#030「噂」
幼年学校は士官学校に進むための、準備の学校である。
軍人として必要な専門的知識は士官学校で学ぶ。幼年学校では、その士官学校の授業に耐えうるだけの基礎知識を学び、体を鍛え、軍人としての心構えを育成する場所、と銘打ってあった。
正に準備のための学校だ。
高級軍人を育てるなら、士官学校や軍大学校だけで事足りる。一般兵の育成は、入隊時の訓練がその役割を果たす。実際のところ、軍からしてみれば幼年学校という存在はあまり重要な教育機関ではなかった。ゆえに、予算も乏しく、その運営は授業料や寄付に拠るところが大きかった。
軍から見て重要ではない幼年学校も、生徒や父兄からすればありがたい存在だった。
幼年学校を卒業すれば、士官学校の厳しい入試をパスできるのである。貴族や代々軍人をやってきた家の親たちは、子供をこぞって幼年学校に入れた。幼年学校さえ卒業すれば、士官学校へ無試験で入学でき、ひいては士官学校卒業後に十人隊長として軍に入ることができる。
幼年学校の高い授業料は、十人隊長という地位の代金なのだ。
というわけで、幼年学校は専門的知識を持った高級軍人の育成よりも、士官学校への切符という意味合いが強かった。そして、そのカリキュラムも前世の中学校に毛が生えた程度のものだった。
幼年学校では一般教養、軍人としての心得、軍事の基礎、術の基礎を学ぶ。
一般教養は国語、数学、歴史などだが、これはハイラールで学んだ範囲を出るものではなかった。国語、数学は言うに及ばず、歴史だって、あの『アンデルシア史概略』を頭に入れていたから、三年間の予習は済んでいるも同然である。
初日にマークベス教官に怒られたことや、イジメの対象になってから、俺はハイラールにいたときのように知識をひけらかすことを控えていた。クラスの中で目立ちたくなかったのだ。これ以上反感を買いたくなかった。非リア充グループの面々はともかく、ヴェスリーや取り巻きたちは、勉強のできる俺にさらなる反感を募らせるだろう。クラスの外へ出れば、マルコやフリック、セエレ先輩たちもいる。俺は、今現在のクラスの中での立ち位置に満足していた。
だから知識をひけらかすことは控えていたのだが、かといって馬鹿のフリをしていたわけでもない。与えられた問題は解いていった。
軍人としての心得は、ヴロア先生の下では学ぶ機会がなかったが、これだって内容は最初から想像できた。「国家への忠誠を忘れないこと」「民を守る責務を自覚すること」「上官には逆らわないこと」等々。
結局のところ、これは道徳の時間だった。
軍事の基礎も、真新しい知識を得ることはできなかった。
授業内容が、俺がこれまで読んだ戦記や戦術書以上に詳しいところまで踏み込むことがなかったためである。もっと詳しく、実践的なことは士官学校で学ぶらしい。幼年学校では、あくまで「基礎」を教えているのだった。
唯一、俺の知識欲に応えてくれたのは術の基礎の授業である。両親は教えてくれなかったし、ヴロア先生も概要しか教えてくれなかった。書斎には術関係の詳しい本がなかった。だから、俺はマークベス教官の術の講義をいつも以上に真剣に受けた。
「術は発現するものによって系統付けることができる。
例えば、火の玉や柱を発現させる術ならば炎系統、
雨を降らせる術ならば水系統」
系統?属性があるということだろうか。初耳だ。
マークベス教官は術の系統を黒板に書いていく。炎、水、氷、雷、地。炎は氷に強く、水は炎に強かったりするのだろうか。
質問したい。
だが、ここで手を挙げれば目立ってしまう。ヴロア先生相手なら、躊躇わず質問していただろう。あるいは、ここが教室の中でなければ……。
授業が終わると、俺は教室を出て行くマークベス教官を追った。教室から離れた廊下でマークベス教官を捕まえる。
「マークベス教官、先ほどの授業で質問したいことがあるのですが」
「ハイラールか。
質問なら授業中にすればよかろう。
……まぁ、いい。
で、質問とはなんだ?」
「術の系統には、それぞれ弱点があるのでしょうか」
「……ん?
