂だった。無数の塔を持つ宮殿のような外観は、いつ見ても圧倒される。
ドミニア大聖堂は太祖アガレスと女神ドミナの結婚式が行われた由緒正しい教会だ。この故事から、聖地ドミニアで結婚式を挙げることが、昔から若人たちの憧れらしい。
ドミニア大聖堂を会場とすることは皇族のみの特権だったが、それでも、将来を誓い合った者たちは太祖アガレスと女神ドミナが結ばれた聖地ドミニアという街自体に憧憬の念を抱くのだった。
会場で出会った最初の知り合いは、セエレ先輩だった。
「やあ、シトレイ君」
「セエレ先輩、いや皇子殿下」
「普段どおりでいいですよ、シトレイ君」
礼服を着込んだセエレ先輩は、バッチリ決まっている。目だけ見ればやはり怖いが、その他のパーツが、この青年はとても爽やかだと主張していた。
一方、鏡で確認した俺の姿は、「要人暗殺を企てパーティに潜入した悪役」といったところだ。悪人面を隠しきれていない、間抜けな悪役だ。
「これはこれは、皇子殿下」
セエレ先輩と話し込んでいる最中、一人の男が声をかけてきた。聞きなれない声である。見ると、男は随分と背が高かった。
「サイファ公爵閣下」
セエレ先輩が返事をした相手は、あのヴェスリーの父親だった。
背が高く、がっしりとしている。筋肉質な体つきは礼服の上からでもわかった。髪の毛の色は娘を同じ金色だった。顔からして四十代ぐらいに見える。眉が太めで、目が鋭い。目の下には斜めに深い皺が刻まれている。
どこかで見たことがあるような顔だと思ったら、前世の世界で有名な、凄腕のスナイパーを題材にした長寿漫画の主人公に似ているのだ。
あの漫画の主人公と同じく、サイファ公爵は常に無表情だった。
「お久しぶりですね、サイファ公爵閣下」
「お久しぶりでございます。
お変わりないご様子で」
「うん、元気でやっています」
「それは何より。
ところで、そちらの方は?」
サイファ公爵の鋭い眼光が、俺を捕らえた。俺は反射的に背筋を伸ばす。
「私はハイラール伯爵シトレイ・アンデルシアです。
……コルベルン王の孫です」
そうです。貴方様の出世を邪魔した男の孫です。ちなみに、もしかしたら娘さんの婚約相手になるかもしれません。
「ハイラール伯爵……」
サイファ公爵の鋭い眼光が、険しくなっていくのを感じられた。そこまで睨むことないじゃないか。
我が祖父アーモンとサイファ公爵が主張しあう軍事の方針について、俺はどちらが正しいかなどわからない。お互いの主張を聞くに、どちらも正しいことを言っているように思える。
国力を賭してまで、大規模な攻勢をかける必要性はないと思う。
かといって、攻撃こそ最大の防御、積極的な攻勢こそが国防に繋がると言われれば、納得してしまう。防戦一方の消極的な姿勢が、サミンフィアの悲劇を招いたのだと主張されれば、一理あるとも思える。
どちらの主張も、正しい意見に聞こえる。
だから、どちらの主張が正しいかなど、俺にはわからなかった。しかし、人の出世を邪魔することは正しくない。それだけはわかる。
それにサイファ公爵は我が祖父から爆弾を掴まされかけている。一門の不和の原因になるであろう、俺という爆弾を。
サイファ公爵は黙ったまま、ずっと俺を睨んでいる。
ああ、そんなに睨むな。いや、睨まないで下さい。本当に怖いです。
「これはこれは、皇子殿下」
今度は聞いたことのある声がした。そして、今一番この場に来て欲しくない人物の声だった。
「ん?そこにいるのはシトレイか」
