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異世界でも現実は厳しい  作者: 懐中電灯
ハイラール編
12/79

#012「将来」

 兄がアスフェンへ旅立つ日、俺は兄の木刀を貰い受けた。


「兄上は剣の稽古をつけるのが好きと聞いています。

 持って行かないのですか?」


 すると、兄は苦い顔で答えた。


「コルベルン王家に入るのだ。

 私は将来、官僚になる。

 将来が決まっているのなら、剣の稽古を続ける必要はない」


 淡々と答える兄の表情は、やはり、どこか悔しそうで、寂しそうだ。

 コルベルン王アーモンは、宰相であり財務大臣の要職にある。伯父ヴァレヒルも、昔は財務府に籍を置いていたらしい。そのコルベルン王家の一員になるのだ。養子に行くと同時に、兄の将来が決まったのだった。


「父上は軍人だった。

 私も将来は父上と同じ軍人になるつもりだった。

 実は、本来ならば、私は来年にも軍の学校へ入る予定だったのだ。

 だが、予定は変わった。

 軍人になるための剣だったが、もはや不要だ。だからお前にやる」

「わかりました。頂きます」


 兄は旅立っていった。後には、兄の使っていた木刀が残った。




============




「将来か……」


 いつもの休日。

 俺、ロノウェ、アギレット、フォキア、ヴィーネは、いつものように街の広場で買い食いをしながらおしゃべりをしていた。マルコが街を出てから、アンコやプレボーで体を動かす機会が減り、代わりにこうしてしゃべりながら時間を過ごす日が多くなっている。

 兄は、将来についてしっかりとした展望を持っていた。養子に行くことによって、大幅に予定が変わったようだが、それでも、将来を決めているということは変わらない。

 何も考えてなさそうだった兄が。……俺は、やはり兄を軽視していたようだ。


 思えば、マルコも将来は軍人になるといっていた。

 俺は、もう少ししたら十歳になる。剣の稽古は十歳から始めるのが普通だが、それは何も剣だけに限らない。

 この世界では十歳で将来の道を決め、十五歳の成人に向けてそのための準備を行うのだ。剣の稽古は軍人になるための準備。官僚を目指すなら、日々の学習が役人試験合格に向けたものへと変わる。


「どうしたの、次期伯爵様」


 俺のつぶやきに反応したのは、フォキアだった。同い年のフォキアも、俺と同じ悩みを持っているはずだ。


「いや、私たちはもうすぐ十歳になるだろう?

 そろそろ将来のことを考えなきゃいけないと思って」

「うん?

 シトレイの将来は決まってんじゃん。領主になるんでしょ?」


 確かにフォキアの言うとおり、領主として一生を終える貴族もいる。だが、父が言うには、それはあまり名誉ある生き方ではないらしい。領主としての仕事は、その地位に生まれた者の義務である。領地経営は、その者の義務をこなしているに過ぎない。他に仕事を持ち、社会に奉仕することこそが名誉ある生き方なのだ。

 伯父は体が弱いため、既に引退し、領主としての仕事に専念しているのだが、若い頃は財務府の官僚であった。父は軍人だ。現在は予備役で、父が戦場に出るところなどほとんど見たこともないが、軍人なのだ。


「領主の他に、何かしら社会に貢献しなきゃいけないらしいんだ。

 役人や軍人、教育者とか、聖職者とか……。

 父上は私を大学の先生か学者にしたいらしいけどね」


 前世で塾講師をやっていた俺としては、教育者こそを選択すべきかもしれない。だが、俺は教師にまったく興味がなくなっていた。そもそも、塾講師をやっていたのは歴史が好きで、歴史に触れる仕事がしたかったからだ。別に、人に教えることが好きなわけではない。あの当時だって、もっと選択肢に幅があったのならば、別の道を選択していたかもしれない。

 それに、一度経験しているから、嫌な部分も知っている。

 言うことを聞かない子供。授業の準備のためにプライベートを犠牲にし、成績が上がらなければ塾生の父兄にクレームを言われる。


「シトレイは何になりたいの?」

「まだ決めてないよ。だから悩んでる。

 とりあえず、役人と教育者は選択外だけどね」


 役人は論外だ。すべての役人のトップは祖父である。あの祖父とは極力関わりたくない。


「あたしは、シトレイの家臣になる予定だしなぁ」

「え、それまだ有効だったの?