質問の意味が理解できないのだが」
「例えば、氷系統の術に炎系統の術をぶつければ、炎系統の術が勝つとか」
「……?」
マークベス教官は首をかしげた。
「術に術をぶつけるなど不可能だろう。
術は相手に、対象となる人間そのものに発現させるものだ。
仮にタイミングがあったとしても、自軍と敵軍の位置にそれぞれ炎の柱や氷の刃が発現するだけであろう。
術自体がぶつかりあうところなど見たことも聞いたこともない」
ああ、そうだった。この世界の術の仕組みでは、相手の発動した術に合わせて別の術をぶつけるなど難しい話だった。
術は現実にある技術だ。術が登場して八五〇年。研究だって進んでいるはずである。系統とは属性ではなく、便宜上の種類分けといったところだろうか。
どうも魔法――術を、前世で得たアニメやゲームの感覚で考えてしまう。
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放課後はマルコやフリックと遊ぶことが多い。俺は相変わらず、教室の中では言葉が少なかった。非リア充グループに無視されることはなくなったが、彼らはただのクラスメート、他人であることには変わりなかった。クラスでの孤独は変わらなかった。
その分、マルコやフリックを相手にするおしゃべりは俺の癒しだった。教室にいるときの孤独感や人恋しさを、彼らにぶつけているのだ。
「あー、もうすぐ十月かー……」
「何か心配事でもあるのかい?」
「んー……、二年と三年は十月になると野外演習があるんだよ」
マルコは、心の底から嫌そうに唸った。
野外演習は二年次と三年次の秋に行われる。名前だけ聞くと林間学校のようなものかと思ったが、マルコの話では延々と歩くだけらしい。
行軍の訓練と銘打って行われる野外演習では、剣と盾などの装備品や食糧のほか、つるはしや杭、テント用の天幕など陣営を築くための道具を背負って歩かされる。これらの荷物は実際の兵士たちが担ぐものと同じ内容、重さのものだった。合計で二十キロ以上の荷物を背負うことになる。
「俺たち、まだ十三~四歳の子供だぞ?
どう考えても虐待だろ、これは」
「でも、教官たちに言わせてみれば、鎧を装備しない分楽らしいでゲス。
『未成年である諸君らの体力は充分に配慮してある。安心しろ』って言ってたでゲス」
「フリック、お前、教官たちの言葉を信じるのか?
本当に生徒に配慮したような、優しい内容だと思うか?」
「まったく思わないでゲス」
マルコの話によれば、約十五キロの道をひたすら歩くらしい。距離だけ聞けばたいしたことないように思えるが、二十キロの荷物を背負っての遠足だ。俺なら間違いなく脱落するだろう。
「大変だねぇ、マルコ、フリックさん。
応援してるよ」
「ひとごとだと思って……。
シトレイ、お前だって来年は参加するんだぞ。
それに、お前は昔から体力がなかっただろう。今からでも体力トレーニングしとけよ」
マルコの言うとおり、俺は体力がなかった。
剣の稽古を始めた当初は、剣の腕はともかく体力だけは向上していった。だが、元々ないに等しい体力が、少しはマシなレベルに上がっただけだ。人より体力がないという事実は変わらなかった。
一般教養の授業では、目立たないようにしようなどと余裕をかましていた俺だが、軍事教練(幼年学校においてはただの体育)の授業ではそんな余裕は一切持てなかった。
剣技の授業中は相変わらずへっぴり腰だったし、長距離を走る際は周回遅れどころから二周遅れでのゴールも珍しいことではない。
クラスの中で孤立していてよかった。もし、クラスの生徒たちと普通以上の交流を持てていたら、俺は二周遅れでゴールした際、クラス全員から拍手されて迎えられていたことだろう。
そんな屈辱を味わうぐらいなら、孤立していた方がいい。
その日の夜から、俺は剣の素振りを再開した。
ハイラールでの事件や入学、ヴェスリーとの対決でゴタゴタしており、剣の稽古を一年以上中断していたのだ。
センスがないのはわかっている。どうせ剣の腕は上達しないだろう。それはわかっている。だが、一年後の野外演習を考えると、体力をつける必要性を感じている。
