#011「アーモン」
アーモンが死んだ。
と言っても、兄のアーモンではない。死んだアーモンは従兄弟に当たる人物だった。
この世界では、長男が生まれたら自分の父の名前、つまり生まれた子から見れば祖父にあたる人物の名前をつける。そのために、祖父と孫は同じ名前だし、従兄弟同士で同じ名前なのは珍しくなかった。紛らわしい命名ルールである。
死んだアーモンは、父アガレスの兄ヴァレヒルの息子であり、本家の嫡孫であった。というわけで、分家である我がハイラール伯爵家は一家総出で葬儀に参列することとなった。
アスフェン。
ハイラールの街から馬車で四日ほどの距離にある。伯父ヴァレヒルが統治する街。死んだ従兄弟アーモンが生受け、そして生を終えた街だった。
アスフェンは、ハイラールに比べてかなり大きな街だった。広場を中心に十数件の商店が点在するハイラールに対し、アスフェンの中央通りは左右に延々と商店が続く。
ハイラール伯爵一行がアスフェンに到着したのは夕暮れだったが、その時間でも通りは人で溢れていた。前世ならいざ知らず、この世界に生を受けてから、こんな人ごみを見たことはなかった。
父によれば、アスフェンの都市人口は六万五千人。ハイラールの六十五倍の人口である。
そのアスフェンの中央に位置する大聖堂が、葬儀の会場であった。
「この度は、ご愁傷様です。兄上」
父アガレスが挨拶した相手は、伯父ヴァレヒルだ。
爵位は公爵。この国の爵位制度には侯爵に当たる位が存在しないため、伯爵である父のひとつ上の爵位ということになる。
ヴァレヒルは物腰柔らかな紳士といった人物だったが、ひどく痩せており、蓄えた口ひげやオールバックの濃い銀髪には、はっきりとした白いものが混じっている。歳は三十代後半。父と三歳違いという話だったが、父よりもはるかに年上に見える。
「わざわざすまないな、アガレス」
「いえ、本家の葬儀に馳せ参じるのは当然のこと。
こちらは、妻のフェニキア、右がアーモン、左がシトレイです」
「伯爵妃か。
君たちの結婚式以来だったかな?」
「お久しぶりです、お義兄様。
お義母様のご葬儀以来ですわ」
貴族など、年がら年中親戚を招いてパーティばかりやっているものだと思っていたのだが、俺がこの世界に生を受けて以来九年半、両親や兄以外の親族と会うのは今日が初めてだった。
三年に一度、帝都へ参勤交代に赴く父は、都でよく親戚と顔を合わせるのだそうだが、都以外で顔を合わせることは少ないらしい。
何でも、こういった冠婚葬祭を除き、各々の貴族が領地を行き来することを、政府が禁じているというのだ。理由は簡単に想像がつく。地方貴族同士がよしみを通じ、大きな勢力に育つことを警戒しているのだろう。このあたりは、西洋の貴族よりも江戸時代の大名に似ている。
「ああ、そうであった。
母上の葬儀以来か。伯爵妃も変わりないようだな。
そちらは……息子たちか。息子たちとは初めて会うな。
いや、アーモンとは葬儀で会ったか」
「ハイラール伯爵が長男、アーモン・アンデルシア・ハイラールです」
「同じく、次男シトレイです」
伯父は俺たち兄弟を見ると、満足げに頷いた。
「元気に育っているな。何よりだ。
うちのは体が弱かったからな……」
「兄上……」
「可愛そうな子だよ。
私に似て病弱でな。こんな父に似なければと、つくづく思う」
伯父ヴァレヒルは蒲柳の質で、結婚してから何年も子供が生まれなかった。弟夫婦に遅れ、やっとの思いで授かった長男は、そのヴァレヒルよりも病弱で、十年の人生のうちの半分以上を寝たきりで過ごしたという。
俺は大人たちの会話を神妙な顔で聞いていた。