 あれって兄上がハイラールの領主になったら嫌だからって話だろう?

 兄上はアスフェンに行ったし、もう(こだわ)る必要はないだろ」

「何、シトレイはあたしが家臣じゃ嫌なわけ?」


 フォキアからすれば、運よく領主の息子と友達になれたのだ。その領主の息子は、領主の跡継ぎに昇格した。とても大きなコネである。逃す手はない。フォキアがそういう考えを持っていたとしても、不快ではなかった。口の悪いこの子は、きっと、誠心誠意俺に仕えてくれるだろう。


「お優しいシトレイ様は、きっとフォキアを家臣に召し上げてくれるでしょう。

 ですが、忘れてはなりません。

 シトレイ様の第一の側近であり腹心であり家臣筆頭は、この僕です。

 貴方は、僕の部下として、シトレイ様にお仕えするのです」


 口を挟んできたのはロノウェである。ロノウェの将来は既に決まっている。ハイラール伯爵家の家臣だ。


「はぁ?

 それを決めるのはシトレイでしょ?

 何でロノウェが偉そうに決めるわけ?」

「僕は七歳の頃からずっとシトレイ様のお側に仕えていたのです。

 当然です」

「わかった。じゃあ、ロノウェ、あたしと勝負しなさいよ。

 家臣なら、主君を守るだけの力が必要でしょ?

 強い方が一番の家臣よ」

「これだから脳筋は……」


 マルコが相手なら、喧嘩になっていただろう。だが、相手がロノウェでは、殴り合いの喧嘩にまで発展することはなかった。ロノウェは喧嘩を売られても絶対に買わない。負けるのがわかっているからだ。


「シトレイ様が領主になった暁には、肉壁の成り手などいくらでも湧いてくるでしょう。

 ですから、シトレイ様の一番の側近に必要なのは、力よりも頭。

 換えのきく脳筋など、必要ないのです」


 と、ロノウェは煽りつつも殴り合いを回避することに必死だ。俺はそんなロノウェとフォキアを眺めていたが、ふと、アギレットが俺の服を掴んだ。


「あの、私も、シトレイ様の家臣です」

「そうだな」


 アギレットの将来も決まっている。

 悪知恵が働くタイプのロノウェと違って、頭の良さで言えば、妹の方が優れていた。ロノウェの論法に従うなら、第一の側近の座はアギレットになる。アギレットは不安そうに俺の服を掴んだままだ。アギレットと出会って五年経つが、彼女は最初の頃とあまり変わらない。白い肌と前髪を切りそろえた髪型は、座敷童子を思い出す。身長も小さい。


 フォキアも、ロノウェも、アギレットも将来は決まっているらしい。となれば、俺と悩みを分かち合えるのは、ヴィーネだけだ。


「ヴィーネは、将来どうするの?」

「うーん……。私は女だし、家の手伝いをしながら、そのうち誰かのお嫁さんになるのかな」


 そうだった。

 この世界は、前世の世界ほど男女平等ではない。父の話を聞く限り、政府にも軍にも女性官僚や女性軍人がいるようだが、同時に女性が就く一番ポピュラーな就職先は専業主婦だった。

