#023「幼年学校」
「どういうことだよ……」
俺は自分の席で、誰にも聞かれないような小声でつぶやいた。
帝都幼年学校一年一組。このクラスの中で、俺は完全に孤立していた。
ボッチだった。
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四月一日、入学当日。
入学式に参加した後、クラスの顔合わせがあった。
一クラスに生徒は九人。これは軍の十人隊を模しており、教官一人を加えた十人での行動が基本となる。
顔合わせの、最初のホームルームでは、担当の教官が自己紹介と学校生活の心得を演説するところから始まった。
「小官が貴様らの担当を受け持つマークベスである
これから三年間を使って、堕落しきっている貴様らを叩き直してやる。
覚悟しておけ」
何でも、各学年の一組は高位の爵位を持つ貴族の子弟ばかりを集めて構成されているらしい。
マークベス教官の話では、家臣や領民たちに傅かれて育った貴族のボンボンどもの性根を叩き直すため、毎年、こうした貴族の子弟たちばかりを集めたクラスを設け、徹底的に教育するとのことだ。
自尊心の強い生徒たちに舐められないよう、教官の人選にも気を配られる。
ベテランかつ生徒に負けない体力、腕力を持つ軍人が適任とされる。また、高位貴族の子弟を相手にするためか、爵位持ちの貴族が選ばれるという。マークベス教官は三十代半ばに見えたが、既に十年以上教鞭を執っているとの話だ。それに、彼は男爵だか伯爵だかの爵位を持っている貴族でもあった。
「なんだ、貴様、その目は!」
馬鹿め。学校とは言え、ここは軍隊の中だ。殿様気取りで入学した勘違いが反抗的な目つきでもしたのだろう。こういう時はしおらしく黙って話を聞いていればいいのだ。
「貴様だ、貴様!シトレイ・ハイラール!」
「えっ」
「しっかりと返事をしろ!
それに、上官から詰問を受けている時は立って答えろ!」
俺はすぐに起立した。初日から怒られるとは思わなかった。注目の的である。
「貴様、そうか、貴様は皇族だったな。
どうした、先ほど小官が言ったこと、皇族の自分には関係ないとでも思ったか!」
「え、いえ、そのようなことは……」
「では、何だ、その目つきは!」
「う、生まれつき、です……」
凄い怖い。ちびりそうだ。
生徒に舐められないよう、ベテランかつ若い教官が選ばれるという話だが、それだけではあるまい。マークベス教官は短く刈り上げた髪の毛と同じく切りそろえた顎鬚を持っていた。色は黒く、背丈も高い。外見の怖さも選考理由に含まれるのではないだろうか。
しかし、この世界に転生してから、ここまではっきりと怒られたことがない。前世でだって、これほどの怒気をまともに受けた覚えがない。
俺はすっかり萎縮してしまった。
マークベス教官の説教から解放されると、次に生徒の自己紹介が始まった。どういう決め方かわからなかったが、何故か俺が一番最初だった。
「あ、あの、シトレイ・ハイラールです……」
まだ、俺はマークベス教官に怒られた余韻が残っていた。そのためまともな自己紹介できないまま、俺は自分の席に引っ込んだ。ああ、第一印象は最悪だ。暗くて目つきの悪い、教官に反抗的な勘違い野郎に思われただろう。
自己紹介は進み、何とか伯爵の息子とか、何とか男爵の弟だかが次々と名乗り上げて行く。
「私はサイファ公爵の長女ヴェスリーです。
皆さん、三年間よろしくお願いいたしますわ」
凄い。
何が凄いかと言うと、父親の身分の高さではない。彼女の胸囲が凄かった。
ヴェスリー・サイファは気の強そうな、いかにもお嬢様といった容姿を持っていた。金髪で縦ロール。長い睫とアイスブルーの瞳。手入れをしているのか自然なものかはわからないが、細い眉毛がピーンと一直線に引かれていて、彼女の強い眼力の一助を担っている。
だが、顔はどうでもよかった。彼女の胸を一目見れば、顔など記憶に残らない。
でっけぇ。
危うく、口に出すところだった。
俺は十二歳。彼女だって同い年であろう。十二歳であんなに成長するものだろうか。少なく見積もっても、Eはある。太っていればあれ位でかくなるかもしれないが、彼女は痩身だった。そのアンバランスさのため、さらに際立って見える。
彼女が自己紹介が終わって席に戻る途中、俺に一瞥をくれた気がした。彼女の目は冷たかった。
またやってしまったようだ。
