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異世界でも現実は厳しい  作者: 懐中電灯
ハイラール編
20/79

#020「ハイラールの大事件・後編」

「アギレット、少し、いいか」


 夕食後。私は自室で読書をしていた。ふと、窓のよろい戸に何かが当たる音がした。気のせいかと思ったが、少し間を置いて、再び同じ音がする。今度はすぐに、誰かが外から石を投げつけた音だとわかった。よろい戸を開けると、外にはログレット様が立っていた。ログレット様は屋敷の従士の一人で、ヴィーネの父であり、シトレイ様の剣の師匠でもあった。ヴィーネに似て背の高い、茶色の髪を持つおじさんである。


「なんでしょう、ログレット様」

「うむ、実は、シトレイ様の使いで来たのだ。

 シトレイ様が、お前に用があるというのでな」

「わかりました。お兄様を呼んで参ります」

「いや、ロノウェは呼ばなくていい。

 お前一人に用があるという話だ」

「……?

 わかりました。

 どちらにせよ、もうこのような時間です。家族の許可を取って参ります」


 そういうと、私は(きびす)を返し、家の方へ向かおうとした。

 その瞬間、私は気を失った。頭にドンッという衝撃を感じた。殴られて気絶したようだ。




 気がつくと、私は薄暗い部屋の中にいた。布で猿轡(さるぐつわ)をされ、両手両足がロープで縛られていた。


「んー!んー!」


 声を出すことができない。

 辺りを見回すと、高そうな調度品が置いてあることに気づいた。部屋自体はずっと掃除していないのか、ずいぶんと散らかっていたが、テーブルやベッドなどの家具は、美しい装飾が施されており、高価そうなものばかりだった。

 窓にはガラスがはまっている。ガラスだって高級品だ。一体ここはどこだろう。


 ギィ……


 ふと、私の右側が明るくなった。私の右後ろに扉があったらしい。その扉を開け、男が一人部屋の中へ入ってきた。


「やあ、アギレット」

「んー!!」


 見たことのある男、ずいぶんと頬がこけ、目の下にクマを作っているが、この男はハイラール伯爵様だ。シトレイ様のお父様である。

 シトレイ様のお父様で間違いない……けど、ずいぶんと別人に見える。記憶にある伯爵様はいつもニコニコ笑顔を作っていたが、同じ笑顔でも、この男の顔はニヤニヤと気持ち悪い笑みを浮かべている。


「さぁ、こっちだ」


 伯爵様は後ろで縛られた私の腕を掴むと、引っ張り、ベッドに放り投げた。私は頭からベッドに突っ込む。振り返ると、バタン、と扉が閉じられた。薄暗い部屋の中、伯爵様がベッドへと向かってくる。涙が溢れてきた。


「んー!んーー!!」

「騒ぐな」


 そう言うと、伯爵様は私を殴った。ものすごく痛い。


「んっんっー……」

「シトレイの話どおり、本当に泣き虫だね。

 さぁ、殴られたくなかったら、もう騒がないことだ。

 シトレイの小姓なら、我が家の家臣だ。領主である私の言うことを聞きなさい」


 そう言うと、伯爵様は私の上着を引き裂いた。


「んーーんんーーーーっ!!」


 私はキマリアさんの最後を思い出し、必死に抵抗した。私は十歳だけど、今から何をされようとしているのかは理解できる。


「騒ぐなと言っただろう!」


 ニヤニヤ笑っていた伯爵様は急に激昂し、こぶしを振り上げた。左目に激痛を感じると、すぐに痛みはなくなり、同時に左目の視界もなくなった。右目からは、ずっと涙が流れている。


「そうだ、大人しくしていれば、殴らない」


 伯爵様は、ご自分の着ていたナイトガウンを脱いだ。そして、私のズボンに手をかけた。


「ああ、そうだ、足を縛っていたのだったな。これは邪魔だ」


 そういうと、伯爵様は私の両足を縛っていたロープを振りほどいた。その瞬間、私は抵抗を再開した。自由になった足を使って、伯爵様に何発もキックを叩き込む。だが、その足もすぐにつかまれ、私は再び殴られた。


「何度言えばわかる!聞き分けのない子供だ!」


 伯爵様は、両手で私の首を絞めた。


「んぐ……」


 伯爵様の目が濁って見える。窓から入る月明かりは、彼の背になっていて見えない。真っ暗な中、彼の濁った瞳と、私の首を絞める手だけが浮かび上がって見えた。

 私は必死に抵抗し、彼のお腹をキックし、手を振りほどこうと、もがいた。

 それでも、私の首を絞める手はびくともしない。


「私は領主だぞ、私は領主だぞ……!」


 さらに首を締める手に力が入る。苦しい。まだ死にたくない。

 シトレイ様……。



 気を失う寸前、ドンッと大きな音を立て、扉が開いたような気がした。




============




 信じられない光景が広がっていた。

 全裸の父が、ベッドの上でアギレットの首を絞めている。


 俺たちが入ってきた音に驚き、父はすぐにアギレットから手を離し、ベッドからも離れた。自分の恥部を隠すように、落ちていたナイトガウンを拾って羽織る。


「アギレット!」


 アギレットは気を失っていた。上着は切り裂かれ、白い肌が露になっている。顔には、何発も殴られた跡があった。特に左目が大きく腫れていて、見るに耐えない。ズボンは穿()いたままだった。

