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5 春の並木道、ふたりで見る花

 校舎の外に出ると、陽はもう山の向こうに隠れようとしていた。西の空は赤く染まり、その光が校庭の向こうまで広がっている。


 アウラとカイエルは並んで歩いていた。

 肩が触れそうで触れない距離。歩幅を合わせるのが、なんだかくすぐったい。

 黙って歩く時間が少し長くなってきて、アウラはちらりと横を見る。


 今日最後の太陽に染まる、カイエルの横顔。

 その水色の瞳が、光を映して赤や紫に輝いて見えた。


「……きれい」


 目を離せなくなって、そのままぼんやりと彼を見つめながら、こぼした声にカイエルが振り向く。目が合って、アウラは、はっと我に返った。


「えっと、ほら……夕陽が、きれいだよね!」


 焦って言い換えた自分が恥ずかしくて、アウラは顔を赤くする。

 そんな彼女に、カイエルは頬をゆるめた。どこか、安心したように。


「うん……僕も今日は、なんだか全部がきれいに見える気がする」


 彼の言葉に、アウラの胸がきゅんと音を立てた。

 風がそよぎ、彼女の柔らかな髪をさらっていく。アウラは髪を耳にかけながら、頬の熱が冷めるのを待つ。

 そのしぐさを、カイエルは目を細めて見つめる。

 カイエルの視線に気づいて、アウラは校庭へと目を逃した。それでも、体中が落ち着かないみたいで黙っていられなくて――

 そして、いま思いついたみたいなふりをして「あっ!」と高い声を上げる。


「ねえ。報告に行ったとき、先生すごく笑顔だったよね。そんなに補習のこと心配してたのかな」


 カイエルは「うーん」と小さくうなって、少し考えるように首をかしげた。


「……もしかして、聞こえてたのかも」

「え? なにが?」

「魔法で伝えてたこと。先生、実習のときも『事故防止のために聞くことがある』って言ってたし」


 アウラは目をまるくした。

 あの、直球すぎる告白を聞かれていたのだとしたら。

 途端に心臓が騒ぎ出す。恥ずかしさと焦りで、全身の血が逆流しそうなくらいに。

 心臓に負けないくらい勢いよく、アウラはカイエルに向き直った。


「そ、それって、いつ?!」


 勢いに押されながらも、彼は答える。


「えっと、はじめのペアが決まったすぐあと。今日もたぶん……? あの実習室、先生の結界が張ってあったし、いたの僕たちだけだし……」


 アウラの顔が絶望に染まる。


「そんな大事なこと、もっと早く言ってよ……! もう先生の顔、見られないよ……」


 彼女は顔を覆うと、イヤイヤをするように首を振る。その耳を湯気が出そうなくらいに真っ赤にして。

 カイエルは、申し訳なさそうにつぶやいた。


「ごめん。知ってるのかと思ってたから」

「知らなかったよ! だって、あのときカイエルのことで頭がいっぱいだったんだもん!」


 顔を手に埋めたまま、言ってしまったと気づいて、アウラはぱっと顔を上げてカイエルを見た。

 目が合うと、アウラはすぐに目を逸らす。

 カイエルもほんの少し遅れて頬を染め、目を逸らした。


「……そう。それは、嬉しいけど……」


 ふたりはちらりと目を合わせた。

 夕陽が、ふたりの赤い顔を染めるように照らす。

 どちらからともなく、くすっと笑みをこぼすと、並んで歩き出した。ふたつの影を校庭に長く伸ばして。


「……あのね、今日、ディオンが背中を押してくれたんだ。ちゃんと気持ちを伝えろって」

 