 結局、この中で、将来を悩んでいるのは俺だけだった。




============




 夕食の席。一人減った食卓は、やはり違和感を感じる。寂しいという気持ちは一切ないが、物足りないとは思った。

 食事を終えると、ワインを飲んでいた父に対し、改めて進路について相談を持ちかけた。


「最近、やけに将来を気にするかと思えば、そうか。

 シトレイはそろそろ十歳になるのだったな」

「ええ、父上。

 父上は、私が大学教授になることを望まれておられるのですか?」


 父の以前の発言を思い出し、父の意向を確認した。だが、父は否と言った。


「ああ、あれはシトレイが勉強熱心だから言ったのだよ。

 シトレイの将来を決めるのはシトレイだ。

 もちろん、貴族として恥ずかしくない仕事にして欲しいけどね」

「はい。

 ところで、父上は軍人をやっていたそうですが、

 なぜ軍人になろうと考えたのですか?」

「ああ……、

 あまり格好の良い話ではないよ」


 父の話によれば、軍人になったのは祖父の命令によるものらしい。


「当時から、父上……お前のお爺様は宰相であらせられたからな。

 政府を掌握するコルベルン王家としては、軍への影響力を伸ばしたかったのだよ。

 それで、私はお爺様のご命令によって、軍に入隊したのだ。

 ……シトレイには難しい話だったかな?」

「いえ、理解できます」

「そうだったな、お前なら理解できるだろう。

 うん、だから、私は自分で軍人になろうとは考えもしなかったのだよ。

 全てお爺様のご命令さ。

 ……まぁ、結局、コルベルン王家の軍への影響力伸張なんて夢のまた夢だったがね。

 私は用兵の才がなかったし、怪我をしてから自宅療養だったのだが、

 そのまま予備役になってしまったのだよ」

「父上は、戦傷を負われたのですか?」

「はははは、確かに場所は前線の宿営陣だったが、

 段差で(つまづ)いて頭から転げ落ちたのを、

 戦傷と言うなら、そうだろうな」


 そういうと、父は前髪を上げた。今までまったく気づかなかったが、おでこの上の方に二針ほど縫った跡があった。確かに戦傷ではないだろうが、縫ったほどの大怪我だったのだろう。傷は古いが、深そうだった。


「傷の具合はもう大丈夫なのですか?」

「ああ、見てのとおりさ。もうだいぶ古い傷だしね」

「では、父上は再び戦場へ出るのですか?」

「それはないよ」


 父の軍人時代の話を聞くと、父の新たな一面が見えてきた。いつも優しく、領主としての執務も真面目にこなす彼は、どうやらフォキアやマルコと同じタイプの人間らしい。


「百人隊長までは良かったよ。戦場で剣を振るえたからね。

 軍人としての適性に疑問を感じ始めたのは、大隊長になったあたりからだ。

 自ら兵を率いるのではなく、後方で指揮するようになってから、

 どうも自分は軍人に向いていないのではないかと思い始めたのだよ。

 自分は軍人ではなく兵士だったのだ、とな」

「なるほど」

「私の指揮する大隊は、ことごとく負けたよ。

 それでも、私は一応皇族の端くれだったから、出世していったのだ。

 最後は軍団参謀長にまでなったが、結局それもお飾りだった。

 怪我をしたことを機に、私は軍務から離れることを考え始めた」


 思えば、従士や領民たちを集めて害獣駆除に赴くとき、父の顔は活き活きとしていた。害獣駆除は危険が多いが、父が領民を率いた際に死者を出したという話は聞いたことがない。現場レベルでは、父は有能な人材なのだろう。父の不幸は、彼の生まれが、才能を活かせる現場に留めておくことを許さなかったことにある。


「自分が向いていないと感じる以上に、

 自分の指揮のまずさで部下が死んでいくことが辛かった。

 最初は父上……お前のお爺様にも叱られたものだが、これだけは譲れなかったのだ。

 結局、私は、次に大きな戦いが起こるまでを条件に、予備役に回ることを許されたのだ」


 父の話が終わると、俺は礼を言って自分の部屋に引っ込んだ。


 父は、現場から離れることを苦に軍人自体を諦めたようだが、俺にとってはどうだろうか。俺は体を動かすことが苦手だが、ある程度出世して、指揮官になった場合はどうか。

 アンコでは、作戦を考えるのが好きだった。皆に参謀向きだと言われたこともある。

 この世界の歴史を勉強している時、当然、この世界の有名な戦いについて学んだこともあるのだが、術での一撃必殺が前提のこの世界の戦いにおいて、その戦術に改善の余地があるようにも思えた。もちろん、今生でも前世でも軍の指揮など執ったことなどない。アンコと戦争は同列に見ることはできないし、この世界の戦術に改善の余地があるといっても、素人考えの机上の空論なのは百も承知だ。

