#024「イジメ」
イジメには様々な種類がある。
言葉を使ったからかい、暴力、物を隠す、壊す、そして無視する。前世ではイジメにあったことがない俺だが、目撃したことは何度もある。
帝都幼年学校一年一組。俺はこのクラスで徹底的に無視されていた。
授業中はよかった。
軍の学校である幼年学校での授業は、つまり軍務と同義だ。前世の学校のように、授業中に私語が飛び交うことが無かった。
皆、マークベス教官の講義を静かに聴いていた。
だから、問題は授業の合間である。
授業中とは打って変わって、授業の合間や休み時間は教室が喧騒に包まれた。
一クラス九人で、それに合わせて教室も狭かったのに、やけに騒がしかった。
入学して一ヶ月。既にクラス内はいくつかのグループにわかれていた。
一つ目のグループはヴェスリー・サイファと、その取り巻きの活発そうな男女三人の合計四人で構成される。
一年一組のスクールカーストの頂点に君臨するヴェスリーのグループは休み時間になる度にうるさい。特に取り巻きの男子の声が耳についた。自分が孤立している反面、彼らは学校生活を謳歌しているように見える。気に入らない。
こいつらは所謂リア充グループだ。
二つ目のグループは大人しそうな男女四人が集まっていた。
彼らは集まって騒ぐことも少なかったのだが、昼食は必ず一緒に取っていた。
彼らは非リア充グループ。しかし、一見非リア充っぽいが、彼らも彼らで男女で群れている。気に入らない。
三つ目のグループはいつも静かで孤高を保っている。
休み時間は常に本を読み、時間を惜しんで学生の本分たる勉学に励んでいた。グループのメンバーは一人……俺のみ。
一人静かに『やさしい軍隊生活:874年度版』という、軍隊生活の心得を説いた教科書を読んでいる俺の耳にヴェスリーらリア充グループの会話が聞こえてきた。
「ヴェスリー様、先ほどの授業では見事なお答えでした。
さすがはサイファ公爵のご令嬢です」
「ホホホ、あれぐらい、解けて当然ですわ」
「いえいえ、ヴェスリー様にとっては当然かもしれませんが、かなりの難問でしたよ。
このクラスの中であのレベルの問題を解けた人間なんて……あ」
俺は解けた。同じぐらい難しい問題をマークベス教官に指名され、俺は見事に答えを言ってやったのだ。俺は解けたぞ。
「あら、そんな人、いらっしゃいました?
『そんな人はいない』と思いますけど?」
「……ええ、ですよね。ハハハ」
無視も次の段階に入ったようだ。
声をかけられたら無視するといったやり方から更に進み、存在自体いないことになっている。
正直参っている。無視されることが、いないことにされていることが、こんなに辛いものだとは思わなかった。
俺は今まで生きてきた中で、あるいは前世でも、イジメに合ったことがない。イジメをしたこともなかった。だが、傍観者になったことは何度もある。
イジメを目撃する度に、もしくはテレビでイジメ特集を見る度に「イジメられる側も悪い」と他人事のように考えていた。
実際、イジメを目撃した時、俺はイジメられている人間の不甲斐なさに呆れていたものだ。なぜ、言い返さないのか。言われるがままにされているから、イジメもエスカレートしていくのだ。反抗して見せればいいのだ。
そうだ、反抗して見せればいいのだ。
「そんな人はいない」だと?ふざけるな。人が大人しくしていればいい気になりやがって。
バンッと俺は席を立った。わざと大きな音を立てて立ち上がった。生徒たちは皆俺を注目している。
立ち上がった俺はヴェスリーの方を見る。取り巻きたちは驚いた表情をしていたが、ヴェスリーだけは動じる様子もなく、俺を睨んでいた。
「ちょっと、トイレ」
俺は逃げた。
まぁ、まだ無視されているだけだ。まだあわてるような時間じゃない。
暴力や物を壊されるなどの直接的な被害にあったわけではない。この段階で大声上げて反抗するのも考え物だ。まだあわてるような時間じゃない。
「何、あの人」
「さぁ?」
「ホホホ、そんな人いらっしゃいましたか?
