J.J.の悪書
死神の屋敷、その食卓で唯一純白名者が居る。それが僕だ。
「メルシー、テルミドール。」
バチスト・ジョン・アンサングは僕にとって気のいい親戚くらいの人となった。一万円くらいのお年玉くれる親戚並みのな。
「よく上等なウサギを獲ってくれた。」
しかし口下手だ。そんなんだから仕事柄もあいまって娘にはうっすら嫌われる。
僕は彼が不憫でたまらない。父の言う通り本当に処刑人になるべきでは無かった人なんだ。
「シャルロのおかげです。僕はただ追いかけていただけで。」
「そう言うな。奴は器用だが体力が無い。お前がいて始めて兎に触れられるのだ。」
「そうだよ。あと貴方とじゃなきゃ狩猟なんてやんないよ。」
屋敷の給仕が作ってくれた兎のソテーはとても美味であった。こんなにおいしくしてくれるのら本当に獲って良かったと思える。
「そう言ってもらえるのは本当に嬉しいな。」
理性で押し殺した本心が漏れだした。
卑怯者、何度も唱えただろうが。どうしてこうも我慢できない。
「テルミドール、後で話がある。」
冷たく低い声、僕はそらにビクついた。もしかしてうちの娘にだとか思われたんだろうか。
それは、辛いな。
食事は終わり、僕はバチストの書斎に呼び出しを食らった。
心臓が少しだけうるさい。だが僕は悪い事はしてないはずだ。だがら叱責ではないだろう。
多分、絶対。
この扉の先、確かシャルロも立ち入ったことが無いんだよな。
「入れよ、テルミドール。何も叱ろうという訳では無いのだ。」
その声に心臓は落ち着き、汗は止まる。軽くなった扉を開けた。
バチストの書斎、そこはまるで質素倹約を形にしたようであり、ただ一つ贅沢だと思えるものは大理石の十字架だけだった。
余り物のない机にただの木の椅子。この部屋がこの屋敷になかったら本当に民家の一室であると思ってしまう。
「テルミドール、酒は飲むか?」
「辞めてください、僕はまだ10ですよ。」
「真面目坊主め、父親にそっくりだな。」
未成年飲酒、という概念は無いがそれはそれ、これはこれだ。尊敬できる人の前で酒に酔って粗相なんてしたくない。
「私は飲ませて貰うぞ。」
彼はスプリティスを水で割ってグビグビと飲んだ。
彼がこんなにも酒豪だとは知らなかった。
「私は、私は娘には処刑人など継がせたくはない。あいつは優しすぎるんだ。」
あまりに度数の高い酒は彼の嘘の壁を溶かした。
「だから強い倅を産まなきゃならなかったんだが、妻は早くして死んでしまってな。」
「そして不器用な私にはあいつ以外愛せないときた。」
「だからなんだ、私はお前には感謝してるんだ。きっとあいつはお前がいなければこの家をでるか、この世を去ってしまう。」
「…なぁうちの娘を貰う気はないか?」
なっ!?突然そんな事を言うのか!?
「僕は確かに貴方の娘さんを、シャルロを好意に思っている。ですが!彼女は僕以外の男を知らない。だから卑怯なんです、僕が…」
「そういう所は父親とは違うんだな、ははっ。」
「あいつはロイヤーだと言うのにその辺の倫理観はなくてな、よくズケズケと私の心に押し入ってきたものだ。」
父親のそういう話は聞きたくないぞ、僕。
「だがこの私の人生35年の経験から言わせて貰うと、処刑人を只人として扱ってくれる場所はこのラソレイユにはないぞ。」
「だからシャルロはお前に頼みたいんだよ。あいつはお前のような男じゃないと幸せにはなれないんだ。」
「せっかく、私の子に産まれてくれたのに、俺は…」
俺、か。あんたって自分の事そう言うんだな。
やっぱ僕はあんたのこと尊敬するよ。人が出来すぎている。
だからバチストはこの不条理な世界に耐えかねてこんな度数の高い酒に溺れているんだ。
「あんたが娘の前でその姿を見せれたらシャルロはあんたを慕ってくれるかもな。」
「み、せられるものか!こんな情けない姿を!俺は、俺は死神だぞ!たくさんの人を殺したんだ!!」
彼は神様にでも縋るように僕の裾を掴んだ。
「酔い過ぎですよ、バチストさん。」
机の水を彼に飲ませ回復体位をとらせる。
「…私の胸ポケット、その中に鍵がある。机の左の引き出し、そこの鍵だ。私が寝ているうちに開けるといい。」
彼は事切れるように眠った。赤く腫れた目の下と頬はこれまで彼が断ってきた人の赤い血だろう。
僕は好奇心に任せてその引き出しを開けた。
その中にはペンダントと結婚指輪、そして古い紙切れがあった。
「こ、これは…J.J.の悪書についての概論、だと!?」
しかもこの筆跡は我が父、フランソワ・テルール=テルミドールの筆跡だ!
焚書対象の、しかも一級悪書に関わっていたすれば首が飛ぶぞ…
待て、ということは僕もこれを知ったら、もしかして…
恐る恐るその紙切れを手に取って読み込む。
J.J.の悪書 概要
まずJ.J.の悪書とはラソレイユの人々が忘れてしまった事柄について示した著である。
第一著で述べられている事柄要約
まず自然状態において人とは平等である。しかし社会が形成され、私有財産が生まれることによって不平等が生まれた。
この不平等は自然状態における状態にまで是正されなくてはならない。
第二著で述べられている事柄要約
国家、社会は人々が己の権利を共同体に譲渡する契約を結ぶことで始めて成立する。
つまり国家の主権は王にあるのではなく、人民にあるのだ。
「ま、まじか…」
これは…これは!紛れもなく、これは!!
父の脚色は入っているとはいえど紛れもなく人間不平等起源論と社会契約説だ。
僕は鍵を閉めて、それを彼の胸ポケットに盗んだ。
確かな興奮と驚愕はそのまま、書斎を出て庭で夜風に当たる。
そろそろ帰らなくてはないならが、今日は帰りたくはない。きっとこの熱を持ったまま父に会えば絶対に話してしまう。知っているだけでヤバい本と思想を。
「正しい事、だ。」
なにより今、それを父に話してしまったら正しいと確信してしまう。何が何でもこの思想をこの国で完成させることが僕の夢になってしまう。
それは正しさの為に世界を焼き尽くしてもいいということに他ならない。
それはあいつの、あの愚かな賢しい馬鹿野郎の思想だろ、僕じゃない、あいつは知識だけを残して消えたんだ!!
くそう!消えろ!消えてくれ!僕!
たが、世界を正しくするためなら…
「ん、帰るの?テルミドール。」
あぁ、この冷たい夜を熱くする声。辞めてくれ、今、熱さないでくれよ、シャルロ。
「泊まってきなよ、もう夜遅いしさ。」
「なぁ、シャルロ。」
「もし、もしだ。君が処刑人として生きていかなくても良い世の中が来たら君は喜んでくれるのか?」
「え?そりゃうれしいよ。私は処刑人なんてしたくないし。でもどうして、いきなり…」
そうか、君は喜んでくれるか。
ならこの熱情は忘れないでおこう。この正しさの灼熱は…
「聞いただけだ。」




