好奇心
「中田倫子様。
この度はご結婚、誠におめでとうございます。
今の私には、その言葉しか申し上げる事しかできません。
ただただ、自分の不甲斐なさを嘆き、貴女の幸せを祈るばかりの日々を送っております。
果たせなかった約束は、どうぞ忘れてください。
きっといつか、これで良かったのだと思える日が来る筈です。
どうぞお幸せに。
貴方の旦那様となる方は、私以上に、貴女を幸せにしてくださるでしょう。
それでは。 善郎」
そこには、私の知らない祖母がいた。
聞いたこともない名前の人物からの、ラブレターとも読める手紙。
父が生まれたのは昭和30年だから、その6年前。
祖母は、祖父と結婚する前、誰か他の人と恋をしていた・・・?
亡くなる直前、祖母の残した言葉が蘇る。
『人生、後悔を残さないで生きなさい』
・・・やはり。
「おばあちゃんは、後悔してたのかな・・・」
ひときわ汚れて、皺々なのは、きっと何度も泣きながら読み返した証拠。
切なくて、苦しくて、涙が止まらなくて。
ずっと誰にも言わなかった、祖母が胸に秘め続けてきた恋が、ここに綴られている。
私は他にたくさんある手紙を読み返すことにした。
その下にあった手紙は、昭和23年の12月。
さっきのは消印が消えかかっていたけど、これははっきり残っていた。
「中田倫子様
お願いします。
どうか僕の意見にご理解を示していただけないでしょうか。
私は、貴女様の御両親やご先祖様に胸を張っていたいのです。
その為には、今のままでは無理なのです。
今のままでは、貴女に必要以上の苦労をかけるのは必至。
私はそんな目に貴女を合わせたくはないのです。
だから、お待ちください。必ず貴女をお迎えに上がる日まで。
善郎
追伸 靴下、暖かくて重宝しております。ありがとう。」
私はタンスの下においていた先ほどの毛糸の靴下を一組取り上げた。
そんなに昔に編んだものでもなさそうだった。
それなのに、祖父にも、父にも上げたのではなく、
祖母のタンスに入っていたという事は・・・。
「・・・この人の為、かな・・・?」
ずっと昔に別れた人の為に、送らないつもりでも、
ここで祖母は、この靴下を編み続けていた。
その下にある手紙を手にとる。それは、同じ年の11月の終わりに来た手紙。
「倫子様
最近ぐっと寒くなってきました。こちらの方でもすっかり冬模様です。
貴女が暮らしている所では、もっと気温が低く寒いのでしょう。
貴女はお嬢様の割りに案外体は強いですが、それでも女性です。
くれぐれも風邪は引かぬよう気をつけてくださいね。
貴女が先日こちらを去って以来、ここはまるで真冬の山のように寂しいです。
お母様も寂しそうで、特にご飯を炊くときは今でも3合ほど炊いてしまいます。
将来の事は今回まとめる事はできませんでしたが、今後ゆっくりお話致しましょう。
意見が食い違っていますが、お互いもう少し冷静にお話しなければなりません。
結局お互いの気持ちは同じなのですから。
だから、もう少し考えましょう。
善郎」
その次の手紙は、一気に飛んで7月だった。
「倫子さん
私は今、眠れないくらいに嬉しくて興奮しています。
既に夜中の3時を過ぎたと思いますが、こうやって貴女に今手紙を書いている所です。
まだ貴女に会うのは1ヶ月先だというのに、まるで子供のようで、自分でも笑ってしまいます。
貴女と離れて、2年の月日は、本当に長かった。
貴女に会いたくて会いたくて、胸が張り裂けそうな毎日で、
貴女からの手紙が唯一の救いでした。
それが、来月貴女がここにいらっしゃるなんて。
会ったらたくさん話したいことも、見せたいものもあります。
早く8月が来ないか、僕は毎日そう祈っています。
善郎」
次の手紙には、手紙に色鉛筆でスミレが描かれていた。
「倫子さん