気のせいではなくて?」
「あ、いえ、そうですね。
気のせいです。そんな人いませんでした」
後ろからリア充グループの声が聞こえる。
大丈夫、まだあわてるような時間じゃない。
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普段、俺はクラスの中で孤立し、教官から指名された時以外にしゃべることがなかった。そして、それは寮の中でも変わらなかった。
俺の同居人ブルックスは平民の出である。一方、俺は貴族の息子として生まれ、今では父の後を継いでハイラール伯爵家の当主となっていた。
彼は必要以上に謙った態度で俺に接してきた。
二段ベッドでは上座である下の段を俺に譲り、彼は上の段を使っていた。
その自分の寝床に持参した荷物を置き、クローゼットの全てを俺に明け渡してきた。一度、クローゼットの半分を使うよう促したことがあるのだが、彼に「貴族の方のお荷物と平民である自分の荷物を一緒の所に置くなどできません!」と断られてしまった。
ブルックスはこの部屋に一つしかない机も俺に譲ってきた。
最初、彼よりも遅く寮へ戻ってきた時、彼は机を使って勉強していたのだが、俺の姿を見ると慌てて「机を占領して申し訳ございません」とすぐにどいた。そして「以後このような粗相がないよういたします」と宣言した。
宣言どおり、彼は二度と机を使うことがなかった。
彼は最初に会った時、「お邪魔にならないよう気配を消します」と言った。そして、寮に入って一ヶ月間、それを実行し続けている。
部屋にいる時、彼はベッドの上の段のカーテンを閉め切り、一言も言葉を発しなかった。俺から声をかければ反応するが、謙った反応ばかりで会話が続かない。
彼は常に、ベッドの中で息を殺していた。
ブルックスは俺に対し壁を作っている。距離を置いている。偶然聞いてしまった彼の寝言が、彼の心を吐露していた。
「なんで、自分が貴族なんかと……」
入学して一ヶ月間のうちに確認したのだが、寮に入る貴族は俺以外にいなかった。当たり前だ。貴族ならば参勤交代のため都にも屋敷を持っているのが普通である。わざわざ家があるのだから、寮に入る必要などない。
祖父と会うのを極力避けるため、などとおかしな理由で寮に入る貴族は俺ぐらいだ。
平民と貴族の身分差は大きい。
この国の階級制度は流動的で、当人の功績によって貴族に叙されることは難しくない。例えば、軍で武功を挙げ、上級将校まで昇進すれば騎士に叙される。上級将軍にまでなることができれば男爵位を与えられ、世襲が許される。これは軍隊だけではなく役所でも同様だ。要職に就けば貴族に叙される。大臣まで進めば平民出であっても伯爵位が与えられた。
この流動性は社会の活力を生む。平民でも、頑張れば貴族になれる。この仕組みについて、俺は感心していた。
だが、流動性はあろうと、今現在の身分差は絶対だ。
平民からすれば、やはり貴族というものは別の世界の人間に見えるのだろう。
ハイラールの友人たちは、最初から俺のことを自然体で受けれいてくれたが、それは当人たちの年齢がなせる業だったのかもしれない。十二歳といえば、既に社会の仕組みを理解し、分別のつく年頃である。だから、彼の必要以上に謙った態度を咎めるのは見当違いだ。
「グガアアアッ、グガアアッ、ガッ、ゴッ」
ブルックスのイビキはうるさい。
彼の呼吸に合わせてベッドが軋んだ。彼の寝言を聞いてしまったのも、このイビキのせいで眠れなかったからだ。
分別のついた年頃だろうが何だろうが、イビキはどうしようもない。俺が望んだことではないが、普段彼には気を使わせてしまっている。ここは、俺が我慢しておこう。
しかし、彼のイビキのおかげで、目の下のクマがさらに濃くなりそうだ。
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次の日。
朝教室に来ると、俺は自分の机に違和感を感じた。
インクの臭いがする。
普段、ノートとインク壷は持ち歩いている。
昨日、インク壷のフタを閉め忘れたとしても、普段インク壷を入れている鞄が悲惨なことになるだけで机が臭うはずがなかった。
俺は机の引き出しを開ける。
すると、中に入れていた教科書やノートに黒いインクがぶちまけられていた。
昨日は無視の段階が進んで、存在しない扱いにレベルアップしたのだが、今日はイジメ自体のレベルが一つ上がったらしい。
昨日の時点では、まだあわてるような時間じゃないと強がっていたが、これはもう反抗してもいいだろう。いや、反抗しないとさらにエスカレートする。
「おい、お前か、サイファ」
いの一番に、俺はヴェスリー・サイファを詰問した。
俺は眉間に皺を寄せて、極限まで眼力を高めた。普段は人一人を殺したかような目つき、怒った時は十人以上は殺している目つき、とフォキアに評されたことがある。
俺は自分の武器を前面に出してヴェスリーに突き刺した。
しかし、ヴェスリーは俺の視線をまともに食らっても、平然としている。周りの取り巻き連中は青い顔をしていたが、彼女は動じない。フンッと息を吐くと、彼女は反論してきた。
「何のことでしょうか?」
「このインクのことだ」
「あ~、さっきから臭うと思っていましたの。
早く片付けてはいかが?
