汝、死神を恐れよ
「いいかテルミドールよ。私達は疎まれなくてはいけないのだ。人から疎まれなくてはいけないのだ。お前のように正義ズラで慈悲をかける者は邪魔なのだ。」
バチストは語りだす。これは明らかな敵意の声だ。
「人々が死神を恐れることで人々は罪を恐れる。それはとても好ましいことだ。」
「だから死神に近付いた罰として、貴様には死神の恐怖を教えてやる。」
遅れて僕の父様が走ってくる。
「バチスト!テルミドールはまだ7歳だぞ!」
「だからどうした。アンサングでは5歳の頃からやっている。私もシャルルもな。」
「次会うのは裁判所だぞ。」
「私の行為を明確に裁ける法律はラソレイユ法にはない。
「なにより私は処刑人、国王より正式に定められた貴族であるぞ。分の悪い戦いはそちらの望むところではないだろう。」
「バチスト、お前は!」
「父様!」
「僕は甘んじて罰を受けようと言うのです。親が子に恥をかかせてどうするというのですか。」
父親は苦虫を噛み潰したような顔をしている。無理もない、こんなにも可愛げの無い息子に育つとは思わなかっただろう。
そこから父は喋らなかった。
バチストは僕を屋敷の地下室に連れて行く。
階段を下るたびに腐臭が強くなる。地下室には何があるのだろうか。
「処刑人は処刑人である故に人を識らなくてならない。処刑人という職が如何にして処刑人足り得るのか教えてやる。」
腐った扉を開ける。
地下室の中央、鉄の台の上には死体があった。
雪解けの季節であるので、その死体は腐敗を抑えることができず、腐った卵や牛乳できたドブ川の臭いがする。
これが人からする臭いだとは到底思えなかった。
「シャルルには5歳の時からこの恐ろしい光景に触れさせている。お前の前で見せる顔はこの死体を弄んだ後に見せた顔だぞ。」
「だからどうしたといいのですか。人を壊すなら、せめてできるだけ効率的に痛みなく壊す方法を模索する。優しさの表れではないのですか?」
「だからその優しさをお前に体験させてやろうと言うのだ。」
彼はメスを取って下腹部あたりに刃を入れる。
腹を裂いた時、この世のものとは思えない臭いが溢れ出した。
僕はこの臭いについてここでは綴らない。忘れられない臭いではあったが、それについて形容するだけの表現を思いつけないからだ。
ともかく酷い臭いで僕の口の中は不快な味で満たされた。
「吐くな。死なば貴様とてこうなるのだぞ。」
やはりこれ以上綴るのは辞めておこう。
これ以上は僕の正気が持たないし、なにより僕の日記について、誰が読んでいるのであればその誰かを傷つけてしまう。
しかしこれだけは語っておこう。
小腸の感触はまるで海鼠のようだった。
心臓はまるで鍛え上げられた上腕二頭筋のようだったし、骨はリコーダーのようだった。
だが僕はその感触について嫌悪感は覚えたにせよ、一度たりとも恐怖は覚えなかった。
処刑人には処刑人の正しさがあるのだから。
「まさか、な。ここまでして…」
「これで、これで、終わりですか?バチスト、僕は正直貴方に恐怖というよりも尊敬の念を抱きましたよ。貴方達は教会の医療よりも随分先を行っている。実証に伴う知識、ですから…」
僕の意識はそこで途切れた。
次に起きた時にはもう父親の背の上であった。
「お前は立派だよ、テルミドール。」
夕焼けは山の中に隠れ、三日月が顔を出す。
「父様?」
「私もね、バチストと友人になった時に彼の父に同じことされたんだ。意地悪だよ、処刑人の一家は。それでいて優しいんだから、面倒くさい。」
「テルミドール、私は身分制度を破壊したいって言ってたよな。」
「あれさ、ただの手段なんだ。」
「私は、俺はバチストをあの呪われた運命から開放したいんだ。」
「あいつは優しすぎた。処刑人になれるほど心の強い人ではなかった。」
「必ず身分制度を破壊する。その為にこのラソレイユが崩壊するとしても。俺はバチストを救いたんだ。」
ただ父は昇る三日月と、揺れる稲穂に呟いた。
もし、僕の世界のフランスのようにこの国が燃えるとしたらこの夕焼けと同じ色だろう。
「父様、僕も父様と同じようにそれに向けて努力しましょう。」
「しかし僕は父様とは違う。僕には救いたい特定の人はいません。」
シャルロ・アンリ・アンサング、彼女のことは好きだ。だがそれはあくまで心が身体に引っ張られた結果だろうが。だから僕は彼女の為に何かしたいとは思えない。
「俺は多分なら手伝ってくれって言いし、さっきも言った。だけど親としてはそうではないんだ。私についてきて無謀な夢を見ても意味はないぞ。」
「でしょうね。でも僕は父様に、貴方に追従する訳では無い。僕は正しいと思うから、身分制度を撤廃したいのです。」
「正しさの奴隷は疲れるだけだぞ。それに弁護士向けじゃない。」
「わかっています。しかし、正しいと思う事をやらないときっと僕は後悔してしまうから。」
父親は乾いた笑いを零した。自分の育てた息子の姿が自分とはあまりにもかけ離れていたからだ。
どうしてこの子は人ではなく、正しさなんて無意味で無価値なものに全てを捧げる事ができるのだろうか。
バチストの為だけに全てを賭けた彼には自らの息子が理解できなかった。