 アウラが「怖気付いて、伝える言葉を選び間違えたけどね」と笑いながら言うと、カイエルは「そうだったんだ……」と少し考えるしぐさを見せる。


「……ディオンに、感謝しないとだね」




 校庭を抜け、セレフィアの並木道へと歩いていく。いつもは生徒たちで賑わうそこも、時間のせいか人影はなく、しんとしている。

 週末の雨でほとんどの花は散ってしまっていたけれど、枝のあいだから風にまぎれて舞う花びらが、まだいくつか残っていた。

 それは、ふたりの足元にひらひらと降りては、また風にさらわれていく。


「だいぶ散っちゃったね」


 アウラは足を緩め、木々を見上げた。かばんを置くと、手のひらを空に掲げて花びらを待つ。


「ね、カイエルは覚えてる? カイエルに助けてもらったとき、セレフィアの花が満開だったの。教室の中にも入ってきてたよね」


 カイエルも並んで空を仰ぐ。


「覚えてる。だって、あの日からアウラのことが気になってたから」


 その言葉に、アウラは驚いたように隣を見上げる。

 そして、ふわりと笑った。春の花がもう一度ほころぶように。


「そうだったんだ……」


 舞ってきた花びらの一枚が、彼女の手のひらにはらりと落ちた。

「取れた!」と、アウラは無邪気に笑った。その横顔を見つめていたカイエルも、つられて笑う。


「でもね。ほんとうは、満開の木の下でいっしょにお花見したかったんだよ」


 アウラは手の中の花びらをつまみ上げる。指先でゆらすと、それは橙のひかりを宿してどこまでも透き通って見えた。


「……ごめん」


 その声に振り返る。彼の目に浮かぶ、小さな曇り。いつもは誰にも見せないそれをアウラは知っていた。

 だから黙って首を振った。だいじょうぶだよ、と伝えるように。


「ううん、いいの。ちょっとだけでも見られたし」


 花びらをカイエルに向けて「ほら、これ!」と笑ってみせる。

 その笑顔を見つめてから、カイエルは何かをこらえるように目を伏せた。


「……それだけじゃなくて」


 夕方の少し冷たくなった風が彼の髪を乱していく。


「勝手に誤解して、きみにひどいことを言った。今日だって……」


 花びらを夕陽に透かしながら、アウラは言う。

 

「……あのね、実は、ちょっとうれしかったんだ」


 思いもしなかった返事に、カイエルは弾かれたように顔を上げた。


「もちろん、カイエルがつらい思いをしていたのは悲しいけど……」


 彼女は指を離す。花びらは風に乗って、空へと舞った。きらきらと輝きながら。


「うれしかったのは、怒ったり、悲しんだりする気持ちを見せてくれたってこと。いつも優しいし、落ち着いてるように見えるけど……それだけじゃなくて、ちゃんと心が動いてるってわかったから」


 カイエルが目を見開いたまま言葉を失っていると、アウラは少しだけ照れたような顔をした。


「それに、わたしだけが知ってるって思ったら、なんていうのかな、これ……優越感?」


 照れ隠しみたいに、アウラはいたずらっぽく口元に手を当てふふっと笑う。


「無敵の優等生、カイエルの秘密を知ってるわたし、なんか強そうだしね!」


 上目遣いで「……成績上がっちゃうかも?」と肩をすくめた。

 カイエルは、耐えきれないように笑い出した。


「――本当に、きみには敵わない。僕なんかより、ずっと無敵だよ」


 それは、彼が見せる心からの笑顔。

 きっと、これが彼の本当の姿。

 ふわりと花がほどけていくようなあたたかさが、アウラの胸に広がる。


 花がまた、風に誘われていく。

 ふたりの間を過ぎゆく花たちのなか、カイエルはアウラに向き直ると、手を差し出した。


「……アウラ。手、かして」


 キョトンとしながらも、彼女は素直に手をその上に載せる。カイエルは、彼女の手のひらを上に返し、下から柔らかく、でもしっかりと包み込んだ。


「えっ、なに?」


 頬を染めるアウラに微笑みかけて、カイエルは息をついた。

 目を閉じ、呪文を紡ぐ。


「……Bláthán(花よ)


 彼の手から伝わる温かな魔力。それは、あの日と同じ。けれど、今日はふたりの想いが重なって溶け合っていくみたいに感じる。


「tar go mo (我が手に)lámh」


 彼がゆっくりと目を開けると、言葉たちはそよ風のようにふたりの周りを包みこんだ。

 しばらくして風が止み、静けさが満ちる。

 そのあと――

 アウラの手のひらから、銀と薄紅を溶かしたような光があふれ出し、ふたりの頭上へと舞い上がる。

 やがて、光は無数のセレフィアの花へと形を変え、空に咲いた。


「きれい……」


 その光を追うように、アウラは空を見上げる。その口元に笑みを浮かべて。


「本物じゃないし、すぐに消えてしまうけど」


 花ではなく彼女だけを見ながら、カイエルが言った。


「ううん、ありがとう」


 アウラも彼に目を戻して――でも驚いたように、ぱちぱちと瞬きする。


「……でも、ちょっと多い?」


 空からこぼれてくるみたいに、セラフィアの花が止めどなく舞い落ちてきては、ふたりの頭でぽんぽんと跳ねている。


「ごめん、加減間違えた」


 空いている片手で、アウラの頭の上の花を払いながら、カイエルは苦く笑う。


「ふふっ。失敗するカイエル見たの、初めて」

「……見せたのも、アウラが初めてだよ」


 彼は、少し照れたように目をそらした。


「緊張してた……というか、僕いま、かなり浮かれてるみたいだから」


 そう言って、触れたままの彼女の手を握る。


「アウラとこうしていられることが、ただ嬉しくて」


 指を絡めると、アウラの指先が少しためらって――それから、きゅっと握り返した。

 互いに緊張の伝わる指先。でも、心までつながった気がして、アウラはカイエルの肩に寄り添った。


「来年は」


 アウラが、小さな声でつぶやく。


「ふたりで本物を見たいな」


 太陽は、今日最後の光を放ちながら、遠く山のむこうへと消えていく。


「うん……必ず」


 カイエルの言葉に、アウラは微笑む。

 紺色の空には、あらたに生まれた月が輝き、ふたりを照らしていた。

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