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4 春の補習、やっと届いた心

 ふたりが笑っている。とても楽しそうに。

 そこだけが一枚の絵のように切り取られて見えた。まるでふたりしか存在してないみたいに。


 何を話しているのかは聞こえなかった。

 けれど、その雰囲気だけでふたりの仲の良さは伝わってくる。

 不意にディオンがアウラの額を指で弾いた。

 額を押さえてむくれるアウラ。それを見て笑うディオン。

 見ていられなくて、カイエルは視線を落とす。


 ――ああ、僕にはあんなふうにはできない。


 早く帰ればよかった、そう後悔した背に声がかかる。

 振り返った先には教師の姿があった。




「先生、遅いな……」

 アウラは机に置かれた杖をみつめながら、深く息をついた。

 夕陽が実習室の床を斜めに走る。

 ほとんどの生徒が帰ったあとの校舎は、とても静かだった。


 きい、とドアが開く音がして視線を上げると、その先にカイエルが立っている。

 光を背にしていて、その輪郭だけがまぶしかった。


「カイエル? ……どうして」


 ……もしかして、待っててくれた?

 そんな、ほのかな期待が芽生える。


「……先生の代わりに来たんだ。どうしても外せない会議があるらしくて」


 彼はアウラから視線を外すと、向かいに腰掛けた。


「もう遅いから、早く終わらせよう」


 かばんを机の上におき、彼はアウラを見ないまま言う。


「うん、そうだね……」


 期待は、あっという間に消えていった。

 返事をする声が、途中でかすれる。

 机の上にかかる夕陽が、ふたりの影を重ねた。


「はじめようか」


 カイエルの言葉にアウラはうなずいた。

 彼に何を伝えるべきか、考えがまとまらないなか、詠唱を始める。魔力が杖を通り抜け、杖の先が光る。空気が、かげろうのように揺れた。

 それでも、胸のなかが波立って集中できない。呪文が掠れる。


「ごめん……失敗しちゃった」


 杖の先の光があきらめたように消えていって、アウラは小さく息をつく。

 外の風にカーテンがそよいだ。

 その音をはっきり感じるほど、ふたりのあいだは静かで。


「落ち着いて。もう一度試してみよう」


 カイエルの穏やかな声が届いて、アウラはまたうなずく。


 机の上、目に入ったのは淡い色の花びら。中庭で、ディオンがふざけたように差し出した、けれど確かに背中を押してくれた、あの花。


 ちゃんと伝えろよ。全部じゃなくていいから。


 花びらが、少し光った気がした。

 アウラは背筋を伸ばす。

 深呼吸をひとつして、呪文を唱える。そして、心の中で思い浮かべた。


 ――聞こえる?


 杖の先が光る。彼の顔は見られなかった。でも、その光は線を描き、向かいのカイエルへと届くのが見えた。


「……うん」


 カイエルが答える。

 短い返事だったけれど、ちゃんと届いて、答えてくれた。

 アウラの胸の中に小さな安心が灯る。


 もう一度、呪文を唱える。


 ――今日は、ありがとう。


「……いいよ、気にしないで」


 穏やかで優しくて、なのに淡々とした声。でも、少しだけ長くなった返事にアウラの心はどうしても期待してしまう。足元からじわじわと上ってくる違和感を打ち消して。


 次が、最後。


 一言だけでもいいよ。それが、おまえの本当の気持ちなら。


 ディオンの言葉を思い出す。

 ほんとうの気持ち。それは――

 カイエルのことが好き。

 もう一度だけ、伝えたい。

 彼の顔をそっと見上げる。

 けれど、その瞳はアウラではないどこかを見ていた。

 すっと心が冷えていくみたいだった。そこに灯っていたはずの小さな光が、風に吹かれて消えていくように。

 

 ……怖い。


 また「聞こえない」って言われたら。

 けれど、このまま黙っていたらなにも変わらない気がした。

 なら、せめて一言でも。なにか、この気持ちを少しでも伝えられる言葉を。

 杖を握りしめる。体が熱を奪うように指先も冷たくなっていく。


 呪文を唱える。三度目の、最後の魔法。

 杖の先が滲んだように光った。


 ――これからも、となりにいていい?


