#029「マークベス教官の気持ち」
僕は軍人をやっている。だけど、教師もやっている。
僕の職場は帝都幼年学校。そこで教官の任務に就いているのだ。
この任務を与えられたのは、既に十年以上前だ。
最初、僕には絶対向いていないと思ったのだけど、上官の命令は絶対だ。どうせ失敗するだろうし、二~三年もすれば教官の適性なしと判断されると思い、僕は嫌々引き受けたのだった。
僕の期待は裏切られた。
最初に受け持ったクラスも、その次のクラスも、僕の受け持った生徒たちは何故か優秀な人間が多かった。僕自身は何もしてないのだけど、生徒たちは何故か優秀な成績を収めていく。そして、僕は何故か生徒たちから尊敬された。
「マークベス教官のご指導のおかげで、良い成績を残すことができました。
厳しいご指導でしたが、そのおかげで成長することができたのです。
本当にありがとうございます」
「うむ、貴様のことは小官も誇りに思う。
士官学校に行っても、前線に出ても、しっかりと精進するのだぞ」
いくつかのクラスを士官学校に送り出した後、僕はベテラン教官と呼ばれるようになっていた。
僕は順調に教官生活を送っていたのだけど、今年になって大問題が発生した。一組、つまり貴族の子弟を集めた特別クラスの担任に抜擢されたのだ。
絶対に嫌だ。僕は上官に強い抗議を行った。
「小官の能力では任に耐えられません。
問題が発生してからでは遅いのです。ぜひ、ご再考を」
「はっはっは、君は謙虚だね、マークベス君。
君が我が校の教官になって十年だ。立派な、ベテラン教官だよ。
そろそろ一組の担任を経験しておくのもいいだろう」
「しかし……」
「それに、君は男爵位を持つ歴とした貴族だ。
能力的にも、爵位の上でも、一組の生徒たちを相手する資格は充分ある」
僕の抗議は徒労に終わった。
いや、徒労に終わったなどと嘆かず、もっと食い下がればよかったかもしれない。一組の名簿を見て、僕は後悔した。
ヴェスリー・サイファ。十二歳。
ヴェルナント公爵ハウーヴェル・サイファの長女。
サイファ公爵といえば、軍務次官である。
幼年学校の教官である僕は、軍の階級でいえば百人隊長だった。いや、今回一組の担当になるということで、筆頭百人隊長に昇進したのだが、それでも一将校である。軍務次官など雲の上の存在だ。
そんな雲の上の存在の娘が、僕の生徒になるというのだ。恐ろしい。
シトレイ・アンデルシア・ハイラール。十二歳。
ハイラール伯爵。
貴族の子弟どころか、当主本人が入学してきた。伯爵だと、僕より一つ位階が上である。上官に彼の素性を尋ねると、なんでも宰相の孫で皇族らしい。恐ろしい。
なんで僕が、こんな恐ろしい連中の教官をしなくてはならないのか。上官は能力的に問題ないと僕を煽てたが、厄介ごとを押し付けたようにしか思えない。
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「小官が貴様らの担当を受け持つマークベスである
これから三年間を使って、堕落しきっている貴様らを叩き直してやる。
覚悟しておけ」
自己紹介をしてから、僕はまた後悔した。今回のクラスは恐ろしい連中ばかりいるのだ。普段とは違い、もっとソフトに彼らと接するべきではなかったか。
教室を見渡す。あの金髪縦ロールがヴェスリー・サイファか。うわぁ、気が強そうなお嬢さんだ。苦手だなぁ。
ん、なんだ、あの生徒は。僕のことを凄い睨んでいる。凄い目つきだ。
「なんだ、貴様、その目は!」
うわ、言ってしまった。
ついさっき、もっとソフトに接するべきと後悔したばかりだというのに。僕は既に教官として十年以上教壇に立っている。どうも、生徒に厳しい態度を取ることが、体に染み付いているようだ。
「貴様だ、貴様!シトレイ・ハイラール!」
シトレイ・ハイラールは、とても驚いている。
「しっかりと返事をしろ!