いつ見ても、彼は笑顔だ。しかし、実際は無表情なのだろう。細い目を持ち、長い口髭を蓄えた恰幅の良い老人がこちらに向かってきた。
「ああ、そうか。皇子殿下と知り合いになったのだったな」
祖父にセエレ先輩と会うことを提案されて以来、俺は祖父と会っていなかった。
一応、形ばかりのお礼の品は送っておいたのだが、それだけだ。恩知らずの薄情者と言われれば返す言葉がない。
しかし、祖父を会うことのに気が進まないのは、彼のする転生談義のせいなのだ。
何度も話をされて、俺自身、いい加減慣れてきてもいいと思う。それでも、「転生」や「生まれ変わり」の語を聞くたびに緊張した。毎度、祖父の転生談義の最中は自然と気構えてしまい、話が終わるたびにひどい消耗を感じている。
「ん、そこにいるのは……」
我が祖父アーモンと、サイファ公爵の目が合う。サイファ公爵の顔が見る見るうちに暗くなっていくのが確認できた。この顔色は気落ちしてるときの暗さではない。溢れんばかりの怒気を押さえ込んでいるときの暗さだ。
「コルベルン王殿下、ご機嫌麗しゅうございます」
「サイファ公爵殿ではありませんか。
お久しぶりですな」
「先日、帝都の元老院でお会いしたばかりですが」
「ああ、そうでしたかな。
歳を取ると、どうも物忘れがひどくなる。はっはっは」
祖父はサイファ公爵と会ったことなど些事である、と言いたげなようだ。それを感じ取ったサイファ公爵も負けていない。
「いやはや、コルベルン王殿下のお歳は六十半ばでございましょう?
まだまだお若い。
しかし宰相という要職にあれば、ご苦労も多いのではないかと推察いたします。
ご無理をなさってはいけません。どうぞ、ご自愛下さい」
サイファ公爵は言外に、さっさと宰相を辞めろと言った。
二人の対立はヒートアップする。
と、ここで二人を仲裁したのはセエレ先輩だ。
「まぁあぁ、お互い挨拶もその辺で。
いかがですか?向こうに温かい飲み物が用意されているそうですよ」
「ん、そうですな。
儂もいさかか喉が渇いた。皇子殿下にお供しましょう」
「皇子殿下がそう仰るのなら」
セエレを人畜無害と評したのはマルコであったか、それともフリックであったか。その評は間違っている。人畜無害どころか人畜有益だ。気配りが素晴らしい。もし、前世の世界に生まれていたら、いい営業マンになっていたのではないだろうか。
============
「皇帝陛下ならびにアルカエスト専制公殿下のご入来です!」
この国の主役と、本日の主役がやってきた。
式部官に先導される二人は対照的な容姿をしている。
一人は小柄な老人。つやのない肌は深い皺が刻まれている。やけに猫背で、小柄な体がさらに小さく見える。
もう一人は打って変わって大柄だ。いや、大柄を通り越している。風船のような体形をしている。すごい肥満体だ。あの体で、なぜ歩けているのかと思えるぐらい太っている。
皇帝は祭壇に立つと、周囲を見渡すこともせず、まっすぐ前を向いたまま話し始めた。
「此度は、孫の結婚式によくぞ集まってくれた。大儀であった」
挨拶もそこそこに、皇帝はすぐさま椅子に座ってしまった。会場からは拍手が沸き起こる。
皇帝とは既に一度会っている。
幼年学校に入学する前、都に着いた俺は真っ先に皇帝と謁見したのだ。父から継承したハイラール伯爵位を叙任してもらうためである。
俺は同時期に襲爵した別の貴族たちと一緒に謁見したのだが、その時も皇帝は言葉が少なかった。確か、その時も「大儀であった」とか言っていた。皇帝が発したのはその一言だけだった。