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素振りをし、そのまま大浴場へ向かう。
風呂で汗を流した後、寮の狭い部屋へと戻る。
部屋に戻ると、同居人スティラード・ブルックスが机に向かっていた。どうやら勉強をしているようだ。
扉の音に反応したスティラードは、こちらを振り返るとすぐに机から退いた。
「す、すいません、シトレイ様。あ、いや、シトレイ」
「何が?」
「机を占領していました。すぐに片付けます」
「今日は、私は机を使う予定がない。スティラードが使うといい」
「え、そうですか。なんか、ホントすいません」
スティラードへの接し方を変えてから四ヶ月近く経つ。
未だに俺のことを様付けで呼ぶが、彼はすぐに訂正する。俺を呼び捨てにすることは定着したといっていいだろう。
だが、相変わらず、この男の俺への気遣いは凄い。
使えと言っているのに机を使うことはあまりなく、使っているのを目撃してもすぐに退こうとする。クローゼットだって、半分使えと言っているのに、遠慮がちに衣装ケースを一つ置いただけだった。
彼は、元々の性格が小心者なのかもしれない。一向に調子に乗ってくれない。
「おい、スティラード。
ベッドの中にあるもう一つの衣装ケースと、読んでいない本を寄越せ」
「えっ、なんでですか?」
「いいから寄越せ」
俺はスティラードの荷物を受け取ると、クローゼットに置いた。衣装ケースと二十冊ほどの本で、ちょうどクローゼットの半分が埋まる。もう半分は俺のスペースだ。
「ベッドに戻すなよ?
ここに物を置くことは、お前の権利なのだ」
「……はい」
「よし、じゃあ灯りを消すぞ」
「え、まだ九時ですよ?
シトレイ様、じゃなくてシトレイはいつも、もっと遅くに寝てるじゃないですか」
「今日はお前に合わせることにしたのだ。
何か文句あるか?」
「いえ……」
いつも気を使ってばかりで、逆に、気を使われること対して慣れていないのだろう。必要以上に気を使われる苦痛を味わうがよい。
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「やあ、シトレイ君」
「これはこれは、セエレ先輩」
セエレ先輩とはたまに会うだけだったが、いざ会えば会話が弾んだ。彼とは生まれ持った四白眼について苦労を分かち合える仲だ。
「何より、笑顔が怖いって言われることが辛いですね」
「ああ、それはわかります。
吾輩も、口は笑っているのに目がイッってると何度言われたことか……」
「私の笑顔を見て、好きな子がビクついているのを目撃したことが何度もあります」
「ははは、それはひどいですね」
セエレ先輩は俺とは違い、目つきが鋭いわけでも、目の下がクマで覆われているわけでもない。それでも、瞳だけに注目すれば、白眼に点を描き入れただけのような四白眼は不気味だった。
「それで、吾輩は笑顔の研究をしたのです。
これがその研究成果です」
そういうと、セエレ先輩は目を瞑って笑って見せた。なるほど、いい笑顔だ。
「すごい!まったく怖くない!
すごいですよ、先輩」
「苦労してますからね。
笑うときに目を瞑るくせをつけてから、笑顔を怖がられることはなくなりましたよ。
シトレイ君も真似してみるといいでしょう」
いいことを聞いた。寮に帰ったらスティラードに見せてみよう。
しかし、セエレ先輩は俺と同じ四白眼だというのに、爽やかな印象を受ける。顔は端整と評してよかったし、人当たりだっていい。
セエレ先輩はモテた。セエレ先輩が女子生徒と親しげに話しているところを何度か目撃している。そして一体俺とセエレ先輩の何が違うのだ、と考え込んだものだ。
笑顔の作り方もそうだが、こういった弱点を克服する努力の積み重ねが、モテる男セエレ・アンデルシアを作っているのだ。
俺は目つきに関しては諦めていたが、努力次第で印象が変わるかもしれない。セエレ先輩を見習おう。
「ところで、シトレイ君。
話は変わるのですが……」
「なんでしょう、セエレ先輩」
「うーん……、吾輩から伝えるべきなのか、吾輩が首を突っ込んでいい話なのか、少し迷ったのですが……」
セエレ先輩はなにやら躊躇っている。
「一体なんでしょう?」
「……シトレイ君」