まだ貴女からの返事をもらっていないのに、既に手紙を書いてしまいました。
というのも、今日歩いていたら見事に綺麗な白百合を見つけたのです。
思わずスケッチをしてしまいました。
そういえば貴女に贈った最初の花も、百合でしたね。
百合ほど美しく気品漂う花は無いと思います。
聖母マリアの花が白百合であるのも、納得できますよね。
また今度会う時には、貴女に百合の花を持っていただきたい。
そして貴女の姿をカンバスに留めたいと思います。
それでは、早く貴女と会える日を祈りながら。
善郎」
一番下は、昭和21年5月の消印の手紙だった。
およそ2年以上、祖母はこの男性と文通していたことになる。
恐らく恋人であり、それも将来を誓い合ったのであろうこの人と。
でも、何故この男性は祖母を迎えに来なかったのだろう。
その理由は、手紙からでは分からなかった。
取りあえず何らかの理由で、祖母はこの男性と恋に落ちたものの、
結婚は出来なかったようだ。
私は気になって、一番下の3段目の棚を開けてみた。
きっと他にも何かあるかもしれない。
ここは中々開かず、上下に揺らしてみながら前にひいても、上手くタンスが出てこない。
しかし突然、入れた力が強すぎたのか、勢い良く開いたため、私は尻餅をついてしまった。
「ってて・・・」
腰をさすりながら、私はタンスの中を覗いて見た。
そこにあった物は。
四つ折になった、一枚の古びた画用紙と、木製の玉が何連にも連なった物。
破れないよう気を付けて紙を開いてみると、少し薄れていたが、
鉛筆で書かれた一人の長い黒髪の女性が、百合の花を持って、優しく微笑んでいた。
紙の端には、「Noriko」と綴られている。
そして、その玉が連なった物を手にとってみる。
確かよく、これは祖母が教会に行く時に持っていっていた物。
「・・・ロザリオ、だっけ」
ロザリオとは、キリスト教の「数珠」みたいなものだ。
使い古したそのロザリオを、そっとその紙の上に置く。
自分の推測が確信へと変わった。
既に窓からは西日が差し込んでいる。
私は、まだ読み終わっていない手紙も一緒に、風呂敷に包み、
自分が泊まっている隣の部屋に置いた。
そして、1階の居間へと向かい、そこで遅い昼食を取っている父に話し掛けた。
「お父さん」
「何だ?」
「あのさ・・・。おばあちゃんって、結婚する前はどこで暮らしていたの?」
「えーっと・・・。確かおばあちゃんは東京出身だよ。・・・どうして?」
「あ、ううん。
ただ、さっきおばあちゃんの遺品を整理してたら、九州の住所みたいなのが出てきて」
オブラートに包んで、父に言ってみる。
祖母に祖父以外の男性がいたと言えば、父もやはり嬉しくはないだろう。
「・・・あ、そういえば。おばあちゃんは昔、九州に疎開していたとか、言ってたかなぁ」
「そうなの?」
「そう。おばあちゃん、実は当時、地元でも裕福な家庭で育っていたらしく、
戦争が始まった後、直ぐに親戚の家に疎開させられたと聞いたよ。
だから、多分それは九州の親戚からとかじゃないか?」
「ふぅん。あ、そういえばおばあちゃん、編物が趣味なんだね」
父が口をもぐもぐしながら、頭をかしげた。
「そうなの?あまり編物しているのは見たことなかったけど・・・」
「・・・え、お父さんも知らないの?」
「うん、あまりそういうのは見た事無いけど・・・。何かあったの?」
「あ、毛糸とかあったから、そうなのかなと思ったんだ」
「ふぅん。そっか、ありがと」
「ん」
私は祖母の部屋に戻り、急いでドアを閉める。
心の奥で、目覚め始めている好奇心を覚えていた。
聞いたこともない。
話してくれたこともない。
私にも。
息子である父にさえも。
不謹慎なのかもしれない。
それでも知りたかった。
祖母の昔の恋人を。
そして聞きたい。
祖母が残してくれた言葉の、本当の意味を。