我が国の今上皇帝、名前をアガレスと言った。この名を持つ皇帝は彼が七人目である。花婿の祖父がアガレスだから、孫である肥満体の方もアガレスだった。
我が親族には、アガレスの名前を持つ人間が三人もいることになる。いや、父は既に亡くなっていたから二人か。それにしても大変ややこしい。
「この度は、私の結婚式のためにドミニアまでお越し頂き、感謝に耐えません。
今、この場には祖国を支え、帝室を支える藩屏たる方々が一同に会しております。
まさに圧巻です。
このような多くの方々に祝福され、私は幸せ者であると言えるでしょう。
この盛大な結婚式が、祖国の永続と今後の繁栄の象徴になることを、切に願う次第であります」
会場からは、先ほどよりも大きな拍手が沸き起こった。
皇帝と違い、皇太孫は話しが好きな様子だ。
「続きまして、専制公妃殿下のご入来です!」
式部官の大声が、会場をこだまする。
帝位継承者は、公式の場では専制公の爵位を以って称される。
王のさらに上位に位置する専制公は、この国の爵位体系の頂点を占める称号だ。皇太孫は専制公の爵位で呼ばれていた。だから、花嫁も専制公妃と呼ばれる。
花嫁は、その父親と共にバージンロードを歩いてきた。
偉い美人だ。式向けのメイクなのか、化粧は濃かったが、とても整った顔立ちをしている。顔は整っているのだが、まだどこか少女のようなあどけなさというか、可憐さを持っていた。
あのラードの塊がこんな美人と結婚できるのか。
俺は、身分制度の恐ろしさを垣間見た気分になった。
============
「兄の容姿にビックリしましたか?」
「えっ?」
式が一段落し、食事会となった。その際、俺はセエレ先輩に話しかけられた。
「兄を見るのは初めてでしょう?
どうです?びっくりしたのではないですか?」
確かにビックリした。体の縦の長さと横の長さが同じではないかと思えるぐらいの肥満体なのだ。
肌は色白で、彼があまり日に当たっていない生活送っていることを想像させる。
顔もひどい。顔のパーツ自体は整っているようだが、吹き出物がひどかった。
ああ、前世のファンタジー映画でこんな姿の怪物が出てきたな。名前はオークだったか、トロールだったか。
「決してそのようなことは……」
心の中では豚の怪物などと思っても、口には絶対に出せない。口にすれば、不敬罪に問われる可能性すらあった。彼は帝位継承者なのだ。
「ああ、大丈夫、誰も聞いていません。
吾輩も、兄の容姿はひどいと思っています」
セエレ先輩は苦笑する。
「ですが、ああ見えて人望はあるのですよ」
セエレ先輩の話によれば、皇太孫は民衆に大変慕われているそうだ。軍務大臣に就任する前は内務府の帝都長官を務めていたのだが、彼の統治は善政で知られていたらしい。
公務だけではなかった。彼は慈悲深い名君で、私財を投げうって貧民に施しを与えることなど日常茶飯事であったらしい。
帝都の民衆は、皇太孫のことを親しみをこめて「我らがアガレス」と呼んでいるそうだ。「俺たちのアガレス」と。
「つまり、何が言いたいかというと、兄が即位しても我が国は安泰ってことです。
容姿だけ見れば兄は暗愚そのものですが、中身は名君です。安心して下さい」
人間、見た目ではない。
殺人鬼のような目つきをしていても、いざ話をしてみれば、礼儀正しく、情に厚く、気さくな男だっているのだ。
「シトレイ、こんなところにおったのか」
セエレ先輩と話し込んでいる最中に、再び割り込んできた男がいる。彼はワイングラスを持ち、顔を紅潮させていた。とても上機嫌の様子だ。