セエレ先輩は俺に向き直り、神妙な面持ちで話してきた。
「貴方や、貴方の父上のことが、噂になっています」
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セエレ先輩の話によれば、父の死やハイラールでの事件のことが、貴族たちを中心に噂になっているという。
秘密はいずれ漏れる……祖父の言葉だっただろうか。
しかも、秘密が漏れるどころの話ではなかった。噂には尾ひれが付いていたのだ。
曰く、キマリア・ブロッサを殺した真犯人は領主の息子シトレイ・ハイラールである。
曰く、それを父伯爵に咎められたシトレイ・ハイラールは、父伯爵の殺害を決意。
曰く、家臣たちを丸め込んだシトレイ・ハイラールが父伯爵の殺害に成功。見事ハイラール伯爵位を簒奪……等々。
話を聞いた俺の心は怒りで満ち溢れた。
俺がキマリア・ブロッサを殺害した?何のために。
それだけではない。俺が父アガレスを殺したというのだ。ふざけるな。
……しかし、父の最期を思い出すとどうだろう。
父の最期のとき、俺は父に対し剣を向けていた。俺に追い詰められて、父は自ら命を絶った……とも言える。
では、他にいいやり方があったのだろうか。
あの時はアギレットの身が危険に晒されていた。考える暇がなかったのだ。どうすればよかったというのだ。
「……シトレイ君?
大丈夫ですか?」
「……すいません、大丈夫です」
人間は自分勝手な生き物だ。勝手な想像を噂に流して、楽しんでいる。当事者の気持ちを考えず、身勝手な空想に浸っている。頭に来る。
そして、俺も当事者でなければ、噂を楽しんでいただろう。自分自身を含む人間という生き物が、心底嫌になる。
「まだまだ貴族を中心に広がる噂ですが、気をつけてください。
この学校も貴族の子弟は多い。
いずれ、シトレイ君の身の回りでも噂が囁かれるかもしれません」
「はい。
気をつけます。
ありがとうございます」
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セエレ先輩の忠告、というか悪い予想が当たったのは、それから一週間後のことだ。
その日の授業前。俺はいつもどおり自分の席で教科書を読んでいた。
読んでいた教科書は『はじめての術:基礎編』である。術の歴史から発動のための儀式のやり方まで、事細かに解説された本だった。
基本的に術を使うことは、十五歳の成人後でないと許されない。それは軍においても同様で、実際の訓練は士官学校に進んでから始まる。
幼年学校ではあくまで知識を学ぶだけだった。
俺は教科書を読みながら、自分が術を放つ姿を妄想……イメージトレーニングしていたのだが、そのイメージトレーニングはすぐに中断された。
思わぬ人物が声をかけてきたためである。
「シトレイ・ハイラール」
声をかけてきたのはヴェスリー・サイファだった。
相変わらず眼力は強く、気が強そうで、自信いっぱいで、そして相手を見下すかのような表情を浮かべている。
彼女は教室の奥から、大声で俺に声をかけてきた。腕を組んでいる。豊かなバストが強調される。
彼女と話をするのは、「お話」をしたあの日以来だ。
「なんだ」
「貴方と、貴方のお父様の噂を耳にしたのですけど、あの内容は本当ですの?」
「なんのことだ?」
来た。どうやら、例の噂は、最悪な人物の耳に入ってしまったらしい。
「貴方が領民を殺し、自分の父親を殺した、という噂ですわ」
ヴェスリーは大声で、クラスの生徒全員が聞こえる大声で言った。
この女、ふざけるなよ。
俺はセエレ先輩から噂の内容を知らされたとき以上の怒りを感じた。
セエレ先輩が耳にした噂だ。
彼は貴族を中心に広まっていると言っていたが、つまりは彼の周りの貴族が噂していたということだろう。セエレ先輩の周りの貴族とは、当然伯父に当たるサイファ公爵や、従兄妹であるヴェスリーも含まれる。
だが、一瞬、怒気に駆られた俺もすぐに冷静になった。相手は子供だ。怒鳴っても、それは俺が相手と同じレベルに落ちるだけなのだ。そんなことをしても仕方ない。
「領民が殺害された事件については、既に犯人が捕らえられ、刑の執行も済んでいる。
それに私の父は病死だ。
私が父を殺した、だと?
