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異世界でも現実は厳しい  作者: 懐中電灯
ハイラール編
22/79

#022「旅立ち」

 父の葬儀が終わりハイラールへ戻ると、事件の真相を語った噂が広がっていた。秘密にしても必ず漏れる。そして、噂にふたをすることは難しい。


 部屋に引きこもることをやめた俺だったが、屋敷の外へは極力出ないようにした。


 それに、時間もなかった。

 都までの旅程と向こうでの準備期間を考えれば、ハイラールにいられる時間は一ヶ月を切っている。入学の準備、相続した財産の整理、祖父から派遣されてきた代官への引継ぎ等、やるべきことは山ほどあった。


「ヴロア先生、ちょっとご相談したいことがあるのですが」


 あの事件以来、リュメール兄妹が屋敷に来ることはなくなっていた。

 俺も引きこもっていたり、ドミニアに行ったりしていて忙しかったため、授業はずっと行われていない。

 元々、ヴロア先生が俺の家庭教師でいるのは俺が成人するまでと決まっていた。俺が軍人を目指すと決めてからは、幼年学校に入学するまでという契約になっていた。


「ですが、ヴロア先生を延長して雇いたいのです。

 私が都へ行った後もリュメール兄妹に対して授業を行っていただきたい」

「なるほど。

 ふうむ、大変ありがたいお話ですが、辞退させていただきます」

「何故ですか?給金はしっかりと払います」

「フォフォフォ、本当にありがたいお話ですがね。

 しかし、元々今年までとの約束で雇われていたのです。

 それに雇用主のハイラール伯爵があのようなことになりましたし、ね……」


 ヴロア先生が言いたいことはわかる。

 当主が自殺し、新しい当主は幼少かつ長期不在になる。新しい当主の代わりに来る代官とは何のつながりもない。後ろ盾となるべき当主のいない状態で、教師など続けたくはないだろう。新しい当主は給金を保証すると言っているが、その給金だってハイラール領の収入から出るのだ。しかも教える対象は、一家臣の孫たちである。

 しかし、仮にも、七年近く一緒に過ごした教え子たちだ。情はないのか。


「ですから、申し訳ないのですが……」

「わかりました。無理を言ってすいません」


 食い下がることはしなかった。別に責める気にもなれなかった。

 俺だって、前世では塾講師をやっていたのだ。最初の頃は教え子一人一人に思い入れがあったが、仕事に追われ、親たちからのクレーム対応に追われ、そうしているうちに、教え子たちもただのビジネスの相手にしか見えなくなっていった。

 塾講師を続けた三年で、それだけ擦れた考えに変わったのだ。二十年以上教師を続けているヴロア先生ならば、なおさらのことだろう。




============




 肌寒い二月末。俺の旅立ちの日が来た。


 玄関ホールでは見送りのため、家臣やメイドたちが整列する。もう家族は誰もいなかった。

 先頭には、外様がいる。祖父から派遣された代官だ。年齢は五十代前半。人が良さそうにも悪そうにも見えない普通の男だ。だが、それだけにあまり裏表がないように思われる。能力は高い。引継ぎの際にリュメールが提出した資料を見て、すぐにハイラール領の状態を把握しているようだった。この男なら任せても問題ないだろう。ちなみに、ここに来る前はアスフェンで伯父ヴァレヒルの補佐をしていたらしい。


「引継ぎの際も申し上げましたが、領地経営でお困りのことがあったら、

 万事リュメールに相談して下さい。彼は父が一番信頼していた家臣です。

 私も信頼しています」

「承りました」


 リュメールに向き直る。


「幼年学校と士官学校、おそらく六年以上は戻らないと思います。

 後を頼みます」

「かしこまりました」


 次はログレット。


「結局、私の剣の腕はあまり上達しませんでした。

 ですが、それは私の才能の問題。

 貴方は従士の中で一番腕が立つ。

 その腕をこれからも我がハイラール伯爵領のために役立てて下さい。

 それが、忠誠、です」

「はい、シトレイ様」


 家臣やメイドたち一人一人にも声をかけた。

 父の噂は街中に広がっている。当然、家臣やメイドたちも既に知っているだろう。だが、彼らは、億尾(おくび)にも出さず、本心から俺の旅立ちを祝い、悲しんでいるようだった。


 別れを済ますと、俺は玄関の扉を開けた。




 そこには、見知った顔が並んでいた。フォキア、ヴィーネ、そしてロノウェ。


「ごめんね、シトレイ。本当はあたしも一緒に行きたいんだけど、

 あたしの家、幼年学校に行けるだけのお金がないって……」


 士官学校は授業料がない。一方、幼年学校で学ぶと授業料が発生する。しかも、結構高い。

 幼年学校を卒業すれば、無試験で士官学校へ進学できる。幼年学校自体には入試がないし、編入試験があるとはいえ中途入学すら認められていた。

 結局、幼年学校とはどうしても子供を軍人にしたい高所得者向けの学校なのだ。フォキアの家は宿屋をやっている。子供の我侭のために高い授業料を出す余裕がなかった。


「ありがとう、フォキア。

 大丈夫。将来、君には我がハイラール家の従士になってもらう予定だから。

 喧嘩の腕を磨いておいてよ」

「うん、うん」


 フォキアは泣いていた。

 喧嘩の際も、マルコとの別れの際も、涙を見せなかったフォキアが泣いている。やっぱり、本当は、彼女は俺のことが好きなんじゃないか。

 と、都合の良い考えに傾いたところで俺は自分の凶悪な顔を思い出し、襟を正した。


「シトレイ、父から話は聞いたわ。

 ……本当にありがとう」


 首を差し出してきたログレットを(たしな)めたことだろうか。それとも、ログレットの罪を表に出さなかったことだろうか。


 父の死は病死と公表していた。既に伯父ヴァレヒルとの交渉が成立しているのだが、アスフェンから死刑囚を貰いうけ、その死刑囚を犯人として処刑し、事件の幕を引く算段になっている。真相は既に噂となり人々の口の端に上っているのだが、ハイラール伯爵家の公式見解としては、そうせざるを得ないのだ。

