私の意志を
「迷わず、一歩ずつ、前に進むしかないだろう?」
エレナがニッと歯を見せて笑った。その姿は凛々しい勇者そのものだった。
俺達が魔王を倒す旅に出て、早一年。顔を上げると、目線の先にその魔王の城がある。ようやく、ここまで来た。
俺がエレナという勇者に出会ったのは、俺の故郷であるフォルトの街だった。金もなく、行く先に困っていたエレナに話しかけられ、渋々家に泊めたのが始まり。宿泊費代わりにと、エレナはこれまでに経験した旅の話をしてくれた。最初は聞き流していた俺も、いつしかその話に夢中になって、こうしてエレナの仲間になったのだから、人生はどうなるかわからない。
エレナは決して強い勇者ではない。女性だから、というとエレナは怒るが、やはり男性よりは力が弱い。そして案外おっちょこちょいだし、危機に晒されると焦ってしまうこともしばしばだ。それでも「世界を平和にしたい」という強い意志が彼女を支えている。想いがエレナを強くしていると、日々感じていた。
そんな彼女を支援する人は多い。現在勇者として旅を続け、魔王を倒そうと試みているのはエレナ一人だけだという。魔王がこれまでしてきたことを考えると、エレナを支援しようとする人が増えるのはうなずける。
わかっているんだ、そんなこと。
「…そうだとしても、エレナが傷つくのは嫌だ。」
俺は唇を噛む。子供っぽい態度だとわかっている。それでも俺は自分の気持ちを抑えられなかった。俺はエレナに好意を抱いている。周りに担がれて、勇者としての生き方を選んだとしても、彼女は一人の女の子だ。守りたい、と思うのは自然なことだと思う。
「ありがとう。でも、行かなきゃ。私は勇者なんだから。」
ぱちんとウインクをして笑いかけるエレナ。その姿は本当に美しい。その美しさを灼きつけながら、俺は腹を括ったのだった。
◆◆◆
「エレナ、明日は早い。今日は早めに寝た方がいいんじゃないか?」
俺はマグカップを差し出す。エレナの好きなホットミルク。砂糖を加えた少し甘い味が好みだと言っていた。
「ああ、ありがとう。わざわざすまないな。」
「いいよ、気にするな。」
エレナは差し出されたマグカップを取る。一瞬指先が触れて、エレナの手が冷たいことに気づいた。いくら気丈に振舞っていても、緊張も恐れもあるだろう。勇者だって人だし、エレナは女の子だ。だから俺は迷わずに進むだけだと、口を一文字に結ぶ。
エレナがホットミルクを飲み始める。なにも疑わず、俺を信じ切って。
「…!」
刹那、エレナが喉元を押さえる。顔が青ざめていき、徐々に力が抜け、体を支えられなくなった。そのままばたんと音を立てて、地面に倒れる。俺はエレナの横に跪いてその髪をさらりと撫でた。
「悪いな、エレナ。飲み物に毒を混ぜた。俺はお前に傷ついてほしくない。お前が死ぬなら、俺の手で殺したい。そう思ってしまったんだ。大丈夫、お前の望みは俺が叶えるから。平和な世界を作って、そのあとで俺もそっちに行くよ。その時は二人で楽しく過ごせるといいな。」
エレナはもう動かない。俺はその体を抱き上げ、額にそっとキスをした。
◆◆◆
エレナを埋葬するのはあとにしよう。俺はそこまでの決意ができていなかった。
魔王の城に向かって、ふらりと歩き出す。夜も更けてきたし、なにも今から行く必要はない。でも、俺がやらなければ誰がやるんだ、という気持ちになってしまっていた。この世を平和にしようと戦えるのはもう俺しかいない。
「エレナと一緒の旅は…楽しかったな。」
思い出が走馬灯のように駆け巡る。でも、きっと俺は魔王に倒されて死ぬんだろう。重たい心が足を引っ張り、一歩一歩の進みは遅い。それでも俺はひたすらに歩を進めた。
◆◆◆
ようやくたどり着いた魔王の城は暗かった。一人で中に入るのはどうにも心細かったが、仕方ないと割り切って足を踏み入れた。重々しい空気が肌にまとわりつく。
「貴様が勇者か。」
突然頭上から声がした。ばっと視線を上げると、黒いマントに身を包んだ異形の姿がある。あれが、魔王。あれを倒せば、すべてが終わる。
俺は杖を握りしめ、臨戦態勢をつくった。
「勇者は…もういない。だが、俺がお前を倒す。」
「勇者じゃないのに、私を倒せると思ったのか?」