それに、上官から詰問を受けている時は立って答えろ!」
彼は慌てて起立した。
よかった、目つきほど反抗的な生徒というわけではないのかもしれない。
「貴様、そうか、貴様は皇族だったな。
どうした、先ほど小官が言ったこと、皇族の自分には関係ないとでも思ったか!」
「え、いえ、そのようなことは……」
「では、何だ、その目つきは!」
「う、生まれつき、です……」
ああ、彼は元々目つきが悪いのか。なら、さっきだって僕の話を真面目に聞いてくれてたのかもしれない。彼には悪いことをしてしまった。
そうだ、次は生徒たちの自己紹介だ。
生徒たちの自己紹介では、シトレイ・ハイラールを一番最初にしてあげよう。
僕に怒られて、彼は気落ちしているかもしれない。自己紹介はいい気持ちの切り替えになるだろう?
それに彼のことを反抗的な性格の持ち主だと、他の生徒たちが誤解しているかもしれない。彼はきっと真面目だ。自己紹介で彼の人となりがわかれば、他の生徒の誤解も解けるはず。
善は急げだ!
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一ヶ月が経った。
今のところ大きな問題は起きていない。順調だ。
貴族の子弟と聞いて、どんな我侭な子供たちがやってくるのかと思っていたのだが、彼らは今まで受け持った生徒たちと何ら変わらない。僕の授業を真面目に聞いてくれている。
朝、教室に向かう途中、僕はシトレイ・ハイラールと出会った。
初対面の時は彼を誤解してしまい、ひどいことをしてしまった。
彼は他の生徒以上に真面目だ。授業は集中して聞いてくれているし、授業の合間もよく本を読んでいるようだった。彼は頭がよく、どんな問題もスラスラと解けた。優秀な生徒だ。
やっぱり、何故か僕の受け持つ生徒は優秀な人間が多い。
しかし、そんな優秀で真面目なシトレイ・ハイラールが、こんな時間に廊下へ出ている。何やら足早に、教室とは別の方向へ向かっている。もう授業が始まるぞ。
「おい、ハイラール、貴様どこへ行く気だ。授業が始まるぞ」
「……申し訳ありません。
どうしても体調が優れないので、早退させて下さい」
「何だと……」
彼は目に涙を溜めていた。表情も暗い。一体どうしたのだろう。
「おい、何かあったのか」
「何でもありません、すいません、早退させて下さい。お願いします」
「……」
教室で何か辛いことがあったのだろうか。頑なに早退を主張する彼から、事情を聞き出すことは無理みたいだ。
「わかった。早退を許可しよう。
それと、落ち着いたら話を聞かせろ」
僕は早退の許可を出すと、すぐに教室へと向かった。
教室に入ると、状況を理解することができた。
シトレイ・ハイラールの机の引き出しが開いたままだったのだが、その中身が黒一色だったのだ。インク特有の臭いが教室に充満していた。
僕の姿を認めた生徒たちは、既に各自の席に座っている。当番の生徒が「起立!」と声をかけたが、僕はそれを遮った。
「朝礼はいい。
それよりも、この机はどういうことだ。
これはハイラールの席であろう」
「……」
生徒たちは沈黙している。僕は生徒たち一人ひとりの様子を伺った。皆一様に下を向いているが、幾人かの生徒の目が泳いでいた。彼らはヴェスリー・サイファと仲の良い生徒たちだ。
「まさか、ハイラールが自分でやったわけではあるまい」
僕は詰問を続けた。先ほど出くわしたシトレイ・ハイラールの様子と、机の惨状から察するに、彼はクラスの中でイジメを受けているのであろう。でなければ、教室から逃げ出す理由がない。
「私たちが登校した際、既にこの状態でした」
長い沈黙を破って、答えたのはヴェスリー・サイファだった。
シトレイ・ハイラールの祖父と、ヴェスリー・サイファの父の対立は僕も知っている。有名な話だ。
