#015「将来のために」
十歳を機に、俺は軍人を志すようになった。
知識は持っていたし、剣の腕は上達していないが、体力はついている。父も軍人だからコネだってあるだろう。おそらく、軍人自体にはなれると思う。だが、大勢の兵を指揮し、思うままに戦術を試せる立場まで出世できるかは未知数であった。
当たり前の話だが、自分と部下の命を賭けるだけに、軍では血統の良さだけではなく、個々人の能力もしっかりと重視されているらしい。父が昇進できたのは、血筋の良さもさることながら、彼自身の実戦での能力が高かったためだ。
俺は軍人にはなれるだろうが、現場でやっていくことができるのだろうか。
わからない。
軍人とは別に、俺には確定した未来がある。次代のハイラール伯爵としての、領主としての人生だ。
父が出征する際、老リュメールに言った。
『リュメールには領地経営の代行を任せる。
それと、余裕があったらシトレイに我が領地のことを教えてやれ。
次期領主にとっては、いい勉強の機会だ』
我がハイラール家一番の重臣である老リュメールは父の言いつけを忠実に守った。つまり、俺に帝王学を教えたのである。父が出征して後ここ数ヶ月間、授業や剣の稽古の合間に彼の講義が挟まれるようになった。
「シトレイ様、この前お教えしたことを覚えておいでですか?
このハイラール領の税収の話です」
「税収は金貨二十四万枚、領主の取分は、その三分の一です」
「さすが、シトレイ様。
しっかりと覚えておいでですね」
数字は苦手だ。勉強、特に数学において俺は天才児と騒がれていたが、それは前世で学んだ数学の内容が、この世界でも通用したためである。俺は基本的に文系人間だ。
しかし、領地の話となれば別である。ハイラール領から上がる収入は、つまり俺の将来の収入だ。将来自分が貰える給料の金額がわかるのである。興味が湧かないはずがない。
父が不在の間、何回か老リュメールの講義が行われたが、俺は彼の講義を一字一句聞き漏らさないよう真剣に受けた。
老リュメールは主に事務方として父を支えている。そのためか、彼の講義は領地の収支や人口、その管理に関する事務的なことばかりだった。おかげで俺は事務員に採用してもらえるぐらいには、ハイラール領について詳しくなることができた。
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休日。
最近は、俺とロノウェとフォキアが剣の稽古を空き地で行うことが多い。三人の剣技の真似事をヴィーネとアギレットが眺めている。
最初は俺一人でやっていたのだが、ロノウェも俺に続いて軍人を目指す旨を宣言をし、これに参加してきた。最後に、体を動かすことが好きなフォキアも参加を表明し、現在では三人でチャンバラをやっている。
ログレットに剣の稽古をつけてもらっている俺やロノウェと違って、フォキアの剣は自己流だ。それでも、彼女はこの中で一番の腕前を持っていた。小柄な彼女は、運動神経抜群で、何をやらせても上手い。センスが良いのだ。
「シトレイ、素振りの型はすごく綺麗なのに、
いざ打ち合いをすると、どうしてへっぴり腰になるの?」
彼女だって剣は素人なのに、的確(と思われる)アドバイスをくれる。俺と違って、将来はさぞかし腕の立つ剣士になるであろう。そうなると、いつか彼女が言っていた、俺の家臣になるという話も、少なくとも雇う側としては真剣に考えざるを得ない。彼女ならば、このまま剣の腕を磨いていけば、ログレットの後釜に座ることができるかもしれない。
「うん、ああ、ログレットにも言われたよ。
私はそんなにへっぴり腰か?」
「うん。へっぴり腰、っていうか、逃げ腰っていうか……プッ」
顔は凶悪面なのに、剣に振り回されてへっぴり腰で立っている姿が、ツボにはまるらしい。ひどい言われようだが、ログレットにも、腰が引けている、と何度も注意を受けていた。
しかし、剣を扱うというのは、こんなにも難しいことだったのか。
剣を構えるなら、腰を据えてどっしりと。打ち込むなら、体重移動をして重心を前へ。移動時は素早く。実戦は流れが重要だから、常に次の動作へ移れるように。相手をよく見て。特に動きを見て、すぐに反応できるように。
頭ではわかっている。理屈はわかっているのだが、体が追いつかない。腰を据えて体重移動して素早く反応する?父や従士たちはそんなことができるのか。きっと彼らは普通の人間ではないのだ。そういえば、今は養子に行った兄も、剣の腕は筋が良いと褒められていた。兄はこんなことがこなせるのか。
「わかった、わかった。
わかったぞ、私は術士向きなのだ」
「術士?」
剣の稽古を始めて半年以上。
やっとわかった。俺は剣の才能がない。
俺は一応勉強ができるということになっている。一方、成長するにつれて、そして剣の稽古を始めて痛感しているのだが、俺は運動神経がまったくなかった。前世ではもうちょっと動けたかと思うのだが。とにかく体が追いつかない。
知力が高く、体力が低いのだ。そういう風にパラメータが振ってあるのだ。転生した時、知力を高めに、体力や腕力を低めに、なんて決めた覚えはないのだが、現実はそうなっている。
このパラメータは魔法使い、この世界で言うところの術士だ。
そう考えれば、気分が楽になる。魔法使いキャラが戦士に転職しても、体力も腕力も伸びが鈍いのだ。俺の剣の腕が一向に上達しないのも、俺の努力不足というわけでは決してなく、元々のパラメータ的に仕方がないのである。
「つまり、どういうこと?」
「へっぴり腰なのは、仕方ないってこと」
剣の稽古は続けるつもりだ。父が出征する時に、剣の稽古を続けるように言われた。軍人を目指すという決意を疑われたくない。それに、何よりも剣の稽古は体力がつく。
しかし、続けはするが剣の腕前自体は気にしないことにした。実は、俺より後から稽古に参加してきたロノウェや、休日にチャンバラをするだけのフォキアよりも下手なことに、俺自身傷ついていたのだ。根つめてやっても精神的に良くない。
だが、本当にこんな調子で軍人になって生き残れるのだろうか。
女神に会うまでは死ぬはずがない。
そんな自信も、少しばかり揺らいできた。元々、根拠のない自信ではあったのだが。