周りに合わせて、ということもあったが、両親たちが話す従兄弟の境遇に考えさせられるものがあったのだ。自分が従兄弟のように生まれつきの病弱だったらどうだろう。なまじ、前世での健康体だった自分の記憶がある分、子供の頃から寝たきりの生活を強いられていたら耐えられなかっただろうし、将来に絶望していたであろう。俺が従兄弟と同じ立場だったら、十歳を待たずに自ら命を絶っていたかもしれない。
俺は、魔法だ冒険だ美少女奴隷だと騒いでいた自分が、ひどく小さい人間に思えた。
「コルベルン王殿下ご入来!」
故人と、そして俺の兄と同じ名前を持つ祖父アーモン。
ヴァレヒルのさらに上の爵位である「王」を名乗っている。この場合の「王」は、君主号ではなく、諸侯王としての称号だ。故に敬称は陛下ではなく、殿下となる。
コルベルン王アーモンは背が高く、恰幅が良い。痩身の伯父ヴァレヒルとは対照的だ。口ひげと髪には程よく白髪が混じっている。ロマンスグレーというやつだ。伯父ヴァレヒルの白髪は、彼の病弱と苦労を感じさせたが、祖父アーモンの白髪は「良い歳のとり方の見本」のように思えた。これも対照的である。
開いているのか閉じているかわからないほど目が細かったが、おかげでいつも笑みを浮かべているように見える。これは俺と対照的だった。俺は生来の目つきのおかげで、睨んでいるわけでもないのに、いつもガンを飛ばしているように見える。
「ヴァレヒル、お悔やみを申し上げる」
「父上、わざわざのご足労、恐縮です」
実は、コルベルン王アーモンこそが、このアスフェンの領主である。だが、コルベルン王は政府の要職にあり、普段は都にいるため、アスフェンの街の統治は嫡男のヴァレヒルが代行している。だから、形の上では自分の領地に戻っただけなのだが、実際は「わざわざのご足労」なのだ。
「コルベルン王家の大切な世継ぎを亡くしました。
私の不徳です。申し訳ありません」
「言うな。
世継ぎのことは儂にも考えがある。安心しろ。
まずは、孫の冥福を祈ろうではないか」
恰幅の良い祖父が痩身の伯父を慰める。親子なのに、二人はまったく似ていなかった。
「よく来たな、アガレス、それにフェニキアも」
「はい、父上」
「お久しぶりです、お義父様」
父と母は祖父に対し一礼した。
「そこの二人は、アーモンとシトレイか」
俺とアーモンは、伯父と対面した時と同じように、祖父に自己紹介をしつつ、挨拶した。
「アーモンは、九年ぶりか。
シトレイと会うのは初めてだったな」
伯父との会話でも話題になったが、どうやら、コルベルン王家の中で祖父や伯父と初対面なのは俺だけのようだった。兄が祖父や伯父と初対面する場となったのは、コルベルン王妃、つまり祖母の葬儀だったらしい。今から九年前であり、既に俺はこの世界に生を受けていたのだが、まだ乳飲み子であった。当時、両親は俺の世話をメイドに任せ、二歳の兄を連れて葬儀に参加したらしい。
「普通、赤ん坊でも何日も親と離れれば泣きわめくものだと思っていたが、
後でメイドから聞いた話では、シトレイは一回も泣かなかったらしいのだ。
それを聞いたフェニキアが、
『母親と離れても、寂しくないのかしら』と残念がっていたよ」
これは父アガレスの談だ。
「アーモンは街の子供たちとよく遊ぶそうだな。慕われていると聞く。
人望があることは良いことだ」
「ありがとうございます」
「ええ、お義父様。
アーモンはいつもたくさんの子供たちに囲まれていますの。
それに、去年から剣の稽古をつけ始めたのですが、
屋敷の従士たちの話によれば、筋が良いそうなのです」
「それは重畳」
いつか、兄が両親は俺ばかりを褒める、と嫉妬していたが、そんなことはない。母は俺たち兄弟を平等に愛している。ただ、兄よりも俺の方がよくしゃべり、両親たちもそれに反応するから、俺の方が好かれていると勘違いしたのだろう。
「うむ、お前は、シトレイか」
祖父は俺の目をじっと見つめる。見つめ合う二人。あんまり見るな、照れるじゃないか……。
「ひどい目つきだな」
