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異世界でも現実は厳しい  作者: 懐中電灯
ハイラール編
14/79

#014「良いニュースと悪いニュース」

 軍人という選択が、俺の中で大きくなっていった春。

 俺は十歳になっていた。

 半年続けた剣の稽古の成果は芳しくない。体力だけは向上していたが、本当にそれだけだ。俺の剣の師匠は、ヴィーネの父ログレットである。ログレットは兄の剣の稽古にも付き合っていた。彼は従士の中で一番の剣の使い手だった。教え方もうまい。俺のペースに合わせ、俺の目線に立ってアドバイスをくれる。実際、ログレットの指導を受けた兄の剣の腕は、しっかりと上達したのだ。だから、今の俺の体たらくは、俺自身に原因がある。


 授業の合間の、ロノウェを交えた剣の稽古以外にも、俺は朝夕剣の素振りを行っていた。

 幼年学校入学まであと二年。幼年学校には入学試験はない。しかし、入った後の授業についていけるかは、やはり心配だった。知識には自信があった。だから、目下の問題は、実技である

 最初は、木刀を五回も素振りしたら、腕がガタガタになって上がらなくなった。それでも半年続けて三十回は振っても平気なぐらいまではなったが、せめて体力だけはもっと伸ばしたい。実際の剣の腕は、そのうち向上するだろう。

 朝は朝食前に、夕方は夕食後、庭に出て素振りを行う。だが、その日の夕食後、日課のために庭へ出ようとする俺を父が制止した。


「シトレイ、話がある」

「はい?わかりました」


 食堂で、そのまま家族会議が始まる。


「良いニュースと、悪いニュースがある」


 よく聞く台詞(セリフ)だ。

 この場合、良いニュースから聞くのが礼儀である。良いニュースは悪いニュースの前振りでしかない。


「良いニュースから聞きたいのですが」

「うん、実は、お前に弟ができる」


 本当に良いニュースだった。

 手放しで喜べる内容だ。一体、このニュースがどのようにして悪いニュースの前振りになるのであろうか。俺は考えを巡らせ、ひとつの答えにたどり着いた。

 ……不倫か。

 父の不倫なら、側室を迎える、で済むだろう。母の不倫だったら……大問題だ。この世界は男女平等ではない。


「……母上が、妊娠しておられるのですか?」


 恐る恐る口にした問いに対し、父はそのとおりだと答えた。母の不倫か。これはやっかいだ。俺は母を見据えると、神妙な顔で宣言した。


「母上が父上に対し、不誠実であったとしても、私は軽蔑しません。

 私の母上は母上だけです。私は、母上を見捨てません」


 俺の宣言に対し、母はキョトンとしている。


「シトレイ、貴方、何か勘違いしてる?」


 俺が説明すると、両親は怒り、そして呆れた。俺の弟は正真正銘、父と母の子らしい。どうやら、この世界では「良いニュースと悪いニュース」の様式美は通用しないようだ。

 ところで、母は妊娠ニヶ月だそうだが、どうしてこの段階で弟だとわかったのだろうか。


「それは、もちろん、私の子だからさ。

 我々は女神ドミナ様の一門だからね」


 父の話によると、我が家は女児が生まれない家系らしい。

 父に姉妹はいない。先代皇帝も、今上皇帝やコルベルン王ら息子は儲けたが、娘はいなかった。その前の世代も、その前も。

 やはりというべきか、太祖アガレスと女神ドミナの息子世代から、女児が生まれなかったらしい。そう言われてみれば、歴史書や家系図を見ていたときも、「皇女」の文字を目にすることがなかった。

 これも、女神ドミナの意志が反映されてのことであろうか。神は個々人の人生や転生先まで操作できるのだ。俺の頭の中に「いくら神様だってそんなことできるのか?」という疑問はわかなかった。


 さて、この世界で「良いニュースと悪いニュース」の様式美が通用しない以上、悪いニュースは母の妊娠とはまったく関係がないことなのだろう。そう思うと、予想できない分、悪いニュースの内容が気になる。俺は父に答えを急かした。


「で、悪いニュースというのは?」

「うん、実は、私が軍に現役復帰することになったのだ」

「父上は以前、もはや現役復帰するお気持ちがないと仰っておられましたが……」

「私が予備役でいられるのは、大きな戦争が起きない限りという条件の下での話だ。

 でな、その大きな戦争というのが起きてしまったのだよ。

 軍団監察官として前線に出ることになったのだ」


 この国は広く、長大な国境において様々な国や部族と接している。おおよそ、接している半分とは友好関係を築き、もう半分とは敵対関係に陥っている。敵対関係にある国との国境では常に我が軍が敵軍と対峙しており、小競り合いも多い。今回は、いつもの小競り合いが大規模なものに発展してしまったらしいのだ。

 敵は西部で国境を接するコルベルン王国。我が祖父アーモンと同じ称号を持つ君主が統治する国家である。こんなややこしいことになっているのは、歴史的経緯があるのだが、要するに我が国と敵国でコルベルン王位を主張し合っているのだ。ちなみにアンコの「コ」はコルベルンの「コ」である。


