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1 春の教室、心を伝える魔法

全5話の予定です。

楽しんでいただければ幸いです。

 アストリア魔法学院に、春の風が吹き込む。


 今日は、新入生にとって初めての実技授業――魔法制御。

 誰もが無言で杖を構える教室には、どこか張りつめた空気が漂っていた。


 そのなかで、ひとりの少女――アウラは、杖を握る手にじんわりと汗を感じていた。


 詠唱が喉の奥で詰まる。

 魔力の流れが定まらなくて、指先が震える。


 杖の先が、バチバチと火花を散らした。


 どうしよう、止まらない……

 わたしのせいで、みんなに迷惑をかけちゃう……!


 魔力を限界まで帯びた杖は、手に吸い付くように貼りついて離れない。

 逃げ場がない。


 空気がざわつき、周囲が息をのむ。

 教師が焦ったように走ってくるのが、視界の端に映った。

 でも――


 だめ、間に合わない!


 このあとに起こることを想像し、恐怖で震える手の上に、隣からふわりと温かな気配が届いた。

 春の風のような、やわらかな魔力。

 それは乱れた彼女の魔力に触れ、ゆっくりと馴染んでいく。


「焦らないで。魔法は、心が落ち着いてるときの方が、よく響くから」


 優しい声が、体のなかにじんわり染みていくようだった。

 アウラは顔を上げる。

 隣の少年は、彼女を静かな目で見ていた。

 彼の、青空を閉じ込めたような水色の瞳。それは春のせせらぎみたいにどこまでも澄んでいるのに、冷たさはなくて――彼女の気持ちを、少しずつ穏やかにしてくれるようだった。

