#019「ハイラールの大事件・中編」
キマリアの遺体は、街の大通りで発見された。
衣服の乱れはなく、お腹の位置で手を組み、眠っているような姿で発見されたという。
「遺体を検分したのですが、
首を絞められた跡がありました。
それに……遺体から体液が発見されました。おそらく、乱暴されたのかと」
自警団の一人から報告を受けた俺は、少女の壮絶な最後を想像した。しかも犯人は、散々乱暴した挙句、夜のうちに街の大通りに遺体を放置したのだ。服を着せて眠るように手を組ませて、遺体を正して。犯人が何を考えているのかわからない。気味が悪い。
「犯人は街中にいます。
このまま放置してはおけません」
正直に言えば、今回の事件を、俺はどこか軽く考えていた。捜索するぞ、情報収集するぞ、などと言って、少年探偵団……いや少女探偵団などと言って浮かれていた。
父があのような状態である以上、その息子であり貴族であり次期領主である俺にも責任はある。
そう、キマリアは街中で誘拐され、殺され、街中に放置されたのだ。犯人は、このハイラールの街にいる。
「街の住民の間では不安が広がっています。
これからは捜索ではなく捜査になりますが、さらに人員を増やすべきでしょう」
父の代わりに、屋敷の応接間で自警団の面々と応対していた俺は、脇に居た老リュメールに提案する。
「は……、しかし、これ以上家臣を動員するとなると、
近辺の村々から召集する必要があります。
それには伯爵様のご許可が必要です」
「父上は、あの状態です。
私が代わりに許可します。ハイラール伯爵家の次期当主の許可です。不足ですか?」
「いえ、わかりました。
すぐに手配いたします」
そういうと、老リュメールはすぐ別の家臣に指示を出した。
「自警団の皆さんも、捜査のご協力下さい。
キマリアは残念な結果になりましたが、これ以上犠牲を増やさないためにも、
犯人の確保は必須です」
「わかりました」
自警団の人たちが出て行くと、俺も後を追って街へ出ようとした。その俺を、老リュメールが止める。
「シトレイ様、屋敷から出歩くことはお控え下さい」
「なぜですか?
今日はヴロア先生の許可を取って授業は休みにしてありますよ」
「授業のことではありません。シトレイ様の身の安全のことです。
街中に犯人が潜んでいる可能性が高いのは、お分かりでございましょう?
そのような場所にお出かけになるのは、見過ごせません」
「先ほどは、私の指示に従ったではありませんか」
「動員を増やすというご命令は、至極妥当なご判断です。
ですが、街に出るというのは、容認できません。
どうか、ご自愛下さい」
老リュメールは主張を曲げない。彼の主張は尤もだし、よくよく考えれば街に出ても子供である俺にできることは限られている。
「わかった。
では、犯人捜査のために家臣を増員した件、ロノウェやアギレットに伝えておいて下さい。
そうすれば、フォキアやヴィーネにも伝わるはずです。
彼らには、昨日情報収集を行う際に協力してもらったのです」
「かしこまりました」
その後、屋敷で逐一、捜査を行う家臣たちの報告を受けた。
============
結局、進展はなかった。
犯人探しの方が、行方不明者捜索よりも困難なのは当然だ。それに情報収集は、キマリア捜索時にある程度行っている。遺体放置時の目撃証言も出てこなかった。
「ご苦労様です。
明日も引き続きお願いします」
家臣を労うと、応接間には俺と老リュメールだけが残った。
「シトレイ様。
正直に申し上げれば、初動捜査でこれだけ乏しい情報しか得られないとなると、
犯人確保は難しいかもしれません」
当然ながら、この世界では指紋を採取したり、遺体に残された体液からDNAを調べたりすることはできない。科学的な捜査が不可能な以上、目撃証言と状況証拠が捜査の柱となるのだが、今のところ、そのどちらも皆無である。
「さらに申し上げれば、家臣の増員も、いつまでももちません。
彼らには彼らの役務がございます。
このまま捜査の任に縛り続ければ、領地運営に支障をきたす可能性がございます」
「わかっています。
ですが、子供とはいえ、人が一人死んでいるのです。民の不安は大きい。
領主が、少なくとも『捜査を続けている』という姿勢を見せなければなりません。
……機を見て、捜査を持ち回りにし、家臣たちの負担が減るよう配慮して下さい」
「かしこまりました」
俺は指示を出すと、夕食をとるために食堂へ向かった。
今日は、父は夕食に顔を出さなかった。
============
本で得た知識と、老リュメールやヴロア先生に聞いた話では、この世界の犯罪捜査は、現行犯か目撃証言がない場合、犯人を捕まえることが難しいそうだ。今回のような大きな事件では民心の安定のために捜査を継続する姿勢を見せつつ、最終的にはスケープゴートを立てて事件の終結を図ることも、ままあるらしい。
今回もそういった流れになるだろうか。しかし、まったくの冤罪で赤の他人を犯人に仕立て上げるのは良心の呵責に苦しむ。今現在、真犯人を除いてハイラール領内に、死刑に値するほどの悪人がいるという話も聞いたことがない。となれば、伯父ヴァレヒルに相談し、アスフェンから死刑囚を貰い受けようか。
いずれにせよ、伯父とはいえ他領主との交渉が必要ならば、父の許可がいる。
今日も、父はずっと執務室にこもったきりだ。一度老リュメールに相談すべきか。
今日は疲れているはずなのに、ベッドに入っても、いつまでも寝付けなかった。
ドンドンドン!