授業が始まりますわよ」
「やったのはお前だろう。
お前が片付けろ」
「はい?
私が、それを?
何の冗談かしら。
ご自分がやったのではなくて?
ご自分の不注意を人のせいにするのは感心いたしませんわ」
「ふざけるなよ、お前」
「ふざけてはおりませんわ。
私がやったという証拠でもありますの?」
「お前がやったなんて誰でもわかるだろうが!」
「では」と言うと、ヴェスリーは顔を少し上にそらし、俺を見下すような目で見てきた。同時に彼女は腕を組む。豊かな胸が強調された。
「では、皆さんにお聞きしてみましょうか。
誰でもわかるとおっしゃるのなら、多数決を取ってみましょう?」
そういうと、ヴェスリーは俺の同意を待たずに話を進める。
「この人、何か勘違いされておられるようですけど、
皆さんは私がやったと思いますか?
そう思う人は手を挙げて下さい」
当然、誰も挙げない。
「それでは、この人がご自分でやったと思う人は?」
まず、取り巻きたちが一斉に手を挙げる。そして、非リア充グループの四人も、遠慮がちに手を挙げた。
結果に満足したヴェスリーは、余裕の笑みを以ってこちらを見てきた。
「私がやっていないということは、誰でもわかるみたいですわね」
「……、ク」
クソ、クソ、クソ!
何で、こんな女に支配されているのだ、このクラスは!
涙が溢れてくるのを感じる。
相手は子供じゃないか。イジメといっても、無視されていただけだし、今だってインクを撒かれただけだ。別に、暴力にさらされたわけではない。
どうせ、子供がやる、幼稚な行為なのだ。なのに、どうして涙が溢れてくるのだろう。
泣いてしまったら、生徒たちに泣き顔を見られたらまずい。俺はすぐさま教室から脱出した。教室からはリア充グループの笑い声が聞こえる。
途中、マークベス教官に出会った。
「おい、ハイラール、貴様どこへ行く気だ。授業が始まるぞ」
「……申し訳ありません。
どうしても体調が優れないので、早退させて下さい」
「何だと……」
マークベス教官は怒鳴りかけたが、泣きそうな俺の顔を見て察したようだ。
「おい、何かあったのか」
「何でもありません、すいません、早退させて下さい。お願いします」
「……」
俺は理由を話さず、頑なに早退を主張した。
マークベス教官もそれ以上は踏み込んではこなかった。彼はただ、早退の許可を出すと「落ち着いたら話を聞かせろ」と声をかけ、教室へ向かって行った。
俺は昇降口へ足早に向かい、広場を横切って、一目散に寮へ戻った。
そして、ベッドの中へ逃げ込んだ。
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(どうしてこんなことになったんだ)
丸一日、俺はベッドの中で布団を被っていた。
夕方になるとブルックスが帰ってきたのだが、彼は俺に声をかけることもなく上の段へ登っていった。おそらく、俺が寝ているものだと思ったのだろう。上の段へ登る際、音を立てないよう、いつもより慎重に足を運んでいた。
(逃げ出したい)
何で、俺ばかりこんな目に合うのだろう。
母は死に、父は自殺し、家庭教師には見放された。一番の友人だった小姓は離れてゆき、好きな女の子には拒否された。他の友人たちとも離別した。
今まで何度も辛い目にあった。しかし、それも全部乗り越えてきたではないか。
乗り越えてきたのに、なのに、学校に入った途端、今度はイジメだ。
(俺が何したっていうんだよ)
そもそも、どうしてイジメが始まったのだろうか。
イジメの中心はヴェスリー・サイファで間違いない。では、俺はあの女に何かしたのだろうか。
最初、俺は彼女のことを睨んでしまったかもしれない。いや、それは目つきのせいであって、決して睨んでいたわけではないのだが、それについては、きちんと釈明しようと思った。実際、その日のうちに話しかけ、しっかりと謝罪しようと……。
『貴方、宰相の孫とお聞きしたのですけど、本当ですの?』
ああ、そうか。そうだった。彼女が敵意を向けてきたのは、自分が宰相の孫であると肯定してからだ。
一ヶ月間情報を集めてわかったのだが、やはりと言うべきか、我が祖父アーモンと彼女の父サイファ公爵は政敵同士だった。
彼女の父は軍人だった。軍務次官の要職にある。