 アウラはうなずくと、もう一度詠唱を始める。今度は杖の先が淡く光り、魔法がまっすぐに響いた。

 教室の空気も落ち着いてきて、ほっと息をつく。


「あの……ありがとう」


 アウラの小さな声に目元をほころばせると、少年は視線を戻した。


 春風が通り抜けていく。

 窓のすき間から一枚の花びらが舞い込み、ノートの上にふわりと降り立った。

 アウラは花びらに気づくと、指先ですくい取る。

 それは、春に咲くセレフィアの花。

 薄紅に銀を溶かしたような透きとおる花びらが、光をはらんで輝く。

 花を透かして見える指先に、まだほんのりと温かい、彼の魔力の名残が灯っていた。


 アウラの視線が、無意識に彼に吸い寄せられる。

 その横顔から、しばらく目を離せなかった。

 とくとくと高鳴る胸の音と共に、心の奥で小さな芽がふくらんでいく。


 ――彼女の「好き」は、この日芽吹いた。





 魔法学院に、二年目の春がやってきた。


 新学期、最初の授業が始まる。

 この日は、他クラスとの合同授業。

 新しい二年生が集まる教室には、ちょっとの緊張とたくさんの希望とが漂っている。

 クラスが発表されてから初めて顔を合わせる生徒も多い。

 教室のあちこちで「一緒のクラスだね」「あっ、あの子も同じ?」と、にぎやかな声が飛び交っている。


 ざわめきのなか、アウラは談笑する友人たちの輪に入っていた。

 ネクタイの色は一年生のときの緑色から水色に変わった。少し彼の瞳に似ているその色。それが胸元にあるのを、なんとなく気恥ずかしくアウラは思う。


「今日の合同授業、楽しみにしてたんだ!」

「わたしも。ディオンと授業受けられる! 今年はクラスが違って残念だったし」


 友人たちはひとりの男子生徒の話題で盛り上がっている。

 ドアが開き、黒髪の少年が入ってきた。

 女子生徒たちの視線を集めながら、彼はアウラの後ろに立つ。


「おはよー、アウラ」


 彼はアウラの後ろから手を伸ばし、癖のある彼女の茶色の髪を、くしゃっと撫でた。


「ちょっ……ディオン、やめてよ!」


 アウラがむっと振り向くと、彼は琥珀色の目を細めて無邪気に笑う。


「怒るなって。ちょっと直してやっただけだよ」


 冗談っぽく言い残し、友人たちの会話に混ざっていく。


「もう! 今日、せっかくうまくまとまってたのに……」


 毎朝、少しでも可愛いと思ってもらえるように、頑張ってるのに。

 アウラは文句を言いながら、手ぐしで髪を整えた。

 ふたりのやり取りを見ていた女子たちが、口々に言う。


「え、なにそれ、うらやましすぎ!」

「やっぱりアウラ、ディオンと仲いいよね!」

「ね、アウラはどう思ってるの? ディオンのこと」


 アウラはきょとんとして、首を傾げた。


「どうって? まあ、明るいし、いい人だとは思うよ。さっきみたいなのは、やめてほしいけど……」


 友人のひとりがきっぱりと言う。


「そうじゃないよ。好きかどうかに決まってるでしょ! 恋愛的な意味で!」


 アウラは「えっ?」と目をまるくして、手をブンブンと振った。

「それはない! 全然ない! 本当に去年同じクラスだったってだけ!」

「あっ、なんか慌てた! もしかして、もしかして!?」


 友人たちがにやにやとからかう。


「違うってば!」


 だって、わたしは――


 言いかけて、口をつぐむ。彼の顔を思い浮かべ、顔がほんのりと熱くなる。


「ほら、顔が赤くなった! やっぱりそうなんでしょ!」


 はやしたてる友人たち。アウラが必死に反論していると、後ろから声がかかる。


「おはよう」


 ぱっと胸の鼓動が跳ね上がった。

 誰の声かなんて、顔を見なくてもわかる。


 気づかれないよう、喉をおさえながらアウラは咳払いする。

 いちばんいい笑顔。そう心の中で何度も唱えた。

 そしてゆっくりと、振り返る。


 風がカーテンを揺らし、春の光が教室に差し込んだ。

 見えたのは、その光のなかで柔らかく揺れる彼の髪。金とも銀ともつかないその色は、朝陽の中で淡くきらめいて、彼のまわりだけ穏やかな風が流れているように見えた。


「おはよう、カイエル!」


 にっこり笑って完璧な声で返したつもりだったのに、喉が少しだけ詰まってしまった。

 まわりの友人たちも「おはよう」とあいさつを返すと、彼は微笑んで歩いていく。

 すれ違うそのとき、彼が一瞬アウラを見て――目が合った気がした。

 あの微笑みが、まっすぐ自分にだけに向けられたもののようで。

 それだけで、全身がふわふわと浮いているみたいになる。そのまま、春の風に連れ去られてしまうんじゃないかと思うほど。


 去っていく彼の後ろ姿を見つめながら、アウラは頭の中では反省会が始まる。


 どうしよう、声うわずってなかったかな。

 うまく笑えてた?

 え、やだ、髪型おかしくなかったよね?


 ああ、今日ダメだったかも……とアウラが内心でぐるぐるしていると、すぐ隣から友人のため息が聞こえた。


「はぁ……今日も『カイエルさま』は神々しくていらっしゃいますねぇ」

「え、なにその口調。どうしたー?」


 隣の女生徒が怪訝そうに問いかける。


「いや、なんていうかさ、カイエルってなんでもできるし、いつも穏やかで誰にでも優しいんだけど、でもさ……」


 その友人は「うーん」と腕を組みながら、言葉をつなぐ。


「なんか……完璧すぎて、本音わからない感じがしない?」


 アウラは一瞬ぽかんとして、それから思わず「えっ、なんで?」と問い返す。


 あんなに優しくて、ちゃんと人の話も聞いてくれて。わたしには、いつも目を合わせて話してくれるのに。


 ところが、まわりも友人に同調しだした。


「わかるかも。あの色素の薄い目、すごく綺麗なんだけど、冷たいっていうか」

「たしかに。怒ったとことか見たことないしね」


 わたしには、ちゃんと伝わっているのに。

 あの瞳の奥にある、あたたかな光。

 どうして、それが見えないの?


