#010「マルコ」
休日。
俺はいつものように街へと出かけた。舗装された地面と、いつも流れているからか、透き通った水を湛える綺麗な池。
池を囲むように、商店が並んでいる。この広場が、いつもの待ち合わせ場所だった。
そして、いつもどおり昼過ぎの時間に、いつもどおりのメンツが揃った。ロノウェ、アギレット、マルコ、フォキア、ヴィーネ、そして俺。
やることは決まっていない。一番最初に遊んだときのように、アンコをする日もあれば、空き地へ移動してプレボーをする日もある。そうやって、子供らしく元気に体を動かして遊ぶ日もあれば、商店で買い食いし、ただしゃべるだけの日もあった。
今日は、そのただしゃべるだけの日だった。
「堅ってぇ!
やっぱ、ブールパンをスープなしで食うのは間違いだったか」
黒茶色のパンを力いっぱい食いちぎりながら、マルコは後悔を述べた。小麦粉、イースト、塩、水だけで作られるブールパンは庶民の味方だ。ドミヌス銅貨一枚で、五つは買える。食感よりも日持ちを重視した作りのため、堅く焼しめられており、スープやワインに浸して食べるのが普通だ。
ふと、マルコはそばの池にブールパンをくぐらせた。
「お、食える」
いくら綺麗な水でも、それはないだろ……。
「ほら、これならいけるぞ、シトレイ」
「いや、遠慮する」
これでも貴族の息子だ。この七年、いやもうすぐ八年になるが、八年間しっかりしたものしか食べさせられていない。貴族のプライドどうこう言う前に、自分の胃腸が、マルコの実践するワイルドな食事についていけなさそうなのだ。
ブールパンを断り、俺は自分の買ったレモンの果実水に口をつけた。見ると、マルコを除く他の四人も果実水を飲んでいる。果実水は一杯で銅貨一枚。ブールパンは五つで銅貨一枚。マルコがブールパンを選んだ理由はこれだった。
マルコはいつも腹を空かせていた。彼は街の鍛冶屋の三男だ。彼を含む、五人兄弟の真ん中で二人の兄と二人の妹がいるらしい。買い食いする際は毎回しっかりと銅貨一枚を持ってくるので、マルコの家の家計がそこまでひどいものとは思えないが、同時に彼は、燃費の悪そうな体格の持ち主でもある。
マルコは九歳児の平均身長を大きく超える背丈を持つ。
初めて出会った頃、あの頃のマルコは七歳だったが、ひとつ年上のヴィーネと、身長が並んでいた。そのヴィーネでさえ背の高い方なのだ。マルコが七歳の頃から、いかに高身長だったかが伺える。
そのマルコは、この二年でさらに背が伸びた。もう160センチに届くぐらいだろうか。俺の記憶が正しければ、九歳児の平均身長は135センチ前後だったかと思う。
これだけの体格を維持するには、普段の食事だけでは足りないのだろう。
見かねた俺は、一度マルコに銅貨一枚分おごったことがある。貴族の息子である俺は、やはりと言うべきか、街の子供より多い小遣いを貰っていた。具体的には月にドミヌス銀貨一枚。銀貨一枚は銅貨一〇〇枚と等価だ。俺は月にブールパン五〇〇個を買えるだけの小遣いを貰っている計算になる。
はじめ、マルコは目を輝かせ、俺から金を受け取った。自分が持ってきた金とあわせて銅貨二枚分、マルコは腹をいっぱいにして帰った。
だが、次の日、マルコはわざわざ屋敷まで来て俺に金を返したのである。
「お前に甘えてた。
お前は貴族だし、俺はその友達なんだから、
これ位おごって貰ってもいいだろって思った。
でも、何か間違ってる気がするから返す」
そういえば、高いゲーム機を持つクラスメートの家に入り浸り、自分がそのゲーム機を買ってもらった瞬間から、そのクラスメートの家に寄り付かなくなった薄情な子供がいたっけ。
……前世の俺である。
俺とマルコの立場が逆だったら、俺はマルコのように金を返し来ることができたであろうか……。俺は、その日以来、少しマルコを尊敬するようになった。
マルコは相変わらず、パンを池の水にくぐらせて食べている。
しかしよく食べる。気づけば、今マルコが持っているパンが、五つあったブールパンの最後のひとつだった。
「マルコはよく食べるね。
これだけ食べれば、背も大きくなるよ」
「シトレイだって別に小さいわけじゃないだろ」
「大きいに越したことはないさ。
この調子で身長が伸びれば、将来は二メートル越すんじゃないか?」
「そうかな」
「ああ、そうとも。
