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愛し方も知らない癖に

作者: 高村

「愛してる」


遠山は他に表現方法を知らなかった。

泣きそうなくらい好きだ、ただ会いたくて仕方がない、君のことしか考えられない……。

いくら本心だとしても陳腐な言葉たちだと分かっていた。

だから、なるべくシンプルに伝えるしかなかった。

彼女はゆっくりと、少しだけ笑い「愛し方も知らない癖に。」と言った。

人を小馬鹿にした物言いだったが情があるように思えた。そう、思いたかった。

遠山は夢を見ていた。

目が覚めて涙が横すべりに流れていることに気づいた。

不思議と悲しみはなかった。

経験はないが美しいものを見て涙するというのはこういう感覚なのかも知れない。

時計を見ると午後七時前、外は曇っているが、まだ少しだけ明るい。

遠山は仕事を辞めたばかりだった。

車での通勤中、「いつもと逆に曲れば海にでも行けるかもな」と毎日思っていた。

その日はその空想を実行し、次の日に退職届けを出した。

先週の話だ。数日は貪るように寝た。

食欲はなく、一日一食だけ食パンか何かを詰め込んで、また寝た。ただ眠りたかった。

海には何もなかった。海に行けば何か途方もない自由があるような気がしていた。

でも、何もなかった。砂浜をぶらぶらと歩き、少しだけ防波堤で横になり、空を見ていた。

そういえば、何年か前に東南アジア旅行に一人旅に出たことがあったな、と遠山は思い出していた。

あの時も漠然とした開放感を求めて旅に出た。空港を降りて、数時間で気づいてしまった。

逃げ込むのに相応しい場所なんてこの世にないんだな、と。

「どこに行っても自分と道連れ」

どこかで聞いた台詞を思い出した。

無意識に、帰ったら何をしようと考えていた。旅はその時点でもう終わっていたのだ。

将来というのはいつの話か。少なくとも子供の頃の将来はいま現在の話だったろう。

今年で28歳になる。趣味もない。人並みに酒を飲み、映画や小説も楽しむが、教養はなく、知的な話もできない。

頭の回転は速いはずだ、と思っていたが、中の上程度の頭じゃ何もできないといつしか諦めていた。

遠山は感情の起伏がほとんどなくなっていた。心から笑うということもやめてしまった。

ただ、変わりたいという希望はあった。

都合よく自分を変えてくれる女はいないかと、探したこともあった。

ただ、誰かに頼りたい、寄りかかりたい、というだけなのも自覚していた。

いつしかそれも面倒になり、女との付き合いは上司におごってもらう風俗やキャバクラだけになっていた。

それも多くはなく、月に一度あるかないかという程度だった。

ある日、そんな風にして連れて行かれた風俗店で、ひどく痩せ細った風俗嬢に出会った。顔つきも地味で、薄い唇に一重まぶたの幸が薄そうな女だった。唇がかさついていて、唇を合わせた感触を悪い意味で忘れられなかった。

ただ、妙に品を作るのが上手い女だった。

遠山はその日の帰りがけ、何となくまた、その女に会いたいと考えていた。

それも、また上司に連れて行かれるなら会いたいという程度だった。

数年が経ち、遠山はその女のことをすっかり忘れていた。

そして、今日になってあんな夢を見たのだ。

あの女にはそんな思い入れもなく、そもそも泣くほど好きな女なんていたことがない。

ただ、遠山は夢の中で女が最後に微笑んだ顔は忘れていなかった。

あの顔はあの時と同じ顔だ、と遠山は思い出していた。

しかし、それがどうした?もう出会うこともなく、好きでもない女のことを考えて何になるのか。

来月には食う飯にも困りそうな状況なのに。

遠山は外に出かけることにした。

流石に寝るのにも飽きた。

本屋に行き、飯を食い、気づけば午後十時を過ぎていた。もう帰ろう。久しぶりに外の空気を吸った。遠山は駅に足を向けた。

そして、ふとすれ違った女に目を奪われた。

あの時の女か?

いや、そんな訳はない。そのことを考えていたからだ。でも……。

追いかけて確認しようかと思ったが、女が本人だろうと別人だろうとかける言葉なんてあるはずもなかった。

しかし、もう真っ直ぐ帰ろうという気にはなれなかった。

追いかける気はなかったが、何となく女と同じ方向に歩き出した。

もちろん、駅からは遠ざかって行く。

人混みの中、自分の滑稽さに自虐的な笑いが込み上げて来た。

「何をやっているのだろう。暇人の証だな。時間があったら自由なはずだったけど、余計なことに気を向けるだけだ。」

ナルシシズム。

悲劇の映画の主人公。

気持ちだけは簡単に空を飛べるし、世界で一番不幸な人間にもなれる。そういった意味では自由なのかも知れない。

映画でなくとも、自分の人生の主人公はやはり自分だ。

良きにしろ、悪しきにしろ、誰も代わってくれない。

誰も。

遠山は女を探すことにした。

何と声を掛けるか、なんて自由だ。

自由になるために、何かから逃げて来たのだ。

好き勝手にやるべきだ。

どうせやることなどないのだから。

人の感情がどうだ、こう言ったらどう思うか。

勝手にしやがれだ。

他人の感情なんて、どうせ計れやしない。

分からないものに振り回されるのはやめだ。

遠山は早歩きから小走りになっていた。

女の名前は知らない。

叫ぶとしたら、名前ではなく伝えたい内容しかなかった。

遠山はつぶやくように言った。

「愛してる。」

雑踏にかき消される程度の音量だったが、遠山は真っ直ぐ前を見て、歩き出した。

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