「そんなこと……」


 アウラが言い返そうとすると――


「さあ、授業を始めましょう」


 ドアを開けて、銀縁眼鏡の女性教師が入ってきた。その姿を見て、生徒たちはバタバタと席につく。話題もさっきまでの騒がしさも消えて、教室の空気が一気に冷めていく。

 でも、アウラの胸だけはまだ熱くて、どこか取り残された感じがした。


 静かになった教室を見回し、彼女は革のポーチから杖を取り出した。その杖を一振りすると、黒板にじわりと白い文字が浮かび上がる。


「今日扱うのは、相手の心に自分の心を届ける魔法です」


 その呪文とは、Glór’anam thar mo chroí, go dtí do chroí――魂の声よ、我が心を超えて君の心へ。

 向かい合ったふたりが互いの”心”を伝え合う、中級伝達魔法。

 少し長いけれど、落ち着いて正確に詠唱すれば、伝わる感情の深さを調整できる。

 でも、感情や想いが強すぎると、それがそのまま言葉として届いてしまうことがあるという。


「唱えるときは、相手の心を思い描くようにすると伝わりやすいですよ。ただ、伝える言葉には気をつけて」


 以前、強い感情があふれすぎて、相手を泣かせてしまった生徒もいたらしい。

 教師はそう付け足しながら、生徒たちを見渡す。


「今日は三回、それぞれペアを変えて練習してもらいます。では、さっそく初めのペアを決めましょう」


 眼鏡を手で整えてから、教師は杖を掲げた。


Solas na(ふたりの縁よ) asc, éirigh(光となりて結ばれよ)!」


 呪文を唱えると、その杖の先から金色の光が飛び出し、空中にくるくると回りながら名前が浮かび上がる。名前たちは光のリボンのように結ばれて、しばらく空中に留まった。

 名前が浮かぶたび、あちこちで歓声や笑い声が上がる。ざわめく空気のなかで、どんどんペアは組まれていった。


 そして、アウラの名前と結ばれたのは――

 カイエルの名前。


 どきん、と大きく胸が鳴る。

 辺りの温度が少しだけ高くなった気がした。


 かたん、と椅子の足が床を打つ音がする。

 見上げれば、いつの間にか目の前にカイエルが立っていた。


「よろしく、アウラ」


 その声は、柔らかく胸に届く。

 ただ名前を呼ばれただけなのに、世界がぱっと色づいた。


「……こちらこそ、よろしくね。カイエル!」


 アウラはにこりと笑ってみせる。心の中は、どきどきが止まらなかったけれど。

 向かいの席に座ったカイエルも、目を細めて笑う。


「今年もまた、きみと同じクラスでよかった」


 その言葉に、アウラのどきどきはさらに大きくなって、頬が熱を持ち始めた。

 それが友だちへの挨拶くらいのものだってわかっているのに、都合のいい意味を持たせたがっている心をどうしても押さえきれなくて。


「うん……わたしも」


 声がかすれてしまって、咳払いをひとつ。


「あれ、なんか乾燥してるみたい? あはは……」

 髪を耳にかけながら、ごまかした。


 ……どうか、気づかれていませんように。


 何気ないふうを装ったつもりだったけれど、彼が変に思っていないか、そればかりが気になってしかたがない。アウラはなんだか落ち着かなくて、机の上の杖を意味もなく指先で動かしてみたりした。


「ね、カイエル、中級魔法はじめてだね。ほら、わたし、伝達魔法苦手でしょ? うまくできなかったらどうしよう!」


 頬が熱くなっているのを隠したくて、わざと大げさに嘆いてみる。


「アウラの魔力は充分強いから、落ち着いていればちゃんと伝わると思う」


 カイエルは、口もとにやわらかな笑みを浮かべて言った。

 それだけで、なんだか胸がくすぐったい。


「そ、そう? ありがとう!」


 ちゃんと答えたつもりなのに、なんだか言葉がふわふわしていた。

 胸がどきどきして、呼吸の仕方までわからなくなりそう。

 平常心、平常心。

 そう心の中で繰り返しながら、杖に手を伸ばす。


 かたん。

 指先が触れそこね、杖が転がる。


「あっ」


 反射的に身を乗り出したけれど、杖はアウラの手をすり抜け、机から飛び出した。

 床に落ちる寸前。


fleòdra(浮かべ)

 

 カイエルが短く命じる。


 杖が、止まった。


 床に触れる寸前で、見えない手に掬い上げられたみたいに、ふわりと浮かび上がる。

 そのまま向きを変え、吸い寄せられるようにカイエルの手のひらへ収まった。

 教室が一瞬静まり返ったあと、おお、と周囲で歓声が上がった。教師までがぱちぱちと拍手をしている。


「すごい……!」


 彼の手から杖を受け取りながら、アウラは思わず口にした。


「ねえ、いま杖使ってなかったよね?」


 カイエルはうなずく。


「まだ、対象が近くにあるときにしかできないけどね」


 そして「アウラの杖が傷つかなくてよかった」と笑った。

 その笑顔に、アウラは杖を胸に抱えながら息をつく。


 ほら、やっぱり、みんなわかってないよ。

 彼はこんなに優しく笑える人なんだよ。


 周囲はまだざわついていた。

 カイエルの魔法に驚いた生徒たちが、口々に感想を漏らしている。


「さあ、相手に伝えたいことは決まりましたか? 決まったペアからどんどん始めてくださいね!」


 まだ騒がしい教室の空気を変えるように、教師が手を叩きながら言った。

 カイエルは、教師をちらりと見やると杖を手に取る。


「じゃあ、僕から始めるよ」


 彼は息を整える。


「……Glór’anam thar mo chroí go dtí do chroí」


 彼の迷いのない声が呪文を紡ぐと、杖の先がほわっと銀色に光った。

 光は空気を伝って、アウラの胸のあたりで淡く揺らめく。

 春の風が息を潜め、教室の音が遠のいていくような感覚。

 アウラは、胸にあたたかいものが生まれるのを感じた。


 ……あ、この感じ。

 彼と、初めて会ったときの。

 