「申し訳ありません、生まれた時からこのような目つきなのです。
決して、お爺様を睨んでいるわけではありません」
「そうか。そうだろうな」
ここ最近、新しく人と知り合う機会が少なかったからか、目つきのことを指摘されることが少なかった。伯父も、目つきのことは何も言わなかった。だから、祖父からいきなり目つきのことを指摘され、少し動揺してしまった。
「お義父様、シトレイは確かに目つきは険しいですが、礼儀正しい子なのですよ。
それに、とても勉強熱心です。
まだ十歳にもなっていないというのに、既に大学でも通用する学力を持っていますのよ。
将来官僚になれば、お義父様のお仕事のお役に立てると思いますわ」
「ほう……」
母は、いつか主張していた、お義父様に頼んで俺を官僚にする、という計画を実行しているようだ。そんな母と俺に対し、祖父はなにやら思案するように黙った。
その時、教会に隣接する塔からカーンと鐘の音がした。夜七時の鐘だ。鐘の音が終わると、式部官から葬儀開始の声がかかる。ひとまず、コルベルン王家の六人は解散し、式に臨むこととなった。
この世界の風俗は中近世ヨーロッパのそれだが、妙に日本と共通する部分があるようだ。
その例の一つが葬儀である。
まず、棺を前に、神父が延々と祈りを捧げる。神父が祈りの言葉をつぶやいている間、参列者は順番に棺へと花を投げ込んでいく。お経を上げる坊主と、その横で焼香を上げる参列者とまったく同じ光景だ。
次に、神父のありがたい説教が続き、それが終わったら大聖堂に付随する火葬場へ移動し、故人が荼毘に付される。
最後に、食事会となる。食事会では精進料理が出される。
俺はブールパンと肉なしスープに食らいついた。
正直、まずい。精進料理では必ず堅いブールパンを食し、そのブールパンも、こういった場では水やスープに浸すことが禁じられているらしい。スープも、ただ野菜を湯に放り込んで塩を振りました、というようなぞんざいな出来だ。しかし、このイギリス料理のような味気なさこそが伝統というものらしい。そして、こんなまずい料理でも、四日間馬車に揺られ続け、アスフェンに着くや否やそのまま葬儀に参加させられた俺にとっては、大変なご馳走に思えた。
「それほど、うまいか?」
声をかけられて振り返ると、そこにはワイングラスを持った祖父がいた。
「空腹でしたので」
「そうか。
空腹は最高の調味料とも言うしな。
しかし、精進料理を真面目に食べているのはお前ぐらいだ。
普通は一口手をつけたら、あとは酒に逃げるものなのだがな」
一心不乱に食べていたので気づかなかったが、周りのテーブルを見ると、確かに、料理はほとんど手付かずで残っている。一方、開けられるワインボトルの数は多い。
「私はまだお酒が飲める歳ではありませんので」
「そうか、そうか。そうだったな。
お前はまだ十歳だった。いや、九歳か」
祖父は、はははっ、と短く笑った。だが、俺はその笑いに違和感を感じずにはいられない。細い目つきのせいか、いつも笑って見える。今の笑いも、口では笑っていたが表情の変化はなかった。
「ところで、フェニキアから聞いたぞ。
お前はよく勉強しているようだな。数学が得意と聞いたが。
どうだ、儂の仕事はよく数字を扱う。お前が大きくなったら儂の元で働かぬか?」
どうやら、母の売込みが成功したように見える。だが、残念なことに俺は数学が得意というわけではない。前世の世界とこの世界での数学という科目が、ほとんど同じ内容だったために通用しているのだ。今後、今以上に学力が伸びることはないだろう。
「母上は私を過大評価しておられるのです。
確かに、他の子供に比べ、私は数学の学習ペースが進んでいるでしょう。
ですが最近は難易度の高い問題の前に悪戦苦闘しています。
これ以上私の学力に伸び代があるように思えません」
「はははっ、お前は本当に子供か?