根も葉もない噂だ」
俺はハイラール家の公式見解を言って聞かせた。
「あ~ら、本当にそうかしら?
貴方は、私利私欲のためには手段を選ばない宰相の孫なのでしょう?
貴方が下劣な犯罪に手を染めていたとしても、私は驚きませんわ」
「それは宰相や政府への批判か?
いいだろう、祖父に伝えようではないか。
『サイファ公爵家の令嬢が公衆の面前で政府批判をしていました』とな」
「揚げ足取りね。
話になりませんわ」
「話にならないのは君の方だ。
君は皇帝陛下がご親任あそばした宰相を貶めたのだ。
これは不敬罪だ。
告発するぞ、ヴェスリー・サイファ」
祖父への悪口が皇帝への不敬に値するなど、我ながら苦しい論法だと思う。
だが、内容よりも言い返すことが重要だ。
ここで黙っていれば、イジメのときのように、再びエスカレートしていくであろう。
ヴェスリーとの言い争いは、マークベス教官が教室に入ってきたことで終わりを告げた。
直接対決はそれで終わった。
だが、休み時間になると、喧騒の中で噂を話し合う声が聞こえてきた。噂は数日もすると、他のクラスにも広まっていった。
せっかく、イジメに対して決着をつけることができたというのに。一難去ってまた一難とはよく言ったものだ。
このタイミングの良さは作為的なものを感じる。
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「どうしたらいい?知恵を貸してくれ」
放課後、俺はマルコやフリックに噂への対処について相談を持ちかけた。
「うーん、噂の内容は事実無根なんでゲスよね?」
「ええ、もちろん。
父は病死したのです」
マルコには父の死や事件の真相を知らせてある。だが、フリックには秘密だった。
フリックのことを信用していないわけではないが、事件の真相はよほど信頼できる者でなければ打ち明けることができない。
マルコとは同郷であり、幼馴染でもあったが、フリックとは知りあってまだ半年程度の仲だ。フリックに事件の真相を秘密にしていることは、マルコも承知していた。
「事実無根なら放っておけばいいでゲス」
「そうだな、フリックの言うとおりだ。
噂なんて、放っておけばそのうち消える」
フリックの意見に、マルコも賛同した。
なるほど、噂の内容は事実に反するが、一方で公表している話も事実とは異なる。後ろめたさがあるがゆえ、俺は噂を消そうと躍起になっていたのだ。
二人が言うとおり、単なる噂に対しては我関せずでドッシリと構えている方がいいのかもしれない。人の噂も七十五日という。人間は噂の奴隷だが、奴隷身分から解放されるのも驚くほど早いのだ。
「わかった、そうします。
ありがとう、フリックさん。マルコ」
二人のアドバイスは的確だった。
噂が広まって一ヶ月も経った頃には、生徒たちが噂しあう声を聞く機会が減っていた。
それでも、まことしやかに噂を話し合う声を聞けばショックと怒りが湧いたものだが、子供相手に熱くなるな、と自分に言い聞かせた。
そしてなにより、マルコやフリックが元気づけてくれて、俺は冷静さを保つことがでいた。
一番意外だったのは、同居人スティラードが俺を心配してくれたことだ。彼は普段から俺に対し気を使っていたが、それは平民が貴族に対するものだった。
スティラードが貴族としての俺ではなく、俺個人のことを心配し、声をかけてきたことは、とても意外で、嬉しかった。同居人との距離が縮まった気がした。
そして、無責任な噂話も三ヶ月を過ぎる頃にはまったく耳に入らなくなった。
ヴェスリーが噂について話かけてくることは、あれ以来まったくなかった。
しかし、彼女が再び直接的な行動に出てくるとは思わなかった。大勢の生徒に囲まれた恐怖も、半年もすれば忘れてしまったのだろうか。
もう一度彼女にお灸をすえたほうがいいかもしれない。だが、下手な行動に出れば、せっかく消えた噂が息を吹き返すかもしれない。噂を消すための行動と思われるのは心外だ。
噂が沈静化した以上、この件についてはこれでお終いにしておこう。ヴェスリーにお灸をすえるのは、彼女が再び直接的な行動に出てきたときだ。