そして、目が泳いでいたヴェスリー・サイファの友人たち。ヴェスリー・サイファ本人は冷静なようだが、彼女の態度はいつも堂々としている。一方、彼女の友人たちは、年齢どおり喜怒哀楽をよく表に出していた。
その友人たちは動揺している。
ここまでくれば犯人は予想できる。
「とにかく、このままでは授業に入れない。
このクラスの中で起きたことだ。全員で責任を持って片付けろ」
犯人は予想できるが、断定はできない。
僕は教官だ。クラスの公平な裁判官でなくてはならない。証拠がないなら、無罪を推定しなければならない。
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次の日。
シトレイ・ハイラールは登校してきた。
昨日の様子だと、今日は登校してこないのではないかと思っていたのだが、彼はしっかりと学校に来て、自分の席に座っている。
それに、いつもより明るい表情に見える。一晩たって吹っ切れたのだろうか。それとも、自暴自棄の結果だろうか。
どちらにせよ、昨日廊下で出くわしたときよりは落ち着いているようだ。放課後、少し話をしてみようか。
放課後、僕はシトレイ・ハイラールを呼び出し、懲罰室まで連れてきた。
生徒たちの間では虐待室と悪名高い部屋だったが、この部屋は防音性に優れている。ここで話せば、まず外には漏れることがない。
「今日、貴様が登校してきたということは、
昨日よりは精神状態が良くなったということであろう。
事情を聞きたい」
「……私は、イジメを受けています」
やはりイジメか。ハイラールは、淡々と答えている。
「今までは無視されるだけでしたが、
昨日、朝登校したら机の引き出しにインクがぶちまけられていました」
なんてことだ。昨日彼の机の惨状を見て、彼がイジメを受けていることに気づいたが、どうやらイジメは入学してからずっと続いていたらしい。彼はずっと無視され続けていたとのことだ。
僕は何故気づくことができなかったのだ。何がベテラン教官だ。
「それで、貴様は犯人に心当たりがあるのか?」
「……ヴェスリー・サイファだと思います。
証拠はありませんが、動機はあります」
僕の見解と一緒だ。何より被害者本人が言っているのだ。間違いないだろう。
しかし、シトレイ・ハイラールが言うように証拠がない。
それに、犯人が本当にヴェスリー・サイファだったとしても、僕には解決する術がないのだ。コルベルン王家とサイファ公爵家の対立に、一将校である僕が口を挟めるはずがない。
「……正直に話そう、ハイラール。
貴様の実家とサイファの実家のこととなれば、小官には手が出せぬ」
僕は非力だ。僕にできることは限られている。
「だから、小官ができるのはイジメ行為がエスカレートするのを止めることだけだ。
しかしそれは根本的な解決とは違う。
小官の力不足だ。すまない」
僕は素直に頭を下げた。
そう、僕には根本的な解決を図る方法がわからなかった。能力もなかった。なにより、こんな事態になるまでイジメの存在に気がつかなかった。
本物のベテラン教官なら、きっとうまく解決する方法を導き出すことができるのだろう。仲違いする生徒たちを叱り、仲を取り持ち、改心させることができるのだろう。そして団結することの素晴らしさを教えることができるのだろう。
だけど、僕はニセモノだ。今までは、生徒たちが勝手に学び、勝手に団結してくれた。
「頭を上げて下さい、教官。
教官にそう仰って頂いたことで、私はだいぶ救われました」
シトレイ・ハイラールは僕を気遣ってくれているように見える。
「それに、ヴェスリー・サイファとは近々話をつける用意があります。
もしかしたら、自力で解決できるかもしれません」
彼は、当事者にもかかわらず、表情が明るい。余裕に満ちている。今朝登校してきたときからずっと明るい。昨日、早退してから何かあったのだろうか。
「話をつける用意?