くつくつと笑う魔王。勇者以外には興味がないといった表情だ。悪かったな、俺はただの魔法使いだよ。それでも俺は戦うしかないんだ。
魔王が右手を振り上げる。俺の頭上から炎の渦が迫りくる。空気が操られ、突風も発生した。
「くっ…。」
強い。正直俺が戦える相手ではない、と一瞬で思ってしまった。たった一撃で俺は心まで砕かれかけた。だから、考えてしまった。こんなとき、エレナなら——と。
「任せろ、後方支援を頼む。」
そのとき聞き覚えのある凛とした声が響いた。さっと俺の前に滑り込んできたのは、エレナ。間違えるはずもない、一番大切な人。
「エ…レナ?」
「リュイくんにだけかっこいい真似はさせられないからな。世界を平和にするためなら、死んでも生き返るよ。」
あのときと同じく、ぱちんとウインクをして駆け出すエレナ。手にしている長剣で右から左から攻撃を加える。
——なんで、どうして。あのとき確かに殺したはず。
俺の頭は混乱していた。目の前では強敵にも負けず、果敢に攻めるエレナがいる。頭が真っ白になりかけたところで、エレナが大声を上げた。
「リュイくん! 私を、助けてくれないか?」
そうだ、今は魔王を倒さないと。やっと心の奥に火が灯り、へたりそうになる足を奮い立たせ、俺は後方支援に徹することにした。
◆◆◆
しばらく均衡状態が続いていた。どちらかと言うと俺達が少し劣勢ではある。俺の魔力も底が見え始めた頃、エレナがそっと耳打ちする。
「私が囮になる。その間にどうにか一瞬でも魔王の動きを止められるかい?」
「…難しいけれど、やってみる。」
うなずく俺を見てエレナは嬉しそうに口角を上げる。そのままくるりと振り返り、魔王に相対すると、全速力で走り出した。
「うおおおお!」
エレナの渾身の一撃が魔王にヒットする。エレナの攻撃が効いたのか、魔王が体勢を崩した。その隙を狙って俺は魔法で魔王の動きを止める。
「エレナ! 今だ!」
「ありがとう、助かるよ!」
エレナの長剣がぶすりと音を立てて魔王の心臓を穿つ。いくら魔王でも心臓を狙われたら勝てない。これで、終わりだ。
「うがあああああ!」
魔王の体から蒸気が上がる。魔王の体は蒸発し、いつしか姿は見えなくなった。
「終わったな。」
エレナは長剣を振り、鞘に収める。そのままこちらを振り返り、にやりと笑った。
「リュイくん、よくも私を殺してくれたね。」
拳を俺の胸にとんと当て、エレナはやはり笑う。
「…なんで生きてるんだよ。」
「なんとなく予感がしてね、毒に効く抗体の薬を先に飲んでおいた。あの薬は一気に体温が下がるから、ホットミルクをもらえて良かったよ。まあ、そのホットミルクに毒が入っていたわけだけど。仮死状態からまた動けるようになるまで少し時間がかかる薬だったから、ここへの到着も遅れてしまったけれど、リュイくんの危機に間に合ってよかった。」
俺は胸に当てられたエレナの拳を取り、両手で包む。先ほどとは違う、あたたかな温度が伝わってくる。そうか、先ほど感じた手の冷たさは薬のせいだったのか。全く気が付かなかった。やはりエレナは俺の一歩先を行く。
改めてエレナの手のあたたかさを感じて、不意に視界がぼやけた。エレナが、生きている。それだけで世界に光があふれたようだった。
「殺しておいてなにを、って思うかもしれないけど、エレナが生きていて…良かった。」
頬を涙が伝う。しかたがないなぁ、と呟きながらも、エレナは嬉しそうにその涙を拭ってくれた。
「私のためを想ってくれたんだろう? リュイくんが先に戦っていてくれなかったら、私はもっと傷ついていたかもしれない。大切にされているんだなと思えたよ。ありがとう。」
ふわりと笑うその姿が美しくて、俺はエレナを引き寄せ、抱きしめた。
「オレ、エレナのことが好きだよ。もうエレナが傷つかなくて済む世界を一緒に作ろう。」
「私だけじゃなくて、リュイくんも、世界中のみんなも、ね。」
やっぱりみんなの平和を願うのか。少しの嫉妬心を抱きながらも、俺はうなずく。いつでも周りを考えているエレナが、いつか俺だけを見てくれるように。そんな願いを込めながら、抱きしめた腕に力を込めた。
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