 だから、ログレットの罪を公表するわけにはいかなかった。彼は父に脅されていたのだから、情状酌量の余地もある。

 納得のいかないログレットは、今後の給金を全額返上すると申し出てきた。少し考えたが、それが実現すれば、今度はヴィーネが食えなくなる。

 結局、給金を何割かカットし、浮いた分をブロッサ夫妻への年金とアギレットの治療費に充てることになった。ログレットには、どうにかこれで納得させた。


 ヴィーネは、全ては言わなかった。噂され、皆が知っていることでも、口に出して言うには(はばか)られる。ただ、ヴィーネの感謝の気持ちだけは伝わってきた。


「ログレットには、色々と助けられたよ。

 こちらこそ、ありがとう」

「ありがとう……。

 あの、これ餞別」


 マルコの時と一緒だった。袋の中には大量のチョコレートが入っている。どうやら、俺たちの中では、餞別はチョコレート、渡すのはヴィーネが定番となってしまったらしい。再び礼を言って袋を受け取る。


 最後に、ロノウェに向き直る。

 ロノウェは何か言いたそうな様子だが、なかなかしゃべらない。俺は持っていた包みを差し出し、声をかけた。


「ロノウェ、これを貸す」

「……シトレイ様、これは?」

「昔、お前に貸すと約束していた本だよ」


 包みの中には、金で縁取られた革のカバーの本が入っていた。『アンデルシア史概略』である。ロノウェは本を手に取ると、黙って見つめた。


「二つ、私の役に立ったら貸すと約束しただろう?」

「僕はシトレイ様の役に立っていません」

「立ったさ。

 これまでよく私に仕えてくれた。それで一つ。

 もうひとつは、アギレットを守ると言ってくれた。それで二つ」

「アギレットのこと、ですか?」

「私はアギレットが好きだ」


 ロノウェは目を見開き、口をあけて驚いている。ヴィーネも同様だった。

 フォキアは「えっ」と声を出す。


「既に、お前の祖父やヴィーネの父や、私の父……の前でも宣言してしまったのだが、

 私はアギレットが好きだ。好きな女を守ってくれるというのだ。

 お前は役立つ男だよ、ロノウェ」


 転校間際に好きな女の子に告白するような気持ちだ。尤も、その告白相手当人はこの場にいない。


「もう一つ、これをアギレットに渡してくれ」


 そういうと、俺は驚いて固まったままのロノウェに革の封筒を渡した。以前、俺が自作辞書を隠していた封筒である。


「アギレットによろしく。

 じゃあ、皆、また会おう」


 俺は、馬車へ乗り込んだ。

 そして、この世界に生まれて十二年間を過ごし、育ったハイラールに別れを告げた。




============




「お兄様」


 お兄様が帰ってくると、私は真っ先に声をかけた。


「シトレイ様は、行かれたのですか?」

「うん」

「そうですか……」




 私は、どうしてシトレイ様の手を払ったのだろう。

 目が覚めてから、お爺様とログレット様と、そしてシトレイ様が助けに来てくれたことを聞かされた。

 伯爵様はお亡くなりになったらしい。

 けど、私は怖かった。目を瞑っていると、あの夜のことを思い出して震えた。食欲もなかった。食べても、戻すことが多かった。家族以外の男の人と話すことができず、お医者様の診察を受けることができなかった。


 男の人を見ると涙が出てくる。体が震えて止まらない。ログレット様が謝りに来て下さったけど、顔を見ることができなかった。


 けど、シトレイ様だけは違うはず。


 眠る時はシトレイ様のことを考えた。シトレイ様のことを考えている時は、あの夜のことを思い出さずに済んだ。


 でも、実際シトレイ様が訪ねて下さった時、話かけて下さった時、私はとっさに彼の手を払いのけてしまった。

 やっぱり、シトレイ様は違う。他の男の方と会う時とは違い、震えることも涙が出ることもなかった。

 それでも払いのけてしまった。シトレイ様は悲しい顔をしていた。

 手を払いのけてしまった後悔と、シトレイ様に見捨てられてしまうのではないかという恐怖で、私はいつの間にか目に涙を溜めていた。


 シトレイ様は悲しそうな顔をしたまま、頭を下げ、私に謝った。


 どうしてシトレイ様が謝るのだろう。シトレイ様は私を助けて下さったのに。




「そうだ、アギレット。

 シトレイ様からお前に、これを」


 そう言うと、お兄様は革の封筒を私に差し出した。ずいぶんと使い込まれた封筒だ。

 中を開けると、手紙が一枚。それと、白いリボンが入っていた。

 手紙は短かった。



『アギレットへ


 この前は突然訪ねて、君を怖がらせてしまいました。


 本当にごめんなさい。


 昔、同じように君を怖がらせた時、

 リボンをきっかけに仲良くなることができました。


 だから、君にリボンを贈ります。白も似合うと思います。

 また、いつか会いたいです。


                 シトレイ  』



 手紙を読み終えると、私は封筒にしまった。そして、シトレイ様から頂いたリボンを手に取った。


「アギレット、どうして泣いてるんだ?

 手紙には何が書いてあった?見せてくれよ」

「ダメ、見せない」


 次にシトレイ様に会った時は、必ず謝ろう。

 ……そして、助けてくれたお礼と、リボンのお礼を必ず言おう。

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