そうなれば、引く手数多さ。軍人にでもなれば、きっと活躍できると思う」
「ああ……」
軍人の語を聞いた瞬間、マルコの顔が暗くなった。何かまずいことを言ったのかもしれない。
「あのさ、皆にも聞いておいて欲しいんだけど」
マルコがそういうと、各々しゃべっていたロノウェ、アギレット、フォキア、ヴィーネもマルコの方を向く。そして、いつものマルコらしからぬ神妙な表情を見て、静かになった。
「俺の親戚の家、親父の従兄弟ん家なんだけどさ、軍人をやってるんだけど、その家の息子が死んだらしいんだ。
で、その死んだ息子の代わりに、俺を養子にしたいらしいんだ」
その家は、マルコの家から見て本家筋にあたるらしい。マルコの家から養子を出すことは決定事項だった。マルコの長兄は父親の職である鍛冶師を継ぐことが決まっている。となれば、養子に出されるのはマルコか、次兄かの二択だった。ちなみにマルコの次兄とは、以前アンコで戦ったあのワルガキだ。
「で、この前、親戚がこの街まで来たんだよ。
それで、俺を見て、軍人として育てるつもりだから、体の大きい俺の方を養子にしたい、ってさ」
まずいことを聞いたかと思ったが、どうやら、「軍人」と「体格」の、ダブルヒットだったらしい。マルコの話を聞きながら、俺は黙っていることしかできなかった。
「親戚の家はどこなんだよ」
代わりに口を開いたのはロノウェだった。なにやら怒っているように見える。普段のロノウェらしからぬ乱暴な口調でもあった。
「ソニア地方のなんとかって街」
「ソニア?どこだよ、それ」
ロノウェは知らないようだが、何冊か地理書や旅行記を読んでいた俺には検討がついた。この国は国土の真ん中に内海を持つ。その北岸にソニア公爵領は位置する。ハイラールは南岸だ。マルコは海を渡るのだ。
ロノウェにそう告げると、ロノウェの質問攻勢は再開された。
「それで、いつ行くんだ?」
「剣の稽古は十歳から始まるから、
その頃には。多分、来年の春」
「何で、そんな急に!そんな遠くなんだよ!
お前、行きたくないって、ちゃんと親に言ったのかよ!?」
「言ったに決まってんだろ!
でも、俺の話なんて聞いてくれなかったよ。
それに、ちくしょう、
俺、親父やお袋が話してるの聞いちまったんだよ。
『マルコは人一倍食うから、これで家計が助かる』って」
マルコは泣いていた。初めて彼の泣き顔を見た。
前世の世界なら、飛行機を使えば一日で着く距離だろう。アルバイトをすれば、学生でも会いにいける距離である。だが、この世界の交通事情は中世のそれだ。徒歩、馬、馬車、そして船。ソニアまで何十日かかるかわからない。子供では無理だし、大人でも、いや日々の仕事と生活に追われる大人ではなおさら無理だ。
おそらく、今生の別れになる。
「マルコ。
ごめん。僕が間違ってた」
「別に、間違ったことは言ってねーよ。
ロノウェが言ったことは、全部俺が思ったことそのまんまだ」
マルコが旅立つのは来年の春。あと半年後。俺たちは、マルコがいなくなるまでの間、精一杯彼と遊ぶことに決めた。
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基本的に、平日、俺とロノウェ、アギレットは屋敷でヴロア先生から授業を受ける。一方、マルコ、フォキア、ヴィーネは街の学校(といっても寺子屋のような規模のものだが)で授業を受けている。だから、遊ぶのは週に一回、休みの日だけだ。
マルコがいる間、精一杯遊ぶ。悔いが残らないように。あるいは、迫り来る別れを忘れるために。
俺たちは約束どおり、精一杯遊んだ。街中で遊ぶ日もあれば、街の東にある川へ釣りをしに行った日もあった。冒険もした。野生のユニコーンを狩ってやろうと、子供たちだけで街から出て、森に入ったこともある。ユニコーンのあまりの大きさにビビり、すぐさま逃げ帰ったのだが、六人にとっては良い思い出となった。今にして思えば、肝の冷える話だが。
時間は驚くほど早く過ぎていった。気づけば、春。マルコとの別れの日だ。
「マルコ、これ……」
皆を代表して餞別を贈ったのはヴィーネである。マルコとヴィーネは家が近く、俺たち五人の中では、一番最初に友人同士となった仲であった。
「これ、チョコレートじゃん……」