「コルベルン王殿下」
「おお、これはこれは皇子殿下。
皇子殿下はシトレイと仲が良いのですかな?」
「ええ。
同じ幼年学校の生徒ですしね」
「それは結構なことです。
どうぞ、これからも孫と仲良くしてやって下さい」
我が祖父アーモンは、セエレ先輩に対して大げさにお辞儀してみせた。やはり、酔っ払っているようだ。
「もちろんです。
シトレイ君は吾輩と苦労を分かち合える唯一の人間です。
仲良くしないはずがない」
「苦労?」
「ええ、この瞳のことです」
そういうと、セエレ先輩は俺の肩を抱き寄せ、顔を近づけてみせた。ああ、なんか良い匂いがする……なんで男なのに、こんな良い匂いがするのだろう。
「ああ、なるほど、なるほど」
祖父は「なるほど」と繰り返し、しばし黙り込んだ。そして口を開く。
「皇子殿下、実はこんな話があるのです。
太祖アガレスの瞳の話です」
「うん?」
「ほら、そこにも太祖アガレスの肖像画が飾られております。
ご覧下さい」
祖父の指差す方を見ると、確かに太祖アガレスの全身画が飾られていた。
ハイラールの屋敷にあった軍服姿のものとは違い、赤い派手なフロックコートを着込んだ太祖アガレスが描かれている。相変わらず美男子だ。
「あのとおり、太祖アガレスは大変な美丈夫として描かれています。
ですが、実物は違う、という説もあるのです」
「初めて聞く話ですね」
「まぁ、あくまでそういう説もあるという話です。
で、あそこに描かれている太祖アガレスと実物の太祖アガレスは何が違うかというと……」
我が祖父アーモンは、少しばかり興奮し、身を乗り出して言った。
「彼は、四白眼だったというのです」
祖父の言葉に、俺は自身が緊張していることを自覚した。
============
「太祖アガレスが四白眼だった、のですか?」
セエレ先輩は驚いた様子で我が祖父アーモンに尋ねた。祖父は大げさな動作で首肯する。
「左様です、皇子殿下。
絵画でも彫刻でも、はたまた文献の中でも、太祖アガレスは類稀なる美丈夫として描かれています。
ですが、実物は恐ろしい目つきを持つ青年であったというのです」
祖父は四白眼を恐ろしい目つきと評した。同じ瞳を持つ俺は、祖父の言葉に対し、少しムッとしてしまった。
いや、孫である俺はいいが、セエレ先輩に対しては失礼極まりないのではないか。
だが、セエレ先輩は気にする様子を見せない。
「しかし、実際絵画や彫刻に描かれる太祖アガレスは、とても美しく凛々しいお姿をしています。
一体どういうことでしょうか?」
「それは、おそらく、
太祖アガレスが生きた時代には、彼の容姿評に対する検閲があったのではないですかな。
容姿に関する事実を隠匿し、美化しろと命じたのではないかと思います」
ひどい陰謀論だ。アポロは月に行っていないとか、フリーメイソンが世界を支配しているとか、そういう話と一緒だ。真実が表に出ないのは、組織的な隠蔽があるからだ、という結論ありきの話の進め方である。
「コルベルン王殿下、それは不敬に当たります」
「はははっ、そういう説がある、そういう可能性があるというだけの話です。
酔っ払った老人の戯れです。お気を悪くしないように」
なるほど。謎が解けた。
祖父は太祖アガレスが四白眼の持ち主であると考えている。そして、同じ四白眼を持つ俺を見て、太祖アガレスの生まれ変わりではないかと考えたのだ。
と、すれば。
「お爺様。
もしや、私に仰ったあのオカルト話を、皇子殿下にもしたのですか?」
「オカルト?