俺はただ、男性の本能として彼女を見つめてしまったのだが、彼女にとっては、おそらく俺に睨まれたように思えたのだろう。この世界に生まれて以来、こういった経験は何度もある。もはや慣れっこだ。話す機会があったら、謝っておこう。
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ホームルームが終わると、その日は解散となった。学外から通っている生徒は下校し、寮に入る生徒は、割り当てられた部屋へと向かう。
その移動の雑踏の中、俺はヴェスリーに話しかけられた。
チャンスである。すぐに謝って誤解を解こう。俺は、第一印象は最悪だが、話せば良い奴とよく言われる。おかげさまで、ハイラールでは友人もできた。ヴェスリーとも友人になれればよいものだ。
「あ、先ほどは申し訳ありません。
もしかしたら誤解されているかもしれませんが、
決して貴方を睨んでいたわけでは……」
「貴方、宰相の孫とお聞きしたのですけど、本当ですの?」
予想外の人物の名前が出てきた。コルベルン王アーモンは俺の祖父であり、宰相の要職にある。何故ここであの老人の名前が出てくるのかと一瞬思ったが、答えは簡単だ。俺も彼女も有力貴族の子弟である。選ばれた人間同士仲良くしましょう、ということだろう。
「そうです。宰相コルベルン王は私の祖父です」
「そう」
一言返事をすると、彼女はそのまま俺の横を通り過ぎていった。通り過ぎる際、彼女は冷たい、軽蔑するような目で俺を見ながら、「必ず潰しますから」と捨て台詞を残していったのだった。
もしかすると、我が祖父と彼女の父は、政敵同士だったのだろうか。
以前は、わからないことがあれば、すぐに本で調べた。もしくは、周りの人間に質問した。
今この場には慣れ親しんだ書斎がない。何でも教えてくれた老リュメールも、ヴロア先生も、そして両親もいない。
ヴェスリーの敵意の理由を確認する術がなかった。
既に教官から睨まれていたが、加えてクラスメイトの一人とも悪い関係から始まってしまった。この世界で初の学校生活。幸先の悪いスタートだった。
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昇降口を出ると、すぐに広場がある。広場の中央には太祖アガレスと女神ドミナの銅像が建っており、その後ろには国旗掲揚台があった。
その広い広場を西へと抜けていく。寮の立ち並ぶ敷地は学内の西側に位置していた。
生徒の入る寮は古い木造二階建ての建物だった。広い敷地に、安アパートのような外見の寮がいくつも並んでいる。
「えーっと、東ニ棟一〇二号室……」
二階建ての東ニ棟はあまり大きな建物とは言えない。その小ぢんまりとした建物に、一〇一号室から二〇八号室までの十六部屋がある。一部屋当たりの面積は相当小さいものだろう。
幼年学校は授業料が高い。
通う生徒たちも、貴族や金持ちの子弟が多い。俺は幼年学校のことを、てっきりお坊ちゃまやお嬢様が通う金持ち学校だと思っていた。
ところが、実際はどうだ。
金持ちの学校であるからには、センスの良い上品な制服を着させられるものだと思っていた。ところが、制服はただの軍服だった。勲章や飾緒がついていない素の黒い軍服は、前世で言うところの学ランのように見える。女子は白い軍服で、下はスカートだったのだが、これだって特別にデザインされたものとは思えなかった。
制服だけではない。学校の建物も、粗末とは言わないがごくごく普通のものだった。
校舎は木造で、古い田舎の小学校といったような造りだ。机や椅子などの備品も年季の入ったものが置かれていた。
庶民には手が届かない学校なのだ。綺麗で豪華な、設備の整った学び舎が待っているものだとばかり思っていた。
あげく、この安アパートのような寮である。
高い授業はどこへ消えているのか。教官連中がピンハネでもしてるのだろうか。
改めて寮を見る。何度見ても、古くて汚い安アパートが建っている。
俺は前世で実家を飛び出して以来住んでいたアパートを思い出した。俺の年齢よりも築年数の古い、ベニヤ板でできているのではないかと思うぐらい壁の薄いアパートだった。前世で住んでいたアパートと、目の前に建つ寮は随分と似ていた。
寮を前にして、俺は少しばかり前世への郷愁にかられてしまった。
寮では、一部屋に二人割り当てられている。ドアノブを回すと鍵がかかっていた。まだ同居人は来ていないようだ。