「軍団監察官と言えば……以前より昇進しましたわね。

 おめでとうございます、あなた」

「ははは。自領に引きこもっていた私が、復帰した途端昇進だ。

 これはやはり、私が陛下の甥だからだろうな」


 軍団司令官の下、監察官、参謀長、筆頭大隊長を軍団三役と称す。序列もこの順番で、予備役編入前に参謀長を務めていた父の監察官就任は、昇進を意味していた。


「まぁ、今更昇進など望まないが、監察官という仕事ならよい。

 監察官は軍団の経理係だ。作戦指揮に関わることは少ないから、

 私の指揮のまずさで兵が無駄死にするなんてこともないだろう」

「監察官は経理係なのですか?」

「ああ、そうだよ。

 本来任務は軍団の運営や作戦指揮を監督することだが、

 実際は金の流れの監視だ。前線には出るが、仕事内容は役人のそれだ」

「なるほど。父上の話はためになります。

 しかし、ご昇進され、職務も父上の意に沿うものであるのなら、

 悪いニュースではないのでは?」

「悪いニュースさ。

 フェニキアの出産に立ち会えない」


 改めて思い出した。父の母への愛は深い。


「それに、この大事な時に、

 家のことをシトレイ一人に押し付ける形になる」


 父の家族愛は、深かった。




============




 出陣の日。

 家族と、家臣たちは屋敷の玄関ホールに集合した。俺の小姓であるロノウェとアギレットもいる。

 父は黒い軍服に勲章をぶら下げ、マントを羽織っていた。軍の正装である。


「連れて行く従士は、この前申し渡したとおりだ。

 他は残り、領地の治安維持に務めよ」

「はっ」

「リュメールには領地経営の代行を任せる。

 それと、余裕があったらシトレイに我が領地のことを教えてやれ。

 次期領主にとっては、いい勉強の機会だ」

「かしこまりました」


 大方指示を出し終えると、父は俺の方に向き直った。


「私がいない間、お前がハイラールの領主だ。

 万事、リュメールの助言に従うといい。

 ログレットを連れて行くが、軍人を目指すなら剣の稽古は毎日続けるのだぞ。

 それと、フェニキアを頼む」

「はい。父上」

「ロノウェ、アギレット。

 お前たちはシトレイの小姓だ。主をしっかりと守るのだ」

「はっ!このロノウェ、伯爵様のご命令、しかと承りました」

「はい、がんばります」


 最後に、父は母を見据えた。


「じゃあ、行ってくるよ」

「新しい家族と共に、お帰りをお待ちしておりますわ」




============




「ご領主様のご出陣!!」


 父は黒いユニコーンに(またが)っている。この世界にも馬は存在するが、猛々しい角と美しい毛並みを持つユニコーンの方が、貴族や高級軍人には好まれるらしい。ユニコーンの中でも、黒いユニコーンは特に希少で高価だ。貴族や金持ちは黒いユニコーンに(またが)ることで、己の力を誇示する。

 父の黒いユニコーンは、父が軍に入隊する際に、祖父アーモンから祝いとして貰い受けたものだという。

 ユニコーンは普通の馬の十倍から十五倍ほどの寿命を持っており、昔は不老不死の動物と考えられていたらしい。馬よりも高価で寿命も長いせいか、貴族の家では何世代にも渡って当主の馬として受け継がれる。俺が父に軍人を志していることを告げると、父は喜び、俺が軍人となった暁にはユニコーンを譲ると宣言した。

 父の(またが)るユニコーン、名前はアーテルと言った。

 大きく、黒く、長く美しい毛並みを持つアーテルの姿は、素直にカッコイイと思えた。俺が軍人を目指す理由が、またひとつ増えた。


 父の(またが)るアーテルを先頭に、十数名の従士たちが続く。

 その後ろに、出征する者たちの家族が続く。家族組の筆頭は俺と母だった。


 沿道には領主を見送りに街の人間が詰め掛けていた。数百人はいるだろうか。ハイラールの街のほとんどの人間が集まっているようだ。領民たちは口々に「領主様万歳」とか「ハイラール万歳」とか「帝国万歳」と唱え、国旗を振っている。


 街で遊ぶようになって、五年。

 街の人間と交流を持つようになった俺の耳に、父への不満が入ってきたことはない。当然、領主の息子である俺の目の前で領主の悪口など言わないだろう。だが、街の人間が父のことを褒める時、それは俺に対しておべっかを使っているとも思えなかった。


「よその領地では、賦役が課せられることが多いらしいが、

 うちの伯爵様は絶対にそんなことはさせない。ありがたい領主様だよ」

「どうしても人夫が必要な時は、必ず給金を下さるしね」

「天子様の甥御で、まことにやんごとなきお血筋だが、大変気さくな方だ」

「我ら領民も誇りに思うよ」


 沿道を埋め尽くす人数を見れば、彼らの言葉が本心から発せられているものだとわかる。父の行列に従う俺は、領民に慕われている父の姿を目の当たりにし、誇らしい気持ちになった。


 こうして、息子の心に親の偉大さを植え付けた父は、領民の歓声に見送られながら出征していったのである。

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