 それは、今伝えられる精一杯の。

 杖から放たれた光は頼りなく震えながら、それでもまっすぐに彼へと向かい、その胸の前ですう、と消えた。

 カイエルの肩が揺れる。しばらく返事はなかった。いつのまにか風は止んで、カーテンも息を潜めたように窓から重く垂れ下がっている。しんと静まり返る教室のなか、ほんの数秒の沈黙が永遠のように長く感じられた。


 やがて、カイエルは口もとを上げる。


「……もちろんだよ」


 あの、作りものの、貼りつけたような笑顔で。

 アウラを見ているはずの目は、ぼんやりとまるで遠くを見ているようで――アウラの大好きな透明な瞳は、どこにもなかった。

 魔法は届いた。そして、彼は答えた。

 なのに、そんな顔をするのは。

 心に、小さなつっかえが生まれて、だんだんと大きくなっていく。


「……どうして、」


 それはそのまま喉までせり上がって、とうとう口を突いて出た。


「どうして、ごまかすの……?」

「え……?」


 カイエルは驚いたように言葉を返す。


「ごまかしてなんて」

「なら、どうしてちゃんとわたしを見ないの?」

「……ちゃんと見てる」

「見てないよ。目の前にいるのに、ぜんぜん見えてないみたいに……ねえ、どうしてなの?」


 彼は、それには答えなかった。アウラから目を逸らすと、がたん、と音を立てて椅子から立ち上がる。


「……先生には僕から伝えておくから。きみはもう、帰っていいよ」


 そう告げ、背を向ける。アウラには、その背中がまるで「答え」のように思えた。


 正直迷惑だなって思うかも。


 頭の中で友人たちが笑った。散りゆくセレフィアにまみれて。


 やっぱり、そうなの?


「待って……!」

 出て行こうとする彼を、アウラは言葉で追う。立ち上がると、足は震えていた。


「……やっぱり、迷惑だったの?」


 カイエルは振り返る。


「迷惑って……?」

「あのときの言葉、本当は聞こえてたんでしょう? それが迷惑だったの……?」


 彼は目を伏せ、ため息をついた。


「迷惑、か」


 はは、と口元だけが歪んだ笑みをつくる。


「……そうだね。そうかもしれない。聞きたくもない言葉を押し付けられた僕にとっては」


 その声は、聞いたことないほど硬く重く、そして小さかった。

 アウラの息が止まる。


 やっぱり、そうだったんだ。あのときの想いは、迷惑だったんだ。


 冷たい水がぽたりぽたりと落ちて、ゆっくりとからだに染み込んでいくみたいだった。息をするたび、その冷たさが肺を満たしていく気がする。

 でも、彼の言葉はそこで終わらなかった。


「……ねえ、アウラ」


 彼は顔を上げると、一歩アウラに近づく。


「さっきの『これからも、となりに』って、どういう意味?」

「……どう、って、それは」


 どう答えればいいのか、アウラにはわからなかった。これ以上、カイエルに迷惑と思われないためにはどうしたらいいのかなんて。


「その、友だちとして……」


 そう言えば少しは軽く聞こえると思った。けれど、彼は眉をしかめ、目もとを歪ませる。

 そしてカイエルはさらに一歩近づく。

 アウラは思わず後ずさる。膝の裏が椅子に触れた。


「……そんな言葉、聞きたくない」


 さらにもう一歩。

 彼は、アウラのすぐ横にある机に手をつく。天板が、ぎしりと苦しそうに音を立てるのが聞こえた。

 逃げ場はもうなかった。気づけば彼の腕に囲まれたその場所に、自分のすべてが閉じ込められている。息をすれば彼の気配が胸を満たし、目を上げれば、すぐそこに彼の顔があった。


「僕はもう、きみと友だちでなんかいられない」


 張りつめた声が空気を震わせる。

 淡い夕陽がカイエルの髪を縁取って、その金とも銀ともつかない色を際立たせた。その下にある瞳が鈍く光る。


「もう、何も感じてないふりして、笑うなんて僕にはできない」


 彼の目には濁った熱があった。そこには、アウラの大好きだった、あの穏やかなまなざしはない。けれど、彼の焦点はようやく彼女を捉えていた。


「だって……僕は、きみのことが好きなんだ」


 張りついていた表情が剥がれ落ちたように、その声はまっすぐで嘘ひとつなかった。

 それは、何かの誤解かもしれないなんて思う余地もない言葉。


 ……ほんとうに?

 ほんとうに、わたしのことを?