 ――今年も、セレフィアが満開になったね。


 光が弾け、彼の言葉が心の中に届く。

 それが、柔らかくてとても心地よい。


 あたたかい光の余韻が残る。

 静かな時間の中で、ただその感覚だけを抱きしめていた。


 やがて、世界が少しずつ音を取り戻していく。

 遠くで誰かが机を動かす音。窓の外の鳥の声。

 そして、いちばん近くの声が、優しく響いた。


「聞こえた?」


 カイエルの声に、アウラはゆっくりとうなずく。


「うん、聞こえた!」


 ほう、とため息をついてから、机の上に身を乗り出す。


「やっぱりカイエルはすごいよ! はじめての魔法なのに、こんなに完璧なんて」


 彼は柔らかい笑みを浮かべる。

 身を乗り出したぶん、その顔が近くに見えた。


「ありがとう」


 その笑顔を見るたび、胸がキュッと、ときめきの音を立てる。今日はもう何度目かもわからない。


 ……こんなの、ますます好きになっちゃう。


 アウラは彼から目を逸らす。かすかに震える指先で、杖を手に取った。


「じゃあ、わたしも」


 小さく息を吸ってから、杖を構える。

 胸の鼓動が杖を持つ手の中にまで伝わっている。手のひらが汗ばんで、木の感触が少ししっとりするくらいに。


 落ち着け、落ち着け。

 胸に手を当てて、ひとつ深呼吸。

 彼に伝えることは「いっしょにお花見に行かない?」

 さっきの彼への返事。

 本当はもっと伝えたい気持ちがある。

 けれど、今はこのくらいしか勇気が出ない。


 相手の心を思い描くように。


 教師の言葉が、遠くで反響する。


「……いくね」


 杖をぎゅっと握り、唇を動かす。


「Glóránam……」


 詠唱の途中で、息を吸うより先に目が合ってしまう。

 水色の瞳が、春の空のように澄んでいる。

 その目に映っているのが自分だと気づいて、胸が熱を帯びた。


「thar mo chroí……」


 声が震える。

 杖の先からわずかに滲み出した薄紅色の光が細く揺れて、アウラの鼓動まで映し出す。


 あ、だめ。

 彼を見つめすぎちゃったら――

 

 気持ちがあふれすぎちゃう。


 アウラは慌ててカイエルの右肩へと目を逸らす。

 そこには、他クラスの生徒たち。その中の、窓際にいるディオンと目が合った。

 彼もアウラに気づいて、軽く手を振ってくる。


「アウラ」

 

 彼女を呼ぶのは、カイエルの声。

 いつもより少し低くて、どこか鋭いその音に、アウラは思わず顔を向ける。そこにあったのは、驚くほど真っすぐな瞳。

 どきん、と心臓が動く。

 アウラの魔力がびくんと震えて、胸が彼のことでいっぱいになる。


「……go dtí do chroí」


 ちょうどその瞬間、詠唱が終わった。

 光がきらりと跳ね、ふたりの間で音もなく弾ける。

 糸のような輝きが揺らめき、たったひとつの言葉が光の中を渡った。


 ――好き。


 やわらかな響きが通り抜けていった。

 空気が一瞬止まる。

 春の風まで息をひそめたように。


 ふたりの視線がふたたび交わって、カイエルの瞳が微かに揺れる。彼は驚いたように、けれど痛いほど真剣な目でアウラを見つめていた。

 アウラは顔を真っ赤にしてうつむき、杖を握りしめる。


 ……いまの、聞こえた?

 聞こえちゃった……?


 頬が熱くなる。

 何か言わなくちゃ、と気持ちだけが焦る。

 なのに、声が出ない。


「……アウラ」


 カイエルが小さく名を呼ぶ。


 その声に、アウラの胸が鳴った。

 顔を上げられないまま、目だけでカイエルを見る。


「あの、今の……聞こえた……?」


「……ごめん」


 カイエルは小さく首を振る。


「何も、聞こえなかった」


 ふたりの間に静寂が訪れる。

 風がまたカーテンを揺らし、窓の外では、セレフィアの花びらが春の光を受けて舞っていた。


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