急に、大きなノックの音が聞こえた。
「こんな時間にどなたですか」
「シトレイ様、ロノウェです!」
扉を開けると、息を切らしたロノウェが立っていた。ロノウェが夕食以降の時間に屋敷にいるのは初めてのことだった。
「どうした、こんな時間に」
「シトレイ様、
あ、アギレットが、さらわれました!!」
一瞬耳を疑ったが、ロノウェの顔を見るに、事実のようだ。既に灯を消していたから、部屋を照らすのは窓から入る月明かりだけだったが、そんな薄暗い中でも、ロノウェの顔が青ざめているのがわかる。彼は泣きそうだった。
「夕食まではいたんです!
いたんですが、寝る前に明日は屋敷に伺うぞって話をしようとして、
それで、でも、アギレットいなかったんです!」
「落ち着け、落ち着け、ロノウェ。
リュメールには、お前のお爺様には言ったのか?」
「はい、はい。言いました。
お爺様は、すぐに家を出て行きました。で、僕はシトレイ様にお伝えしようと」
「わかった。
とにかく、お前の家へ行くぞ」
アギレットがさらわれた。
最初の被害者の末路を考えれば、一刻の猶予もない。
キマリアがさらわれた時とは訳が違う。アギレットは俺の小姓であり、大切な友人だ。貴族としては、将来の領主としては、領民を差別することは許されないだろう。だが、今はそんな良い子でいる余裕がない。
俺はアギレットの笑顔を思い出した。
あの子が乱暴され、あまつさえ殺されでもしたら、俺は……。
俺は外套だけ羽織ると、部屋着のまま、ロノウェを伴って街へと向かった。
============
どこで間違ったのだろう。
確かに、犯人確保が難しいと知ってから、俺は犯人を逮捕することよりも、領主として何が最善かを考え始めていた。全力で捜査を続けさせることよりも、家臣の負担が少なくなるやり方を考えた。
捜査を続け、民心の安定を図る。その過程で犯人が捕まればいいし、捕まえることができなくても、犯人に対するプレッシャーにはなる。
そう、少なくとも次善の策は取っていたはずだ。ベストでなくてもベターだったはず。
間違ってはいなかったはず……。
いや、まずはアギレットの安全だ。自分自身への言い訳は後にしよう。
リュメール家は、広場の南側出口付近に建っている。領主の屋敷よりは小さいが、庶民の家よりはでかい。一家の当主である老リュメールは領主の腹心ともいえる重臣であったし、孫兄妹は次期領主の小姓だ。老リュメールの息子夫婦、すなわちロノウェとアギレットの両親は、近隣の村で行政官の仕事しており、普段は職場である村に住んでいる。
俺とロノウェが到着した時、リュメール家には使用人が一人いただけだった。
「お爺様は帰ってきたか?」
「いいえ、ロノウェ様。お館様は出て行ったきりでございます」
中年の、恰幅の良い女性使用人の話では、老リュメールは家を出て行ったきり帰って来なかったが、老リュメールから指示を受けたであろう我が家の家臣たちが、一度状況を確認しにやってきたらしい。
「何人の家臣が来ましたか?」
「えっと、確か三人、いえ四人です」
リュメール家の使用人は、人数までは覚えていたが、名前は知らなかった。そうなると、今我が家の家臣の誰が動いているかわからない。
とにかく、犯人は街中にいる。そして、アギレットはさらわれたばかりだ。今からハイラールを虱潰しに探せば、犯人を捕まえることができるかもしれない。早ければ早いほど、アギレットが無事である可能性が高まる。
「ロノウェ、家臣たちを叩き起こすぞ。
人手を集めて、いや集める必要もない。とにかく起こして、すぐに捜索させる。
二手に別れ、家臣たちの家を回ろう。
私は広場の東側から、お前は西側からだ」
「はい!