九歳の子供が、自分の能力に限界を感じるなど、普通はないぞ。考えもしないはずだ。
良く出来た子だ、シトレイ。……良く出来すぎている」
祖父の表情は変わらない。細い目と、髭で口元が隠れているため、笑顔にしか見えない。
「……お前は、前世というものを信じるか?」
「はい?」
「あるいは、転生とか」
「……」
絶句した。
前世だ転生だとおかしなことを言う祖父に面食らったわけではない。俺は前世の記憶を持っている。自分が転生した事実も知っている。
祖父は、この男は、俺の中身を知っているのだろうか。
それとも、あくまで葬儀の場だからか。故人は死んだのではない、生まれ変わるのだという類の話だろうか。
「どうした?シトレイ。
お前は本をよく読むのだろう?知らぬ話ではあるまい」
「前世や転生といった話は、民間信仰や……オカルトで人気の題材ですね。
ドミナ教の教えにもない話です。
考えたことがありません」
とりあえずシラを切り、当たり障りのない答えを返した。
「なぜ、そのような話を?」
「何、フェニキアから聞いていたが、実際話してみたら、
お前が本当に頭の良い子だと思ってな。
お前が高名な政治家や学者の生まれ変わりではないかと思ったのだ」
「そうですか」
「はははっ、酔っ払った老人の戯言だ。
気にするな」
そういうと、祖父は席を立った。去り際に、一言残して。
「その才覚、太祖アガレスの生まれ変わりではないか、と思うくらいだ」
相変わらず、祖父は無表情の笑顔だった。
後のことはあまり覚えていない。食欲が失せたことだけは覚えている。その後、アスフェンでの滞在中でも、四日かけての帰路でも、俺の頭から祖父の顔が消えることはなかった。
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俺は祖父に恐怖していた。
今の俺、シトレイ・アンデルシア・ハイラールは、貴族の家に生まれ、勉強ができ、そして友人にも恵まれている。魔法を覚えて俺TUEEEEとか、美少女奴隷を侍らせてハーレムを築くとか、そういう野望は潰えたが、それでもうまく人生を送っている。
俺は、手に入れた日常を壊したくない。
そんな俺にとって、祖父が俺の中身を見抜いているかもしれないという可能性は、自分の境遇を知る人間を得たという喜びよりも、俺の中身のカラクリを暴かれ、今の日常を失わせるかもしれないという恐怖に感じられた。
勉強できるのは中身が三十代中盤だからです。君たちと毎週遊んでいたシトレイは、中身が君たちよりも二十以上年上のおっさんなのです。
俺は両親の信頼も、大切な友人も失うだろう。
ハイラールの街に戻った俺は、書物や両親の話を通して、祖父の情報を集めた。特に、父アガレスは大変協力的だった。どうも父は、祖父を尊敬しているらしい。俺が祖父について質問すると、聞いていないことまで語りだし、最後は「お前もお爺様のように立派な人間になるのだぞ」と締めくくった。
アーモン・アンデルシア・コルベルン。
爵位は王。帝室には四つの分家があり、それぞれが王位を持つ。アーモンはその四王の一角を占める。先代皇帝の息子であり、今上皇帝の弟にあたる。
宰相の要職にあり、政府を掌握している。宰相は財務大臣を兼ね、政府の予算権を握る。葬儀の食事会で祖父が言っていた「儂の仕事はよく数字を扱う」とは財務府での仕事のことであろう。
父の話によれば、今上皇帝はあまり政務に熱心ではなく、そのため、弟である祖父が国政において主導権を発揮しているのだそうだ。
祖父は幼い頃から才能豊かだった。早熟の天才で、幼少の頃から難しい本を読み、同年代の子供に比べ、はるかに早いペースで学習を進めていったらしい。……どこかで聞いたような話である。
祖父の人となりを調べても、俺の心は一向に休まることがなかった。
俺の中身に感づき、前世の話を振ってきたのか。それとも、当人が言うように、酒の席での戯れか。
とりあえず、俺は、なるべく祖父に近づかないように心がけようと思った。
今のところ、ハイラールの街に居る限り、祖父と接触することはない。将来は、祖父と接点のない仕事に就けばいい。君子危うきに近寄らず、というやつだ。