 アウラは信じられない思いで、すぐそばにあるカイエルの顔を見つめた。

 高鳴る鼓動が胸いっぱいに広がって――


 なのに。

「わたしも」、そう伝えかけた想いは、続く彼のひとことで胸の奥に突き返された。


「……でも、きみがディオンのことを好きなことも知ってる」

「えっ……」


 思いもしない言葉にアウラの声が震えた。


「どうして……?」


 何を言ってるの? どうして、そんな。


 それを違う意味にとったように、彼のまなざしは一瞬揺らいで、またひどく遠くなっていく。


「きみは、あのときディオンを見つめてた。それに、さっきふたりで中庭で楽しそうにしてたのも見た」

「カイエル、それは……」


 遮るようにカイエルは首を横に振る。その目には拒絶しかなかった。


「でも、僕だってずっと……」


 息を吐くことさえためらわれるほど静かな教室のなか、視界の隅に彼の手が動くのが見えた。その手は夕陽を遮り、アウラの顔の横に影を作る。

 指先が髪に触れて――アウラに届く彼の魔力。だけど、いつもの温かさは影を潜めてどこか冷たかった。


「っ……」


 アウラは顔を背け、身を引く。

 カイエルは、はっとしたように手を止めた。


「……ごめん」


 一歩後ろに下がり、目を伏せる。


「今日のことは、全部忘れてほしい」


 その声は、自分自身を諫めるように固く冷えていた。

 カイエルは視線を落としたまま机の上の鞄をつかむ。ひとつ息を吐くと、出口へと足を向けた。


「ねえ、待って、カイエル……!」


 思わず伸ばした手は、ほんの少し届かないまま虚空をつかむ。


「安心して」


 彼はドアの前で足を止めた。


「もう、きみを困らせたりしない。明日からは、ちゃんとするから。……友だちとして」


 彼は振り返らずに言って、ドアに手をかける。


「待って、待ってよ! お願い、聞いて!」


 このまま彼を行かせてはだめ。


 アウラは机の上の杖を手に取ると、大きく息を吸った。


 今できるのは、この気持ちを伝えることだけ。


 アウラは、ドアの向こうに消えようとしていたカイエルの背に向けて呪文を唱える。


「Glór’anam……」


 杖の先が光った。薄紅色の光が、まるで彼女の心そのもののように大きく膨らんでいく。


「何を――」


 気づいたカイエルが振り返る。


「thar mo chroí」


 ――お願い。

 この気持ちがぜんぶ、彼に届きますように……!


 彼女の中にあるすべての想いを込めて詠唱を続ける。限界まで魔力を帯びた杖は、パチパチと火花を散らした。

 杖が熱を持つ。手が痺れ、視界が涙でにじむ。足が震えているのが自分でもわかった。けれど、もう止まれない。

 さらに膨らんだ光は、風をはらんでアウラの髪を舞い上げ、制服のケープをはためかせた。

 ますます大きくなった火花が飛び散り、夕日の影をすっかり消し去っていく。


 息をのんだカイエルは、彼女に向かって手を伸ばした。


「アウラ、だめだ! それ以上は……!」


 その手が届くより早く、アウラは叫んだ。


「go dtí do chroí!」


 伝えられなかった言葉も、想いも。ぜんぶ、ぜんぶ、きみに届いて!


 その瞬間、放たれた光は、まっすぐにカイエルのもとへ向かう。彼の胸もとへ届くと、ひときわ大きく輝き、そして、すうっと吸い込まれるように消えていく。


「……っ」


 カイエルの目が揺れた。

 震える手を、ゆっくりと胸に当て――


「今の、僕に……?」


 泣きそうな顔でつぶやいた。


 杖を持つ手を下ろして、アウラはうなずく。


「……カイエルに伝えたんだよ」


 彼女の目にたまった涙が、頬を伝った。


「ずっと、ずっと……カイエルのことが好きだったんだよ」


 その手に握られた杖から小さな光の粒が舞って、あたりをやさしく照らす。まるで、ふたりの想いを運ぶように。

 カイエルの唇がかすかに震え、言葉にならない音を喉の奥でひとつ飲み込んだ。


「そっか……そうだったんだ……」


 ぽつりとこぼれたその声ににじむ、安堵と後悔。

 そして愛しさ。

 それに応えるみたいに、春の風が窓の外で柔らかく鳴った。


「……ありがとう。ちゃんと、聞こえたよ」

 

 カイエルは微笑む。

 アウラだけを見つめるそのまなざしは、彼女の「好き」をそのまま映し返す。


 ――彼女の大好きな、春のせせらぎのように澄んだ瞳で。

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