夜空の星では口説けない
薬品や消耗品の在庫確認を一日がかりでこなし、ミサはやっと終わったと、両手をあげて伸びをした。
ちらりと机にかじりついているイチヒトを盗み見る。あちらは朝から書類の整理だ。錬成の手順などが書かれたものだからミサは触らせてもらえない。
段ボール箱にばっさばっさと不要なノートや書類を捨てているイチヒトに、そんなに何でもかんでも捨ててあとで困らないかと聞けば。
「覚えてる」と、一言で返された。念のために置いておいたが結局見直すこともなかったので焼却処分するそうだ。
不要品にわけられた書類を台車に乗せて庭に運びだす。
それをあらかじめ準備していたたき火にくべて燃やしていく。
「さつまいもがあればな」
そうこぼしたイチヒトに。
「じゃがいもありますよ。さつまいもみたいに焼いて、バターつけたらホクホクで美味しいですよ」
なんとも魅力的なことを言ってきた。もちろんいやはない。
ミサがじゃがいもの支度をしている間に、イチヒトは枯れ枝や落ち葉を集めた。
風が吹き、はらはらと桜の花びらが舞っている。
ここの桜ははじめて目にした。
去年、この研究所に派遣されてきたときは、すでに葉桜になっていた。
葉より先に花をつけるのこ樹は、とてもきれいだと思う。
積もった落ち葉を踏みしめる音にイチヒトは顔をあげる。
カゴをかかえたミサが、お茶もいれてきましたよと、カゴを示すように軽く持ちあげた。
なんとなく、本当になんとなくだが、先週熱を出してからミサの接しかたがよそよそしくなった気がする。それで困ることは何もないのだが、原因になんとなく本当になんとなく覚えがあるので、様子見という放置をすることしかいい案が思い浮かばない。
たき火で焼いたじゃがいもは甘くてホクホクしておいしかった。
***
夜、イチヒトは天体望遠鏡をもって、研究所の敷地を取り囲む外壁にのぼった。
ぼんやりと星空を仰ぎ見る。
『星座にこめられた逸話や願い。そんなものにロマンを感じるのも人生を楽しむことのひとつだよ』
一年とすこし前に言われた言葉だ。だからイチヒトは季節が変わるごとに、こうして天体観察をしていた。
星を見上げている首が、いい加減だるくなってきたころ、壁の下から呼びかけてくる声に身をのり出して、なんだ? と聞いた。
「わたしもそちらに行ってもいいですか?」
なにやら荷物をかかえたミサが、壁に添ってつけられた石段を昇ってきていた。
「いいもなにも、もう来てるじゃないか」
「まあ、そうですけど。夜食食べます? 余ったじゃがバターでポテトサラダ作ってサンドイッチにしたんです。紅茶もありますよ」
「たべる」
「あとこれ、膝掛けくらい使ってください。また風邪ひきますよ」
ミサは膝掛けを手渡し、シートを敷いてふきんを広げ、バスケットごとサンドイッチをイチヒトに勧める。
紅茶には特別ですよ? とブランデーを数滴いれている。
二人とも飲酒の習慣はない。ブランデーは飲むのではなく調理酒として置いてあるだけだ。
「星、こんなにたくさんあるんですね。じっくり見上げたことなんかなかったから……きれいですね」
望遠鏡で見ないんですか? とミサ。
「月はそれで見る。クレタ―も見れて、そうだな、ロマンを感じる」
そうたぶんロマンだ。
「月夜にロマンですか? それも、人生のいろどり?」
「ふむ。焼きいもも、花見も、天体観測も、人生のいろどりだ」
つまらない事と、ひとなぎするのは簡単だけれど、それを楽しむ余裕のない人生なんて、それこそとてもつまらない。
「ほんと、たまに爺むさいですね。星座、わかるんですか?」
「ひしゃく座を見つけられれば、あとはわりと簡単にさがせるぞ」
「えっと……あれ?」
「そう。そこから――」
イチヒトは順々に星座の名前を口にする。農業の女神、悪さをした黒い鳥、星の位置をしらべる道具の名の星座。
「言われてもまったく、その形に見えませんね」
「僕も見えない。想像力を駆使しなければ、なにが何だかわからないのに、この星は何座だ! と決められてるのはなぜだ? というところがロマンなんだろう」
「違うとおもいますよ?」
あきれ口調のミサに「君にロマンが足りないんだろう」残念だと言ってまイチヒトはまた星を仰ぐ。
「あなたも足りてるとは思えませんけどね」
「たとえば?」
「ん~。こんなきれいな星空を眺めてるのにロマンチックな言葉ひとつ出てこないし?」
「君の瞳は夜を色づかせる星のようだ」
「…………それが精一杯なら誰も口説かれませんよ?」
「む。そうか? 恋愛も人生のいろどりのひとつだから、十八になったら始めようと考えていたのだが」
悩みだしたイチヒトにミサは変な顔をした。
「しようと思ってできるものじゃないでしょう?」
人生のいろどり。イチヒトの口ぐせだ。
「惚れ薬作るか……」
「それ恋愛じゃないです」
「完成したら二人してよーいドンで飲んでみるか?」
「…………。で、二人して恋愛するんですか?」
「いやそうだな」
ミサはポットからまだ熱い紅茶をカップにそそぐ。ひと口飲んで。
「ちゃんと口説いてくれる人じゃないと」
「そうか。ふむ。なるほど。星空の下でこういう話はロマンチックになるのか?」
「ならないと思いますよ」
そうミサが返すと、難しいなとイチヒトは眉を互い違いに器用にしかめた。
なんとなく、なんとなくだが、天体観測をしながらの会話は、よそよそしさを無くした気がした。
そのことにちょっとほっとした。