#013「ロノウェの気持ち/ヴィーネの気持ち」
大事件だ。我が敬愛する主シトレイ様が、軍人を目指すと言い出したのだ。
まったく、冗談ではない。軍人なんて、常に死と隣り合わせの危険な職業だ。それにしては給料が安い。もちろん、百人隊長ぐらいにまで出世することができれば、それなりの給料を貰えると聞く。だが、兵卒の給料は雀の涙だ。衣食住が保障されているとは言え、年に金貨十五枚では、小作人よりも薄給ではないか。
僕はシトレイ様の小姓だ。将来は彼に仕えて、お爺様のように領主経営のお手伝いをするつもりだった。あるいは、シトレイ様は頭が良いから、政治家になるかもしれない。その場合は僕が秘書をやる。そういう人生設計だった。
それが、我が主の「私は軍人になる」という宣言で全ておじゃんだ。頭が良いのだから、官僚なり学者なりになればいいのに。そのほうが安全だし、給料だって良い。それがわからないのだろうか。我が主は、本当はそれほど頭が良くないのだろうか。勉強はできるが、頭の回転は悪いのだろうか。悪いのは目つきだけにして欲しい。
とにかく、シトレイ様は軍人になると宣言してしまった。宣言するだけどころか、なにやら剣の稽古まで始めている。僕たち兄妹が屋敷へ行くと、庭で黙々と素振りをしているシトレイ様の姿を目撃することが多くなった。我が主は運動神経が鈍いし、体力もない。そんな無駄なことは今すぐやめて、役人試験の勉強でも始めて下さい!
一度、我が主に翻意を促したことがある。
「シトレイ様、軍人は危険、汚い、きついの3Kです。
いや、3Kどころではありません。さらに給料が安い、休暇が少ないが加わります。
5Kですよ、5K!
軍人になるなんてやめましょうよ」
「軍人は国を守る立派な仕事だ。
父上も軍人だったし、その仕事に対して息子の私が憧れるのも自然なことだろう」
「ご領主様は、戦場では巧みな剣術を操る勇者だったと聞きます。
シトレイ様とは根本的に出来が違うんです!」
「おい、ロノウェ、怒るぞ」
我が主の意志は固いようだ。軍人の辛さを語るだけでは効果がない。それでは、別の切り口から説得を試みよう。
「シトレイ様、軍人の職務上、危険、汚い、きついは仕方のないことです。
ですが、給料が安いことや休暇が少ないことは一考すべきではありませんか?」
「給料は領主としての収入もあるから大丈夫だ。
それに、前線に張り付いているから休暇が少ないように思えるが、
父の話では、平時ではむしろ休暇が多い仕事だと聞いている」
「違います、違います。
軍人になった際、どう対応するかの話ではありません。
軍人の福利厚生の問題について話しているのです」
「どういうことだ?」
「つまり、命賭けで国家を守っている軍人の、待遇の悪さという問題です。
これは解決すべき問題だと思うのです。
シトレイ様が軍人に対して憧れと尊敬の念をお持ちなのであれば、
軍人の待遇改善にご尽力することこそ、貴族としての役目とは思いませんか?」
「うん?具体的にはどうしろと?」
「役人になって、軍人の待遇改善の運動を起こすのです!
どうでしょう?貴族として、皇族として、相応な政治目標だと思いますが」
「なるほど……いや、ダメだ。官僚だけは絶対になるつもりはない」
我が主の意志は固い。ここまで言って翻意を促せられないなら、もう無理だろう。シトレイ様が軍人になる以上、小姓であり第一の側近である僕も軍人にならなければいけない。僕の人生設計は大幅に狂ってしまった。
「わかりました。
そこまで仰るなら、もうお止めしません。
シトレイ様の第一の側近であり腹心であるこのロノウェ、
シトレイ様と同じく軍人を目指しましょうとも!」
こうして、僕も剣の稽古を始めるのだった。
いや、剣の稽古だけでは済まない。我が主は幼年学校に進むつもりらしいのだが、主と一緒に幼年学校に入るとなれば、二歳年上の僕は中途入学となる。無試験で入れる幼年学校も、中途入学となれば編入試験がある。二歳年上の僕は三年生に編入するわけだから、求められる試験の点数も高い。天才児であるシトレイ様と違って、僕は普通の学力しか持ち合わせたいなかったから(いや、もしかしたら普通よりも低い学力かもしれなかったが)、試験勉強が必要になる。
僕はその日から、ヴロア先生指導の下、幼年学校中途入学に向けて猛勉強を始めたのであった。
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最近、父がシトレイの話をよくするようになった。
何でも、シトレイの剣の稽古を、父がつけることになったらしい。そのため、父は毎日シトレイと話をするのだそうだ。だから、私たち家族との会話も、シトレイを話題にすることが増えている。
「ねぇ、お父さん、シトレイはちゃんと剣を扱えているの?」
普段一緒に遊ぶシトレイは、あまり運動神経が良さそうには見えない。かけっこで競争する時は、いつもアギレットと最下位争いをしている。以前までは、皆で走ると、いつもアギレットが置いていかれたから、私はアギレットと一緒に走っていた。だけど、シトレイと一緒に遊ぶようになってから、その役目は彼にバトンタッチしていた。
「こら、ヴィーネ、シトレイ様と言いなさい」
「ごめんなさい」
シトレイ本人は、自分のことを呼び捨てにしてくれと言う。だけど、他の人、特に大人たちの前でシトレイを呼び捨てにすると怒られる。当然だ。彼は領主の息子なのだから。
「うん、ああ、それで、シトレイ様の剣の腕だがなぁ……。
まぁ、まだ稽古を始めて一ヶ月もたっていないし、これから伸びるだろうさ」
これから伸びる。つまり、今は芳しくない。
泥ダンゴを投げる速さも、彼はいつまでたっても上達しなかった。プレボーをやっているときも、よくボールを見当違いの方向に飛ばしていた。彼と一緒にアンコやプレボーを遊ぶようになって随分経つけど、一向に上達する気配がない。
おそらく、剣の腕も……。
「シトレイ様は頭が良い方だし、将来の選択肢も多いと思う。
なんで軍人になりたいんだろう」
「さてな。
奥方様は官僚になってもらいたいご様子だが、
シトレイ様ご本人が軍人を志したのは、やはり伯爵様の影響じゃないかな」
領主様が軍人なのは知っていた。今は予備役らしいけど、昔は戦地に赴いたらしい。父も、従士として領主様に従い、何度か出征したことがあると聞いている。
領主様が予備役でいることについては、感謝していた。領主様がご出陣なされば、父も戦場へ行かなければならない。やっぱり、父がずっといないのは嫌だった。
でも、もしシトレイが軍人になったら、シトレイも戦場に行くことになるのだろう。そうなれば、彼と遊べなくなる。
シトレイが軍人になったとしたら、ロノウェも軍人になるのだろうか。彼は常日頃からシトレイの第一の側近を自称している。きっと、シトレイについていくだろう。
ロノウェが軍人になったら、彼とも会えなくなるのだろうか。
「やだな、軍人って」
私が無意識につぶやくと、それを聞いた父に再び叱られてしまった。でも、しょうがない。シトレイと、そしてロノウェと、会えなくなるのは嫌なのだから。