ああ、お前が太祖アガレスの生まれ変わりではないか、という話か。
もちろん、皇子殿下にもした。何度もお話した」
何ということだろうか。
太祖アガレスの生まれ変わり云々という話は、今しがたの四白眼の話以上にひどい。場を弁えないオカルト話は、端から見れば酔っ払いの絡みだ。
孫の俺に対して絡むならともかく、仮にもセエレ先輩は皇帝の孫である。度が過ぎている。
それに、転生はドミナ教の教えにない概念だ。下手に身内以外の人間に話し、異端思想を持っていると疑われたらどうするのだ。
これで、本当に宰相の要職が務まっているのだろうか。
「お爺様、私や皇子殿下が太祖アガレスの生まれ変わりだとして、
どうしてその生まれ変わりが二人もいるのですか?」
「む……。
うむ、言われてみれば、そうだな」
「今後、少なくとも皇子殿下に対してはこんな話をしないで下さい。
お爺様は、ご自身のお立場を考えてから発言なさるべきです!」
俺に一喝されると、祖父は肩を落とした。
俺はセエレ先輩の手を引き、すぐにこの場から離れた。意気消沈している祖父はそのまま捨てておく。
============
「セエレ先輩、申し訳ありません。
今回だけではなく、これまでも祖父が失礼なことを申し上げていたようで」
「ははっ、気にしないで下さい」
セエレ先輩はいつもどおり笑っている。いつも余裕と自信に満ち溢れた笑顔だ。
一方、俺は精神的に疲れていた。祖父から離れ、緊張は解けたのだが、その分疲れている。
先ほどは、祖父に対して強気に出てみせたのだが、心の内は穏やかではなかった。
俺は自分が太祖アガレスの生まれ変わりである事実を知っている。祖父の話を聞いて、実のところ、内心ドキッとしていた。
なるほど、祖父の言うように、太祖アガレスは俺と同じ四白眼の持ち主だったのかもしれない。だが、セエレ先輩だって四白眼の持ち主だ。四白眼を転生の根拠に持ち出すのはおかしい。
だいたい、太祖アガレスが四白眼の持ち主だったのなら、子孫に遺伝していてもおかしくないじゃないか。
「セエレ先輩、これまで祖父はどのような失礼を働いたのでしょうか」
「う~ん、別に失礼なことだと思いませんが、そうですね……」
最初、セエレ先輩が我が祖父アーモンと会ったのは、セエレ先輩の父の葬儀だったらしい。
お悔やみの言葉もそこそこに、祖父は件の転生話をしてきたという。
セエレ先輩の父が亡くなったのは、セエレ先輩がまだ幼い頃の話だ。
俺が祖父から初めて転生話を聞かされたのは、確か従兄弟アーモンの葬儀の場だったかと思う。
祖父は、複数の幼児相手に、しかも葬儀の場で、冗談にしか思えないオカルト話を繰り広げていたのだ。
祖父の場を弁えぬ行動は、たとえ相手が皇帝の孫であろうがなかろうが、決して褒められたものではないだろう。
その後も、祖父と顔を合わせる度に、セエレ先輩は転生話の相手をさせられたという。
「……本当に申し訳ありません、セエレ先輩」
「別に、シトレイ君が謝ることではないですよ。
それに、吾輩は失礼なことをされたとは思っていません。
コルベルン王殿下のお話には興味がありましたしね」
「あのオカルト話に、ですか?」
「ええ。
興味があるというか、興味本位で話を聞いていた、というのが正しい表現かもしれませんが」
セエレ先輩は本当に心が広い。幾度となく酔っ払い老人に絡まれたであろうが、まったく怒りを見せず、笑っている。
当然、絡んできた酔っ払いの孫を前にしていることもあるだろうが、セエレ先輩は迷惑がる素振りすら見せないのだ。
彼は心が広い。器が大きい。こんな男になりたいものである。
「ところで、シトレイ君はどう思います?