俺は事前に貰っていた鍵を使い、中へ入った。
予想どおり、中は狭い。
四畳半ほどの部屋と一畳もないであろうクローゼット。そして玄関スペース。それで全てだ。部屋全体で10平方メートルもないのではないか。四畳半の居室兼寝室には二段ベッドと申し分程度の小さな机が一つ、椅子が二つ。そして燭台が置いてあった。大きな二段ベッドは四畳半の部屋の半分を占拠している。おかげで、狭い部屋がさらに狭く見えた。床の見える面積は二畳もなかった。
しかし、ベッドはともかくとして机だ。机は一つしかない。椅子は二つあるが、小さな机を二人で使うことは難しいだろう。二人部屋なのに、学生の部屋なのに、二人同時に勉強することができないのだ。これでは本当に寝るためだけの部屋だ。
部屋を見渡していると、はっ、と俺は気づいた。トイレがない。風呂は大浴場があると聞いていたが、トイレも共同なのか。
外に出てみると、寮の奥に小汚い掘っ立て小屋が建っているのを発見した。入口には「便所」と書いてある。扉を開けると臭かった。
便所も共同で、しかも外か。冬場は大変そうだ。
「あの、ハイラール伯爵様ですか」
後ろから声をかけられた。振り返ると、同じ幼年学校の生徒らしき、黒い軍服を着た男が立っていた。茶髪と青い瞳を持った男は、普通の男だ。中肉中背で特徴のない顔を持っていた。
「ひっ」
その男は、俺の顔を見るなり小さく悲鳴を上げた。はい、また俺の目つきですね。すいません。
「シトレイ・ハイラールです」
「あ、あの、ブルックスと言います。
同じ部屋の者です」
気弱そうな男だ。こういう男なら大歓迎だ。変に自己主張が激しかったり、クセのある男だったら大変だ。三年間一緒に住むのだ。ヴェスリーとの仲は出だしで躓いたが、この男とは仲良くやっていきたい。
「わざわざのご挨拶ありがとうございます。
三年間よろしくお願いします」
そういって手を差し出す。握手をしよう。
「えっ、いえっ、握手だなんて滅相もない!
貴族の方のお手に触れるなんて、そんな恐れ多いことできません!」
「え、あの」
「自分は、伯爵様のお邪魔にならないよう、部屋にいる時は極力気配を消します!
どうぞ、自分などいないと思ってくつろいで下さい!」
そういうと、ブルックスは数個の荷物を部屋の中に運び、すぐさま出て行ってしまった。
まぁ、あからさまな敵意を向けられるよりはいいか。彼と仲良くなるには時間がかかりそうだ。
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次の日。
朝のホームルーム前。
俺が教室に入ると、俺以外の生徒たちは皆席に座っていた。一番最初に悪い印象を与え、そのまま皆と話す機会を持てなかったのだが、早く挽回しなくてはならない。三年間苦楽を共にするのだ。俺たちは仲間だ。
俺は席に座ると、隣の大人しそうな男子生徒に声をかけた。
「あの、今日から本格的な授業が始まりますね。
三年間よろしくお願いします」
俺に声をかけられた生徒は、ビクッと肩を揺らすと、恐る恐るこちらを見てくる。
俺は軽く微笑んでみせた。俺の顔で満面の笑みを浮かべると、逆効果なのは知っている。俺の笑顔を見て、何度かアギレットがビクついていたのは知っているのだ。ここは軽くでいい。
「あ、よろし……」
「チッ」
警戒を解いた隣の生徒が俺に返事しようとした時、その声は大きな舌打ちでかき消された。その舌打ちを聞いて、生徒は返事を止め、一瞬すまなそうな顔をすると、俺を無視して前を向いてしまった。
俺は舌打ちの聞こえた方に顔を向ける。舌打ちしたのは、ヴェスリー・サイファだった。彼女は俺を睨んでいる。
俺はまったく気にしていないぞ、と余裕のある表情を取り繕い、冷静さを装って前を向き、授業の準備をするフリを始めた。
あの女の敵意は本物のようだ。
その後、授業の合間に別の生徒たちにも声をかけてみたのだが、皆俺を無視した。諦めない俺はしつこく話かけ続け、相手も根負けして俺に返事しようとするのだが、その度に例の舌打ちが聞こえてきた。舌打ちを合図に、返事しようとした生徒も再び無視を決め込む。
「どういうことだよ、これ……」
ヴェスリーが根回しをしたのであろうか。
四月二日、入学二日目。
帝都幼年学校一年一組。このクラスの中で、俺は完全に孤立していた。
既に俺の中身は三十代後半。
アラフォーになって、学校でイジメを受けるとは思ってもみなかった。