 だが、その机上の空論を試してみたい気持ちもある。


 それから、俺はこの国の軍人について調べ始めた。




============




 軍人になるためには、三通りの方法がある。


一、身一つで入隊する

 近場の大きな街、この辺りだとアスフェンになるが、そこにある軍の出張所へ出向き、兵卒に志願する。資格は十五歳以上の心身共に健康な成人男女。試験(といっても、簡単な面接と身体測定だけだが)に合格すれば兵卒見習いとなる。この後、最寄の軍団駐屯地へ赴き半年間の訓練を受ける。訓練を耐え抜けば、晴れて兵卒となり、前線に配属される。最初の階級は二等兵。


二、軍人貴族の従士になる

 軍籍を持つ貴族の従士に志願する。基本的にはコネか、自分の住む領地の領主が軍人貴族の場合、その領主に見初(みそ)められれば、従士になれる。

 最初の階級は二等兵だが、領主が昇進すればそのおこぼれに預かり、出世のチャンスは得られる。


三、軍学校を卒業する

 多くの貴族が選択するであろうコース。十五歳で士官学校に入り、十八歳で卒業する。入学資格は十五歳以上十九歳以下の心身壮健かつ愛国心を持つ男女。卒業後成績優秀者上位十名は百人隊長に、その他は十人隊長に就任する。

 また、十二歳から十五歳までは士官学校入学の準備として幼年学校というものもあり、剣や術の基礎、軍人としての心得や一般教養を学ぶことができる。幼年学校卒業は士官学校入学への必須条件ではなく、十五歳以下の年齢で、編入試験さえパスすれば中途での入学も可能だ。幼年学校卒業者は試験なしで士官学校に進むことができる。

 軍人になる方法という趣旨には外れるが、幼年学校や士官学校の他に、軍大学校というものもある。士官学校卒業、三年以上の軍務経験、大隊長以上の階級、と入学条件は厳しいが、卒業すれば軍団参謀に昇進することができる。


 俺が軍人になるとすれば、取る方法は三つ目で決まりだ。

 一つ目を選択した場合、兵卒見習いを卒業できないまま落第するだろう。半年間の訓練ではひどいしごきが待っているらしい。鬼軍曹ならぬ鬼百人隊長に、心身ともに鍛えられるのだ。俺には無理だ。

 二つ目も厳しい。まずコネがない。いや、父のコネがあるかもしれないが、おそらく採用はされないだろう。従士は主君の護衛の他に、戦場や領地での雑用までこなさなくてはならないのである。貴族の子弟が他の貴族の従士になることはまずない。仮にも俺は貴族の息子、伯爵の嫡男に昇格したし、しかも聞くところによれば皇帝の又甥に当たるらしい。相手が遠慮するだろう。

 そうなれば、やはり多くの貴族が選択する三つ目の方法が現実的である。


 軍人はいい。

 軍官僚や近衛兵を除けば、基本的に前線が勤務地となる。役人や学者になったら都に居を移さねばならない。それでは祖父と顔を合わせる機会が増えるだろう。あの得体の知れない老人とは、極力会いたくない。


 これまで、俺はこの世界で生きていくことだけを目標にしていた。

 言語取得はその一環だったし、俺が前世以上に知識欲旺盛なのもその表れであろう。そんな俺が、将来を考えた際に出た答え―――新たな目標が、軍人という道だった。

 確かに、他の職に比べれば、身の危険が高いであろう。だが、俺は、自分が死なないという確信があった。なぜなら、俺は女神ドミナに望まれてこの世界に転生したのだ。彼女に会うまでは、多分俺は死なない。


 その日から、俺は苦手としていた剣の稽古を始めた。

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