我が祖父とサイファ公爵は軍事の方針について意見が対立していた。
国境を接する敵国に対して、サイファ公爵は積極的な攻勢に討って出るべきだと強硬論を主張していた。一方、祖父は現状の国境線の維持こそを是としている。そんな国力の浪費は認められないという主張だった。
サイファ公爵の積極攻勢論は、大勢の軍人から支持を集めていたが、容れられることがなかった。宰相である祖父が反対していることから、政府全体がサイファ公爵の意見に批判的であったし、軍首脳部もサイファ公爵とは意見を異にする穏健派が勢力を持っていた。穏健派の代表はサイファ公爵の上司、軍務大臣であった。
その、穏健派の領袖である軍務大臣が失脚した。一年前のことである。
発端は、例のコルベルン王国による大攻勢だった。父の出征のきっかけとなった戦いだ。コルベルン王国の猛攻を前に、我が軍は一方的にやられ、西部方面軍五個軍団と補助兵部隊を失い、あまつさえ、サミンフィアまで陥落した。我が国の神聖不可侵な国土が侵されたのである。軍務大臣は辞職を余儀なくされた。
すると、焦点は後任人事に移る。
軍務次官は軍務府のナンバー2である。順番からすれば、次の軍務大臣は当然サイファ公爵だ。他に、対抗馬となりうる候補もいなかった。
そこに横槍を入れてきたのは、我が祖父アーモンだった。祖父はサイファ公爵の軍務大臣就任を様々な手で妨害した。
母の葬儀の際、祖父は「国事多難につき」都を離れることができず、弔問の使者を立ててきた。……何が国事多難なものか。祖父は派閥抗争の政治工作を行っていたのだ。そして、最終的にその政治工作は成功した。
「未曾有の国難に対処するため、挙国一致の体制をとる」
このスローガンの下、新たな軍務大臣に就任したのは皇太孫であった。
皇太孫は軍務経験が乏しかったが、派閥抗争を解決するためだけに、知名度の高い人物や毛並みの良い人物が神輿に担ぎ上げられることはよくある。
政府はもちろん、強硬派軍務大臣の誕生を阻止したい軍穏健派はこの人事を支持した。
そして、サイファ公爵を支持する軍人達も「次期皇帝陛下が直接軍務を司る」と主張されては真っ向から反対することができなかった。
ヴェスリーの父親は、俺の祖父と意見が対立しているばかりか、昇進まで阻まれたのである。サイファ公爵当人は当然のこと、その娘にまで恨まれても仕方がないことだ。
(俺は関係ないじゃないか)
ヴェスリーの父親は軍の重鎮だ。軍内部に限って言えば、その支持者も多い。ヴェスリーと共にリア充グループを構成する三人は、皆サイファ公爵を支持する軍幹部の子弟とのことだった。道理で、俺を無視する際の根回しが早いわけである。
ここが軍の学校ではなく、例えば役人を目指す学生の多い大学だったら、立場は逆転していただろう。
一方、俺は宰相の孫だが、我が祖父の軍への影響力は小さい。影響力が小さいどころか、祖父はサイファ公爵を支持する軍幹部からは恨みを買われていた。
あるいは、俺がもっと直接的な暴力に晒されないで済んでいるのは、俺が宰相の孫で皇族だからか。
いや、そもそも祖父が人の恨みを買っていなければ、イジメなど起きなかったのだ。順序が逆だ。
「私は祖父と関係ない!」と主張してみるか。
無理だ。それでわだかまりがなくなれば、最初からこんなことにはなっていない。
ならば、もっと踏み込んだ主張をしてみるか。「私は祖父が嫌いだ!祖父の政治的主張も間違っていると思う!私は軍務次官を支持する!」と。
……こんなことを言ったところで相手が信じてくれるとは思えない。
であれば、行動で示すか。祖父に絶縁状を突きつけてみるか。
……ダメだ、そんなことをすればハイラールの領地を取り上げられるだろう。
……祖父を暗殺するか。
俺は何一つ悪いことなんてしてない。
俺がこんな目に合ってるのは祖父のせいだ。いつも笑顔で無表情な、あの老人のせいなのだ。祖父が余計な対立を生まなければ、俺がこんな目に合うことがなかったのだ。
祖父から離れることも軍人を選んだ動機の一つだ。
なのに、祖父の悪名がついて回る。
……祖父を殺す?俺が?
……俺は何を考えているのだろうか。
……。
…………。
(ああ、もう、何も考えたくない)