絶対に、アギレットを助け出します!」
「当たり前だ!行くぞ」
俺たちは、勢い良くリュメール家を飛び出した。と、そこで俺たちは面食らった。門のところに二人の男が立っていたのである。我が家の重臣であり、さらわれたアギレットの祖父である老リュメールと、我が家の従士ログレットである。
老リュメールは、いつもの温和そうな顔を少しこわばらせている。一方、ログレットはずっと下を向いたままで、明らかに動揺しているような様子だ。
「シトレイ様。
家臣たちを起こす必要はありません」
「どういうことだ?」
「犯人がわかったのです。
今から犯人のところへ向かいましょう。お話は道すがら。
……ロノウェ、お前は家に居なさい」
「なぜですか、お爺様!」
「命令です。家に居なさい」
老リュメールからは、これまで理不尽な助言を聞いたことがない。彼が部下に対し理不尽な命令を下しているところも見たことがない。理由がわからなければ、聞けば必ず教えてくれる。俺は父同様、老リュメールを全面的に信頼していた。
「ロノウェ、お前のお爺様の言うとおりにしろ」
「シトレイ様……」
「お前のお爺様が仰ることだ。理由なしの命令ではあるまい。
言うとおりにしろ」
「……わかりました。お気をつけて」
============
俺と老リュメール、ログレットの三人は、リュメール家から広場を横断し、街の北側へと歩いていった。街の大通りを、北へ北へと歩いていく。やがて街並みは途切れ、丘へと差し掛かった。
「リュメール、この先は……」
「はい、シトレイ様」
この先は……屋敷だ。
そう、俺たち三人は屋敷へと向かっていた。犯人は屋敷の人間か?しかし、屋敷で寝泊りしている人間といえば、ハイラール家の人間以外では、女性のメイドたちだけである。キマリアの遺体は、明らかに男から暴行を受けた跡があった。であれば、出入りしている家臣の中に犯人がいるのだろうか。屋敷は広い。普段は使っていない部屋も多い。敷地には複数の蔵もあるし、地下室もある。拉致した後、手足を縛って監禁しておく場所には事欠かない。
「シトレイ様、剣をお持ちですか?」
隣を歩くログレットが、前方の屋敷を見つめたまま話かけてきた。
「いや、着の身着のまま出てきたので、持っていません」
「では、この剣を持っていて下さい」
ログレットは、そういうと片手剣を渡してきた。ログレット自身は腰にぶら下げている長剣で戦うらしい。……戦うのか?
「お気をつけ下さい、両刃剣です。
今はこれしか持ち合わせがなく……申し訳ありません」
正直木刀しか振ったことがなかったから、両刃だろうが片刃だろうが、真剣は怖い。怖いものは怖いが、ログレットの持つ長剣よりは片手剣の方が俺にも使えそうだった。
「ログレット、犯人と戦うのですか?」
「殺すにしても、拘束するにしても、武器は必要です」
「そうですか。そうですね」
殺す、と言ったログレットの顔は、無表情だった。努めて無表情でいるように見える。
どんどんと屋敷に近づく。
「リュメール、そういえば、どうしてロノウェを置いてきたのですか?」
「……アギレットは、まだ無事だと思います。
しかし、万が一ということもあります。
その万が一の場合、たった一人の妹の無残な姿をロノウェに見せることになります。
ロノウェを置いてきたのは、私の孫可愛さの情です」
「私は、いいのですか。
私だってそんなアギレットの姿は絶対に見たくありません」
「申し訳ございません、シトレイ様。
実は、シトレイ様をお連れすべきか、少し迷いました。
ですが、シトレイ様はハイラール家の次期当主。
未成年ではございますが、次のハイラール伯爵として、
この事件の結末に立ち会う義務も権利もあると判断しました」
「……」
次のハイラール伯爵。老リュメールの言葉の、この部分だけ語気が強かった。この言葉を聞いて、俺は考えないようにしていた犯人の候補を思い出し、同時に確信した。
屋敷の玄関に到着した。
老リュメールは、玄関の扉に手をかける前に、独り言をつぶやいた。
「……不忠をお許し下さい」
玄関の扉を開ける。玄関ホールを右に曲がり、廊下を進む。
一番奥の扉の前で三人は止まった。縁に装飾が施された大きな扉は、執務室の扉だった。