母には悪いが、俺が官僚になることはないだろう。
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祖父との対話が俺にとって大事件だったのに対して、同じく大事件の渦中に身を置く人間がいた。我が兄アーモンである。
いつもの授業中。ロノウェやアギレットを尻目に早々と与えられた数学の問題を解き終えた俺は、ヴロア先生の許可を得て、祖父の情報を集めるため『紳士録:貴族版』を読んでいた。その時、珍しく授業が行われている勉強部屋に父が来たのである。
「アーモンが家出した」
いつまで経っても姿を現さない兄を不信に思った兄の家庭教師が、兄の部屋を訪ねた。兄の部屋はもぬけの殻で、机の上に手紙があったという。
俺は父から、件の手紙を受け取った。
その紙切れには一言「家出します。探さないで下さい」と書かれていた。テンプレそのまんまの、なんとも美しく簡潔な文章である。
「既に家臣たちに言って、街の出入り口を固めさせた。
街の者の話では、アーモンを見かけた者は何人もいるが、
街から外へ出て行った様子はないようだ。
おそらく、まだ街中にいるはずだ。
すまないが、お前たちもアーモンを探してくれないか?」
「わかりました。探しましょう。
ところで父上、兄上が家出をした理由に心当たりはありませんか?」
「……、
もう少ししたらシトレイにも話そうと思っていたのだが……」
ロノウェとアギレットを引きつれ、俺は街へと繰り出した。学校で授業を受けていたフォキアやヴィーネも合流する。アーモン探索が始まった。
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アーモンはすぐに見つかった。街の空き地。よくプレボーをやる、あの空き地だ。兄たちとのアンコ勝負の舞台にもなった場所である。アーモンは、その空き地にある切り株に腰を下ろしていた。
「兄上」
「……」
「屋敷へ戻りましょう。兄上」
「断る」
「話は聞きました。
兄上の気持ちはどちらにせよ、ここにいてもしょうがないでしょう」
俺は探索に出る前、兄の家出の理由を父から聞いていた。
「余裕ある表情だな、シトレイ。
俺の地位を奪って、そんなに嬉しいか。次期ハイラール伯爵」
跡継ぎを亡くした伯父ヴァレヒルの養子に、兄アーモンがなる。葬儀の席で祖父が決めたことらしい。体の弱い伯父は、もう子供を作ることができない。
「結局、父上も母上も、俺よりお前を愛しているということだ。
そんなこと、ずっと前からわかっていた。
だが、わかっているからといって、納得できるかは別だ」
「……」
「なんだ、その目つきは。
そんなに俺が憎いか。俺はお前が憎い。両親の愛を独占するお前が。
だが、お前は俺を軽んじてはいても、憎む必要はないだろう」
「目つきは、生まれつきです」
「ふん、そうだったな。
気に入らない目だ。
さぁ、シトレイ、お前はさっさと屋敷に戻って父上や母上に言ってこい。
俺がいらないのなら、養子に行くのも家出するのも同じだろう、とな」
アーモンは俺の二歳年上である。そして、俺の中身から見れば、二十歳以上年下だ。軽んじている態度を取ったつもりはない。だが、心の中では、間違いなく軽く見ていただろう。兄も不幸だ。弟の中身は遥かに年上なのだから。だが、だからといってすべての責任を俺が負う必要はない。軽視されることが嫌なら、それなりに大人になればいいのだ。
「わかりました。
では、私が兄上の代わりに養子になりましょう」
「何」
「私がコルベルン王位を受け継ぎます。
兄上は伯爵です」
「俺がお前の風下に立て、と?」
「それが兄上の望みなのでしょう?」
「お前は、どれだけ俺を馬鹿にするのだ!」
「兄上がいつまでたっても馬鹿だからです」
「何だと!」
兄は立ち上がり、俺の胸倉をつかんだ。九歳の俺に対し、兄は十一歳。15センチ以上の身長差がある。正直怖い。が、表情には絶対に出さなかった。
「殴りたければ、どうぞ」
「く、お前……」
「どうしました?
