依頼人
昼間はずいぶんと暖かくなり、真冬にくらべ日ものびたが、朝晩はまだまだストーブの暖かさが恋しい。そんな冬のおわり。それは農家の牛に荷物を引かせてやってきた。「ぅんもぉ~」という泣き声とともに。
***
「錬金術の研究施設は都心から離れたところにあることが多いが、ハイヤーどころか馬車までないとは、ひどい田舎だなここは」
ぶつくさともんくを言いながら、談話室に荷物を運んでいる二十代半ばほどの男は、イチヒトの返事などあってもなくても一人でしゃべりつづけている。
「ほかの研究所と同じでここも寮だろう? 空いている部屋はどこだい? ああ、だいじょうぶだよ。荷物はたいしてないからね。私一人で運べるさ」
荷物の心配などこれっぽっちもしていないと、イチヒトは口にしかけ。
「そいえばもう一人所員がいると聞いていたが? まあいいそちらにはあとで挨拶しよう。今回の件、引き受けてくれて非常に感謝しているよパパリくん。ほんとうによろしくたのむ。で、部屋はどこを使えばいい?」
「いったんその口を閉じてくれネギヤキさん」
イチヒトは手をあげてストップをかけた。
「名前がちがうぞ」
「先生から電話は受けてるが、ネギヤキーさんがあの内容の依頼人?」
「長音にしても微妙にちがってるぞ。そうだ。切実なんだ。恥を忍んで頼んだ」
「その方面の治療薬ならいくつか作っているが、ネギヤッキさんの内容とはかけ離れていると思うが?」
「遠ざかったぞ。さっきも名乗っただろう。詳しい話は落ち着いてからにしよう。部屋に案内してくれ。あとコーヒー入れてくれ」
「ずうずうしいな。まあいい。先生からの頼みごとなら断れないからな。一階に一部屋開いてる、そこを使ってくれ。布団は明日トワさ―― 家政婦が来てからでないとわからん。コーヒーは淹れてやるがインスタントだぞ? 豆の淹れ方はしらん」
口を挟まれないように早口で言い、イチヒトは台所にさっさと消えた。
淹れてやったコーヒーに対しての「まずいな」という感想を「だろうな」と認めながら、イチヒトたちは食堂でお茶をしている。ちなみにイチヒトが飲んでいるのはホットチョコレートだ。
イチヒトはクマ柄のマグカップをコンっとテーブルに置き。
「依頼の内容は理解してる。だが特効薬が一日二日で作れるわけじゃないぞ? アレルギーに関しての薬は難しいんだ」
「わかっている。君が最後の頼みなんだ。何か月かかってもいい」
この男は何か月も居座る気なのだろうか?
「私の休暇は一ヶ月だけだが、その間症状を観察して必要な検査をしてくれ。痛いおもいもたえる」
一ヶ月と聞いてホッとしたが、一ヶ月もいるのかとも思い、どっちにしてもウザかった。
「問診は明日しよう。自分で書きだせる症状を箇条書きにしてあとでくれ」
「わかった。それで、もう一人は? 休みなのかい?」
「使いに出している。もうそろそろ戻ってくるはずだが……」
うわさをすれば、というのはこのことか、と思えるほどタイミングよく玄関から「ただいまもどりました」とミサの声が聞こえてきた。
ふむ。と、イチヒトはネギヤッキを観察する。
かちゃりと食堂の扉が開く。
「昼間は温かくなったと言っても、まだまだ寒いですね。頼まれたもの研究室に入れてますから」
「ごくろう」
コートを脱ぎ、ミサは初めて食堂の中に目を向ける。
「あ。失礼しました。お客さ、だ、大丈夫ですか!?」
客に気づきミサは慌てて会釈し、その様子に困惑した。その客はヒューヒューとヤバそうな呼吸をくりかえし、白目は真っ赤に充血し、だらだらと汗を流し、顔や手といった見える部分の皮膚は赤いブツブツが浮き上がっている。
イチヒトは落ち着き払って足を組み、左手をあごにあてる。
「ふむ。皮膚症状に呼吸器症状、腹痛は? ふん。なるほど」
「ちょっと、観察する前に介抱しましょうよ! 大丈夫ですか?」
「く、くるな! こないでくれ!」
「不意打ちはきついか……。君、あーミサ、それ以上こっちにくるな。このブツブツは依頼人だ。特殊なアレルギー改善薬がほしいらしい」
ミサは首をかしげ「アレルギー?」とおうむ返しに聞いた。
「女性アレルギーだ。ミサ、君ためしに触ってみるか? この様子だと泡でもふきそうだな」
他人事のように、実際そうなのだが……イチヒトは言って、ホットチョコレートを飲んだ。さりげなく、ブツブツだらけのネギヤキこと、錬金術シュウリョ派のネギ・ヤギイから距離をとった。
ヤギイはミサを見てガタガタと震えていた。
ミサは……触ったら本当にどうなるんだろう? と好奇心にかられたがグッとこらえた。
この日から一か月間、ヤギイの治療が始まった。