自分が太祖アガレスの生まれ変わりだと思いますか?」
「えっ」
祖父に感化されてしまったのだろうか。それとも、うちの親戚は転生話が好きなのだろうか。
「いいえ、まったく。
考えたこともありません」
「そうですか」
その時、午後八時を告げる鐘の音が聞こえた。周囲の人間が慌しく移動を始める。
「おっと、そろそろ食事会は終わりです。
吾輩は兄夫婦に挨拶したらお暇しようかと思います」
「そうですか。
私は、もう少し残っていきます。
大聖堂の中を見学したいのです」
「わかりました。
では、また学校で会いましょう」
セエレ先輩と別れた俺は、彼に言ったとおり大聖堂の見学を始めた。
父の葬儀で来たときは、そんな余裕がなかったのだが、伝統ある大聖堂には興味がある。前世では史学科の学生だったのだ。お寺やお城は大好きだった。
============
「シトレイ」
再び祖父に声をかけられたのは、大聖堂内の一角にある、皇族が祭られた聖廟を見ていたときだった。美しい大理石の棺や、故人の胸像に見とれていたのだが、俺の大聖堂見学ツアーは祖父によって中断させられてしまった。
「なんでしょうか」
「怒っているのか?」
「別に怒ってはいません。
ですが、恥ずかしくは思います。
お爺様のお戯れは度が過ぎています。
コルベルン王家の品位が疑われてしまいますよ」
先ほどに引き続き、俺は強い態度で祖父に応じた。
祖父が以前から主張している、俺が太祖アガレスの生まれ変わりではないかという話。
結局のところ、あれは太祖アガレスと同じ四白眼を持っているということを根拠にした、祖父の空想だったのだ。事実ではあったが、俺の中身に感づいて話を振ってきたわけではないらしい。
であれば、俺はもはや祖父を恐怖する必要がない。
今後、この酔っ払いには強い態度で接しようかと思う。
「ははは、言うようになったな、シトレイ」
「笑いごとではありません!
第一、転生の話などしていては、異教徒との謗りを受ける危険性だってあります。
私は、異端者の孫だなどと中傷を受けるのは嫌です」
「心配するな。
儂は宰相だぞ。
教会とて、儂が掌握しておる」
祖父は余裕の笑み、無表情で答えた。
「ところで、シトレイ。
少しは落ち着いたか」
「??
何がですか?」
俺の問いかけに、祖父はすぐには答えなかった。祖父は沈黙したまま、少し離れたところにある胸像と棺に視線を向けている。
『ハイラール伯爵アガレス・アンデルシア(836年―873年)』
鋭い印象を受けるスッキリとした顔のラインと、優しそうな目元。胸像は戦場に行く前の、母の死を知る前の父の姿をしていた。
「少しは、落ち着いたか」
もう、落ち着いている。
父の死に目を忘れることはできない。あれから一年近く経ったが、未だに夢に出てくることがある。父の最期を思い出し、もっと良い方法がなかったかと悩むこともある。
だけど、俺はもう落ち着いていた。
「ええ」
「そうか」
思えば、我が祖父アーモンは、父の葬儀の際も俺に声をかけてくれた。
ハイラールに代官を派遣することを決めたのも祖父である。
聞くところによれば、ハイラールは領主不在でも、代官の下、安定した統治が行われているとのことだ。事件の混乱や領民の不安も、ひとまずは解消されたと聞いている。
もし俺が代官の受け入れを拒否し、老リュメールを通して都から統治を行うような選択をしていれば、ハイラールの建て直しは成らなかっただろう。
幼年学校入学時のゴタゴタで、俺はそんな余裕が持てなかったと思う。
『領主が幼少かつ不在では、建て直しもままならないではないか』
祖父の指摘は正しかったのだ。
そして、祖父は学校での問題解決にも一役買ってくれた。
祖父は俺を気遣ってくれている。
オカルト好きは玉にキズだが、彼は孫思いの善良な男なのだ。転生話の件があったとはいえ、俺はどうしてここまで祖父を恐れ、毛嫌いしていたのだろうか。
考えを改めなくてはならない。
酔っ払いには強い態度を、という決意は撤回だ。
「ところでな、お前とセエレ皇子が二人とも太祖アガレスの生まれ変わりであるという可能性について考察したのだが……」
もういいよ!
俺は酔っ払いには強い態度を取るという決意を撤回したことを撤回した。