殴ればいいじゃないですか。
勉強では私に勝てなくても、暴力なら勝てるんじゃないですか?」
「クソ、お前……!」
しばらく二人はにらみ合いになったが、兄はふっ、とため息を吐くと、俺の胸倉から手を離した。
「剣で勝負しろ」
「はい?」
「知っているか?
父上は若い頃、軍人として戦場を駆け巡っていたのだ。今は予備役だが、軍人なのだ。
軍人の子供である我々兄弟が優劣を競うなら、剣で勝負すべきだ」
屋敷に戻ると、両親や家臣たち、メイドたちが出迎えた。だが、兄は謝罪もそこそこに二本の木刀を持ち出し、俺を庭へと誘った。兄は木刀の一本を俺へ放り投げる。
「真剣での勝負だと思え。
一撃でも相手に与えたら、勝ちだ」
そう言うや否や、兄は木刀を構えた。対する俺も、木刀を構える。
兄の方が体格が良い。当然、俺よりもリーチが長い。
兄の構えは、少し上向きな気がする。身長差を生かして、俺の頭に叩き込む腹だろうか。真剣でなくとも、木刀は凶器だ。鈍器である。まともに食らったらただでは済まない。こいつは俺を殺す気か。ならば、俺は兄が木刀を振り上げる瞬間を狙って、わき腹に一発入れてやろう。本気で叩き込んでやる。
作戦を決め、俺は木刀を低めに構えた。兄が俺の頭を狙ってくるよう、誘う意味もある。そして距離をつめる。すると、案の定兄は木刀を振り上げようとした。
「そこだ!」
俺は兄のわき腹目掛けて木刀を振った。と、同時に、俺の右肩に激痛が走る。兄は木刀を振り上げる直前で止め、短い動作で俺の肩を狙ったのだ。兄の狙いは完璧に当たっていた。
「痛い、痛い!」
俺は肩を抑えてのけぞると、そのまま尻餅をつき、肩を抱きながら地面を転がった。剣道のように防具をつけていないのだ。めちゃくちゃ痛い。端から見れば無様な姿だろう。
「シトレイ」
「痛いだろ、クソ!」
「……シトレイ、お前もそんな言葉遣いをするのか」
兄は、なにやらすっきりした表情を浮かべている。こっちは激痛に悶えているというに、何一人ですっきりしているのだか。
「……今思い出しました。
葬儀の時、母上が兄上の剣の腕を自慢していたのです。
兄上は、自分の得意分野で、私に勝負を仕掛けたのです。
自分のことが卑怯だとは思いませんか?」
「俺、いや私からすれば、何でもできるお前が気味悪かったのだ。
だが、私でもお前に勝てるものがあるとわかったし、何よりお前が取り乱すところも見れた。
満足だよ」
そういうと、兄は心配そうに見ていた両親に向き直った。
「私は伯父上の養子になります。
ですが、私が父上や母上の下に生を受け、
ハイラールの街で、この屋敷で、育ったことは変わりません。
私は父上と母上の子供です。どうか、忘れないで下さい」
涙を浮かべ、駆け寄る父と母。息子を抱きしめながら「ごめんなさい、ごめんなさい」と謝罪を繰り返す母。抱き合う二人を、さらに外側から抱え、「お前は自慢の息子だ、私たちの息子だ」と満面の笑みを浮かべる父。目に涙を溜めながら、「ありがとう」を繰り返す兄。
そして、抱擁する家族に忘れ去られ、肩をさする俺。
まったく納得いかないが、どうやら兄弟のわだかまりは解消され、アーモンは気持ちよく旅立っていけそうだった。