この世界のチョコレートは高級品である。原産国が国外、しかも敵国らしく、輸入するまでに複数の国を経由するため、その度に関税がかけられるのだ。その高級品が袋一杯に入っていた。
「皆でお金を貯めたの。
マルコが喜ぶものって何だろうって、色々考えたんだ。
結局、食べ物がいいかなって思って」
「ありがとう。
うん、ありがとう。大事に食べるよ」
マルコは泣かなかった。泣き顔どころか、その逆で、なにやら清々しい顔をしている。
「マルコ、元気でね。
軍人になるって言ってたけど、
マルコぐらい食い意地が張って、野生の勘が働けば、
やってけると思う」
フォキアは、ヴィーネの次に、マルコと友人になった間柄である。お互い口が悪く、さらに口より手が先に出るような性格だったから、喧嘩も絶えなかったが、良い悪友関係に見えた。
「あの、
マルコシアスさんは、その、大きくて怖かったけど、
良い人だと思います」
アギレットが言ったのは、別れの言葉ではなく感想だった。「おう、ありがとう」とマルコはアギレットの頭を撫でた。二人の歳の差は二歳だが、身長はそれ以上に違っていた。
「マルコ。
フォキアの言うとおり、野蛮な君はどんな戦場でもやってけると思う。
殺しても、死ぬことはないだろう。
どうせどこに行っても元気にやってくのだろうから、
元気で、なんて言葉はいわないよ。
……ただ、また会えたらいいと思う」
フォキアともそうだが、マルコとロノウェの関係こそ、悪友という言葉がふさわしいように思う。よく喧嘩をし、アンコの時も必ず別々のグループに分かれたが、彼らは良き悪友、良きライバルに見えた。ロノウェの言葉を受け、マルコは軽く頷くと、二人は握手した。
「マルコ、これ」
そういうと、俺はドミヌス銀貨一枚を手渡した。
「おい、これは受け取れない。
前に言っただろう。金を貰うのは、何か間違ってると思うって」
「あげるわけじゃないよ。
さっきヴィーネが言ったとおり、餞別はそのチョコレートだ」
「じゃあ、何だよ、これ」
「これは、そうだな、貸すんだ。
軍人になって、戦場に出るときは、必ず胸ポケットに入れて出陣してくれ。
そうしていれば、君がやられることはない」
この世界に銃火器はないから、弾丸を受け止めることはないだろう。だが、うまいこと剣先を弾くかもしれない。
「貸すだけだから。
いつか返してくれよ」
「わかった」
マルコは頷くと、銀貨を握り締めた。
「じゃ。
また会おうぜ」
マルコは軽くそういうと、迎えに来た親戚の男と共に馬車へ乗り込んでいった。ここから北上して港町まで行き、船に乗り換えるらしい。
残された五人は、馬車が見えなくなるまでマルコを見送った。
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「悪口を言う相手が減りました」
屋敷へ戻る途中、ロノウェが言った。
今日は平日である。マルコの見送りのため、午前中の授業を休みにしてもらったが、午後からはいつもどおり授業が待っている。俺とロノウェとアギレットは、昼食と午後の授業のため、屋敷へ続く道を歩いていた。
「お兄様は、マルコシアスさんとよく悪口を言い合ってました」
「ロノウェとマルコは仲が良かったからね」
「喧嘩ばかりしてたのに、仲が良いのですか?」
「そういうものだよ」
アギレットは不思議そうな顔をしている。俺も偉そうなことを言えるほど、人間関係において経験豊富というわけではない。だが、ロノウェとマルコの仲が良かったのは、間違いないと断言できる。
「僕たちもいつか離れ離れになるのでしょうか」
ロノウェが不吉なフラグを建てた。
「おい、ロノウェ。
そういうことは言っては……」
「嫌です!」
ロノウェを嗜めようとした瞬間、アギレットが大声を出した。
俺とロノウェはびっくりして歩みを止め、アギレットの方を見る。
「絶対に嫌です!」
「ご、ごめん、兄ちゃんが悪かったよ」
「私は、絶対に嫌です!!」
アギレットは情緒不安定なのか、と思ったが、彼女はまだ七歳になったばかりだ。普段の彼女はしっかり者だったから、ついつい年齢を忘れてしまう。
「アギレット。
私たちが離れ離れになることはないよ。
君や、君の兄は、私の小姓なんだ。
将来は、そのまま家臣になる。だから、ずっと一緒だ」
あれ、俺も自分でフラグ建ててね?
でも、俺の言葉でアギレットが普段どおりの明るい顔に戻ったから、それでよしとしよう。