結構なことだが、暴力だけはやめろ。
校内での私闘は、小官でも庇いきれないぞ」
「わかっています。
あくまで『話をつける』だけです。
大丈夫です。
ご忠告ありがとうございます」
そういうと、彼は懲罰室を出ていった。
彼は話をつける用意があると言っていた。
問題を自力で解決することは、一番望ましい解決方法だ。自力で解決することは大きな経験になる。学生時分から助力を当てにすることを覚えてしまうと、大人になったときに辛くなる。今の僕がいい見本だ。僕は生徒の力に頼りっぱなしで、自力では何もできない。
しかし、話をつける用意とはどういうことだろう。
本当に暴力じゃないだろうな。
もし私闘に及んでヴェスリー・サイファを怪我でもさせたら、シトレイ・ハイラールは退学になるだろう。軍隊内での私闘は重罪だ。
そうなれば、僕も教官を解任されるだろうな。さらには一階級降格だろうか。
……それもいいか。教官という任務など二~三年で適性なしと判断されると思っていたが、それが十年に延びてしまっただけだ。クラスの問題を前に、手を拱いているだけの無能な僕は、教官の適性なんてないのだ。
とりあえず、シトレイ・ハイラールには忠告した。
機を見て、ヴェスリー・サイファにも忠告、というか注意をしておこう。インクを撒いた証拠はないが、シトレイ・ハイラール本人がイジメを受けていると言っているのだ。
しかし、僕が注意しても彼女は聞かないだろうし、もしかしたら反発してシトレイ・ハイラールへのイジメがひどくなるかもしれない。
忠告するなら、それとなくしよう。
こんなとき、本物のベテラン教官はどう対応するのだろうか。後で先輩の教官たちに教えを乞おうと思う。
あとは、彼が私闘に及んでしまったときのために報告書をまとめておこう。暴力沙汰を起こした場合、彼は退学を免れないし、サイファ公爵家から刑事告訴されるかもしれない。
それでも、暴力におよぶまでの理由があるのだ。情状酌量の余地はある。彼の弁護の一助になるかもしれない。
公正な裁判官を自称しておきながら、僕はシトレイ・ハイラールに肩入れしている。
今まで僕は問題らしい問題に直面したことがない。うまい解決法が思い浮かばない。やはり、僕は教官の適性がないと言わざるを得ない。
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シトレイ・ハイラールと懲罰室で話し合った後、僕は先輩の教官たちにこの問題を相談した。だけど、有益な話は聞けなかった。
「マークベスほどのベテランが、悩むこともあるのか。
冗談だろう?
それよりも私の悩みを聞いてくれ。
うちのクラスなんだが、どうも反抗的な生徒が多くてな……」
「イジメ?
そんなもの、前線の部隊では日常茶飯事だ。
幼年学校で落伍する者など、どうせ役に立たない。放っておけ」
「困るなぁ。
生徒が減ると、その分の授業料も減る。
それに、その生徒はコルベルン王殿下の孫だったかな?
寄付金のアテがひとつ減るわけだ。
どうにかしたまえ、マークベス君」
下らない話を聞くことに時間を浪費しているうちに、シトレイ・ハイラールは行動に出た。僕が懲罰室で話を聞いてから三日後のことだ。
最初、十人でヴェスリー・サイファを囲んだと聞いたときには、やってしまったかと思った。
私闘に及ぶなと忠告しておきながら、実際彼が暴力的な手段に出てもおかしくはないと思っていたのだ。だから、最悪の事態を考え、イジメの経緯を報告書にまとめておいた。だが、十人で女子生徒をリンチしたとなれば最悪の事態を通り越している。もはや弁護の余地はない。
しかし、よくよく話を聞くと、暴力的な手段に出たわけでは決してないらしい。十人で囲み、その中で話し合いをしたのだ。
その次の日も、シトレイ・ハイラールやヴェスリー・サイファ、そして彼女の取り巻きたちは皆登校してきたのだが、彼らが怪我をした様子はなかった。
取り巻きたちはずっと下を向き、暗い顔してたが、シトレイ・ハイラールやヴェスリー・サイファは平然としている。
その日の放課後、僕はシトレイ・ハイラールに声をかけられた。
「昨日、ヴェスリー・サイファと話し合いをしました。
とりあえずは、解決しました。
ご心配をおかけしました」
「うむ。
暴力に訴えたわけではないようだな。
自力で解決できたことは誇っていい」
「ありがとうございます」
今回も、優秀な生徒が自力で問題を解決してしまった。僕は何もしていないのに、何故か僕の受け持つ生徒は優秀な人間が多い。
しかし、寿命が縮まるような思いだ。下手をすれば、大貴族の派閥争いに巻き込まれるところだったのだ。ただでさえ教官の任務は向いていないとストレスを感じていたのに。
僕は元々、戦場で剣を振るうことに憧れて軍人になったのだ。前線で戦うことに憧れていたのだ。
それが何で、平和な都の学校で、神経をすり減らしながら生徒の相手をしなきゃいけないんだ。
それに自分の無能さにもほとほと嫌気がさした。
このクラスが卒業したら、今度こそ転属願を出そう。