 アギレットの吐息を確認すると、俺は父に向き直る。

 父は後ずさりし、壁を背に立っていた。老リュメールの持つ灯りに照らされた顔は、明らかに狼狽している。小刻みに震え、目の焦点が合っていなかった。


「ろ、ろろ、ログレット、貴様、どういうつもりだ……」

「……見てのとおりです。

 これ以上、ご命令に従うことができません」

「き、貴様、これは、謀反だぞ!」

「く……では!私に!

 次はアギレットの死体を運べと仰るのですか!

 キマリア・ブロッサの死体を運んだように!!」


 ログレットの悲痛な叫びが響く。ログレットは泣いていた。


「ログレット、貴様、ただではおかぬぞ……。

 貴様も、家族もだ!

 私に逆らったら、貴様も家族も生かしてはおかぬと言っただろう。

 それでも貴様は私に逆らった!

 望みどおり、一族郎党根絶やしにしてくれるわ、この謀反人め!」

「うっ、うう、伯爵様、何で、こんなことに……」

「うるさい、謀反人め!

 謀反人……リュメール、貴様も謀反人か!?」


 泣き崩れるログレットの次に、今度はリュメールが詰問された。


「リュメール、貴様、私への忠誠心はどうした!?」

「……孫が強姦され、殺されるのを黙認することが忠誠というならば、確かに、私は忠誠心のない家臣になりますな」

「おのれ、平民の貴様をここまで取り立ててやったのは私だぞ!

 領主である、この私だ!」

「申し訳ございません、伯爵様。

 もし、キマリア・ブロッサを側室に迎えるおつもりでしたら、私もそのように取り計らいました。

 アギレットを望むなら、アギレットが成人するまでは待っていただきましたが、側室としてご献上差し上げることに異議はございませんでした。

 しかし、伯爵様、貴方はあまりにも人が変わられた」


 リュメールは静かに、力強く言った。リュメールの気迫に押され、押し黙る父。


「父上」


 俺が声をかけると、父はビクッと肩を揺らした。父は恐る恐る俺の方を見る。


「し、シトレイ……」

「父上、リュメールの言うとおり、なぜ側室として迎えなかったのですか。

 父上の仰るとおり、父上は領主です。

 望めば、可能だった」

「それは……フェニキアに、悪い」


 母に(みさお)を立ててのことか。だが、それは形式だけだ。実際、父は自分の欲望をキマリアにぶつけて殺し、今またアギレットにぶつけようとしていた。これは貞操を守ることでも、なんでもない。


「それが、言い訳になると思っているのか!」


 俺は父を睨んだ。俺の目を見て父は怯む。父はさらに後ずさりし、背中が壁にくっついた。父が背にする壁の右側には、剣が飾ってある。それに気づいた父は剣を取り、鞘から抜いた。


「伯爵様!」


 ログレットは叫ぶと、腰にぶら下げた長剣を抜き、構える。


「ログレット、やめろ。

 本物の謀反人になるぞ!」


 俺はログレットを制止すると、片手剣を抜いて構えた。


「シトレイ、私に、父親に、刃を向けるのか……」

「非のない家臣に、罪を負わせることはできません」


 父の剣の腕は聞き知っている。戦場での勇者。一方、俺は稽古を続けているが、一向に上達していない。体格差もある。剣で父に挑めば、十中八、九返り討ちにされるだろう。だが、それでも挑まなくてはならない。

 ログレットはアギレットとキマリアを誘拐し、そしてキマリアの遺体を運んだようだ。誘拐と死体遺棄は立派な犯罪だが、父に脅されて行ったらしい。許されるような行為ではない。しかし、だからといって彼に父を、主君を殺せとは言えない。身内の不始末は身内でつける。それに…


「それに……」


 俺は、できる限り、強く父を睨んだ。


「それに、私はアギレットを愛している」


 アギレットを失いかけて、やっと自覚できた。

 今までロリコンじゃないだの何だの散々言い訳してきたが、自分の気持ちがはっきりとわかったのだ。俺はアギレットが好きだ。


 だから、俺は父に挑まなくてはならない。


 俺と父は、お互い剣を構えながらにらみ合った。

 父は、黙り込む。そして目を瞑り、また黙り込む。


 一呼吸置いた後、父は目を開けた。先ほどまで、目の焦点が合っていない父であったが、今はしっかりとした目つきをしている。戦場に行く前の父が持っていた目を。


「すまなかった、シトレイ」


 一瞬、父は俺に微笑みかけた。

 そして、手に持つ剣を自分の首筋に当て、思いっきり引いた。

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